『何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。』

というみことばがあります。「家族を怒らせるようなばか者は、やがて大事なものまでなくし、使用人になりさがる。」こんなことが書いてあります。家族を悲しませること、怒らせることをやってはいけません。怒らせてしまうと知恵のある人の使用人になってしまう。家族をもっと愛して、自分の兄弟とその家族のために愛を持ちましょう。

そしてやはり隣人ということで、有名な聖書のみことばがあります。ルカ十章二十九節からのみことばです。

『しかし彼は、自分の正しさを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とは、だれのことですか。」イエスは答えて言われた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。ところが、あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」
彼は言った。「その人にあわれみをかけてやった人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って同じようにしなさい。」』

ある人がエルサレムからエリコに下る途中強盗に襲われ、着物をはぎ取られ、なぐられ、半殺しにされました。そこに祭司、今でいう牧師のような人がそこを通ったが反対側を通り過ぎていってしまったとあります。その後レビ人、今でいう教会スタッフのような方が通ったが彼も反対側を通り過ぎてしまったというのです。次に強盗に襲われた人の民族と絶対交わらない、敵対していたサマリヤ人が来たというのです。何とサマリヤ人はその襲われた人を可哀そうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。次の日、彼はデナリ二つを取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』と言ったというのです。そして最後に質問があります。「この三人の中でだれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか。」と質問されました。するとそれは「その人にあわれみをかけてやった人です。」すると「あなたも行って同じようにしなさい。」』と言われました。敵対している人、交わることのない人に対して無限の愛、大きな犠牲の愛を与える人が隣人だという話です。クリスマスに生まれて下さったイエスさまは、私たちのために大きな犠牲、十字架という犠牲をもって、愛してくださいました。今日私たちはそのような愛を持つことができるでしょうか?関係のある人は愛せます。しかし敵対している人に対しては愛することができません。そればかりか怒りを燃やして、その人をこてんぱにやつけなくては気持ちが治まらない。そんな気持ちになります。しかしイエス様はそのような人に無限の愛、大きな犠牲を表しなさい。そして「あなたも行って同じようにしなさい。」と言われました。私たちはイエスキリストによって大きな犠牲、十字架によって身代りに死んでくださった愛を体験しました。私たちは既に無限の愛を体験しています。ですから「あなたも行って同じようにしなさい。」というみことばを実行しましょう。あなたには愛せない人がいますか?あなたもサマリヤ人と同じ愛をその人に示してください。また様々な無関係だと思っているような人たちに対して愛を注いでいく人であってほしいと思います。

私は家内を心から尊敬しています。私には三人の男の子が与えられ、やっと手がかからなって来た時でした。家内が東京の実家に帰る時に東京の三鷹駅からバスに乗った時に、中吊り広告で、「里子募集」という広告を見て、私に相談してきました。様々な理由でご両親と過ごすことができず児童施設で生活している子どもを我が家に引き取って育てる里親をしたいと言ってきました。私は全くそのような子がいることすら意識していませんでした。そしてはじめは家内の相談を断りました。無理だ!よその子どもを自分の家庭に入れて生活する。全く想像もつかなかったからです。しかし家内は祈ってみことばが与えられたから、あなたも祈ってと言われ祈りました。私は無理だと思いつつ祈る中で、前に進もうという思いが与えられ、児童相談所の方や関係者からお話を聞きました。そして、我が家にK君を四才半で迎えました。今彼は今年二十才になりました。決して楽しいことばかりでなく大変なことがありましたが、彼は皆さんの愛に助けられて、今株式会社プレイズで働いて、信仰を持って、今日も礼拝に来ています。今は彼に助けられています。この間も病院に行く時に、どうしても私一人では難しかったので、彼に頼み一緒に行ってもらいました。私なんかほんのちっぽけな愛ですけど、里子を育てるということができたというのは本当に感謝だなぁと思います。今日「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ。」とあります。聖書は、今日、あなたも愛を与える器になって頂きたいと願います。
「あなたも行って同じようにしなさい。」あのサマリヤ人と同じようにあなたも行いなさい。これが聖書です。今日、口では「あなたを愛しています」と簡単にいう事ができます。しかし「あなたも行って同じようにしなさい。」 無限の愛で愛していきましょう。

『万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。』まもなく終わりが来るとき私たちは『何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。』このクリスマスの時、一番愛をかけるにかけやすいこの時期だと思います。全ての人に愛を行う人になっていきましょう。「あなたも行って同じようにしなさい。」良きサマリヤ人のように愛を実践できる器になって行きたいと思います。
まだクリスマスのコンサートも、チケットは残っています。今週水曜クリスマス祝会など様々な伝道会が持たれます。勇気を出してお友達を誘ってみてください。誰かが勇気を出してあなたを誘ってくださったからこそ今、私たちは今ここにいるわけです。「互いに愛し合いなさい」ではなく、「互いに熱心に愛し合いなさい」とありますので、熱心に求めて行きましょう。
クリスマス。イエスさまのお生まれを記念とする時。サマリヤ人の愛で熱心に愛し合うものにさせていただきましょう。最後にお祈りします。

愛する天のお父さま。あなたの前に悔い改めます。私はあなたを愛すると言いながら愛が全くないものであります。愛がないことをお赦しください。また隣人を愛すると言いながら愛してなかったことをお赦しください。今週はあなたからの愛を与えていただき、暗闇の力を打ち破って行くことができますように。世の終わりが近づいている今日。あなたからいただいた無限の愛。犠牲の愛を「あなたも行って同じようにしなさい。」同じことを行う器となれますように造り変えてください。愛を注ぐ器となることができますように触れてください。尊い主イエスさまのみ名によってお祈りいたします。アーメン。