立ち直らせる力

 散々イエスさまを証ししていた人間が自殺未遂するとは何事かと、自分でも思いました。学校の友人たちも私のことを見たら、「あいつは何なんだ」と言うだろうなと思いました。こんな状態になってまたイエスさまの話をしようものなら、完全に泥を塗った人間であり、説得力もゼロです。牧師になりたいという熱い思いをその前に抱いていたのも、すべて吹き飛びました。

 そんなとき、神さまは語ってくださいました。「優秀な大学に通っているとか通っていないとか、教会で熱心に仕えているとかいないとか、そんなことは関係ない。あなたという存在そのものを愛している。駄目だからこそ、私は十字架で死んだのだ。だから、あなたはもう死ぬ必要がないのだ」と。本当にそのことを教えてくださいました。「私は誰が死ぬのも喜ばない。―神である主の言葉―だから立ち返って生きよ」と、そのように神さまは語ってくださいました。

 

 その後、本当に牧師になれるとも思っていませんでしたが、ボロボロになった状態で、それこそ順先生や望先生にも散々祈ってもらいました。僕が死の力に引っ張られたときには、「これは霊的な攻撃だから」と、そして最後、政男先生が「てるちゃん、もう帰ってきたらいい」と言ってくれて、そのボロボロの状態で何とか復学し、卒業だけはすることができました。

 

 本当にそういう状態の僕を浜北教会に呼び戻して、屋根裏部屋に住ませてもらいました。最初は何もできずにいましたが、教会の人たちは私の過去の事件を知りませんでしたので、「輝ちゃん、東大を卒業して教会のために献身して帰ってきてくれたんだ」と好意的に受け止めてくれていました。しかし、実際には私はボロボロな状態で戻ってきていたのです。

 

 そして政男先生は、「せっかく東大も卒業したのだから、何か塾でもやったらどうか」と声をかけてくださいました。ちょうど進先生がゴスペル教室を始めていたので、「一緒に歌ったらどうか」と誘われ、ゴスペルクワイアのスタッフのような形で参加し、歌っているうちに、それもリハビリになっていきました。

 その後、個別指導の塾をスタートしたところ、不登校の子どもたちや、いわゆるヤンキーのような子どもたちが集まるようになりました。個別指導だったので、集団授業が嫌だとか、学校の勉強はやりたくないけれど親は何とかしたい、という子たちが自然と集まってきたのです。

 そうした子どもたちに関わっていくうちに、自分自身もまた、ドロップアウトして人生が駄目だと思っていた人間だったことを思い出しました。だからこそ、むしろ彼らと関わっていることが私にとって本当に居心地がよく、神さまは本当に立ち直る道を与えてくださるのだと確信するようになりました。彼らと一緒に、自分自身も立ち直っていった、そんな経験でした。

 

 そのうちにフリースクールが始まり、さらにチャーチスクールも始まり、というような流れで、どんどん働きが拡大していきました。途中の段階で教会の正式なスタッフとなり、教会で訓練を受け、伝道師として任命されることになりました。

 今振り返ってみても、本当に不思議なことです。神さまがいなければ、私の人生はもう終わっていました。しかし、神さまはそこから私を立ち直らせてくださいました。

 自分はもう何の価値もない、生きていても意味がないと思っていたような人間でしたが、その絶望の中にイエスさまが届いてくださいました。そして素晴らしい結婚も与えられました。今日、妻も一緒にここに来られていることを、本当に感謝しています。子どもも生まれ、今では二十一歳、十九歳、十六歳と、みんな大きくなりました。彼らがちょうど、私が当時死のうとした年齢に差し掛かっています。それを見ていると、本当に不思議な神さまの恵みを感じます。

 もし私があのとき死んでいたら、この子どもたちはこの世に存在していなかったのだと思うと、本当に神さまを怖れる気持ちになります。私がそういうことをしてから、もう三十年近くが経ちましたが、その後の人生で何度「生きていてよかった」と思ったかわかりません。あのとき神さまが命を守ってくださったから、私は今ここに存在しているのです。主の恵みによって、今生きているということを、私は毎日経験しています。

 

 ですから、立ち直ることに目的があります。ただ自分が救われるだけではなく、それはイエスさまを証しするために立ち直るのです。このことは、今日読んだ聖書の箇所にはっきりと記されています。ルカの福音書二十二章三十二節、「しかしわたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」

 イエスさまは、ペテロがこの後最悪な状態になることを知って祈っておられましたが、その先も見越しておられたのです。だからこそ、「立ち直ったら、兄弟たちを力づけなさい」と命じられたのです。この言葉も、ペテロは絶対に生涯忘れていなかったはずです。彼自身があれほど絶望したところから人生が回復したのだから、「俺でも大丈夫だったんだから、あなたも絶対大丈夫だ」と、伝え続けたに違いありません。「イエスさまは復活した。だからもう絶望の中で生きなくてもいい」と。

 

 皆さんも、クリスチャンとして救われたことには意味があります。自分が救われて天国に行くためだけではありません。救われ、立ち直ったことには目的があり、兄弟たちを力づけるために私たちは生きているのです。

 ですから、この地上での生涯が与えられている限り、イエスさまが「いいよ」と言って天国に呼んでくださるその日まで、私たちは兄弟たちを力づけるために出ていくべきです。一人ひとりに、それぞれ遣わされている場所があり、力づけるべき人たちがいます。その人たちのために、とりなして祈り、励ましていきましょう。

 

 私が救われたのだから、あなたもイエスさまは必ず助けてくださると、ぜひ伝えてあげてください。ぜひそのためにこの教会も用いられますように。新城教会がこれまで日本中の教会のために、リバイバルのために仕えてきた教会であることを、私はよく知っています。

 政男先生から受け継いだスピリットを、今になって本当に感じています。全国の教会を挨拶に回るとき、多くの人が「滝元先生、田中先生に本当にお世話になりました」と言ってくださいます。私が「その教会の出身です」と言うと、「いや〜!そうですか。応援します!」と言ってくれます。本当に日本のリバイバルのために、ずっと祈ってきた教会です。

 だからこそ、どうか諦めず、疲れ果てずに、皆さん、この働きを続けてください。新城教会は全国の祝福となっていますので、誇りを持って、この教会の存在を神さまは見ておられますので、そのように励んでいただきたいと思います。

 

 では、お祈りします。

 

 ハレルヤ。天の父なる神さま、あなたはみ子イエス・キリストをこの地に遣わしてくださり、私たちのすべての罪、穢れ、弱さの一切を負ってくださいました。本当にそのことを心から感謝します。そして、死んでくださっただけではなく、復活して、今日も生きておられる方であることを心から感謝します。

 イエスさまの復活の力が、今日ここにおられるすべての方に激しく臨みますように。イエスさまの命によって、今、私の人生が本当に回復させられた、立ち直る力をいただいていることを確信できるようにしてください。今、もし絶望している人がいるなら、後悔している人がいるなら、そこに神さまが触れてくださいますようにお願いします。

 何度でも立ち直る道があります。立ち返って生きることができます。クリスチャンになった今も弱さを抱えている私たちですが、それでも立ち直る道は毎日備えられています。どうかそのことを確信して歩むことができるよう、一人ひとりを祝福してください。

 主イエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。