2025年2月2日(日)新城教会主任牧師 滝元順
マタイの福音書 16章18~19節
“そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」”
ハレルヤ!おはようございます。早くも二月になりました。時の経つのは早いものです。今年は神が、ご自分の働きを加速される年であると私は信じて、預言的メッセージをまとめさせていただきました。
『二〇二五 神が働きを加速される年!
今年、わたしは今までの働きの速度を速めます。それに耐えられるように、与えられた賜物を成長させ、神の軍隊である教会を聖霊によって強化しなさい。なぜなら、わたしの日が近づいているからです。
“最も小さいものも軍団となり、最も弱いものも強国となる。わたしは主。時が来れば、速やかにそれをする。」”
イザヤ書 六十章二十二節』
トランプ大統領が、就任演説で「米国において、性別は男性と女性だけ」と述べました。当たり前のことですが、近年、世界は当たり前が当たり前ではなくなっていました。聖書ははっきりと、
“神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。”(創世記一章二十七節)
と断言しています。皆さんも男か女のどちらかですね。人は男か女のどちらかの身体的特徴を持って生まれます。
しかし近年、「性別の多様化」とか言われて、性別は男と女だけではないという思想が広がっていました。日本の教育現場でさえ、そのような影響を受けるようになってきました。
マクドナルドの近年の宣伝広告はLGBTQを後押しするような内容ばかりでした。しかしトランプが一言語った途端、彼らは方針を転換しました。
「アメリカのマクドナルドは六日、多様性確保の目標を廃止すると発表した」と報じられました。一発で廃止です。
それに続いてウォルマートとか、いろいろな企業が方針を変えたのです。世界の権力者がどのような立場に立つかで、これほどまで変わるのです。
今までの流れは悪魔の策略以外の何ものでもなかったのです。
最近、日本のキリスト教界の中でも、LGBTQを認めるような、結果ありきの神学を構築する動きがあり、その手の本が出版され、混乱していました。
しかし聖書は、はっきりと、性別は男と女だけだと告げています。それは疑いの余地のない宣言です。しかし世界の流れが変われば、教会も引きずられて真理さえ、ねじ曲げられています。恐ろしいです。
もちろん、身体的特徴が男性、女性であっても、心が身体的特徴についていない方がおられることも事実です。そのような方々に関しては、配慮が必要です。しかし性別については、二つに一つです。
「指向」と「嗜好」は、同じく「しこう」と読まれます。しかし「指向」とは、指が向く方向、すなわち、自分は男性の身体的特徴があるけれども、心は女性の指向性を持つ方がおられるわけです。また、その反対の方もおられます。それは「指向」の領域であり、サポートが必要です。
けれどももう一つの「嗜好」は「好み」です。自分は男性だとわかっていても、性的嗜好は同性を好むという人たちです。性的嗜好として、そちらがより快楽的だと感じる人たちです。LGBTQ運動の中心は、指向性の問題ではなく「嗜好」を求める人たちによるものです。「指向」の方々の人権を盾に掲げながら、実は、嗜好が中心です。自分たちの性的嗜好を拡大する為に、彼らは人権を絡めているだけに過ぎません。
悲しいことに、教会もそれに引きずられ、まさしく、真理から離れている今日この頃です。
ローマ人への手紙1章25節~28節
25 彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、
27 同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。
28 また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、神は彼らを無価値な思いに引き渡されました。それで彼らは、してはならないことを行っているのです。
この箇所から明かのように、聖書は偶像礼拝があると、その結果、同性愛を嗜好する世界が出現すると警告しています。「造り主の代わりに、造られた物を拝み」とあるように、これは偶像礼拝です。偶像礼拝があると、「恥ずべき情欲」が発生するとしています。
情欲の中でも、「恥ずべき情欲」があります。それが何かというと、「すなわち彼らのうち、女たちは自然な関係を自然に反するものに変え、同じように男たちも女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています。」とパウロは告げています。
聖書ははっきりと、現代のLGBTQ運動の背後に偶像礼拝が関わり、悪霊が働いて教会をも巻き込む危険性について警告しているのです。
タッカー・カールソンというFOXニュースのアンカーマンが「トランスジェンダー問題は、もはや人権問題でも何でもない。霊的問題だ!背後に邪悪、悪魔が関わっている!」と発言し話題となりました。まさしくその通りです。
しかし今回、神はそれらを止める働きを加速されました。なぜなら、主が再び戻られる為に、教会を励ましておられると信じます。
先週、こんな事が発表されました。「人類滅亡まで残り八十九秒」。
アメリカの科学者たちが、毎年、世界の滅亡までどのぐらい時間が残っているかを比喩的に発表しているもので、十二時が滅亡の時として、去年までは九十秒だったそうですが、今年は一秒進んで、八十九秒だそうです。宇宙船、地球号は、コントロールできないところまで来ているのです。
私達は、日本に住んでいますが幸せですか、それとも不幸ですか。様々な方がおられると思います。
かつて、タイタニックという巨大な豪華客船が大西洋を航海していました。船内では華やかなパーティーが開催されていて、誰もが大きな幸せを感じていました。しかし、その豪華客船が向かっている先に、巨大な氷山がありました。やがてタイタニックが氷山にぶつかった瞬間、船に乗っていた人たち全員の状況は一変しました。
ある意味、現代の私達も同じところがあると思われます。案外、クリスチャンは自分の幸せとか、健康についてはよく祈ります。しかし日本丸に乗っていて、現在、日本丸が何処に向かっているのかについては、あまり関心がないのです。
今日、読んでいただいたのはエペソ人への手紙の三章九節から十三節です。エペソ人への手紙は、紀元六〇年代に書かれたと言われます。
パウロがローマで牢屋に入れられていた中で、エペソ教会を始め、アジアの諸教会に当てて書かれた手紙です。
エペソではかつてリバイバルが起こり、多くの人たちが救われました。街の主神、アルテミスも顧みられなくなるほどでした。しかしその後、教会は迫害され、頼りにしていたパウロもローマで捕まり、ローマ帝国が力を増すなか、クリスチャンたちは皆、不安の中にあったのです。
しかし、そんな中でパウロは「教会とはどういうものか」について論じ、彼らを励ましています。特に三章は奥義について書かれています。九節を見ると、奥義として神が長く温めてきた事柄について記されています。
続く十節に、
“これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、”
とあります。「天」とは複数形です。諸天にある支配と権威に対して、教会を通して神の極めて豊かな知恵を知らせると告げています。
十三節では
“私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。”
と述べています。ここにエペソ教会のクリスチャン達と、パウロの信仰の違いを見ることが出来ます。
パウロは牢屋の中で、やがて殉教しなければならないほどの危機を体験していました。同時にエペソ教会も、パウロの状況を伝え聞いて、心配し、落ち込んでいたのです。当然のことです。
しかし当の本人パウロは「私が受けている苦難は、あなた方の栄光だ」と書き送りました。
私達も時々、試練に出会うと「もう駄目だ、これからどうなるの・・」と落ち込みます。しかしパウロ的視点を持つならば、「私が受けている苦難は、あなた方の光栄です」と言うこともできるのです。
クリスチャンにとっての苦難は、決して、それだけで終わりません。それは神の栄光に変わるのです。ゆえに試練を受ける事は、自分にとっての光栄なのです。
ここ数年、新城教会は私を含めて苦難の中にありました。しかしパウロに言わせれば、「その苦難は、あなた方の栄光です」ということになるのでしょう。
様々な苦しみや悲しみがあるとき、大チャンスを迎えるきっかけにもなるということです。試練と問題が大きければ大きいほど、それは大きなチャンスにもなりうるのです。そしてそれは、神の栄光に変わるのです。問題があるときにこそ、「光栄です!」と言えるようになったら、本当に素晴らしいです。
近年、世界的な苦しみがあります。パンデミックがあり、その後は戦争があったり、様々なことで苦しめられています。しかしそのような中にこそ、教会の意義が深まるはずです。
教会は、なぜ作られたのかというと、「これは今、天上にある支配と権威に、教会を通して神の極めて豊かな知恵を知らしめるためだ」とパウロは語りました。
「天上にある支配と権威」とは、一見、「神の国のことか・・」と思うかもしれません。しかし神が支配しておられる神の国には、もはや、神の知恵や知識は必要ありません。なぜなら、神の国は百パーセント、神の知恵と知識によって運営されているからです。
では、この天上にある支配と権威とは何でしょうか。これはエペソ六章の「主権、力、この暗闇の世界の支配者たち、天にいる諸々の悪霊」を意味しています。
パウロは、なぜ試練の中でも「栄光です」と語ることができたのか、それは霊的戦いに気づいていたからです。「この戦いは、霊的な戦いだ」と。神は、この戦いに勝利する権威を教会に授けておられると深く理解していた故に、このような言葉を語ることができたはずです。やはりパウロは凡人じゃないと思います。
教会とは何かに関して、最近、語り続けております。イエスさまはマタイ十六章で、
“そこでわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。”
と語られました。この箇所は違った訳も成り立つと、お話ししました。ペテロとは「ペトロス」、すなわち「石」、小石です。岩とは「ペトラ:岩」です。
この時、イエスさまはダニエル書二章三十四節を意識して語られたと思われます。岩波訳では次のように訳されています。
“また、この私もあなたに言う、あなたこそ石だ。そしてこの岩の上に、私は自分の教会を建てよう。そして黄泉の門も、これに勝ることはないだろう。”
教会は小石のような存在です。特に日本においては、本当に小石のようです。吹けば飛ぶような小さな組織です。しかし、神は小石を使って大帝国を打ち破られるのです。
それはダニエル書二章に預言されています。
“あなたが見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを粉々に砕きました。”
「人手によらずに切り出された石」とはイエスさまのことです。処女マリアから生まれたイエスさまは、小石によって、悪魔の大帝国を打ち破られたのです。そしてその小石はやがて世界規模の大岩になるのです。
まさにこの箇所は、イエスさまが教会に対して語られた励ましです。
イエスさまはピリポ・カイザリアの住民が、岩を礼拝している面前で語られたと前回もお話ししました。ハデスの門前でこの言葉は語られたわけです。