このように「神のかたち」という意味について深く知る時、「なるほど!」と理解出来るのではないでしょうか。これらを心に留めて、日々を歩まれたら、パワフルな生き方ができるはずです。

話は変わりますが、六月から、今まではオンラインでやっていた家庭集会も、徐々に対面でやりたいと考えています。
先週は、その先駆けとして、久しぶりにある家庭集会に行かせていただきました。
どこに行ったのかと言うと、三重県いなべ市内の田舎でした。新城教会には、こんな遠くから、来てくださっている方々がおられます。ここに加藤さんというご一家が住んでおられて、時折、家庭集会を開かせていただいています。しかし今回は、二年以上ぶりに開催させていただきました。

いなべ市は三重県です。三重県と言ったら伊勢神宮です。この地区は、伊勢神宮と深い繋がりがあって、もしも誰かがクリスチャンになったら、大変な騒ぎになります。地域をあげて神宮サポーターです。また、寺も多くあって、祖先崇拝は各家の必須条件。葬式は寺が全て牛耳っていて、クリスチャンになったら、村八分です。

今から結構前のことなのですが、このご家族の長女の方が、新城教会の教会員の所で働いておられました。その家でも家庭集会が開催されて、「集会に出ませんか?」と誘われたことがきっかけで、クリスチャンになりました。そして洗礼を受けられました。
しかしその後、彼女は「私は自分の故郷に使命があります。」と言って、いなべ市に帰って行かれました。私はそれ聞いて、「田舎はなかなか信仰を保つのが大変だ・・。」と心配していました。
けれども彼女は、まさしく神のかたちとして、最も大変な、クリスチャンが誰もいない田舎に、神の像として据えられたのです。そして彼女は、被造物の管理人であることを知って、地域が神の国になるように、祈り始めたのです。

神がなぜ、万物を造られたのかと言いますと、一言で言えば、すべてのものを賛美させるためです。すべての物質は、音を出しています。固有振動数があります。音を出していない物質はないのです。何のために音を出しているのかと言ったら、不協和音ではなく、究極的には神を賛美するためです。その為に、すべてのものは造られているのです。
そんな中、人間とはどのような役割かと言ったら、自ら賛美すると共に、全被造物オーケストラの指揮者です。神さまが造ったすべての被造物が調和して、主をほめたたえ賛美する為の指揮者であり、管理人です。聴衆は誰かと言ったら、創造主なる神、三位一体なる神さまです。
被造物は人により調和を保ち、賛美するわけです。人とは、本当に重要な存在です。

彼女はいなべ市に戻って、迫害があったのですが、さまざまな霊的拠点に行って、とりなしの祈りをするようになりました。
先ほど、像が権威を主張すると話しましたけれど、日本には偶像が多くあります。偶像なんか、石や木や金属で、取るに足らないように見えますが、それらは神の像の逆バージョンです。
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悪魔はさまざまな所に偶像を立てさせ、何をしているのかと言ったら、「ここは俺の領域だ!ここは俺の国だ!」と主張し、悪霊どもが働く拠点を作っているのです。ですから、これらをただの像だと考えるとたいへんなことになります。これは神のかたちの逆バージョンで、悪魔の形です。偶像とは、悪魔が自分の権威を主張している危険な場所であるのです。
しかしそこでクリスチャンが、管理人としての働きをすると、暗闇の力は逃げていきます。

このご一家、最初は長女の方だけがクリスチャンでしたが、数年の間で、お父さままでクリスチャンになられました。
この辺の家は葬式用に建てられていて、縁側から僧侶が仏壇に直行できるような構造になっています。葬式用の長い縁側があって、壁一面の仏壇が設置されています。絶対に取り外すことができないと思われる仏壇でした。
しかしそこで家庭集会が始められて、だんだんと神の国の支配が広がりました。しかしお父さんは最後まで、「私はクリスチャンにはなれない・・。」と言っておられましたが、私たちは、「やがてこの家から仏壇が取り除かれるように」と祈っていました。
何が起こったと思いますか?お父さんまでクリスチャンになって、仏壇も全て取り除かれたのです。ハレルヤ!
先日、お父さんのお母様が九十九歳、先日と言っても二年前ですけれど、亡くなられましたが、なんとキリスト教式で召天式が行われました。ありえない事です。村に革命が起こったようなものです。
一人の女性が、困難な場所に神の像として建てられたことによって、神が働かれたのです。

「私が住んでる地域は大変な所だ!」と失望してはいけません。なぜならあなたは「神のかたち」だからです。我々を据えたのは、神さまですから、神は栄光を現してくださるのです。

日本では、山、木々、岩、石、すべての被造物が神々に置きかえられ拝まれています。そうなると、被造物はうめくと言うのです。
ローマ人への手紙八章二十二節、

『私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。』

本来、神が造られた被造物は、神を賛美するために造られていますが、被造物自体が礼拝の対象になると、それぞれ命がありますから、うめき始めます。「俺はこんなために造られたわけじゃない・・。神を賛美するために創られたのに、苦しい!」と、うめくのです。日本中の被造物はうめいています。
しかしクリスチャンが遣わされて、それらに、賛美するように命じると、彼らのうめきは賛美に変えられます。

人類は、被造物の管理人ですから、被造物を背中に乗せる親亀のようです。人類が神を知って、正しい方向に向かうならば、被造物全ても、麗しく調和して、主を賛美します。しかし人が罪を犯して堕落すると、「親亀こけたら子もこけた」となります。被造物も一緒に、巻き添えを食って、転落するのです。
クリスチャンになるとは、気づく気づかないはともかくとして、・・・本当は気づかなければいけない事なのですが・・、親亀が立ち上がったら、子亀も立ち上がる、被造物も一緒に立ち上がり回復するのです。
ローマ人への手紙八章十九節を見ると、

『被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。』

救いは、人だけに留まるものではありません。イエスさまの十字架の勝利は人から始まって、すべての被造物に至ります。
救われたら天国に行ける、それでハッピーではなくて、神が造られた被造物に対して、人には責任が課せられているのです。すべての被造物のうめきに耳を傾けて、主をほめたたえさせる使命があるのです。
具体的には、被造物に「主をほめたたえ賛美せよ!」と命じる使命です。彼らは人の命令に従います。家にペットのワンちゃんや、猫ちゃんがいたら、「主を賛美せよ!」と命じてみてください。
動物園の動物たちはお疲れモードです。「俺は何のために造られたのか・・?」とうめいている事でしょう。
そのような動物たちにも、「主を賛美せよ!」と命じたら、賛美するはずです。人が被造物に、主をほめたたえるように命じ始めるなら、王なるイエスさまが、地上に戻ってこられると信じます。
私たちの大きな使命は、王座に着いておられるイエスさまを、再び地上にお迎えする事です。それが最も大きな使命です。その為の道を用意しなければいけないのです。

古代帝国で王が凱旋する際、すべての国民が王を賛美して出迎えました。
被造物全体を治めておられる王なるイエスさまが帰って来られる日も同じです。その日を目指して、環境を整えなければなりません。

毎月私は「霊的戦い専門課程」を担当させていただいていますが、明日は、五月度の収録が行われます。是非、祈っていただきたいと思います。毎月、新しいテーマで語るのは、なかなかの負担ですが、祈っているとテーマが与えられるのは不思議です。
午後からは「専門課程ダイジェスト」です。私以外に、二人の講師がおります。私は今回、「十字架の死による大勝利!」という大きなテーマと、「東方正教会と霊的戦い」というテーマを扱います。
ロシアとウクライナの戦争は、東方教会と西方教会の分裂テーマが背後にあります。このテーマはクリスチャンしか、とりなすことができない領域です。
また、「被造物のうめきと霊的戦い・・・食肉について」というテーマでも語らせていただきます。
現代人は、肉をよく食べます。しかし食肉は、動物のうめきとの関係があります。ただ「うまい、うまい」と食べていてはいけないと教えられました。ちょっとショッキングなテーマです。今日の午後から、一部分をお話しさせていただきます。

今、地球に生息する野生の哺乳類は、哺乳類全体の約四パーセントしかいないらしいです。その他、ほとんどが人類と家畜です。家畜が何のために世話されているのかと言うと、人の食料になるためです。
私が幼い頃、肉を食べるのは、簡単ではありませんでした。私が初めて肉を食べたのは、小学二年生の給食です。何かの記念日で、給食に豚肉が出ました。初めて見た肉ですから、うれしくて、すぐには食べられなかったです。まずは表面を舐めて、裏面を舐めて、もう一度舐めて、おもむろに食べた記憶があります。
しかし今はどうでしょうか。簡単に肉を食べられます。なぜなら日本では、年間、牛は百十六万頭、豚は一千六百五十三万頭、鶏に至っては、六億四千万羽が人の食欲の犠牲となっているからです。
鶏って、何日で肉になるのか知っていますか?たったの「五十日」です。卵から孵って、五十日で肉にされるのです。誕生したら、五十日後に死刑が決まっています。自分がひよこだったら、辛いだろうなと思います。世界でどのくらい一年間に鶏が生産されているのかを計算してみたのですが、日本の人口が一億二千数百万人で、世界人口との比率で計算してみたのですが、四百億羽くらいになります。こんなに大量の鶏が犠牲になり、我々は鶏肉を食べる事が出来るのです。家畜って、毎日、うめいているのではないでしょうか。
誤解しないでいただきたいのは、肉を食べてはいけない、と言っているわけではありません。この領域のことを覚えて、とりなし、祈らないといけないと言うことです。現実を知ることが最も大事ではないかと思います。
興味のある方は、本課のほうで学んでいただきたいと思います。

「主の回復の時が」というザワメキの賛美があります。その中に出てくる生物って、二種類だけです。星とか、空とか、無機質に見えるものにも、命があるのですが、普通に命があると認識できる生物は「鳥と魚」です。「鳥が歌い、山が歌う/魚が歌い、海が歌う」です。
世界で最も多くうめいている存在は、魚かもしれないです。世界では年間、二兆八千億匹ぐらいの魚が消費されるからです。そして鳥は、四百億羽ぐらい消費されます。彼らにも命と感情があります。人間に乱獲されたり、あたかも工業製品のように、大量飼育されています。
私たちが被造物全体に配慮する時に、神は私たちに目を留めて、「おまえは良き管理人だ。じゃぁ、おまえの祈りにも答えてあげる。」となるのではないでしょうか。
神の像として、さまざまな場所・領域に設置されて、使命を果たさなければいけないのです。
では、何をしたらいいのか。まずは、「主は王だ!」と宣言することです。
今週、ご自分が遣わされている場所で、「主は王だ!」と宣言してください。先週はイエスさまが王座に着かれた記念の週でした。この時にこそ、「主は王だ!」と宣言するのです。

そして、すべての被造物に対して、「主を賛美せよ!」と宣言しましょう。さまざまな仕事があると思いますが、ぜひ、実行して下さい。

最後に一つのみことばを読んで終わりたいと思います。大変有名なみことばで、コリント人への手紙 第二 五章十七節、

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。』

この箇所は一般に個人的に捉えると思うのですが、ある聖書学者が次のように解説していました。新改訳2017にも注釈が付いているのですが、『新しく造られた者』というのは、「あるいは、そこに新しい創造があります」と訳すことができると。
また、『すべてが新しくなりました。』は、「新しいものが到来しました。」とも訳すことができると言うのです。
聖書には深い意味があります。この箇所は、本来、もっと広い意味があると言うのです。それは、
「だれでもキリストの中にいるならば、そこには新しい創造があります。あなたがそこにいるだけで、周りに新しい創造が始まります!」という意味になると言うのです。