2026年8月9日(日)新城教会主任牧師 滝元順
第二列王記13章18節
それからエリシャは、「矢を取りなさい」と言ったので、イスラエルの王は取った。そしてエリシャは王に「それで地面を打ちなさい」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。
マルコの福音書16章15節
そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」
皆さん、おはようございます。ハレルヤ。
今から81年前のこの週、日本は大変重苦しい週を過ごしました。今日は長崎に原爆が投下された記念日で、15日は終戦記念日です。それは日本が最も大きな悲しみに包まれた週でした。
今、私たちは恵みによって平和な中で暮らしていますが、その時代を決して忘れることなく、平和を祈り続けていかなければならないと思います。
先週、韓国でユニベルキャンプがありました。日本から参加していた一人の少年が、皆で祈っている最中に突然、神の声を聞いたと言います。
「遊んでばかりいないで」と言われたそうです。そして、「日本が北朝鮮と戦争をするかもしれないから、戦争が起こらないように祈りなさい」と言わたそうです。全く脈絡のない、賛美のただ中での出来事に彼は本当に驚きました。それを皆の前に出て明かしたそうです。本当に何が起こるか分からない今日この頃です。教会が管理人として祈り続ける時に、歴史は変えられていく事を覚えたいと思います。
このキャンプでは、北朝鮮から脱北してきた子どもたちを中心として、韓国、そして高麗人と呼ばれるロシアや中央アジアに置き去りにされた人たちの子孫の子どもたちが集まりました。そこに日本人が加わり、日本語、韓国語、ロシア語の3つの言語で行われたのですが、子どもたちは言語の違いなどすぐに乗り越えて、一致して過ごしたと聞いています。本当にこれから教会が果たさなければならない領域は、大変大きいのではないかと思います。
実は今週の土曜日から、モンゴルにおいて宣教が行われます。全世界の教会において、夏は「世界宣教」というテーマがあります。日本はなかなかできないのですが、韓国やアメリカの教会などは、全世界に宣教チームを遣わしています。日本の教会も、この点において成長しなければならないと思います。今回、「オープン・ザ・ゲート・モンゴルツアー」ということで、2026年の8月15日から22日まで行われます。ぜひともお祈りいただきたいと思います。
今回のテーマの一つに、「全世界に出ていって、すべての造られたものに福音を伝えなさい」があります。日本語の聖書では「もの」が「者/人」になっていますが、口語訳ではひらがなになっています。なぜかというと、ギリシャ語では「クティシス、被造物」を意味する言葉が使われているからです。福音とは、人だけに限定されたものではなく、神が造られたすべての被造物を含むものなのです。
そして、今、被造物はどのような状態かというと、パウロは「被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます」と語っています。神の子どもたちとは誰でしょうか。それは、イエスを信じる者たち、クリスチャンです。被造世界はクリスチャンを待ち望んでいるのです。「被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らに望みがあるからです。被造物自体も滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由に預かります」とあります。
人が救われると何が起こるかというと、「被造物自体も滅びの束縛から解放される」のです。人は被造世界の管理人です。人が救われるということは、その人に任されている被造世界も連動して救われるのです。親ガメが起き上がったら、子ガメも起き上がるということではないでしょうか。
現在、日本列島はうめいているのではないかと思われます。1995年に阪神・淡路大震災が起きましたが、それ以前は震度7というような凄まじい地震は、あまり起こりませんでした。しかし、震災後30数年、大きな地震が常態化してしまいました。至る所で地震が起こり、まさに地震列島日本です。次はどこで起こるのかという不安定な状況です。熊本で大きな地震が起こりました。熊本では10年前にも大地震があり、再び起こるとはあまりにも悲惨です。日本中どこで起こってもおかしくない状況です。それをとどめることができるのは、地震学が発展すればいいのでしょうか。そういうわけでもありません。希望があるとしたら、管理人であるクリスチャンと教会が、真剣に祈る時に、神が助けを与えてくださると思います。
昨年モンゴルに行き、モンゴルの大地に手を置いて祈りました。大地との和解を祈ってきました。モンゴルの人たちは私たち以上に、自分と土地との関係を深く知っています。土地は生き物です。地震は神の子どもたちを目覚めさせようとするサインの一つかもしれません。「神の子たちよ、起きてくれ。土地のために祈ってくれ。俺たちはうめいている」と。
日本の長い歴史の中で、土地の上で血が流され、罪が積み重ねられてきた現実を土地は憂い、土地は救いを求めています。彼らもまた、主イエスの十字架の救いの中にあることをクリスチャンに訴えているのではないかと思います。以前にもお願いしましたが、皆さんの土地に手を置いて、土地のうめきが賛美に変えられるように祈っていただきたいと思います。
昨日も7時間の連鎖賛美と祈祷会がありました。本当に恵まれました。ですから、今日の礼拝の賛美も違います。空間そのものが主を賛美しているように感じられます。私はそう感じました。やはり救いは、人だけのものだけではなく、すべての被造物を含んだものなのです。
今年の2月に韓国で、韓国、モンゴル、そして日本の3か国が合同で聖会を開きました。その中で、チュンチョンのイ・ビョンチョル先生が素晴らしいメッセージを語られました。それは「この3つの国は、一つの弓と矢のようだ」というメッセージでした。モンゴルはかつてユーラシア大陸すべてを支配しました。彼らは困難を突破する賜物を持つ国です。モンゴルや北朝鮮は矢の先端の矢じりのようで、矢の柄や弓全体は韓国が担い、日本は、教会は小さいかもしれませんが、矢羽のような存在だと語られました。矢羽がなければ、矢は正しい方向に飛んでいきません。この3か国が協力する時に、終わりの日の宣教は完成するというメッセージでした。預言的なメッセージであり、私は深く心を揺さぶられました。
モンゴルは1992年までは共産諸国の一員でした。南には中国、北にはロシア、そして東には北朝鮮があり閉鎖された国でした。しかし、92年からモンゴルは自由諸国の一員となりました。終わりの日の福音は、共産諸国やイスラム諸国に宣教をしなければなりません。そうでなければ、イエス様はなかなか帰ってこられません。共産諸国やイスラム諸国に福音を伝えるのは困難ですが、モンゴルが福音化したことによって、モンゴルを拠点に四方に福音を伝えることができる環境が整ったのです。
モンゴルはちょうど鍵穴のような国です。そこに日本を遣わしてくださるようになったことは、神の素晴らしい計画です。前線に出ていく者も、後方で祈る方々も一緒に、宣教の勝利を祈り、実現したいと願っています。
今回、私たちが行かせていただくのは、首都ウランバートルから西へ600キロメートルほど行ったツェツェルレグという町です。私は、まさか人生の中でこんなところに行くとは、夢にも思っていませんでした。後期高齢者が行くような場所ではないと思いつつも、主が行けと言うならば行くしかないと思っています。皆さんも、こんな町があったなんてご存じなかったでしょう。その町はウランバートルから南西に位置し、標高1700メートル、ハンガイ山脈の麓にある人口2万人の都市です。新城市でさえ4万人以上いますから、小さいと思うかもしれませんが、モンゴル全体の人口が350万人ほどで、その半分がウランバートルに住んでいますから、2万人というのはある意味で大都市です。
最も美しい県の一つと言われており、ロシアのような雰囲気のある街です。しかし、その町は霊的には非常に重苦しいところです。山の頂上には巨大な仏像が建っており、街を見下ろして霊的に束縛している、チベット仏教に覆われている町です。
そこに「ぜひとも福音を伝えて下さい」と、ムンフ先生に頼まれました。今回の働きは、現地教会の活性化のための聖会ではなく、この町に宣教するための伝道活動です。この町で日本チームがどれだけの奉仕ができるのか、本当に祈りが必要です。
「伝道メッセージを誰が語るのですか」と尋ねると、「あなたです」と言われ、私が語らなければなりません。どうやって語ったらよいのでしょうか。通訳も日本語から韓国語、そしてモンゴル語へと3つの言語を介して行われます。伝言ゲームのようになりそうですが、聖霊様が働かれると、3つの言語でもまるで一つのように、誰が語っているか分からないほどうまくいくのです。去年はそれを体験しましたが、今年もそのようになるよう、ぜひ祈っていただきたいと思います。
この町で宣教するための素晴らしいアイテムを、主は与えてくださいました。私の父・滝元明が書いた『平安を持つ秘訣』という本が、モンゴル語に翻訳されたのです。私たちが翻訳を頼んだわけではありません。モンゴル宣教をしているある団体が、なぜか翻訳したのです。先日、突然私のところに「明先生の『平安を持つ秘訣』をモンゴル語に翻訳しましたので、事後報告になりますが許可してください」と連絡が来ました。今回、この本を、まだイエス様を信じていない、平安を失っている町の方々に差し上げたいと願っています。
さらに今回は、モンゴル語のトラクト(伝道用の小冊子)も作りました。プレイズ出版がありますからあっという間に作ることができます。読めないと思いますが、通訳の方がしっかりと翻訳してくれました。タイトルは「あなたの頼っている神は本当にあなたの味方ですか?」です。私が執筆しました。これを配ろうと思っています。しかし、町に出て行って配るのは結構危険だと言われています。もともと共産国ですので厳しいそうです。
これらのアイテムを有効に用いることができるよう、ぜひ祈ってください。電波が通じましたら、世界宣教グループラインから、皆様に情報をお知らせいたします。
今回、この宣教のために祈っている時に、神様から与えられた御言葉が、今日読んでいただいた列王記第二の13章でした。18節を読みますと、
「それからエリシャは『矢を取りなさい』と言ったので、イスラエルの王は矢を取った。そしてエリシャは王に『それで地面を打ちなさい』と言った。すると、王は3回打ったが、それでやめた」
前後の文脈を見ますと、預言者エリシャは非常に強力な預言者でした。彼は旧約聖書に現れたイエス様のような存在でした。しかし、その預言者エリシャも年を取って死の床に就いていました。当時のイスラエルの王はヨアシュと言い、彼はエリシャを非常に頼りにしていました。危機の時に預言者エリシャに尋ねると的確なアドバイスが得られ、宿敵であったアラムに勝つことができたからです。そのエリシャが病に伏せり、絶望したヨアシュ王は、見舞いに行って泣き伏している姿が、この13章に記されています。
その時、エリシャはヨアシュに「東側の窓を開けなさい」と言いました。彼が開けると、エリシャは空に向かって「矢を射なさい」と言います。王が矢を取って射ると、エリシャは「主の勝利の矢、アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを討ち、これを絶ち滅ぼす」という預言を与えます。まだ戦ってもいないのに、空に向かって矢を放つと、「あなたは勝利した、アラムを絶ち滅ぼす」と語られたのです。
その後、再びエリシャは「矢を取りなさい」と言い、今度は「地面を打ちなさい」と言いました。空に1本打った後、今度は地面を打つように命じたのです。すると王は3回だけ打ってやめました。彼がやめた時、死にかけていたエリシャは激怒しました。「あなたは5回も6回も打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って絶ち滅ぼすことができただろう。しかし今は、3回だけアラムを打つことになる」と言いました。