2025年4月6日(日)新城教会主任牧師 滝元順
ローマ人への手紙 8章18~22節
“今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。”
皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
主の愛に生かされて、今日もあることを心から感謝します。
大変暖かくなりました。今日は二十度超えだと聞きましたけれど、長い冬が過ぎて、春の季節がやってきました。しかし毎年春が来るのを、当然と思っているかもしれませんが、その背後に、被造物に対する神の深い配慮と愛があります。春を心から感謝して、春にしか果たせない使命を果たしたいと願います。
さて先週私が出した宿題ですが、やってこられたでしょうか。
「翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ」とありますが、「土地に手を置いて祈ってください!災害などが起きないように、土地との和解を宣言してください!」とお願いしたのですが、私も示された場所に行って、祈りました。県民の森の祈祷会のときも、みんなで土地に手を置いて祈ることができて本当に恵まれました。
このような祈りによって、気づかないうちに、主が働かれ、地域が守られると信じます。
地域の地震の確率をAI予測で見ましたら、「愛知県の地震発生率は、伊勢湾断層帯の北部ではほぼ〇%、南部ではほぼ〇%から〇・〇〇二%と、地震発生率は低いと言えます。ただし、地形によっては揺れやすいところもあるため、注意が必要です。」とありました。
「土地」を意味するヘブライ語は、「アダーマー」と「エレツ」この二つがあるそうです。「アダーマー」は、土とか土壌という意味で使われ、「エレツ」は、地理的な土地とか、特定の民の住む領土とか、あるいは人が住む場所としての「大地」を表す言葉として使われているそうです。
“神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。”
(創世記二章七節)
これは「アダーマー」が使われています。神は大地から土を取って人を造られたのです。
人が土地と、どうして関連が深いのか。それは、そもそも神は大地を造った後、その土を使って人を形造り、命の息を吹き込まれたからです。
ということは、大地を神が造られたとき、既に、大地に人を形造る要素が含まれていたことになります。ということは、私たちと土地とは、深い関連性があるのです。
神が天地創造した原点においては、「神も人も被造物も互いに祝福の契約関係にあった」のです。互いに祝福しあう「互恵関係」として造ってくださったのです。しかしその後、地に罪が入って様相は一変しました。
今の世界は、新しい天と新しい地が出来上がる過程にあります。
「今我々が置かれているのは、キリストにある贖いが既になされたことを感謝し、未だ訪れていないこの新天新地の完全成就に希望を置いて生きるという、二つの時の間である。ここにおいては、被造物の産みの苦しみがあり、我々もまた、産みの苦しみに参与すべきである。それが本来の、神と土と人を回復することに他ならない。」
人はどのような存在であるか、それは被造物の管理人です。
春は花がたいへん綺麗です。すべて土地から出てきたのです。土って本当に不思議です。家内も本当に花が好きで、いつも花を育てていました。花に向かっては「主を賛美しなさい」と宣言していました。
「聖書によれば、土地というものは、単なる無機物ではない。それは命あるものであり、神の祝福によって作物を生じ、神の呪いによって力を生じなくなってしまう。特に殺人者の流した血は、土地を汚して呪われたものとしてしまう。」と、ある神学論文の中で指摘されていました。
新城教会は期せずして、血が流された地に建てられました。まさしく呪いの上の十字架です。一五七五年、設楽が原の戦いで一万六千人の血が流された現場にあるわけです。聖書の原則によれば、「特に殺人者の流した血は、土地を汚して呪われたものとしてしまう」ということです。
教会の使命は、設楽が原に手を置いて、土地との和解という大きな使命があると思うのです。
「土地、アレツについて聖書を読み直す必要があるように思う。これは環境問題を考える上の基礎となるだろう。土地は実際、いのちあるものである。一グラムの土には、百万から一千万もの微生物が生息しているという。微生物が有用な働きをしてこそ、よい作物を得ることができる。」と。
土の中には、数え切れないほどの微生物が住んでいます。微生物がいないと、人は生きることができないのです。最近、微生物を排除する傾向が強いです。本来の被造世界が破壊されているような気がします。
「人が地を『支配し、従える』ことの内容とは、園を『耕し、守る』ことであった。ヘブライ語において『耕す(アーバド)』と『しもべ(エべド)』が同根の語であることは興味深い。『耕す』を『仕える』と、うがって(物事の本質を的確に捉え)訳してみれば、『地に仕える』ことが人の大地支配の内容である。日本語の語感から言えば『畑の世話をする』というあのことばに当たろう。」とありました。
「地を従える」とは、「土地に仕える」という意味だと言うのです。
家庭菜園とか、またこの教会では、本格的に農業に従事している方もおられます。プレイズも、最近、「ベテルファーム」を始めました。すごい名前ですね。「主がおられる場所」です。良い収穫がなければおかしいです。これから期待されるところです。
「地に仕えること」、日本語で言えば「畑の世話をする」という感覚らしいです。家庭菜園や、植物など、春は豊かな季節ですから、「地に仕え、畑の世話をする」絶好のチャンスではないでしょうか。
コリント人への手紙 第二 五章十八節〜二十節に、こんなふうに書かれています。
“神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。”
クリスチャンは「大使」のような存在です。それは「和解の使節」、つまり「和解のために」人は造られたというのです。
しかし「神の国の大使!和解の使者!」という意識で日々を暮らしているかどうかというと、そうでもないです。
「十字架型の和解」に関して、以前にもお話ししたことがあるのですが、私たちは「神と人との和解」の仲介者です。
日本では九九%以上が神と和解していません。クリスチャンが出ていって、神と人との和解の仲介者となる必要があります。
また、人と人との和解もキリストの使者の役割です。何かトラブルがあったら、どちらか一方の側について分裂を広げるのではなく、和解のために働くのです。
そればかりか、全被造物の和解の使者としても遣わされています。
九二年に行われた「甲子園ミッション」は、「神と人との和解」というテーマで始められました。目的は、一人でも多くの人たちがイエスを信じ、神と和解するようにという、趣旨でした。
しかし、聖霊は、リバイバルミッションの働きを、「国と国との和解」に遣わし、世界に働きが広がっていきました。
二〇〇七年に、ハワイでリバイバルミッションが開かれました。太平洋戦争で、アメリカと日本は互いに殺し合いました。そんな歴史を回復して、一致する働きでした。
あのときも、本当に素晴らしい集会となりました。その後、韓国、台湾、タイ、インドの「ナガランド」にまで行きました。またネパールにも行きました。
「ナガランド」は「ナガ族の土地」という意味ですが、そこは九〇%以上がクリスチャンです。しかし、太平洋戦争のとき、日本軍はナガランドにまで攻め込んだのです。
ナガ族の人たちは、日本人とよく似た顔をしています。
言語も日本語とよく似た単語があります。何と、納豆を食べるのです。食べてみましたけれど、同じ味でした。
「私は日本兵と戦いました」「傷を受けました」という方がおられました。一緒に手を取り合って祈ることができました。
「近くて遠い国」、朝鮮半島は二つに分かれています。本当に深刻な問題です。この背景にも日本が関わっています。不思議と、神さまが韓国でリバイバルミッションを開催させ、韓国との和解、また北朝鮮や中国の祝福を祈るようになりました。そしてモンゴルにまで行きました。このような働きは先方に頼み込んでできる働きではありません。神が扉を開かない限り出来ない働きです。
昨年発表され、話題を呼んだ映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』をご覧になった方はいますか?この映画で描かれているのは、五人の北朝鮮の家族が脱北する様子が中心です。「牧師さん!頼むから助けてください!」という場面から始まりますが、教会の支援の元、牧師が手助けして一万二千千キロを旅して韓国まで到達するドキュメンタリー映画です。この映画は日本の文部科学省推薦にもなっています。これは日本の隣で起きていることです。日本人はこの事実を知らなければいけないし、日本の教会が、このテーマについて真剣に祈らなければ、リバイバルは来ないだろうと感じました。「あなたの隣人を愛しなさい」とありますけれど、これは民族的和解です。
私たち一人ひとりは「和解の使者」として選ばれています。北朝鮮の人たちはみんな良い人ばかりです。悪いのは政権です。指導者です。北朝鮮で韓流ドラマをこっそり見て、捕えられたら、公開処刑です。
去年、高校生がみんなの前で処刑されたと言うのです。政治のシステムが変わらない限り、永遠に闇の中です。
この問題解決は、外交や政治的手法では無理です。軍事力でも不可能です。なぜならこれは、霊的戦いだからです。
今回の専門課程の為にいろいろ資料を集めたのですが、ルーマニア人のリチャード・ウォンブランドという、ルーテル派の司祭がいるのですが、ユダヤ系の人です。彼は何を研究したのかと言うと、世界の思想を二分している、「共産主義」について調査しました。
共産主義は、一見、思想的には良いような感じがします。戦後、日本の若者たちは、皆、共産思想に流れました。しかし、この主張のルーツはなんでしょうか。ウォンブランド牧師は、マルクスが提唱した共産主義の根源を調査して、一冊の本を著しました。それが『マルクスとサタン』という本でした。
共産主義によってクリスチャンは多く殺されました。その思想の原点は何かを調査したら、マルクスは、もともとクリスチャンでしたが、あるとき神に対して怒りを覚えるようになり、神を礼拝するのを止めて、サタンを拝むようになったというのです。その結果、出来上がった思想が、共産主義でした。この本は共産主義の国々では非難・攻撃されて、日本でも翻訳出版が許されなかったのです。現在、世界が昔の冷戦時代に戻りつつあると言われます。そして戦争は、全て領土争いです。
昔、大航海時代に、スペインとポルトガルが世界に出ていって領土を広げました。私は何度もスペインに行ったことがあります。あんなに暖かくて良い土地に住んでいて、なぜ、さらなる土地が欲しいのか疑問です。イギリスもたいへん綺麗な国ですが「太陽が沈まない国」とも呼ばれて、世界中の土地を求めました。
ただ広々と住みたいという願望だけでは説明がつきません。土地は生き物です。土地から神は人を造られたわけですから、土地と人との関係を、悪魔はよく知っています。土地を悪魔の領域に入れて、人と対立させようとしています。やがて神の国は、この土地に訪れます。それに対抗して働いているのがサタンです。