2024年4月21日(日)新城教会牧師 上條実
詩篇103篇2節~5節
わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。イザヤ57章14節
主は仰せられる。「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。」
ハレルヤ!今日皆さんとともに主のことばを学ぶことができますことを感謝いたします。いつもお祈りいただき、ここまで支えられていることを心から感謝します。今日、受付で週報とともにリバイバルミッションニュースが配られました。ぜひ家に帰ってお読み下さい。そこにはGoToミッションについて案内がされています。今日も行われていますが、ニュースには既に開催されたGoToミッションの報告が掲載されています。一つの教会は沖縄の教会です。その教会はリフォームをし、リフォーム記念の集会の集会という事で開催してくださいました。その教会には若い十代の方が二名おられ、毎日教会に遊びに来ていました。彼らは友達を教会に誘うようになり、多くの友人が毎晩教会に来て過ごすようになったそうです。そしてGoToミッションが開催され、当日十人ぐらいの若者が集会に参加されまし。その後、先日の復活祭の礼拝で、その中から八名の方がバプテスマを受けたという報告を頂きました。また、別の岐阜県の教会での報告です。この頃はウィークデーには人が集まらない現実がありますが、その日は祝日の水曜日でした。なんと五十名の新しい方が来てくださったそうです。会堂には溢れるばかりの人が集まり、「聖書を続けて読みたい」「教会に集いたい」という方もおられ本当に感謝です、と喜んでおられました。今日の集会でも聖霊さまが働いて下さるようにお祈りください。
今日は先ほど読んでいただきました二つのみことばから、「主の良くしてくださったものを何一つ忘れるな」というタイトルでみことばを語らせて頂きます。
使徒の働きの二章十七節に
『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。』
息子や娘は預言し、青年は幻を見、そして老人は夢を見る。私も歳を取ってきました。孫が九人与えられ、その中の一番大きい子は高校二年生になりました。使徒の働きの二章十七節に老人は『夢を見る』とありますが、先週の月曜日に次の礼拝でメッセージを語る事になっていましたので、「主よ、何を語ったらいいでしょうか?」と祈って床に就きました。するとその夜、夢を見ました。私がメッセージをしている夢でした。夢の中で語っていたメッセージを今日は語りたいと思っております。今日は老人である私の夢を聞いていただきたいと思います。
先週、四国の愛媛県・高知県で大きな地震がありました。すごく心を痛めて、祈っています。皆さんも祈っておられると思いますが、今日は教会全体でも心を合わせて祈っていきたいと思います。報道によりますと、昨年二〇二三年は震度五弱の地震が四月までに何度起きたかというと一回だそうです。しかし今年は既に震度五弱の地震がなんと二十三回あったと報道されていました。この数値は異常です。約四ヶ月半に、震度五弱の地震が二十三回も起きているのです。計算するとなんと一週間に一回以上起きている計算になります。これは異常な回数です。多くの人たちは、「もうすぐ東南海地震が起きるのではないか?」と恐れています。私たちは被造物の管理人です。教会をあげて真剣にとりなしの祈りをしましょう。被災された地域のために祈っていますが、二度とこの日本に、私たちが住んでいるこの地域に、大きな地震が起きないように祈りましょう。地中にかけられているストレスがなくなるように。プレートがずれる事がないように。この土地が主を賛美するようにお祈りしましょう。被造物の管理人として祈っていきたいと願います。
今年の一月一日に起きた能登半島地震時の写真をご覧ください。
地震で、道が崩れ、液状化の理由で道が隆起してしまっています。想像以上のできごとが至る所で起きました。先ほどイザヤ書五十七章十四節をお読みしましたが、
『主は仰せられる。「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。わたしの民の道から、つまずきを取り除け。」』
地震が起きたら、まず自分の身を守る行動を取らなくてはいけません。その後被災された方の救助をしなければなりません。そして流通ができるように、道路を修復しなくてはいけません。道路に障害物がなく、車両が通れるようにしなくてはいけません。道路の障害物があれば、物資を積んだトラックや救急車両が通れません。その為にも道路にある障害物を取り除け、通行できるように復旧しなくてはいけません。道を備える必要があります。このイザヤ書五十七章十四節のみことばは、ユダヤ人が回復して、何のつまずきもなく主を礼拝することができるよう準備しなさい。という主の呼びかけです。
有名なみことばヨハネ十四章六節
『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』
主の道である、真理、いのちを安全にまっすぐ進むことができるように、つまずきの石を取り除く事が必要です。
私は去年の十二月三十一日の礼拝で、イザヤ書三十八章一節から六節のみことばから「とどまるな。前進せよ。」というタイトルで語りました。そこはヒゼキヤ王の事が書かれています。
イザヤ三八章一節~六節
『そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、【主】に祈って、言った。「ああ、【主】よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。そのとき、イザヤに次のような【主】のことばがあった。「行って、ヒゼキヤに告げよ。あなたの父ダビデの神、【主】は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。わたしはアッシリヤの王の手から、あなたとこの町を救い出し、この町を守る。』
この二節に、『ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主に祈って、』あります。ヒゼキヤ王は南王国の十三代目の王様で、とても神に信頼していました。しかし、この時はアッシリヤという大国に囲まれ、そしてヒゼキヤ王に、『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」と、預言者イザヤによって死の宣告がされた時です。その時ヒゼキヤ王は壁に向かって一生懸命祈ったとあります。壁である問題を正面に向いて、「私は今まであなたに仕えたではありませんか!」と、主に涙を持って祈りました。すると主は、アッシリヤの攻撃と死の病から勝利を与えてくださいました。「とどまるな。前進せよ。」どんな状況でも祈りなさい。「とどまるな。前進しなさい!」と語りました。行き詰まりの状況であっても、壁に背を向けず、主に期待しなさい!「とどまるな。前進しなさい!」と語りました。暗闇の力に対して戦おう!主に期待しなさいと教えられたにも関わらず、私は家内の病気の状況が更に悪くなって、暗く行き詰まってしまうと、「どうしてですか!主よ。どうしてですか!」と、主に期待することはわかっていても祈れず、苦しんでとどまってしまいました。しかし主は私に夢の中で、詩篇百三篇二節〜五節を語って下さいました。
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』
ここは心躍るみことばです。「あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。」誰もがこのみことば通り、素晴らしい恵みを手にしたいと願っております。そして主は信頼するものに必ず与えて下さるという約束です。しかし「私はまだ頂いていない。苦しい、不幸だ。なんで?」という思いしかありませんでした。しかし夢の中で、「二節を注目してください。二節を信じて行う時に、三節から五節のみことばがあなたに与えられるのです」と、自分でメッセージを語っていました。もう一度、二節を読みます。
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
主は本日のタイトルになっています「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」このみことばを忘れるな!人生の中で今まで神さまから受けた素晴らしい恵み。神さまにして頂いた素晴らしい出来事を思い出せ、何一つ忘れるな!と言っています。私は夢で、この二節のみことばはとっても大事だと教えられました。「そうだ今日一日、この二節を覚えて過ごそう」と決心しました。いつもは三節から五節ばかりを心にとめて、自分はこのみことばのようになるんだ!と思っていました。そして、みことばが現実にならないことに、不満を持っていました。しかし今回
『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』
というみことばの後、
『 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。』
まず『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。』とあります。良くして下さった事を何一つ忘れずに感謝する時、主は共にいて、今まで助け、守って下さっているように、これからも祝福を得ることができると教えられました。そこで目を覚ましトイレに行き、再度寝ました。するとまた夢を見ました。その夢の中で主が私に今まで良くしてくださった事を思い出させてくれました。
私はリバイバルミッションの仕事をさせて頂いている関係上、いろいろな教会のホームページを拝見します。牧師先生のお名前は?どんな教会か?など調べながら、連絡を取っています。そしてその教会の礼拝メッセージを読んだりします。ある先生がこんなメッセージをされておりました。そのメッセージの一部をご紹介したいと思います。
『人の心は、水を入れたコップの底に砂が沈んでいるようなものだと言われる。平静な時はきれいな水のように見えるが、心が乱れると砂は巻き上がり濁った水になる。この“心の中の砂”とは何か。それは聖書の語る罪であり、神さまにそむくかたくなな自我である。神さまにそむく自我は、いつも自分ファースト(自己最優先・自己中心)に物事を考える傾向を持つ。悲しいことに、人は自分で“心の中の砂”を取り除くことができない。人間関係でどんなに後悔しても反省しても、その砂は消えない。罪に支配された人間の悲惨がある。・・・・・・取り除くにはイエスキリストの十字架と復活。そして主に信頼する事』
それを読んだ時、自分にも砂が存在すると思わされました。調子の良い時は平安の中で、主を賛美し、祈ることができる。しかし家内の事や心騒ぐ事があると、心の中にある砂が掻き回されてしまい濁ってしまう。心配のあまり祈れなくなってしまう。「神さまにそむく自我は、いつも自分ファースト(自己最優先・自己中心)に物事を考える傾向を持つ。」自分ファーストであり、自己中心的な考えで主の働きを考えてしまう自分だと思わされました。私も愛する教会の皆さまのために祈っていますし、日本のリバイバルために祈っています。しかし自分ファーストになってしまい、自分中心であり、今では家内中心で考え、後のことは後回しにしてしまっていると教えられました。家内が調子悪くなると主が見えなくなり、信頼でなくなってしまう自分がいる。しかし十字架にかかり、復活してくださり、全ての人の身代わりになって下さった主をしっかり信じなければならないと教えられました。マタイ六章三十三節には、