なたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。

ここにまず私たちが学ぶところがあるかと思います。私たちが直面するあらゆる困難な状況、神さまの思いがわからないという時、私たちは自分の力では立ち上がることはできないかもしれません。しかし、主によって奮い立つことがでることを覚えていきたいと思います。そして主によって奮い立って神さまの言葉・思いを受け取って、それに従った、ダビデが受け取った結果はどうであったかというと、サムエル記の第一、三十章一八節・一九節、

“ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。”

とあります。私たちは、時に困難な状況に立たされる時であっても、神さまご自身の思いを自分の思いとして、そして判断して、神さまに従っていく、行動していく時に、私たちは何一つ失われるものはない。神さまから用意された完全なる守りと完全なる勝利を受け取ることができる。神さまの完全なるご計画を受け取ることができるということを、ダビデのストーリーから教えられます。
そしてどのようにダビデは自分の思いを神さまの思いとすり合わせたか。それはまず主によって奮い立ったわけです。私たち弱さを持っています。ですから私たちは弱さを神さまに委ねて、主にあって奮い立たせられ続けていきたいと思います。またそれはこのキリストのからだの中で、互いに祈り合う中でもなされると思います。私たち一人ひとりお互いを覚えて、主に奮い立たせていただけるように、今週も祈り合っていきたいと思います。

そしてこのダビデのストーリーは、そのような神さまの思いを自分の思いとしようとする歩みをするダビデは、後にこの自分の家族を安全に取り戻すことができましたが、続きがあります。追っていった部隊は六百人いたのですが、二百人は疲れ切ってしまって、ついて行くことができなかった人がいたのです。
そんな中で、意地が悪い人がいたのです。三十章二十二節、

“ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」”

こんな意地悪を言ったわけなのですが、神さまの思いを自分の思いとするダビデの取った行動はどうだったかというと、

“ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」”

主の思いを自分の思いとする者は、主のみ心にかなった行動・生き方へと導かれるということを、ここから学ぶことができるかと思います。

ここまで学んできましたが、私たちの思い、心の領域、本当に大切でありますね。そして、そのダビデのストーリーからも、現代の私たちというのは、いろいろな思いの領域についても学ぶことができるわけですけども、私たちが主の思いを自分の思いとして受け取ることができる一つの手段としては、やはり聖書のみことばですね。聖書のみことばの中に神さまの思いがありますから、みことばを受け取ることに励んでいきたいと思います。

少しだけみことばについて最後にお分かちしたいと思います。ある方が、インターネットでこんなことを調べていました。「聖書に出てくる契約に関する言葉の回数」、神さまと人との間で交わされている約束、契約に関する言葉です。
「契約」という言葉だけではなくて、約束、誓約とか、いろいろな言葉がありますが、神さまから人に託された様々な約束ですね。その言葉が使われているのが聖書の中に二五九九回出てくるというのです。
 私が読んだある文章の中では、七四八七個あると言われていました。神さまが私たちに対して、人類に対して、神さまの言葉を、その思いをたくさんかけ続けてくださっています。その言葉というのは決して変わることがありません。詩篇八十九篇三十四節、

“わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない。”

箴言 四章十三節、

“訓戒を握りしめて、手放すな。それを保て。それはあなたのいのちだから。”

神さまご自身の契約、約束、素晴らしいものがあります。決して変わらないものです。そのことを覚えていきたいと思います。これだけの神さまから語られているいのちの言葉、思いがあるということを私も知って、すごく恵まれて励まされましたので、お分かちさせていただきました。

最後にまとめていきたいと思います。この地上において私たちを取り巻く環境や状況がどのようであっても、また私たちの目の前に起こってくる困難な状況が押し迫ってきて、私たちの心がダビデのように疲弊してしまって、ボロボロになってしまったとしても、私たちはどのような時代、環境、状況においても、永遠に変わることのない主のみことば・契約に目を留めて、神さまのみ声を聞き続けましょう。そして、その中で神さまの思いで満たされ神さまのレンズをいただき、神さまが見るように見て、そして判断し、行動する。神さまに従って生きていくことができる者となっていきたいと思います。神さまは私たちの弱さもご存知であり、ダビデのように、主によって私たちは奮い立たせていただけるものであるということを、今日学びました。また、悪魔がどれほど偽りを掲げてきたとしても、私たちは決して同意することがないように、私たちの心、思いを守っていきたいと思います。このように生きる中に神さまが用意された素晴らしい完全なる勝利と祝福に満ちた、主が備えられたご計画を受け取ることができることを、今日学んでいきたいと思います。

そして今日のメッセージは、新城教会にこの年与えられた預言的メッセージ・ヨナ書の中から備えられました。ヨナは十分に神さまの思いを受け取り切ることはできなかった人物でありましたが、主に従った時に、主のみわざがなされて、あのニネベの街に、神さまのあわれみと恵みが注がれました。「右も左もわからない十二万以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」と、神さまの愛が現されて、さばきから救われました。このことは、やがてこの地に到来する神のみ国の姿を見ることができるとお分かちしました。私たちが神さまから託された言葉を、神さまの思いで満たされて、私たちが宣言していくならば、私たち個人に対する神さまの祝福や勝利を受け取るだけにとどまらず、この地に神の国が到来するという壮大な神さまご自身のご計画がなされていくことに繋がっていくものであるということを、新城教会に、私たちに、この年語ってくださっていることも覚えていきたいと思います。

最後に箴言四章二十三節を読ませていただいて、メッセージを閉じさせていただきます。

“何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。”

私たちの思いをしっかりと守っていきましょう。またお互いに守られるように祈り合っていきましょう。では最後にお祈りをして、メッセージを閉じさせていただきます。

ハレルヤ。父なる神さま、イエスさま、聖霊さま、今日は「思い」という領域に対してあなたが光を当ててくださって、あなたのみことばを、また神さまご自身の思いを受け取る礼拝の時を与えてくださったことを覚えて心から感謝します。
神さま、どのような時代、どのような環境、どのような状況の中にあっても、決して変わることのない神さまご自身に私たちは信頼して、根ざして、そしてあなたのレンズをいただき神さまが見るように見て、そして神さまの思いを私たちの思いとさせていただいいて、新たに従い生きるものとさせてくださいますように。
この現代社会において様々な情報が溢れ、私たちを悪魔が誘惑してきます。私たちの心を揺さぶってきます。私たちに偽りを掲げてきますけども、どうかそのような悪魔の狡猾な策略から、主よ、私たちの思いを誘惑する、取り巻く、悪魔の攻撃から私たち一人ひとりを今週も、また今月も、この年も、主よ守ってくださいますように。
そしてあなたの思いを私たちの思いとして、最終的な判断行動をしていくことができるものとさせていただきますように。そしてそれが神さまご自身の帰られる道を備えると、この年、神さまが語ってくださっていることを、励ましてくださっていることを、ありがとうございます。
今週もあなたの思いで満たされて、お一人おひとりを通して、主よ、あなたが託された言葉が宣言され、それぞれが遣わされている地において、神の国が現される、お一人おひとりにとって圧倒的な神さまご自身の勝利が現される週となりますように。主のみ名によって祝福します。全ての栄光を主にお返しして、イエスさまのお名前によって父なる神さまに祈りをおささげいたします。アーメン。

主に期待の拍手をおささげしましょう!