追え。必ず追いつくことができる

2025年3月30日(日)新城教会副牧師 鈴木陽介

サムエル記第一 30章8節
“ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」”

ハレルヤ。おはようございます。今日みことばを分かち合えることができる恵みを感謝します。
主日礼拝でお話させていただくのは、昨年末以来ということになります。その時、皆さんに娘の高校受験のためのお祈りをお願いしました。ずいぶん間が空いてしまったのですが、無事に第一志望に合格できたことをご報告し、皆さんのお祈りを心から感謝いたします。ぜひ新年度のためにも続けて祈っていただければと思います。

今日は三月三十日で年度末です。実は私は誕生月が三月で、先日運転免許証の更新がありました。今回発行された免許証を見て驚いたことがありました。それは、有効期限が「二〇三〇年」と書いてあるのです。今年二〇二五年から五年後なので当然なのですが、印刷物で、「二〇三〇年」という文字を見ると、びっくりしました。西暦もそこまで積まれているんだと。以前は、はるか未来の話だったような数字が当たり前に迫っているんだと、色々考えさせられました。
思えば、二〇二〇年から二〇二五年の五年間も本当にとてつもなく速く過ぎた印象があります。
皆さん、五年後の二〇三〇年、ご自分の姿を想像できるでしょうか?ときは、この地上においては平等に、そしてそれぞれの主観はあるでしょうけど、あっという間に過ぎていくものです。ですから一日一日を本当に大事に、主の使命を全うして、精一杯生きていきたいと思わされました。

それではみことばに入らせていただきます。第一サムエル記三十章八節、もう一度お読みします。

“ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」”

この一節を読むだけで、非常に力強い希望を受け取れるみことばです。この箇所の冒頭、第一サムエル記三十章の初めから学んでいきたいと思います。

三十章一〜二節、

“ダビデとその部下が三日目にツィクラグに帰ったとき、アマレク人はすでに、ネゲブとツィクラグを襲っていた。彼らはツィクラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どもも大人もみな捕らえ、一人も殺さず、自分たちのところへと連れ去っていた。”

ダビデが、当時拠点にしていた町に帰ってくると、残していた女、子どもがすべて敵に連れ去られ、町が火で焼き払われていました。
ここに出てくる「ツィクラグ」そもそもこの町はどこでしょうか。ツィクラグは地図で見ると、赤い丸で囲われた場所にあります。

色分けされているように、実はそこは、ペリシテ人の土地なのです。イスラエルの敵であるはずのペリシテ人の土地に、ダビデは、拠点を置いていました。そのことが二十七章の六節七節に書かれています。

“その日、アキシュはツィクラグをダビデに与えた。”

「アキシュ」はペリシテ人の部族の長です。

“それゆえ、ツィクラグは今日まで、ユダの王たちに属している。ダビデがペリシテ人の地に住んでいた日数は一年四か月であった。”

ダビデは、一年四か月、ペリシテ人の土地に住みました。それはなぜか、皆さんよくご存知だと思います。
同じく第一サムエル記の十七章で、ダビデはペリシテの戦士ゴリアテを打ち倒す活躍をし、イスラエルに勝利をもたらしました。しかし、イスラエルの王であったサウルは、ダビデの活躍を妬んで、自分の座が奪われるのではないかという恐れもあり、ダビデを殺そうと思うようになりました。
そこからダビデの逃避行は始まりました。国中を追い回されて、行く場もなくなったダビデは、最後の手段として敵であるペリシテ人の土地に逃げ込みました。主題のみことばはそのさなかの出来事です。

さらに二十九章では、ダビデがペリシテ軍の一員として徴兵され、イスラエルとの戦いに駆り出されてしまいます。しかし、最終的には、ダビデの部隊が戦闘に加わること自体は回避できました。安堵して、帰ってきたところ、町が襲われていたのです。
ダビデの逃避行の中でも、どん底の場面と言ってもいいかもしれません。

四節以降、

“ダビデも、彼と一緒にいた兵たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。ダビデの二人の妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。ダビデは大変な苦境に立たされた。兵がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩ませ、ダビデを石で打ち殺そうと言い出したからだった。しかし、ダビデは自分の神、主によって奮い立った。”

泣く力も尽きるほどの絶望的な状況でした。なおかつ、六節にあるように、兵たちがダビデにすべての責任を負わせ、殺そうとまで言い出しています。八方ふさがりでどうにもならない状況です。普通の人間だったら、投げ出して諦めてしまうのではないでしょうか。しかしダビデは違いました。即座に、自分の神、主によって奮い立ちました。この違いが、ダビデがダビデたる所以ではないかと思います。

続けて読みます。七節、八節。

“ダビデは、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに言った。「エポデを持って来なさい。」エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。ダビデは主に伺った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」すると、お答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」”

八節単体でも神のメッセージを受け取れるのですが、三十章の冒頭から、またそれ以前から、どのような経緯があってこの場に至ったか、それらも含めて読みとると、より深くみことばを受け取ることができます。

七節で「エポデを持って来なさい」と祭司に指示をしています。エポデは、祭司が纏う正式な装束です。町が襲われた絶望的な状況で、ダビデは何をしたかというと、エポデを纏い、正式な形で主の前に出るということをしました。普通であれば選択しない、選択できない事をしました。ときに信仰者にとって、とても重要な選択の場面があります。どのような時も主に向き合うことを忘れないようにしたいものです。
ダビデは自分の感情や経験、また目の前の状況から物事を判断し、結論を出すのではなく、主に目を向けました。

その伺いに対する主の返答が「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」です。これほど喜ばしく、力強い言葉はないのではないでしょうか。
皆さん、今日、この言葉をご自身に向けられた言葉として、受け取ってください。ダビデは絶望的な状況でも、諦めずに主の前に出て、主の言葉を伺いました。そのときに主が答えてくれたのがこんなに素晴らしく力強い言葉です。

結論の部分を見ていきます、十八節、同じ三十章です。

“ダビデは、アマレクが奪い取ったものをすべて取り戻した。ダビデは、二人の妻も救い出した。子どもも大人も、息子たちも娘たちも、分捕られた物も、彼らが奪われたものは、何一つ失われなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。ダビデはまた、すべての羊と牛を奪った。兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。”

主の言葉通り、すべてを無事に取り返すことができました。ただ、少し気になる点は二十節です。

“兵たちは家畜の先に立って導き、「これはダビデの戦勝品だ」と言った。”

考えてみると、この兵たちは、先ほどまでダビデを殺そうとしていた者たちです。状況が変われば、掌を返したようにダビデの勝利を謳っています。現金なものです。人間というのは本当にこの様なものです。この兵たちはただ目の前の状況に一喜一憂しているだけです。ダビデとはとても大きな違いがあります。
そして、「ダビデの戦勝品だ」とありますが、勝利をもたらしたのはダビデではなく、主です。このような一部の兵の誤った態度は、この後ひと悶着起こします。

九節、十節に戻りたいと思います。八節で主から言葉を受け取り、略奪隊を追って出ていった後の描写です。

“ダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残ることになった者は、そこにとどまった。ダビデと四百人の者は追撃を続け、疲れきってベソル川を渡れなかった二百人の者が、そこにとどまった。”

ダビデ隊は六百人だったのですが、途中のベソル川というところで、一部離脱しました。六百人のうち二百人がとどまり、四百人で追撃をしたということになります。
実際に戦ったのは四百人、その勝利の後の出来事が、二十一節、二十二節に書かれています。

“ダビデは、疲れてダビデについて来ることができずにベソル川のほとりにとどまっていた二百人の者のところに来た。彼らは、ダビデと彼に従った者たちを迎えに出て来た。ダビデは、この人たちに近づいて彼らの安否を尋ねた。ダビデと一緒に行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らは一緒に行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物は、分けてやるわけにはいかない。ただ、それぞれ自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」”

ダビデを殺そうとした兵も、勝った途端に態度を変えてダビデを褒めたたえた兵も、そしてここで描写されている兵も、おそらく共通の人たちではないでしょうか。書かれているように、彼らは、実際に戦った自分たちと、川でただ待っていただけの者とで分け前が同じであるはずがないと主張しました。「よこしまな」と訳されている言葉は、新約聖書では悪魔を指す言葉の一つとして使われている「ベリアル」のもととなった言葉です。
ダビデは、とどまっていた二百人のところに来たとき、まず彼らの安否を尋ねました。自分たちがどうだったという話以前に、待っていた人たちに心をかける言葉が発せられました。よこしまな者たちと大きな対比があります。私たちも自分自身がそのような者でないように、気をつけなければいけないと学ばされます。

続きを見ていきます、二十三節。

“ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに下さった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。ともに同じく分け合わなければならない。」”

ダビデは、みな同じ分け前だと諭します。ここでも気づく点があるのですが、ダビデの語る言葉の主語は、ことごとく「主」なのです。「主が私たちにくださったもの」「主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡された」と。一方で、兵たちは「ダビデ」や「われわれ」です。ここにも大きな対比があります。

この場面から私自身多くのことを学ばされます。私たちは自分たちのしていること、自分たちがどうであるかということではなく、「主が私たちにどのような計画を持っておられるか」「主が私たちに何を望んでいるか」という視点で生きていかなければなりません。

実は、今日学んでいる一連のみことばが頭に巡っている中、二月に、蒙韓日合同リバイバル聖会が行われました。もうずいぶん前の話のように感じますし、すでに多くの方が証しをされていますが、私自身が学ばせていただいたことを、少しだけお話させていただきます。私がその集会に参加させていただいて一番心に留まったのは、食事係の方の働きです。連日二百人の食事を三食、しかも現場の厨房は使えない状況で提供することは、およそ簡単なことではありません。教会と会場である県民の森を何往復もし、提供しては片付け、次の食事の準備をして、また運んで。一日中三食分、それを繰り返すわけです。また、もともと担当を請け負った方以外にも、自発的に手伝いに回る方々もいらっしゃったということです。本当にそのような働きは、今回の集会において、一番重要な働きのひとつであると、心からそう思わされました。
そして、その食事係の方々は、集会自体には一度も出られませんでした。しかしご自分の役割を果たし、集会の祝福を祈ってくれていました。そのような姿が、今日のみことばと、本当に合致するように感じました。
戦いに下っていった者、荷物のそばにとどまっていた者。同じ働き、同じ目的で戦いに出た者として、当然分け前は同じです。