もう一人は、イスラエル人救出という主の計画を託された、モーセという人です。ここでは、自分でも知らなかった神様の計画を受け取るということを学ぶことができます。
『あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選んだ』(ヨハネの福音書十五章十六節参照)という御言葉がありますが、神様は私たちが神様に背を向けていたときからあなたを選び、救いを計画してくださっていました。神様のほうで計画をしてくださっていても、拒否する人もいるわけですが、皆さんは、救いを受け取って今ここにいるわけです。
出エジプト記 三章九~十一節にこのようにあります。
『「見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。」モーセは神に申し上げた。「私はいったい何者なのでしょう。パロのもとに行ってイスラエル人をエジプトから連れ出さなければならないとは。」』
これは、モーセがイスラエルの民をエジプトから救出するために課せられた、最大のミッションでした。モーセは百二十年生き、その人生のうち、彼はイスラエル人であるにもかかわらず、不思議なことに、ほかのイスラエル人が奴隷生活をしているのに、四十年間エジプトの王子として育てられたのです。しかし、ある事件を通してエジプトからシナイ山のふもと、ホレブの荒野に逃げたのです。そこで結婚し、四十年間生活していました。「私の人生もここで平穏無事に終わるだろう」と多分思っていた八十歳のとき、神様が突然モーセに、「イスラエル人をエジプトから連れ出せ」と告げられたのです。モーセでなくても神様に、「私は一体何者なのでしょう」と問いたくなるのではないでしょうか。
当時、エジプトにはイスラエル人が壮年の男性だけで六十万人いたとあります。女性、子ども、外国人を入れると、二百万~三百万人いたと言われています。神様は、イスラエル人がエジプトで奴隷生活をし、最終的に四百三十年の間、苦しんでいるのをご存じでした。その中で、モーセが生まれる前からイスラエル人エジプト脱出・救出計画を立てていました。そのために、モーセにあえて四十年間、エジプトの王子としての生活をさせ、その後四十年間、荒野生活をさせ、そしてエジプトと荒野のそれぞれの状況を知るという環境を彼に与えたのです(しかし、事前にモーセには何にも知らされていませんでした)。
そこでの生活を経験していたからこそ、モーセは神様から語られた言葉を聞いて、このミッションがいかに重大なことであるか、いかに困難を極めるかということがすぐに分かったと思います。ですから彼は尻込みして、何度も主の前に拒みました。何も知らなかったら「はい。やってみましょう」と思ったかもしれません。しかし、最終的に兄アロンと共にエジプトに行き、ファラオと対決し、二百万人以上の民をエジプトから連れ出しました。これは最終的に彼の信仰によって、彼がそれを受け取ることができたからこそ成り立っているわけです。
ここに紹介した二人とも、神様のご計画のうちに選ばれ、従ったからこそ祝福された者たちでした。ノアは神の言葉を受け取り、信じ続け、忍耐の末いのちを得ました。モーセは神様の計画のうちに生かされ、あえていばらの道を選んだことによって、大きなことを成し遂げました。
これらの出来事は、皆さんは聖書を通してよくご存じで、神様がかつてされたということを信じておられると思います。でもどうでしょうか。一方で、「でもそれは何千年も前のことでしょ」と思っている方、「今はそんなことはないでしょ」と思っている方がいるかもしれません。
現代に置き換えて神の準備と計画について考えてみましょう。
新城教会の七十五年の歴史を振り返るとき、様々なことがありました。先週、順先生が新城教会とモンゴルには大きな関わりがあり、スウェーデン宣教師のモンゴルへの宣教がなかったら、今の新城教会はなかったかもしれないと語られていました。今まで知らなかったけれど、「そうだったんだ。なるほど」と思われたことでしょう。
新城教会設立には、七十五年前、二十歳の明先生が七歳年上の清子先生を連れて郷里伝道に入ったことから始まります。それ以前に、明先生が津具の田舎から、東京に出ていくこと自体(今では三時間で東京に行けますが)、稀なことで普通のことではなかったと思います。明先生の目的は勉強のためでしたが、神様の目的は違っていたのです。神様は明先生を選び、そのときから、東京に行ってクリスチャンになり、一年後に郷里伝道に入ることを準備されていたのです。お金もなく、親族からも反対され、仕事もなく、明日どうしよう。もちろん信徒も一人もいない中で、この郷里に帰って与えられた新居が椎茸小屋でした。私にはとてもできないことです。
しかし、明先生ご夫妻が、そこで涙ながらに祈ったとき、聖霊が臨んで、「将来お前を、日本中、世界の多くの国々を巡る伝道者として遣わす」と語られたのです。それを聞いて、「冗談でしょ」と聞き流してしまうのが普通だと思いますが、明先生は、遣わされる一つひとつの国の名前を聞きながら、全部紙に書き留めておかれました。そして、書き留めた国々に、実際に伝道に回ることとなり、言われたことが実現したのです。そのことを、私たちは後に証しとして聞くことになるわけです。神様が計画して語られたことを、明先生がもし受け取っていなかったら、新城教会もなかったのです。
話は少し変わりますが、先日の日曜日の午後、『数えてみよ 主の恵み PartⅣ』の集会がありました。いつもは順先生が司会をしてくださり、私の兄が昔話をするのですが、今回は、順先生がいらっしゃらないので、兄が余分なことを喋らなければいいのにと心配されてか、私が司会を仰せつかっていました。私はその集会の前に、「あなたには分かっていることでも、ほかの人には分からないことがたくさんあるから、時系列をよく調べて話をしてほしい」と、弟からしたら兄に対して失礼なことですが、何度もそんな打ち合わせをして集会に臨みましたが、とても恵まれました。私も今まで知らなかったことがたくさんあり、「あー、そうだったのか」といろいろなことがつながり、神様の計画って本当に素晴らしいなぁと思うと同時に、私もその計画の中の一員として入れていただいてきたということを、すごく感謝するときでもありました。次もまたあるかもしれませんので、その際は、皆さん期待してご参加ください。
話を戻します。一九七〇年に日本リバイバルクルセードが発足して、一九八八年、教職ゼミナールで下條先生が甲子園のビジョンを語り、明先生がそれを受け取り、全日本リバイバル甲子園ミッションへと進んでいきました。それを初めて聞いたときには、「絶対無理だ」と思って、私も順先生も大反対したのですが、明先生が信仰によって受け取っておられたので、私たちは「やるしかない」という感じで受けたところがありました。その準備の中、一九九二年の七月に、突然霊的戦いが起きました。
皆さんの中には、霊的戦いが起きたとき、準備がされていなかったため、教会の中に混乱が起きて分裂騒動が勃発したと思っておられる方がいらっしゃるかもしれません。しかし振り返ると、この霊的戦いというのは、今から七十五年前にさかのぼり、新城教会が始まったときから主が計画して、準備されていたと私は思うのです。
今から七十二年前、設楽教会(新城市で伝道が始まった当初の教会の名称。後の新城教会)が誕生しました。四十五年前、この教会堂が建てられたときに、新城教会で初めて『新城教会三十年の歩み』という記念誌が出されました。まだプレイズもないときで、外で印刷されたもの(今見ると、印刷がひどいと思うのですが…(笑))を読み返したときに、明先生の文章の中にあった一文が私の目に留まりました。
「設楽教会時代こそ、罪と妥協せず、偶像礼拝の罪と兄弟姉妹が心を一つにして戦ったときであり、新城教会の土台を築いたときでもあったと言えよう。」
母が洗礼を受けたのが六十九年前(私が生まれた年です)で、その三年前から母は教会に通っていましたので、設楽教会の初期の時代からいたことになります。母はクリスチャンになったとき猛反対を受け、親族会議が開かれました。母の旧姓は川合ですが、親族皆の前で、「川合家を取るか、キリストを取るか、どっちだ」と詰め寄られました。親族は、ここまで言ったらキリスト教をやめると思っていたようですが、母は、「私はどんなことがあっても信仰を捨てることはしません」と言って、親族との縁を放棄したのです。
当時、偶像礼拝が盛んだったこの地域において、クリスチャンになるということ自体が戦いであり、想像を絶するものだったように聞いています。明先生も戦われました。伝道するということが、いかに大きな戦いであるか。サタンとの戦いがあり、偶像礼拝との戦いがありました。村の偶像の祭りに強制的に寄付を集めるような時代だった当時、祭りへの寄付を拒否し、「偶像は罪だ!」と語ったことによって、色々な問題が起きました。偶像と戦うことは、正しく実践的な霊的戦いです。私は、初めに救われたこの教会のクリスチャンの方々が明先生と共に、妥協することなく戦った結果として、一九九二年に霊的戦いという形で現れたのだと思っています。
ある人は、分裂を振り返るときに、「もう少し上手くやっていたら回避できたかもしれない」「色々やり方はあったんじゃないか」「そうしたらこの教会がもっと成長できたかもしれない」と言うかもしれません。しかしあのとき、人間的な考えや表面的な和解をしていたら、一九九三年の甲子園ミッションの成功はなかったことでしょう。そして、今の新城教会の祝福もなかったのではないでしょうか。
私たちには、神様の計画が分からないときがあります。そして、神様の計画を受け取れるか試され、ふるいにかけられるときがあります。そのとき、「どちらを取るか」という選択が、今まであったでしょうし、これからもあるでしょう。そんなとき、ぜひ、神の声をキャッチする者になっていきましょう。
コリント人への手紙 第一 二章九節に、『まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、皆そうである。」』とあります。誰も思いつかなかった、考えもつかなかったけれど、神さまが準備されている主の計画がそこにあるのです。
皆さんの中には病気の人、問題を抱えている人、金銭的に苦境にある人もおられるでしょう。そのような中でも、私たちは主が共におられることを知っています。問題自体を喜べるわけではありません。神様に愚痴を言いたくなるかもしれません。そんなときに、サタンは囁くのです。「神様はお前なんか愛してないぞ」「神様は本当にいるのか」「世の中のほうが楽しいぞ」と。しかし、昔も今も時代を超えた神様自身が立てておられる、あなたの知らない壮大な計画があり、その計画のための準備を、神様は今も着々と進めておられるのです。
最後にまとめたいと思います。エペソ人への手紙一章十一~十二節の御言葉をもう一度お読みします。
『この方にあって、私たちは御国を受け継ぐ者ともなりました。みこころにより、ご計画のままを皆行う方の目的に従って、私たちはあらかじめこのように定められていたのです。それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。』
私たちクリスチャンは、すでに御国を受け継ぐ者とされ、神の子どもとされています。それは、この御言葉にあるように、神のご計画によるものであって、皆さん一人ひとりが救われたのも偶然ではなく、神様のみこころの中にあるということを、ぜひ覚えてください。この地上での生活が続く限り、これからも戦いは続いていくでしょう。しかし、今私たちができる準備というのは、初めにお話ししたように、信仰を確立させ、信仰の土台をしっかりさせ、どんなときも揺るぐことのない信仰の確信を持って、主と共に歩むことです。主が準備しておられる、あなたに持っておられる計画を、主が語られたときに、受け取る準備をすることが重要なのです。
旧約の時代にモーセやノアに、そして現代では明先生に主が語られました。彼らは確かに偉大な人物であったかもしれませんが、特別な人ではありません。これらの人々と同じように、神様はあなたを選び、あなたを神の計画の中で託そうとされていることがある、ということを覚えてください。
この教会も明先生の時代から順先生へ、そして若い世代へとつながれていきます。次世代と言われる若い人々の働きも重要ですが、この地上に生かされている間は、どの年代の人であってもそれぞれに使命があります。お一人おひとりに使命があることを、忘れてはなりません。私たちは常に神様の計画を受け取り、準備する必要があります。そのために、私たちは日々祈り、主の前にへりくだって主に仕えてまいりましょう。