2025
神が働きを加速される年!
諸国に向かって旗を掲げよ!

2025年3月2日(日)新城教会主任牧師 滝元順

イザヤ書 62章10~11節

“通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ。盛り上げ、土を盛り上げて、大路を造れ。石を除いて、もろもろの民の上に旗を揚げよ。見よ、主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」”

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
三月になりました。あっという間に月日が経っていきます。四月からは、新しい年度ですが、花粉も飛ぶようになってきたみたいです。すでに苦しんでおられる方もいるかもしれませんが、この三月、主とともに歩んでいきたいと願います。

今年の三月は、聖書暦「アダルの月」と重なっています。二十八日までは、聖書暦と共に進みます。アダルの月の三日は、エルサレムに第二神殿が建てられた記念日であることが旧約聖書に記されています。聖書暦は大変重要です。そんなことも意識しながら歩みたいものです。

今週私は、GoToミッションで北陸を回らせていただきます。ぜひともお祈りを宜しくお願いします。北陸・能登は、まだまだ復興が進んでいないようです。そんな場所に福音を届けるために出かけていきます。チェ先生と一緒の奉仕です。この三月、私は韓国でも奉仕する予定です。それもチェ先生とご一緒です。最近、韓国と共に働くことが多く、主がそのような道を開いてくださったことを心から感謝します。

今日のみことばは、先週の礼拝の後に少し紹介したみことばです。それは二月の聖会後に主から与えられたと信じている言葉です。

“通れ、通れ、城門を。この民の道を整えよ。盛り上げ、土を盛り上げて、大路を造れ。石を除いて、もろもろの民の上に旗を揚げよ。”

これはバビロンに捕囚されたユダの民が、「やがてエルサレムに戻ることができる!」という約束の預言です。
私は昔、土木技術者でした。道路の設計などもしたことがあります。道路のある部分は、土を盛り上げます。土の中の不純物や石や株などを取り除き、頑丈な道路は作られます。道路は表面しか見えないですが基礎が大変重要です。しっかりと基礎を作らなければ、すぐに壊れてしまいます。

この預言は聖書全体では、イエスさまの再臨と神の国の実現です。やがてイエスさまはこの地に帰ってこられる、というのが聖書の最終的結論であり、テーマです。私たちの歴史の延長線上に、イエスさまが帰られる日があります。

今、世界は混乱しています。これからどうなってしまうのか、多くの人が心配しています。イエスさまが地上に戻らない限り、どんな指導者が立っても、うまくいかないです。
教会は、イエスさまが地上に戻る鍵を持っています。教会がそのことを真剣に祈らなければ、不幸な世界は継続し、地獄の人口は増えるばかりです。
この事態を食い止めるために、クリスチャンと教会は、霊的土を盛り上げ、そこにある様々な不純物を取り除き、諸々の民の上に旗を掲げることが求められます。

「旗を掲げる」とは何を意味するのでしょうか。「旗」とは不思議な存在です。日本の国旗が立っていれば、そこに日本の主権を感じます。アメリカの国旗が立っていれば、アメリカの主権を感じます。
同じように、「旗を掲げる」とは神の国の権威をその場所に宣言することです。

この地球上で起こっている事柄は、霊的戦いそのものです。歴史とは何かについて、何度もお話しさせていただいています。

「歴史とは、神の民とサタンの礼讃者との戦いの歴史でもある。歴史的な出来事は、この二つの対立勢力の実際の記録を明らかにするものだ」とユースタス・マリンズという作家が書いています。
もしもこのことが事実ならば、人生において何を優先するべきかが問われることになります。歴史には様々な悲しい出来事が散りばめられていますが、それは神の民とサタンの礼讃者との戦いの記録なのです。
もしも、歴史の中に悲惨な出来事が多く記録されているとすれば、それは神の民がサタンの礼讃者に敗北した記録といえます。歴史的出来事は、この二つの対立勢力の実際の記録を明らかにするものだ、というわけです。私たちクリスチャンと教会には、世界に対する大きな責任があるのです。

では、私たちは何をしたらよいのでしょうか。それは、目に見えない世界の石を取り除く働きにあります。

かつて日本は太平洋戦争に参戦し敗北しました。今年は戦後八十年という節目の年です。最も激しい戦いは、やはり戦争末期に起こりました。「硫黄島の戦い」をご存じでしょうか。日本の最南端にある硫黄島で、多くの人々が命を落としました。日本兵もアメリカ兵も多く死にました。最終的にアメリカが勝利し、硫黄島に星条旗を掲げました。

これは誰もが知っている有名な写真です。ピュリッツァー賞に輝いた写真です。アメリカのワシントンD.C.には、この場面を再現したブロンズ像があります。多くの戦いの結果として、勝利の旗が掲げられたのです。

神の民の戦いもこれと同じです。様々な戦いと犠牲があるかもしれませんが、神の国の兵士たちによって、諸国の上に勝利の旗が掲げられるのです。

私は、二〇二五年、神がその働きを加速される年になると信じています。
皆さんのお祈りにより、モンゴル、韓国、そして脱北者の方々を含めて、愛知県民の森で三日間にわたって聖会が行われました。韓国ナイトの時、様々な国の旗を掲げ、主をほめたたえ、賛美しました。

国々には、それぞれの歴史があり、それは決して勝利ばかりではなく敗北の歴史もあります。しかし、それらの国々の上に、勝利の旗を掲げる必要があるのです。

神の国への大路を作り、諸国の石を取り除いていくとき、何が起こるでしょうか。

“見よ、主は地の果てに聞かせられた。「娘シオンに言え。『見よ、あなたの救いが来る。見よ、その報いは主とともにあり、その報酬は主の前にある』と。」”

この預言は、最終的には再臨を目指しての約束だと思われますが、その中にリバイバルもあり、一人一人に対する祝福もあるのです。
今回、主は大きな扉を開いてくださったのではないか、と感じています。

新城教会が設立されるにあたっても、ただ日本だけの力によってできたわけではありません。ご存じのように、明治時代、津具村でリバイバルが起こりました。それは、日本独自の祈りによって起きたものではありません。ジェームス・バラという、日本に最初に入ってきた宣教師の一人が山の中に入り、伝道したことがきっかけでリバイバルが起こりました。
その津具村で生まれたのが私の父であり、また私でした。新城に教会ができた背景にも、戦後、日本に入ってきた日系人の宣教師が関わっていました。
また、私の父や田中先生が伝道者として立ち上がり、後にリバイバルミッションへとつながった背景に、中国、モンゴルから追い出され、日本に渡ってきたスウェーデン人宣教師たちが関わっていました。豊川に来たスウェーデン人宣教師たちがいなければ、日本リバイバル・クルセードもリバイバルミッションもできなかったでしょう。もしも彼らがいなかったら、どうなっていたのかと思います。人生はちょっとしたことで大きく方向が変わります。
また一九七〇年代、愛知県民の森で開かれたリバイバル聖会に、韓国から多くのリバイバリストが来てメッセージを語らなければ、一九九二年二月十三日の激しい聖霊の注ぎも、甲子園ミッションもなかったことでしょう。
私たちは日本で礼拝を行っていますが、その背景には、様々な国の関わりがあり、それらの協力によって、今があることを覚える必要があります。

今回の愛知県民の森で聖会が行われましたが、場所にも大きな意味があったように感じます。一九九二年二月十三日は木曜日でしたが、今年も木曜日でした。年月も含めて、主が何かをなそうとしておられるのではないかと感じました。
同時に、この地域は世界との関わりにおける取り除くべき「石」も存在しているとことに気づかされました。聖会の霊的戦いセミナーでも、そのことについて語りました。
飯田線沿線は一体誰によって作られたのか、ご存じでしょうか。飯田線は韓国人とアイヌ人、そして連合軍の捕虜、中国人の抑留者といった人々によって、飯田線と沿線施設は作られたのです。
三河槙原が県民の森の最寄りの駅ですが、この付近から北は昔、「三信鉄道」と呼ばれていました。

ここは天竜川沿いの秘境とも言える場所です。初め、日本人だけで鉄道を敷設しようとしたのですが、あまりにも地形が険しく中途で断念しました。測量・設計すら困難だったのです。

それで河村カネトというアイヌ人の測量・設計チームを旭川から呼び寄せ、極めて危険な場所での測量に当たらせました。アイヌの人々は厳しい大自然を生きているため、「お前たちならできるだろう」と任せたのです。彼らによって飯田線敷設計画は進められました。
さらに日本人労働者だけではうまく進まなかったため、韓国から大勢の労働者を連れてきました。なんと、鉄道やダムなどの建設のために、この地域には約七千人もの韓国人が働いていたのです。まさに韓国コミュニティが県民の森周辺から長野県にかけて存在していたのです。
県民の森近くの「池場」という地域に、多くの韓国人が住んでいたと聞いたことがあります。また、「平岡」という場所にはダムが建設されましたが、そこには中国、華北地方から六百名近くの中国人が連行し、そのうち六十人が亡くなり、失明した人も多くいました。
さらには連合軍の俘虜(捕虜)、アメリカ、イギリス、オランダの兵士三百人がダム建設に従事させられました。そこには捕虜収容所が設置されていて、あまりにも酷い扱いであったことで、戦後、B・C級戦犯として六名が絞首刑、終身刑が四名、一名が二十五年の刑に処されました。本当に悲しい歴史がありました。

まさに、この地域には、取り除く必要がある、大岩がありました。私たちは、光の部分だけに目を留めるのですが、それだけでは石は取り除かれません。
歴史を振り返ると、日本が過去に犯した罪が、まるで岩のように残っていることに気づかされます。今回は悔い改めの祈りをし、勝利を宣言することができましたが、まさしく国々の上に勝利の旗を立てる聖会となりました。
今後も、このような働きを前進させなければなりません。
これは、別の聖書訳ですが

“城門を通れ、通れ。民の道を開け。盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え石を取り除け。諸国の民に向かって旗を掲げよ。見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得たものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。”

今回の聖会の特徴は、多くの若者が参加したことです。韓国は二月は冬休みで、中高生たちが多く参加してくれました。また、新城教会からも、若者が集まってくれました。彼らは夜中の祈祷会にまで出席しました。私は感動しました。主が今、若者たちを引き出そうと願っておられると確信しました。

新城教会も、これからどれだけ若い世代が燃えるかによって、生き残れるか否かが決まります。だからこそ、若い方々に頑張っていただきたいと心から願います。

遡れば、私の父や田中先生、中村先生といった方々が若い頃、主は彼らに「田舎に入って行け。」と言われました。彼らが主の命令に従い、山間部に入って行ったからこそ、今回の県民の森での集りも実現したのです。
自分の夢を捨て、イエスさまの夢を実現するために出て行く若者に期待します。
この国のすべての領域に、神の国の旗を立てる事を主は願っておられると信じます。

“そこで、私は何よりもまず勧めます。すべての人のために、王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いた生活を送るためです。
そのような祈りは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることです。”(テモテへの手紙 第一 二章一~三節)

すべての人のために祈る「とりなしの祈り」の重要性をここで教えています。
しかし特に強調されているのが、「王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげよ」という事です。
つまり、国を支配する人々のために、関心を持ち、祈らなければならないということです。