福音宣教も同じだというのです。そのおおいとは、「この世の神」が不信者の思いをくらませている、すなわち、悪霊どもです。偶像の後ろに働く悪霊どもがおおいとなっているというわけです。
日本のリバイバルの為には何が必要か。もちろん真剣に伝道して、祈らなければいけないわけですが、同時に、「おおいを取る」働きは、欠かすことの出来ない働きなのです。
旧約時代の「おおいを取る」行為は、カナンの地に実際に攻め込んで、偶像礼拝者であるカナン人たちを聖絶し、偶像を破壊することでした。しかしそれは影であって、実体は、「霊的戦い」なのです。霊的戦いがなければ、おおいは一掃されずに残りますから、宣教は進展しないのです。
一九九二年七月、主がその事を、預言的、実際的に教えて下さいました。一九九二年、三年は、日本の教会がリバイバルのために立ち上がった年でもありました。特に九三年の十一月に行われた「甲子園ミッション」のために、一丸となって戦った年でもありました。
そのことを覚えておられる方も、多くおられると思うのですが、その働きの中で二月に聖霊が注がれました。
特に若い世代の方々が、聖霊に満たされて立ち上がりました。そして一つのイベントを新城で計画しました。それは何度も聞いているかもしれませんが、「ハートフルサパー1000」というイベントでした。豊川の河川敷に千人分のバーベキューも用意し、伝道集会を行うという計画でした。若者たちは六月頃からその為に、河原にテントを張って、毎日、祈っていました。後半は二十四時間テントの中で祈っていました。するとそこで更なる聖霊の注ぎがありました。
私は長年、このような働きをしていますから、人がどのくらい集まるのか分かります。そして、だいたい当たります。教会での集会を計画して、「今週の集会はこのくらいかな・・」と予測すると、だいたいそのくらい集まります。それは長年の経験と勘です。
青年たちが千人集めると言っていましたが、私の感覚では、そんなに集まるはずはないだろうと感じていました。よく集まっても三百人くらいかな・・・とふんでいました。だから「千人分の肉なんか買わないで」と言っていました。
イベントの一週間くらい前に、係の人に、「現在、何人ぐらい集まってるの?」と聞くと、「三百くらいかなぁ。」と答えました。やっぱり私の勘が当たった、と思っていました。
しかしその週、川原で祈っている時、主が預言的に、この町におおいが掛かっている、それを取り去らない限り、光は届かない。この地のおおいが取り去られるように、「命じて祈れ!」と語ってくださいました。それも山々から悪霊どもが町におおいを掛けていると告げられました。
それで、みんなで立ち向かって、「おおいを取ります!」と祈りました。そして「ハートフルサパー1000」が開催されました。何人集まったと思いますか?千二百人近く集まったのです。この写真は新城教会の未来の預言的姿であると信じます。
祈っている時に、主が青年たちに新城教会のミニチュア版を豊川のほとりに建てるように語られました。当日は、人が多くて肉が足らなくなってしまいました。本当に預言的な、実際的な、主の訪れでした。それがずっと続いていればいいのですが・・・。
それから三十年ぐらいが経過しました。三十年間、戦い続けています。
その記念日が七月九日です。朝の六時に、「この地のおおいを取るために町の為に祈れ!」という主からの号令がかけられたのです。
その時、預言的な言葉を受け取ったのが私の家内でした。夜中に主がそのことを家内に語りかけ、近くにいたスタッフたちと数時間、教会で祈っていました。そのことを「主が立ちあがられた日」という本に記録しましたので、読んでいただきたいと思います。
本当に人の理解を超えたことが起こりました。今年は、それから数えて三十年目に入ります。しかし、私たちはいささか疲れ気味です。「いつまで祈ったらいいのか・・・。いつまで戦ったら勝利するのか・・」という感じもあります。
イスラエルも四十年間、荒野で疲れたのでしょう。ルベン族とガド族の人たちが、「もう俺たちは川を渡りたくない。」と言った気持ちも分かるような気がします。しかし、霊的戦いが始まって三十年、宣教七十一年目を迎えて、私たちは、民数記の記録に目をとめ、耳を傾けなければいけないと思います。
霊的に地を勝ち取ることは、時間がかかっても、主から課せられた使命です。イスラエルに対しての責任とは、キリストのからだ全体に対する責任であると理解します。諦めずに、川を渡って攻め込めと、主は今、語っておられると思います。「日本のおおいを取るために働きなさい!」と主は語っておられます。
イエスさまも、まさにその働きを実行されました。イエスさまが地域のおおいを取り去ったことにより、地域にリバイバルが起こったという記録があります。
マタイ、マルコ、ルカがその事を記録しています。イエスさまがゲラサという街に行った時の働きは、まさに地域のおおいを取り去る働きでした。ここが実際に事件が起こった現場の写真です。私はこの場所に何回も行きました。ガリラヤ湖東岸にあった、スシータと呼ばれた街がゲラサであろうと言われます。
街は丘の上にあって、この崖から二千匹の豚が転げ落ちた、臨場感あふれる場所です。街の郊外には墓があります。ここに悪霊に憑かれた男がいたはずです。イエスさまがガリラヤ湖を渡る時、大きな戦いがありました。強い風が吹いて、波が高くなって、あわや小舟は沈没する危険がありました。しかしイエスさまが「黙れ、静まれ!」と命じると、風はピタッと止まり、凪となりました。まさしく背後に霊的な力が働いていた証拠です。
悪霊が働くのには、背後に罪があります。偶像礼拝があると悪霊は強く働きます。イエスさまは墓場に住んでいた男から、悪霊どもを追い出し、悪霊の名前を聞きました。「おまえの名前は何か。」と聞くと、「私たちはレギオン。大勢だから。」と答えました。
そして「自分たちをこの地方から追い出さないでください。」と懇願したのです。これって、不思議な懇願の仕方ですよね。普通なら、レギオンは男の中に住んでいるのですから、「この男から追い出さないで」と懇願するはずです。レギオンとは、六千匹を表す単位です。六千の悪霊どもが男の中に入っているのですから、「この男から追い出さないでください。」と懇願するのなら、話は分かります。しかし、「この地方から追い出さないでください。」と悪霊どもは懇願したのです。
一般的に「悪霊は人の中に住む」と考えますが、そうではないのです。人なんか出入り自由。悪霊の関心があるのは、街、地域、地方です。レギオンは、ゲラサを含むデカポリスという地方全体を手中に収めて、支配していたのです。
もしも一人の男の中にレギオンが入っているのならば、この男にはかわいそうですが、彼が六千もの悪霊を宿してくれたら、他の人は守られます。それも男の使命か・・みたいに感じます。「頑張って六千匹の悪霊を体内に閉じ込めておいてね。」そうしたら、他には悪霊はいない事になりますから、外は平和です。
しかし悪霊は人の中に住むのではなくて、「地域に住む」のです。人にも関わるけれど、住処は地域です。そこには、町の住民が行っている偶像礼拝が関わっています。
以前にもお話しさせていただきましたけれど、ゲラサの人たちは、「デメテル」という豊穣神、ギリシャ神話の女神を崇拝していました。それは自然界を支配し、気象を操る女神と信じられていました。なるほど、イエスさまが湖を渡る途中、大風が吹いた理由が分かります。悪魔・悪霊どもは、ヨブ記を見ると、限定的に気象を支配しています。
近くに豚が飼ってあるのをレギオンは見て、「豚の中に入れてくれ」とイエスさまに懇願したわけです。そうしたらイエスさまが、「豚の中に行け」と言われたので、レギオンは一斉に豚の中に入りました。そうしたら豚はびっくりして、崖から転げ落ちて、二千匹ほどが死んだのです。
多くのクリスチャンではない人たちは、この箇所を読んで、「イエスはひどいね。何の罪もない豚を湖の中に叩き込んで殺してしまった。豚の所有者への保証はどうするつもり。」と言います。しかしそれは聖書とその周辺の文化をよく知らない意見です。
デメテルには「聖獣」がついていて、それが「豚」でした。豚はただの食料ではなかったのです。当時、豚は神の使いとして、デメテルとセットで拝まれていました。ですから、「豚の中に追いやってくれ」とは、言い換えれば、「私たちを追い出さないでくれ」という意味です。
イエスさまがレギオンを豚の中に追いやって、豚が湖の中に落ちたのは、レギオンを地域から一掃したことを意味するわけです。
町の真ん中に神殿があって、その神殿にデメテルが祭られ、街の人たちに礼拝されていた構図は、まさに日本と同じです。日本も町の真ん中に神社があって、町中の人たちが拝みます。そうすると悪霊どもが街にやってくるということです。レギオンが町を支配するのです。
ゲラサにはもう一つの原因がありました。この男は墓場に住んでいました。ということは、なんらかの、レギオンと墓場が関わりがあったということです。
この街は、ヘレニズム時代にギリシャ文化で作られた街でした。小泉八雲という作家が、「古代のギリシャ人と日本人とはよく似ている」と書いています。それは何かというと、「祖先崇拝でよく似ている」と言うのです。世界で一番墓を大切にして先祖を拝む国民は、どこの人たちかというと、日本人、韓国人ではないのです。実は、ギリシャ人です。日本人は年間、墓場に行く回数は平均二回弱です。しかしギリシャ人は十二回、毎月のように墓場に行くそうです。ゲラサの墓場でも、祖先崇拝が真剣になされていたということです。
祖先崇拝と、町の真ん中にあるギリシャ神殿を拝むことによって、レギオンが町をおおい、この街を福音から遠ざけていたのです。しかしイエスさまが来られて、レギオンを打ち破ったことによって、悪霊に取り憑かれた男が正常になったのです。そして彼は自分の家に帰って、解放された姿を皆に見せました。そうしたら、今まで心を堅く閉ざしていたデカポリスの人たちは心を開いて、イエをメシアとして受け入れるようになったのです。これはおおいが取られた結果です。
さて、デカポリスとは、どういう場所であったかと言いますと、実は、かつてはガド族とルベン族の領地でした。紀元前十三世紀頃、ガド族とルベン族が絶好の場所であると信じて、モーセと交渉し、手に入れた土地でした。
しかし時は流れて、紀元前八世紀頃、アッシリアが東から北イスラエルに攻めてきたとき、最初に滅ぼされた地域が、ガド族とルベン族の領地でした。
そして紀元一世紀、イエスさまの時代、その地はギリシャ、ローマに占領され、完全な異教徒の地となって、デカポリスと呼ばれていました。
この地は別名、「ガダラ人の地」と呼ばれていました。これは「ガド族の人々の地」という意味だというのです。イエスさまがデカポリスに行かれた時は、ガド族もルベン族も跡形なく消えていました。
北イスラエルについて、消えた十部族と言われますが、ヨルダン川西側はパレスチナと呼ばれ、今でも、その多くが残っています。しかし本当に消えてしまった部族は、ヨルダン川東側に居住していた、「ガド族とルベン族」です。現在もその地域はイスラエルではな
く、ヨルダン王国に属しています。
ということは、何のために戦っているのかを、しっかり理解することは重要ではないかと思います。この二つの部族は、気に入った土地の為に戦いに出向きました、責任を果たしたら土地が手に入ると言うことで、自己中心的な考えで戦ったのです。
しかし時が流れて振り返ると、その選択は良いものではありませんでした。その地はアッシリアによって征服され、後にはギリシャ、ローマに征服され、現在はイスラエルの領地ではなく、ヨルダンの領地になっています。そしてこの二部族は消え去ってしまいました。
ここから学べることは、私たちがどのような思いで主に仕えるかということです。ルベン族やガド族のように、自分たちの幸せと利益のためではなくて、あくまでも、主のために生きる道を選びたいと願わされます。神に対する価値観が違うと間違った方向に行ってしまいかねません。