2025年10月12日(日)新城教会主任牧師 滝元順
ルカの福音書11章20節~22節
“しかし、わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。強い者が十分に武装して自分の屋敷を守っているときは、その財産は無事です。しかし、もっと強い人が襲って来て彼に打ち勝つと、彼が頼みにしていた武具を奪い、分捕り品を分けます。”
ハレルヤ。
皆様にお祈りいただき、私は6年ぶりにアメリカで奉仕をさせていただきました。金曜日の夜に帰国しましたので、まだ少し時差ぼけがありますが、こうして皆様の前でお話しできることを心から感謝しています。
今回、中心的に奉仕させていただいたのは、シアトルの近くにあるタコマという町です。そこで伝道牧会をされている竹内先生の教会で、6年ぶりに奉仕しました。竹内先生は新城教会にも何度か来てくださいました。本当に恵まれた教会で、多くの方々がいらっしゃっていました。
そこへ行って感慨深いというか、寂しい思いもしました。なぜなら、6年前は私の家内が同じ場所で証しをしたからです。
今回の渡米は、ハワイのホノルルを経由してシアトルへ向かうルートでした。そのため、前後に1泊ずつホノルルに滞在し、ハワイリバイバルミッションでお世話になった先生方ともお会いして、交わることができました。今回は私の孫が同行してくれました。細かい書類の記入などを手伝ってくれて、本当に助かり、感謝でした。
私は中村先生の教会でも奉仕させていただきました。また先週の月曜と火曜はジョー先生の家にも行かせていただきました。ジョー先生は古くからの友人です。先生は一応引退されており、今はジョン先生が中心となって奉仕されていました。新しい世代に引き継がれている姿を見て、嬉しく思いました。
また、新城教会で7、8年奉仕してくださいましたジョイさんともお会いしました。ジョイさんはご家族とともに会いに来てくださいました。実は、ジョイさんのご主人ダンさんは、新型コロナウイルスの初期に感染して命を落とされました。本当に大変な戦いの中にジョイさんとご家族はあったのですが、今は回復され、大変楽しいひとときを過ごすことができました。
皆様のお祈りに支えられ、本当に感謝いたします。
◆神の働きを語り継ぐことの重要性
最近、このみことばをよく紹介しています。
詩篇48篇12節~14節
「シオンを巡りその周りを歩け。 その塔を数えよ。その城壁に心を留めよ。 その宮殿を巡り歩け。後の時代に語り伝えるために。この方こそまさしく神。世々限りなくわれらの神。神は死を越えて私たちを導かれる。」
イスラエルに行くと、エルサレムには多くの塔や城壁、かつての宮殿も今なお廃墟として残っています。それらはただの遺物や史跡ではなく、各時代でさまざまな戦いがあり、その中で神が助けられた、神の働かれたしるしでもあるのです。神が過去にどんなに素晴らしいことをしてくださったかを、忘れずに後の時代に語り伝えなさいと勧めているのです。そうすれば、神は死を超えて次の世代、そのまた次の世代をも助け導いてくださるのです。
これは英語の聖書で見るとよく分かります。「ネクスト・ジェネレーション」、次の世代の人たちに語り継ぎなさいと言うことです。そうしたら、最後まで、「エンド」まで私たちを支えてくれると訳されています。
今日は午後から「数えてみよ主の恵み」という、「昔ばなしの会」のような集会があります。第5弾です。午後1時半から開催されますので、ぜひお越しいただきたいと思います。これは過去を振り返る昔話のように思うかもしれませんが、私たちが最後の最後まで生き抜く秘訣でもあるのです。
私たちは過去のことは忘れて前向きに生きようとしがちですが、教会は違うのです。主は、過去に神がどんな恵みを与えられたかを数えなければいけないと言われます。そして、それらの点を線で結んでいくときに、永遠の世界に繋がっていくのです。
特に「ネクスト・ジェネレーション」、新しい世代の人たちが歴史を知らないと、次世代は持ちこたえることができません。過去に主は、すごいパワーで助けてくださいました。次の世代が同じ神のパワーを体験するためには、かつて神がこの国で、またこの教会でどんなことをされたのかを忘れないでいると、その力は新しい世代をも支える力となるのです。新しい世代が働きを始めると、昔の方法は消し去られてしまうようなところがありますが、それではいけないのです。
世間では少子・高齢化が話題となっていますが、新城教会は素晴らしいです。先週も2人の新しい命が誕生したという報告がありました。本当に嬉しいですね。新しい命が誕生しているということは、見えない世界でも神の大きな御業が起こっていることを意味していると思うのです。
◆偶然ではなく必然である人生の軌跡
私はアメリカのシアトルまで行きましたが、かなり遠いです。明治・大正時代、日本は貧しかったです。江戸時代の封建制度が崩れ、新しい制度ができたため、多くの人々は職を失ったり土地を失ったりしました。それで、日本の多くの農民たちが新天地を求めてアメリカや南米、世界中に出ていったのです。特に北米に渡った人たちが多かったようです。
明治・大正時代に、鳥取県から西谷家という一家がシアトルに渡っていきました。本当に苦しく貧しい生活だったようです。アメリカはアングロサクソンが作った国ですから、東洋系の人々は差別され大変でした。
しかし、そのような中で手を差し伸べた人物がいました。マーク・マシューズという牧師でした。彼はアメリカで最初にできたメガチャーチの主任牧師でした。この教会はシアトルにでき、その理念は、社会の貧しい人々、差別されている人々に目を向けて助けるというものでした。社会では人種差別的な力が働いていましたが、彼は神から示されて一人の少年に目を向けたのです。
それが西谷祐という少年でした。それでこの少年はこの教会でクリスチャンになり、やがて成長し、結婚して奥さんとともに戦後日本に宣教師として来たのです。彼らの宣教で最初にクリスチャンになったのが、私の母であり、父だったのです。
本当に人生は不思議なものです。もしも日本が豊かだったら、アメリカに移民する人はいなかったと思いますから、私は生まれなかったです。苦しみの中、差別の中でも、神は人々を忘れていないのです。そして、振り返ると、無駄は何一つないということです。
では、偶然を必然にするにはどうしたらいいのでしょうか。それは、このような歴史を新しい世代が神の働きとして認識することです。今日、偶然、教会に来られた人もいるかもしれないし、クリスチャンの家族に生まれたから教会に来るようになったというかもしれません。しかし、それらの背後にも全て、神の計画があるのです。
私の両親は既に天に帰りましたが、彼らがクリスチャンにならなかったら、私も生まれなかったですし、当然、新城教会も存在していません。背後に神の偉大な計画があったのです。
◆目に見えない敵の存在
しかし背後に、見えない戦いが常に起こっていたのも事実です。神の計画を妨害する闇の力が常に働いていたことを、私たちは認識しなければなりません。
私たちの生活の中に、見えない敵、悪魔が働いているということを、どのぐらい深く認識されているでしょうか。「そんなことはないでしょう・・」と思うかもしれませんが、実は見える世界の後ろに、見えない敵の力が働いています。彼らは24時間休むことなく、神の計画に反逆して働いているのです。
いつも紹介するのですが、ユースタス・マリンズの言葉は分かりやすいです。
「聖書に照らして歴史を振り返ると、人類の歴史は神の民とサタンを崇拝する者たちとの戦いの記録に他ならない。歴史上の出来事はこの二つの対立する勢力の実際の動きを明らかにしているからだ。」
人類の歴史を見ると、悲惨なことばかりです。このような悲惨な結果は、神の民とサタンを崇拝する者たちの激突の結果であり、神の民が敗北すると、悲しい歴史が記されると言うのです。しかし、神の民が勝利するならば、神の計画の実現へと変わるということです。
ということは、目に見えない世界をどのぐらい意識するか否かで、世界も変わるし、人生も変わるということです。もしもこの言葉が本当ならば、人類は何を最優先にしたらいいかということがおのずとはっきりするはずです。
デンマークに哲学者セーレン・キルケゴールという人物がいました。彼は宗教哲学者でありクリスチャンでした。彼が語っている言葉は、私たちが存在する世界を、的確に表しています。彼は『不安の概念』の第4章において、「悪霊は沈黙という形で現れる」と語っています。
この概念はキルケゴールの全著書の核心を成しており、「悪霊的(デモニック)なものは、暫定的に、間接的にのみ自己を伝達しうる存在」だと定義しています。
悪霊が私たちのところにどういう形で接近するかというと、沈黙という形で現れるのです。皆さんの人生にも私の人生にも、気づいていないかもしれませんが、沈黙という形で敵が関わっている可能性が高いのです。自分の歴史を振り返ってみて、色々な大変なことがあったな、最悪だったなというならば、一度、その可能性について考えなければいけないのです。
デモニックなものは暫定的に、つまり、最終的な決定が確定するまでの間、間接的にのみ自己を伝達しうる存在なのです。直接攻撃してくれればいいですが、間接的に働いてくるのです。敵がいるにも関わらず、間接的に働かれたらなかなか真犯人を認識できません。
長いことガザで戦いが続いていましたが、停戦になりそうです。ロシアとウクライナでは戦いが継続しています。戦争には、理由があるのかもしれませんが、そこで死んでいく兵士たちの人生にとっては最悪です。その家族、親族など、いいことは何一つありません。
今年は戦後80年と言われますが、太平洋戦争時代に生まれ育った方々は、いいことは何一つありませんでした。あのような出来事がどうして起こるのか。悪魔が起こしていることが明らかであればいいですが、明らかではないのです。悪魔は常に間接的に自己を伝達する存在なので、たちが悪いのです。
しかし、「暫定的に、最終的な決定が確定するまで」とは、どういう意味なのでしょうか。今日読んだ聖書の箇所に繋がりがあります。
◆神の指が働くとき
今日読んでいただいた聖書の箇所は、ルカの福音書の11章20節から22節です。この前後の文脈を読んでいただければ分かりますが、イエス様が地上に登場するまで、悪魔は全て間接的に働いていました。しかしイエス様がこの地上に来られた後、なんと間接的に働いていた沈黙の土台が露わにされたのです。
だから人々はびっくりしました。「イエスという男は悪霊どものかしらを使って追い出している」と批判をしたのです。しかしイエス様は「わたしが神の指によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです」と語られました。
実はコリント人への手紙第二4章3節、4節を見ると、福音を伝えてもなかなか人々がイエス・キリストについて理解できないのです。しかしその原因について記されています。
「それでもなお私たちの福音に覆いが掛かっているとしたら、それは、滅び行く人々に対して覆いが掛かっているということです。彼らの場合は、この世の神が、信じない者たちの思いを暗くし、神のかたちであるキリストの栄光に関わる福音の光を、輝かせないようにしているのです。」
家族や友人たちに、多くの人々に「イエス様は素晴らしいです、あなたの神様ですよ」と話しても、なかなか通じない。どうしてかというと、この世の神が覆いをかけているからだと告げています。
昨日も孫の一人と話をしたら、「クラスのみんながイエス様を信じたらいいのになぁ…」と言いました。「お前がイエス様のことを伝えてやればいいよ」と言うと、「もう話したよ」と言うのです。先生にも「先生、イエス様が神様だよ」と話したら、先生が「いやぁ、俺はやっぱりどっちかというと仏の方だな・・」と答えたそうです。
日本人の90%以上は仏教徒ですが、天地を造られた神がおられることに気づかないのです。このみことばをギリシャ語から詳しく検討すると深い意味が分かります。