2021年3月21日(日)新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書24章1〜3節
『週の初めの日の明け方早く、女たちは、準備しておいた香料を持って墓に着いた。見ると、石が墓からわきにころがしてあった。入って見ると、主イエスのからだはなかった。』
ヘブル人への手紙2章14〜15節
『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』
おはようございます。ハレルヤ!今の演奏、素晴らしかったですね。主をほめたたえ、賛美する演奏は心に迫るものがあります。本日は、大変足元の悪い中、礼拝に集まっていただきまして、心から感謝します。なかなかコロナが収束しませんけれども、このような中にありましても、全能なる神に期待して歩んでいきたいと願っています。
先々週、ここでメッセージを語らせていただいたのですが、その時も「大逆転・大勝利」というテーマで語らせていただきました。聖書の神さまは、大逆転・大勝利を与えてくださる、天地宇宙を造られた神さまです。その方に私たちは期待して生きていきます。人類にとって最大の大逆転・大勝利とは何かというと、イエス・キリストの十字架の死と復活です。特に、三日目によみがえられたという事実です。
キリスト教は神話ではなく、事実に基づいています。キリスト教を広める為に、最も頑張った人物はパウロです。彼がこんなことを語っています。
コリント人への手紙第一、十五章十四節、
『そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。』
もしもイエス・キリストが復活されなかったのならば、それが嘘で事実でないのなら、私たちの信仰、宣教は全て実質のないものになるというのです。実質のないとは原語では、「empty」という意味です。中身は何もないのです。
今日、教会に来ておられますが、イエスさまが死を打ち破ってよみがえられたことが事実ならば、信じるに値します。しかしそれが嘘ならば、教会を解散した方がいいですし、イエスに対する信仰は持たない方がいいのです。私なんか、一生をこのためにかけてるわけですから、そんな馬鹿げた人生はないわけです。
しかしながらイエスさまが事実として復活されたのならば、命をかけて主に従ったクリスチャンの歴史も理解できます。
死はすべてを一掃してしまうものです。本当に悲しいことです。教会は、ゆりかごから墓場まで、人の一生がここにあります。
先週も悲しいことがありました。それはTさんの召天式を司式させていただいたからです。しかし教会はたいへん便利な場所です。先々週は、この場所で結婚式が行われました。この場所に花婿さんと花嫁さんがお立ちになりました。また先週は、同じ場所に棺が置かれました。
一般でこんな場所ってありえますか。普通では絶対にありえないです。結婚式と葬式が同じ場所でできるのは、教会以外にありません。なぜならば、死をも打ち破られた神である、イエスさまがおられるからです。
私たちクリスチャンは、死んだとしても、よみがえることができるという希望を持っています。「そんなバカな!」と言うかもしれません。しかし魂の救いだけなら、完全な救いとは呼べません。身体も神が造られたわけですから、身体が滅びたら、本当の救いではないのです。朽ちゆく身体さえも回復するところに、本物の救いがあるのです。
おじいちゃんの写真、たいへん幸せそうな顔をされています。でも一生を振り返ると、悲しいこともたくさんあり、大変ご苦労されました。しかしイエスさまを信じて、天に帰られました。去年、私が洗礼を授けさせていただきました。「私は幸せだった」と言い残して、天にお帰りになったそうです。
イエス・キリストを信じるなら、死んでも生きる永遠のいのちが与えられる。これがキリスト教の救いです。
蘇生ではなく、よみがえったのです。これが本当の大逆転です。大逆転、満塁ホームランです。イエスをキリストとして、神として受け入れるときに、人生の中に大逆転・大勝利が訪れるはずです。それを祈りとともに、私たちは体験できます。
先々週このテーマでメッセージを語らせていただきました。
それから二週間。大逆転・大勝利の知らせが届いたらいいなと期待していました。私も現在、大きな戦いがあります。家内が病の中にありますから、いやしをこころから願ってます。それを後押しするような、神のみわざを見せていただきたいと願っていました。
現在、第二部礼拝はネットで世界中に配信されています。多くの方がネットで礼拝に参加して下さっています。一人の日本人の奥さんがカナダから毎週、礼拝に参加してくださっています。
昨年、その方からお手紙をいただきました。コロナの影響でしょうか、家族三人で住んでおられたのですが、ご主人はカナダ国内で単身赴任、奥さんはビザが切れて、二度と延長できない状況になってしまったそうです。それで日本の実家に戻らなければならないと言うのです。そして息子さんは日本に帰国できずに、教育の問題もあって、アメリカの親戚に預けられる事になり、家族が一瞬にしてバラバラになる事態が起こったのです。
それで奥さんは、日本へ帰国するチケットを買いました。こういう中にも、きっと神さまの計画があるのでしょうという、内容のお手紙でした。家族が一瞬にして一人一人、別の国に住まなければならないとしたら、そんな悲しいことはないです。しかしこのご家族のために祈りました。
すると大逆転・大勝利というメッセージを語った後に、もう一度、お手紙をいただきました。それもカナダから頂きました。私はすでに日本に帰国されていると思っていたのですが、大逆転・大勝利が起こったと言うのです。
チケットを購入した週に、一つの知らせが入ったそうです。奥さんのビザは二度と延長できないビザでした。しかしなんとカナダ政府が、特定の期間に、ある教育機関で教育を受けた人に関して、一定の期間内でビザの延長を許可するという知らせでした。条件を調べてみたら、なんと、その条件に完全に当てはまったというのです。それでビザは延長され、息子もアメリカに預けられることなく、家族全員がカナダに留まることができるようになったというのです。大逆転・大勝利です。
不可能に見えることがあっても、諦めずに祈ってみるものですね。私たちの神さまは、大逆転・大勝利の神さまです。たいへん励まされました。
そしてもう一つ、先々週のことでした。このメッセージを語った後に、ある人が「祈ってください」と言いました。それは何かと言うと、今、受験シーズンです。受験によっては、「パスしないと、人生が大きく変わってしまう」ということもあります。もう後がない!という場合もあります。
一人の少年が、ある高校を受験したのですが、今年は倍率が高く、絶対に無理だと言うのです。しかし合格しないと、人生が崩れてしまうというか、後がないというのです。だから受かるように祈ってくださいと言われました。
「どのくらい厳しいのですか?」と聞いたら、「順先生の奥さんがいやされるよりも難しいかも・・」と言うわけです。家内は大きな病気ですので、それより難しいのかと思って、ちょっと自信を失いかけました。そりゃ無理だろうと思いました。
しかし先週、情報が入りました。その少年は、その高校に受かったでしょうか?受からなかったでしょうか?受からなかったらなぜ、こんな話をするのでしょうか。彼は合格したのです。
本当に大逆転・大勝利でした。家族も本人も、「これは祈りの結果だ!」と喜んでいました。私もたいへん嬉しかったです。家内にも、期待できると思いました。
私たちの神さまは大逆転・大勝利をもたらしてくださる方です。なぜなら、イエスさまは死を打ち破り、三日目によみがえられたからです。
まもなくイエスさまの復活をお祝いする、復活祭があります。今年はいつかと言いますと、「四月四日、日曜日」です。その日に召天者記念会も行いますので、関係者の方々は、午後二時からご出席下さい。ネット配信もあります。復活祭は、イエス・キリストの復活を記念する、キリスト教会最大のイベントですが、毎年、復活祭の日にちが変わるのです。これちょっとおかしいと思いませんか。どうして変わるのかと言うと、キリスト教会自体が、そのように取り決めたからです。
どう取り決めたのかと言ったら、「復活祭は、春分の日以降の満月の後の最初の日曜日」と、AD三二六年、ニケア公会議において決めたからです。
皆さんの誕生日とか、親の命日が毎年変わったら、ちょっとおかしいですよね。でも復活祭は、キリスト教会が自ら決めたと言うのです。「何だそれは」という感じです。でもそのように決めなければならない、背景と理由があったのです。
当時、ローマ帝国が世界を支配していたのですが、ローマ帝国は太陽神を礼拝していました。ローマ帝国のコンスタンティンという王が、日曜日を休日として、日曜日を教会の礼拝日としたのです。それまで教会はユダヤ暦という太陰暦に基づくスケジュールで礼拝を守っていました。しかしローマ帝国は、日曜日、すなわち太陽を礼拝する日に、全ての宗教の礼拝日を統一したのです。イエスさまの十字架刑の日と復活の日は、太陽暦に組み込まれたばかりか、日曜日にしか、礼拝できなくなったのです。それで、苦肉の策として、このような決定となったわけです。
ご存知のように、暦には大きく分けて二つあります。それは地球が太陽の周りを三百六十五日と約四分の一日くらいの期間で一周する太陽暦と、月が地球の周りを二十九・五日ぐらいで一周する太陰暦との二つがあります。聖書の暦は、太陰暦に属します。
聖書を読んでいく時、暦が分からないと、理解できない部分があります。しかし聖書暦が分かると、ある記述をはっきりと理解できるようになります。歴史を見ると、残念なことに、ローマ帝国によって、聖書暦は廃止され太陽暦に統一されてしまったのです。
聖書暦に照らし合わせる時、今がどのような月かと言いますと、「ニサンの月」という聖書暦の中にあります。太陽暦三月は、聖書暦ではニサンの月、「第一の月」とも呼ばれる新年です。
イスラエルには新年が二つあります。ニサンの月と、ティシュリという、第七の月、太陽暦で言うと九月ぐらいです。現代イスラエルは、ティシュリを新年としています。しかし本来は「新年」はニサンの月にあたります。先週の日曜日は、新城教会七十年の歴史の中で初めて、聖書暦に従って「Happy New Year!」と皆さんで宣言しました。先週の三月十四日が、ニサンの月一日であったからです。今日はニサンの月の八日目にあたります。
そして今週の土曜日、日曜日、そして来週の月曜日は、聖書暦では、たいへん重要な日程となります。それはイエスさまの十字架と深い関わりがあるからです。
聖書暦ならば、今週が受難週となります。四月四日復活というのは、ローマ帝国によって強制された期日です。
イエスさまが十字架にかかられ、よみがえられた日を特定することは、本来、重要な事です。
神さまはご自分が定められた暦に従って、事を行われるからです。その事実を知る時、イエスさまの十字架と復活が、天地を創造以来計画され、時至りて実現したと分かります。神の子イエスさまが私たちの身代わりとなり、犠牲となり、よみがえってくださったのです。
私たちは「聖書のみことばに従います!」と言いますけれども、ただ、字面に従うだけでなくて、神が定められた時、すなわち、暦を理解することも含まれます。そのうえで、みことばを実践すると大きな恵みとなります。
ノアの方舟の時、裁きが終わった日がいつであったのかと言うと、「六百一年目の第一の月の一日」に『水は地の上から干上がった。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。』とあります。
ノアとその一族、動物たちが助かったのが、第一の月、ニサンの月の一日でした。神さまは、ご自分のスケジュールに沿って事を行われます。