2024年7月28日(日)新城教会牧師 上條実
エレミヤ10章10節~11節
“しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。あなたがたは、彼らにこう言え。「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と。”
ハレルヤ!一言お祈りします。
愛する天のお父さま、今この礼拝にご聖霊さまがに満ちてくださっていることを感謝いたします。今日の礼拝が全て、天の教会と地の教会が一つとなり、神の国がこの地に、この教会に表されます事を信じます。聖霊さま、今から弱いものがみことばを語ります。私を隠してくださり、お一人ひとりにお語りくださいますように。主イエスキリストのみ名によってお祈りします。アーメン。
ハレルヤ!素晴らしい賛美の後みことばを語ることができますことを感謝いたします。今、お読み頂いたエレミヤ書の十章十節・十一節からみことばを語らせていただきたいと思います。
七月は、この新城教会にとって忘れることのできない、出来事があります。それは霊的戦いがはじまった時です。主が私たち教会に、祈祷会の中を通して、直接主の手から私たちの手に渡してくださった霊的戦いです。今から三十二年前、その時おられた方も、その後この教会に導かれた方にも、主が私たち一人ひとりに与えてくださった素晴らしい出来事です。
この七月の初めの礼拝に、オーストラリアから来られたエステバン・サン・マーティン先生が素晴らしいみことばを語ってくださいました。「The still small voice of God~神のかすかな細いみ声」というタイトルで語って下さいました。「主の細いかすかな声を聞いてみてください。」とメッセージされました。大変恵みを頂いた時でした。
特別その二日後の七月九日は新城教会で霊的戦いが始まった日です。三十二年間支えられ、今年で三十三年目を迎えます。私も神さまの前に出て、静かに「神よ。私に語ってください。」とお祈りさせて頂きました。すると、今日読んでいただいたエレミヤ書の十章十節から十一節を通して「主の怒り・憤りを持って戦え!」と語ってくださったように感じました。
「また戦えというのか。」と正直思いました。私は病気の家内のこともあり、ちょうど大変な時でしたので、「また戦えというのか」という気持ちもありました。「お前の家内を癒してやる」という声を聞いたら嬉しいなと思いました。また「祝福してやるよ」とか、そのような声を聞かせて頂いたら嬉しかったのですが、「戦え!」と言った時に、正直ショックでした。
しかし、自分のために、語って下さったと信じて「戦え」ということを受け取りました。今日その時受け取っとことばからみことばを語って行きたいと思います。エレミヤ書の十章十節をもう一度お読みしたいと思います。
“しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。”
そのあと十一節は、
“「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と。”
有名なみことばです。私たちはいつも霊的戦いの祈りのなかでこのみことばを宣言をするみことばです。今日本は霊的に悪魔、悪霊が、覆いを被せている現状です。特に夏は、多くの祭りがあり、また八月には終戦記念日や盆行事があり、死者礼拝や先祖崇拝。盆踊りなどの行事があり、この地は悪魔の思うままに降りまわされてしまいます。このような今の日本の状況を、主がどのように思っておられるのか、今回学びたいと思います。もう一度読みます。十節、
“しかし、主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。”
ここに『その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。』とあります。今週はとても暑い日が続きます。酷暑です。私たちは炎天下にいると熱中症で倒れてしまいます。主がこの日本の霊的状態を見たとき、暗闇で耐えられない!と言っておられます。悪魔に抑えられてしまい神のみ思いは、地が震えるほど怒っておられる。そして、憤りを持って国々は耐えられないと語っています。今までの新城教会での霊的戦いの三十二年間のを振り返えって見ると、「地が震えるほど怒っておられる。」そして、「憤りを持って国々は耐えられない」という事が理解できるできごとがあったような気がします。
先週の礼拝のメッセージでも語られていましたが、一九九二年七月九日に突如神さまがこの教会に開いてくださいました。私たちの教会では、悪魔や悪霊が存在することは分かっていましたが、私たちクリスチャンやこの日本に影響を与えるものだという事は分からないまま生活していました。しかし、一九九二年七月九日に霊的戦いが開かれ、悪魔悪霊がいかに私たちを暗闇で覆っているか、私たちのクリスチャン生活の祝福を奪いとってきたかが分かってきました。一九九二年七月九日の朝は、中高生の伝道会のために、各中学校・高校に出かけて行き、学生たちに集会案内のチラシを配布する事が決まっていました。それまでは朝学校の正門近くに出かけて行き、ただチラシを配って来るだけでしたが、毎日続いていた祈祷会の中で、学校のすぐ近くには、学校の守り神のように偶像があり、それによって学生たちが暗闇に縛られている。まずは学校の近くにある神社などに出かけて行き、とりなしの祈りをしてから配布しなさいと語られました。またその祈りの中で「その地域の神社などは何百年、何千年も地域の人々が悪魔に対して拝んできた場所である。軽く考えずに気を引き締めて戦いの祈りをしなければいけない」と教えられ、教会に早朝集まって、主のきよさと守り、また祝福を祈り、緊張感を持って配布する学校に向かいました。初めは学生が登校してくる朝七時頃に到着しようと考えていました。しかし地域の人たちに見られると、おかしなことをしていると思われるから、少し早く出かけた方が良いということで、「朝六時に集合」となりました。私たちは何も分からずにいましたが、主がそのように導いて下さり、奇しくも設楽が原の戦いが始まった日であり、戦いが始まった時間に、初めて戦いの祈りを導いてくださいました。
そんな中で、私は何人かの人と新城市のM地区にある中学校に出かけました。そこは小学校と中学校が隣り合っている所ですが、一つの神社がありました。
今は綺麗になっていますが、当時は汚い小屋の中に石仏が祭られていました。聞くところによると、江戸時代からの長い歴史と伝統があるという事ですが祭りが行われ、祭りには地域の子どもたちが大勢参加しているとのことでした。私たちは時計を見ながらそこで朝六時になったと同時に祈り始めました。その時初めて戦いの祈りをしました。「この地域の人々を悪魔から解放してください!暗闇の力を打ち砕いてください!」と、あの時は火がついたように真剣に祈りました。心から、「この地域の悪魔よ!手を離せ!」と言う思いで真剣に祈ったことを思い出します。確かにその祈りは聞かれ、その中高生対象の伝道会はとても大勢の人が集い、多くの人がイエスキリストを信じると決心の祈りをささげてくれた事を覚えています。
また後日、教会のスタッフたちで各地域に分かれて、地域の神社や仏閣を祈ろうという事になって祈りに行く時がありました。当時、私は新城市のある地区の市営住宅に住んでいました。当時同じ地域に在住していた四元先生と二人で住んでいる地区を祈る事となりました。その時とても不思議な出来事にであいました。新城市のT地区にあるS神社で祈った時ですが、私は市営住宅からその地域に家を新築しました。しかしまだその地域に引っ越すということすら全く考えていなかった時期の話です。その神社は森の中にあって、真ん中に階段があり、大体三十メートルくらい階段で上がって行くところに社殿があります。
先週孫と祈りに行き、彼に登って行ってもらい「大きな声で賛美を歌って」と依頼しました。孫は社殿の方を向いて歌いました。下には全く聞こえませんでした。当時私たちは社殿のすぐ近くで祈り、賛美しました。この神社のすぐ上には「こども園」があります。この地域を治めている暗闇の力、覆いを被せている悪魔悪霊の力が打ち砕かれますように」と、そして先ほども読みました、「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる!」と宣言しました。すると、不思議なことが起きました。祈り終えると、二つのことが起こりました。一つは、祈った途端、その森にいた多くのセミが一斉に鳴き始めたような、音がしました。また社殿の後ろで大きなダンプが砂利を下ろすような音にも聞こえました。森が鳴いたというか、まるで暗闇が私たちを恐れさせ、驚かせようとして来ているような音でした。「こんな戦いの祈りをしたら大変なことがおきるんだぞ!」というように私たちに悪魔が抵抗して来たと思います。正直少しビビりました。またもう一つの不思議なことがありました。階段があり、高低差二十メートル程上にある社殿です。下の道路を通るだけでは全く聞こえないのに、一人の高校生の男の子が神社に駆け上がってきました。私は誰か来たと思って彼を見ると、突然その高校生が烈火のように私たちに向かって怒って「何をしている、お前たち!」と私たちに対して罵倒してきました。私はとても驚きました。そして彼は降りていきました。この出来事を通して感じたのは、「主はまことの神、生ける神、とこしえの王。その怒りに地は震え、その憤りに国々は耐えられない。」主は地が震えるように怒り、国々は耐えられないほど憤っているが、今まで覆いをかけてきた悪魔悪霊が、その地域の子どもを使って悪しき感動を与えて、私たちに対して本気で怒り、「何やってるんだ!」と叫び怒ったのです。どんなにか悪魔の陣営も祈って欲しくない!今まで地域を支配してきた悪魔が必死になって怒っている。暗闇も必死になっていると思わされました。
また隣の行政区にある、別の神社に行った時には、祈ったら女性の泣き声が聞こえたりしました。本当に散々でした。その時は、正直なところ自分の心は少し萎えていました。「こんなことが起きるのなら霊的戦いなんてやるもんじゃないな。」とすこし思いました。ローマ人への手紙八章十九節に
“被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。”
最近私たちは被造物の管理人であると教えられました。「被造物を管理しなさい!被造物に対して主を賛美するように宣言する祈りをしなさい!」とメッセージで語られています。しかし霊的戦いが始まった当時は被造物ということは全く意識していませんでした。被造物は主の創造物であることは知っていましたが、その被造物が神の子どもたちの現れを切実に待ち望んでいるとは全く思いもしませんでした。しかし今振り返ると、森が鳴いたり、砂利が落とされる音がしたりしたあの時、三十二年前ですが、主がサインを出していたのだと思います。「この被造物のために祈ってくれ!」とサインをだされていたのだ。しかし当時はそれをキャッチできていませんでした。
また不思議なことに、家内の両親が援助してくれて、その地域に、土地を買い、家を建てることになりました。その地域に私たち家族が移住してくる事を阻止しようと悪魔が、高校生を通して怒ったんだと分かりました。その地域に住み始めて、様々な戦いがありました。私が地域の当時は組長と呼んでいましたが、組長をしている時、区長に「組の家を回って神社費を集めろ。」「アキバの火を灯す作業を順番でやってほしい」また「組長だから静岡県のアキバ神社まで行って、地域の代表として札をもらいに行って来なさい。」と言れました。しかし全て「できません。」と、はっきりと断りました。区長は、初めものすごく不機嫌でした。しかし「では教会に献金もらうように一軒一軒回ってくれますか?」と言ったら、「それとこれとは違う。」教会は関係ない。私たちはS神社の氏子だからS神社に守られている。この地域に住んでいるんだから、やってもらわなければ困ると言われました。しかしその光景を見ていた我が家の隣家の人が、見かねて「じゃあ私が代わりにやります」と言ったので、一件落着したのですが、すごく戦いがありました。その地域に十数年住んで、引越ししましたが、悪魔はクリスチャンが来る事を知っていて、あのような出来事を起こして来たのです。その地域で主を賛美すること、主の名前で祈る事に対して恐怖を覚え、あの高校生に、悪しき霊的感動を与え、高校生がわざわざ階段を登って来て、成人している私たち二人に向かって罵倒言わせたのだと思います。
悪魔悪霊は主を信じた者が、みことばの剣であるみことばを宣言することが、どんなに恐ろしいかを知っているからです。
今日、私たちクリスチャン、主を信じる人全てに「霊的戦い」の権威を下さっています。この三十二年、三十三年目になりますが、霊的戦いが始まる当時いた方ではなく、その後に、来られた方に権威が与えられています。悪魔を恐れずに、戦うように語っています。詩篇百二一篇七節