先週、私たちの教会で「霊的戦い専門課程」の学びがありましたが、そこでの中心的なテーマは、まさにこの徳川幕府が行った悪行についてでした。
徳川家康は、お隣の岡崎市の出身です。新城のすぐ近くの人ですね。しかし、この日本を覆う徳川空間を完璧なシステムとして完成させたのは、三代将軍の家光でした。家康が創業し、秀忠がそれを受け継ぎ、家光が完成させた将軍として歴史上評価されていますが、キリスト教を根絶やしにするための五人組制度や寺請制度を最終的に完成させたのは、この家光なのです。
特に、キリスト教が国を挙げての大迫害の対象となった決定的なきっかけは、「天草・島原の乱」でした。この戦いは1637年から38年にかけて起こり、キリシタン側の犠牲者は2万人から3万人にも上ったと言われています。幕府側も3,000人から5,000人の死者を出しました。この凄惨な戦いを見た家光は、「キリシタンという奴らは、ただの宗教団体ではない。国を転覆させるほどの恐ろしい力を持っている」と恐れを抱き、禁教令をさらに徹底させ、キリシタンを完全に根絶やしにするシステムを完成させたのです。
その時、幕府側の総大将として討伐の指揮を執ったのが松平信綱という人物でした。実は彼もまた、岡崎(現在の大平町)の出身なのです。彼が江戸に戻り、家光に対して「キリシタンは本当にヤバい奴らです」と報告したことが、決定打となりました。
しかしここで、歴史の真実として知っておかなければならないことがあります。命を落としたキリシタンたちを、ただ単に「信仰に生きた素晴らしい人々だ」と手放しで称賛するだけではいけません。教えが間違ってしまうと、結果としてどれほど悲惨な結末を招くかという教訓がここにあるからです。
天草の農民たちが、あのように命懸けで幕府軍と戦ったのには、明確な理由がありました。それは、当時彼らを指導していたカトリックの宣教師たちが、「ただのキリシタンとして普通に死んだら、まずは煉獄という場所に行って何万年も苦しまなければならない。しかし、信仰のために殉教すれば、煉獄をバイパスして直接天国へ行くことができる。だから、命を惜しまず戦え」とけしかけたからです。
この「煉獄」という教えは、当時のローマカトリックの常套手段でした。かつてヨーロッパで十字軍に参加させられた多くの人々も、すべてこの「煉獄での苦しみを回避できる」という間違った教えによって動員されていたのです。
天草の人々は、「直接天国に行けるのなら」と信じ込まされ、命を懸けて絶望的な戦いに身を投じてしまいました。もしあの時、彼らに聖書の正しい真理が伝えられていたならば、あのような無謀で無駄な戦いは決してしなかったはずです。そして、その後の日本で福音がこれほどまでに固く閉ざされてしまうこともなかったはずなのです。教えの間違いが、国の歴史そのものを大きく変えてしまうという恐ろしい事実です。
私たちが生きている時間と空間は、本当に尊いものです。私たちが今、この三河地方(西三河・東三河)に住んでいることは、決して偶然ではありません。
実は、将軍家光がキリスト教の封じ込めに最も力を入れた地域こそが、この東三河でした。家光が愛知県内に建立した2つの東照宮(鳳来寺山東照宮と滝山東照宮)、そして松平東照宮の存在がそれを示しています。日本の歴史において、まさにこの三河の地域で、福音が強力に堰き止められたと言っても過言ではありません。
ということは、私たちはどこから祈りの叫びを強化しなければならないのでしょうか。それは他でもありません、私たちが今住んでいるこの三河地方を霊的に勝ち取るための「叫び」を上げなければならないのです。ここ三河の地にこそ、徳川空間という巨大なサーバーの原点があり、ここから今も強力な福音妨害電波が日本中に発信され続けているような気がしてなりません。
私たちが救われたのは偶然ではありません。歴史的な積み重ねの中で、この時間と空間を神の国のために勝ち取るための勇士として、神様があなたを選んでくださったのです。自分の救いだけで満足してはいけません。この日本という国を、そして世界を勝ち取るために、私たちは主イエス・キリストの福音を伝えていかなければならないのです。
「叫べ。人のはかなさと、永遠の福音を」。このメッセージを深く心に刻み、共に伝えていきましょう。
人は、生きている間にしか福音を伝えることができません。以前にもお話ししたことがありますが、人が死を迎える時というのは、この時間のある世界から、時間のない永遠の世界へと抜け出していく瞬間です。
私の妻である享子が息を引き取る瞬間のことを、皆さんに分かち合ったことがありましたね。あの瞬間、彼女は半分はこの地上にいて、もう半分は時間のない世界を覗き込んでいるかのようでした。二つの世界を行ったり来たりしているような状態が続き、やがて、すーっと時間のない世界へと入っていきました。その瞬間、彼女の体の動きはピタッと止まり、私がいくら呼びかけても、もうそこには享子の存在はありませんでした。時間のない世界へと、完全にワープしてしまったのです。
この世とあの世を行き来するその瞬間こそが、人間にとって最後の「神のチャンスの時」ではないかと私は思っています。もし生前に、どこかでキリスト教の救いについて一度でも耳にしていれば、その最後の瞬間に主を選ぶという選択の余地が残されています。しかし、仏教の世界観しか知らない多くの日本人には、その選択の余地すら与えられていません。
私たちはこの厳粛な現実をしっかりと理解し、愛する家族や友人に、機会あるごとに福音を伝えていきたいと思います。特に、次世代を担う若い人たちにも、同じ情熱を持ってこの霊的な戦いを引き継ぎ、戦い続けていっていただきたいと心から願っています。そうやって福音のバトンが手渡されていくならば、私たちの新城教会はこれからも豊かに存続し、用いられていくと確信しています。
最後に一言お祈りさせていただき、今日のメッセージとさせていただきます。
【祈り】
天の父なる神様、あなたの聖なる御名をあがめて心から感謝いたします。
あなたの海よりも深いあわれみによって、この限られた時間と空間の中で、私たちがあなたを選ぶための時間を与えられ、今日こうして救いに入れられている恵みを心から感謝いたします。
主よ、どうか私たちが恐れることなく、この素晴らしい福音を叫び続けることができますように。この日本、特にこの新城の地においては、かつて福音を力ずくで堰き止めるような悲しい歴史がありました。しかし主よ、どうか今、この場所から、福音を世界中へと伝えていくための、大いなるリバイバルの御業を起こしてくださいますようにお願いいたします。
今日ここに集われたお一人お一人の上に、あなたの豊かな祝福がありますように。また、インターネットを通して礼拝に連なっておられる方々の上にも、同じ恵みと祝福が豊かにありますように。
今日のこの礼拝の恵みを心から感謝し、尊い主イエス・キリストの御名によって、祈りを御前にお捧げいたします。アーメン。
主に、心からの大きな拍手をお捧げいたしましょう。ハレルヤ!