また、体も鍛えなければいけないわけです。昨年「SSBジム」が教会内にオープンしました。それはどうしてかというと、心と、体、そして霊の三つが一つで健全であるように勧められているからです。
「SSBジム」のタイトルのみことばは、テサロニケ第一 5章23節です。
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。
イエスさまが帰られるとき、三領域が健康でありますように、と祈られています。イエスさまを迎えるにあたって、ただ霊的に優れているとか、心の領域が癒されているだけではいけないのです。体も、努力しないとイエスさまは帰って来られないのです。
三つの領域が全て揃って健康であるときに、イエスさまがお帰りになるというコンセプトで、ジムができたのです。私も時折行って、鍛えていたのですが、寒くなって最近おろそかになっています。最近、新城教会の男性たちの体格がみるみる逆三角形になっています。
これもイエスさまが帰って来られる一つのサインかなと思います。
三十一日、信弘先生が大変印象的なメッセージを語ってくれました。私たちの賜物は、放っておくとただの石ころだと言うのです。ダイヤモンドも掘り出されたときにはただの石ころでも、磨くと光って高価な宝石となると言うわけです。
かつてはダイヤモンドを磨く方法がわからなかったけれども、ダイヤモンドを粉にして磨いたらピカピカになったと言うのです。
教会には原石がいっぱい集っています。人は人によって磨がれるのです。教会に来て「人間関係がめんどくさいな」と思って、「ネットの方がいいかな」みたいな人もいるかもしれません。しかし人の賜物は、人によって磨かれるのです。もちろん神によって成長させられますけれど、磨がくのはやはり人です。
兄弟・姉妹との交わりの中で、「自分がどうあるべきか」、「自分の立ち位置を点検しなさい」と語られました。それぞれに賜物があることを理解し、尊敬し合うことが重要です。
聖霊の賜物について列挙されている聖書箇所を、また読んでみたらいいと思います。ローマ人への手紙、第一コリント、エペソ人への手紙などに出てきます。これは聖霊によって現れる賜物です。預言、奉仕、励まし、分け与える、指導、様々ありますけれど、聖書中にはっきりした定義がなくてもコンテキストによって明らかにされる賜物もあります。
どの教会にも、神は、「預言」という領域において能力を付与されているのではないかと思います。「今、預言します!」なんて別に言わなくても、み言葉を聞いたり、お互いに交わりする中で、お互いに神の言葉を預言的に受け取るのです。それで「どう歩めばいいのか」未来への道が開かれるのです。
さて、「二〇二五年問題」をご存知ですか。
「二〇二五年問題とは、国民の五人に一人が後期高齢者、七十五歳以上の超高齢化社会を迎えることで、雇用、医療、福祉といった日本経済や社会の広い領域に深刻な影響を及ぼす諸問題の総称」です。
二〇二五年から、第一次ベビーブーム(一九四七年から四九年)に生まれた世代が、一気に後期高齢者、七十五歳以上になるというのです。
戦後の数年間、一年にどのぐらいの赤ちゃん生まれたのか知っていますか。毎年、二百五十万人ぐらいのベイビーが誕生しました。太平洋戦争で三百三十万人死んでも、戦争が終わった直後から、毎年二百五十万人ぐらい生まれたわけです。
しかし現代、二〇二三年の出生率は過去最低でした。七十五万八千六百三十一人しか生まれなかったと言うのです。なんということでしょうか。私の孫のカンちゃんが生まれなかったら、七十五万八千六百三十人だったのか・・・と、一人の重さってすごいです。結婚数も少ないのです。
一九六五年では一人の老人を九・一人の若者たちが支えていたそうです。しかし二〇二五年では、六十五歳以上の高齢者一人を、一・二人で支えることになります。
日本は高齢化社会じゃなくて「超高齢社会」なのです。「化」どころか、完全に超高齢社会になりました。それも世界一です。世界の国々の中で、日本は高齢化率、一位です。私は今回、二〇二五年問題に関心を持って調べて、「日本はまもなく終わる・・・!」と感じました。ご自分で調べてみてください。多分このままいくと、二〇四〇年頃に日本は終わります。
なぜなら二〇四〇年、日本における六十五歳以上は、三十四・八パーセントに達します。ここまで達すると、社会保障やインフラの維持が困難になります。二〇四〇年と言ったら、あと十五年です。このままでは、日本は消滅します。これは深刻な問題です。こういうことに関して、国も、マスコミもあまり積極的に報道しません。けれども、これは真剣に考えなければならない大きな問題です。
解決策があるとするならば、戦争です。戦争でリセットされて人口が激減すると、戦後のベビーブームのようで、不思議ですが人は増えるのです。
しかし第三次世界大戦が起こったら、その後、文明を維持できる人類がどのくらい生き残れるのか疑問です。この話、他人事のように聞いているかもしれませんけれど、ある意味、預言的な話だと思うのです。いや、預言的どころか、データに基づいた現実の話です。真剣に祈らないと日本の未来は最悪です。
また、経済的にも大変です。先週、ピアス君が来ていたので話したら、彼が新城教会で十年ぐらい前に奉仕したとき、一ドルは八十円だったと話していました。しかし今や一ドル百六十円くらいです。倍になったわけです。これは日本の値段が半額になったことを意味します。一千万円貯金があります!と言っても、十年前の半額しか価値がないということです。
高度成長時代、政府は「貯金してください。貯金してください」と勧めました。しかし最近、国は貯金しなさいとは言わなくなりました。岸田内閣のとき「貯金をやめて、貯蓄から投資にしてください。一億総株主になってください。」と言いました。もう日本は貯金している余裕はないのです。どんどん日本円の価値は下がるし、銀行の利息より、インフレ率が上回っているからです。自己責任で投資し、自分で稼いで、自分で生きていって下さいというわけです。
二〇一七年に私は一つの話をしました。最近話題の暗号通貨について話しました。二〇一七年に私が話したとき、みんな怪訝な顔をして、順牧師が変なことを言い出したと言いました。なぜなら、暗号通貨の中心のビットコインの話をしたからです。それは二〇一七年時点でいくらだったかと言うと、二十七万円でした。しかし現在、一ビットコインは一千六百万円です。あの時、二十七万円投資したら、一千六百万円になっています。
世界はめまぐるしく変化しています。教会は預言的な場所です。なぜなら、天の教会と繋がっている場所だからです。
教会のはしごが外されるのは最悪です。天の情報が来なくなります。戦争でも軍隊が戦場に取り残され、援護がなければ全滅します。
地上の教会は戦いの教会です。天の教会からの援護があってこそ、成り立つ組織です。今年、天と地が繋がって、天の援軍が来るよう祈りましょう。
まもなく日本の社会インフラ、道路とか下水道、その他の寿命が来ます。それらの寿命は大体七、八十年です。私は土木をやっていましたけれど、日本のインフラは戦後作られて、その寿命が来ているわけです。老人たちが、これらのインフラを作り直せますか?
この教会では最近、農業を始められた方々が多くおられます。信弘先生も農業の方にまで進出しました。あれって結構、預言的かな?と思います。
しかし、どんな時代が来ても揺るがないのが、神の国です。天と繋ぐ機能は、教会にしかないからです。教会は社会、国、全体に対する責任を負っています。
今年、お一人一人に委ねられている神からの能力を磨いて、教会を強化したら、神の国が現されるのです。
二月十一日から十四日まで「愛知県民の森」において、日本、韓国、モンゴルのリバイバル聖会があります。ぜひ皆さん集まっていただいて一緒に祈りたいと思います。日本人って元をたどれば騎馬民族です。アジアの騎馬民族たちが一堂に集まって主を求めたら、主が何らかのことを行ってくださるに違いないです。
愛知県民の森が、どこにあるのかといったら、一九九二年の二月十三日に聖霊が注がれた場所です。今回の聖会、期せずして、二月の十一日から十四日までと、十三日を含みます。何か主が計画されていることを感じます。
リバイバルは一度起こった地域で繰り返し起こるという法則があります。国が、世界が暗くなるとき、神はご自分の霊を注がれるのです。しかしその背後には必ず、聖徒たちの激しい祈りがあるのです。ぜひとも、今年は祈り深くあって下さい。
よく話していますけれど、一八八五年ごろに愛知県北設楽郡津具村で大きなリバイバルが起こりました。しかし現在、津具村に行っても、クリスチャンはほとんどいないです。
当時は村の半数ぐらいがクリスチャンであったと思われます。村井與三吉牧師の記念碑が建っています。
一月一日の新年礼拝のときにも話したのですが、近頃、この教会に通っていた!という人の話を聞くことができました。もちろん百年以上前の話ですから、生き残りはいないのですが、豊根村のある老人施設に、今から十年ぐらい前、百歳のおばあちゃんが入所してきたそうです。そのおばあちゃん、なんと津具教会の日曜学校に通っていたと言うのです。
なぜなら、お母さんが熱心なクリスチャンで、娘を村井與三吉先生の教会の子ども集会に送っていたからです。
その教会の愛唱歌があったそうです。百歳のおばあちゃん、子どもの頃に津具教会で覚えた唱歌を施設で、毎日歌っていたそうです。それで施設の職員たちはみんな、津具教会日曜学校唱歌を覚えてしまったと言うのです。どんな唱歌だったのかと聞くと、
<津具村教会 日曜学校唱歌>
いざ歌え もろともに
みな歌え もろともに
悪魔の軍勢 多けれど
我らが大将 イエス君は
恐れることなどありゃしない
この歌をおばあちゃん、百歳になっても施設の中で毎日熱心に歌っていたと言うのです。相当、津具村教会の日曜学校ではこの歌が強調されたのでしょう。
ということは、津具のリバイバルは、ただ単なるリバイバルではなくて、霊的戦いがその中心にあったはずです。当時の津具村のクリスチャンたちは、霊的戦いを意識していたということです。
リバイバルは繰り返し起こる!
一九九二年二月十三日に聖霊が注がれて、新城教会で始まったのが霊的戦いでした。やはりリバイバルは、一度起こった地域で繰り返し起こるのです。
津具教会から新城教会に至って、教会に与えられた賜物、それは、「霊的戦い」です。今の時代、悪魔の軍勢と戦う教会がなければ、悪魔のやりたい放題で、日本も滅びてしまうかもしれません。
しかし、神の軍隊が心を一つにして、与えられた賜物を磨き、聖霊に満たされて進んでいくならば、必ず神の季節が訪れます。
今年、私に与えられたみことばを短くまとめました。
「今年、わたしは今までの働きの速度を速めます。それに耐えられるように、与えられた賜物を成長させ、神の軍隊である教会を聖霊によって強化しなさい。なぜなら、わたしの日が近づいているからです。最も小さいものも軍団となり、最も弱いものも強国となる。わたしは主。時が来れば速やかにそれをする。」
主がイザヤに与えた預言が、現代において実現することを心から願っています。
最後にお祈りして、二〇二五年最初の礼拝メッセージに代えさせていただきます。
天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。主がこの場所に教会を建ててくださいました。天からのはしごを伸ばしてくださいました。このはしごが、イエスさまが帰ってこられるその日まで、しっかりと立てられ続けますように。はしごを悪魔に外されることがないよう守って下さい。
今年は、与えられている賜物を磨き、武器となりますように。この年を勝ち取る聖霊の油注ぎをお与えください。
経済的にも大変な時代ですが、一人ひとりに恵みと祝福をお与えください。イエスさまのみ名を通して祈ります。アーメン。