そして、神の国が来るための重要な方法——イエス・キリストが十字架にかかって死んで復活することは預言されていますが、その後に「教会」ができて、その教会がイスラエルだけでなく全世界に広がって、ユダヤ人によらないで、ユダヤ人も含めたすべての異邦人がイスラエルの王でありメシアであるイエスを信じ、全世界に福音が伝えられてから終わりが来て神の国が出来上がる——というこの仕組み、計画は、旧約聖書の中にすっぽりと抜け落ちているのです。これをパウロは「キリストの奥義」と呼びました。
そして、このキリストの奥義に並んで、背後にある根底の神様の心こそが「神の愛」なのです。
この奥義は人間に知らされていないだけでなく、サタンや悪霊も知ることはできません。サタンや悪霊は今日、過去のデータならいくらでも持っています。アダムとイブが造られた時からの過去のデータをずっと持っていますが、どんなに過去のデータを持っていても、未来を作ることは一切できません。そして、神様が語られた預言を変えることもできません。人間に隠されていることは、サタンも知らないわけです。
実は、霊的戦いでとても大事になってくるのは、この「情報戦」なのです。サタンに情報を握られたら終わりです。サタンは今もレーダーをいっぱい放持っていますが、そのレーダーは人間的な意味で未来を予知することはできても、聖書的な意味で予知することはできません。過去の情報しか持っていないからです。
しかし、神様はその未来を創り、歴史を創り出すことができます。神様の心にあるものが「愛」であり、実はこの愛は、サタンや悪霊には全くありません。また、愛が理解できないのです。「喜んで損をする」とか「喜んで犠牲になる」ということが、彼らにはできません。サタンや悪霊は失うことができないのです。ですから人間が喜んで犠牲を払うと、さっぱり訳が分からなくなります。
この「神の愛」を使うと、皆さんが何をしているのか、新城教会の明日のことはサタンには分かりません。サタンのレーダーが使えなくなるのです。人間の戦いもそうですが、アメリカ軍がイラクなどを攻めた時に、制空権を取るために一番最初にしたことは「レーダーの破壊」です。レーダーが壊されれば、ステルス戦闘機でなくても堂々と制空権を取ることができます。サタンのレーダーを破壊する力、これが「キリストの奥義」であり、「神の愛」なのです。
そういうわけで、本日はこの「神の愛」という戦略について、3つのポイントをお話ししたいと思います。
まず第1のポイントは、この神の愛は「この世の人やサタンには知られていない」ということです。
私たちがイエス様を信じて罪が赦されると、初めて創造主に造られ、その創造主が私を愛してくれていることに気がつきます。それを知るようになります。サタンには、この神の愛なんて全く分からないわけです。
イエス様が2000年前に来られた時も、エルサレム入城は英語で「トライアンファル・エントリー(Triumphal Entry=勝利の入城)」と言います。しかし、どうやって入城しましたか? 白い馬に乗って、たくさんの騎馬兵とともに入城しましたか? 戦車部隊で入城しましたか? 違います。皆様ご存知のように、雌ロバの子、子ロバに乗って来られました。早口言葉のような子ロバで、足が地面に着きそうな感じです。わざわざ地面に足をスリスリしながら行かれたかもしれません。
それを見たローマ軍も、相手にしませんでした。子供の遊びのように見えたかもしれません。人々がしゅろの葉を持って迎えたとありますが、それも子供たちの騒ぎのように見えたかもしれません。
弱そうに見えるもの、この世から見たら価値がなく見えるもの。そういうものにサタンや悪霊は目もくれないのです。そんな中でイエス様は入城されました。何の抵抗もしないメシア、キリスト。イスラエルの王と言うならば、戦いに勝利してきたはずの方が何の抵抗もせず、ただ罪がないお方が、罪のある者のために死なれたのです。こんなことは、サタンの発想からは全く外れており、考えも及ばないことです。
「そこまで弱いなら、殺してやればいい」とサタンは人をそそのかしました。そして、人々を誘惑してイエス様を十字架につけ、殺してしまいました。しかしそれによって、すべての人の罪の代価が支払われたのです。これこそが神様のなさったことでした。そして、死んでしまいましたが天地万物の創造主ご自身ですから、死から復活されて、人間の罪を赦すという御業が2000年前にすでに起きているということです。
それらの根底にあるのは「神の愛」です。確かにメシアのことはユダヤ人にも預言されていましたが、まさかこんな形で来るとは思わず、ユダヤ人自らが手をかけて殺してしまいました。当時の人たちも、まさか自分がその当事者になるとは思っていなかったでしょう。ユダヤ人は良くも悪くも神様に用いられ、メシアを迎える国民として、キリストを十字架にかける国民となりました。しかし、そのユダヤ人も最後は悔い改めて王を迎えるという計画は変わっていません。
このように、私たちはクリスチャンになって初めてその神の愛を知ることができました。皆さんもそれを体験しておられるわけです。神の愛こそ、サタンや悪霊にとってはまるでステルス戦闘機のように、レーダーには全く捉えられない力になっているということを、1つ覚えていただきたいと思います。
第2のポイントは、この神の愛というのは「キリストへの信仰によって体験される奥義」だということです。
この愛を実践しようとしても、確かにクリスチャンになっても昔の悪い自分がいっぱい出てきますし、教会にもいろいろな方がおられます。私たちはポートランド(オレゴン州)の教会で新婚生活を送りましたが、救われて嬉しかった反面、教会の中を見渡してみると、自分がかつていた会社よりもややこしい人がいっぱいいました。近づき難い人もいました。私が一番そういう人だったかもしれませんが、教会にはいろいろな人がおられます。愛することが難しいこともありますね。
私自身にはそんな愛はありませんから、神様を信じる信仰によって、神様を信じて仕える、信じて犠牲になるということを重ねていくと、不思議なことが起きます。思いもよらない展開になって、今まで近づけなかった人が親切な自分の味方になるようなことも起きていくのです。人を愛するためにどうにかしようと思うのではなく、神様がしてくださることを信じて神様の愛に応答するようになると、神様が働かれて成してくださるということです。
私はポートランドで救われました。当時は会社員でしたが、いろいろなことがあって仕事を辞め、日本の神学校に入ろうとしました。しかし、日本の教会の教会員籍がなかったため、日本の神学校には入れませんでした。結局、ポートランドの自分の母教会を頼って、地元のアメリカの神学校に行きました。
そして、神学校を卒業して牧師になろうとした時、日本に帰りたいと思いましたが、日本の教会を知りませんでした。アメリカで救われて日本に帰っても、どうやって教会を始めればよいか分かりません。そんな時に、アメリカにある日本語教会から「牧師になりませんか」と誘われて、このように導かれたのです。
1つは、ハワイにあるパールシティ・バプテスト教会からの招聘でした。ここは大きな教会です。もう1つはサンディエゴのパラダイスというところにある、これまた大きな教会でした。そこで「日本人のために牧師を求めています」と言われました。
そしてもう1つが、軍の基地にいる10人ぐらいの60代の夫人たちのバイブルスタディでした。「私たちの教会の牧師になってください」と言われました。私の母教会であるポートランドから、車で北へ2時間半ほど行ったところです。そこで始めたバイブルスタディに、私を救いに導いてくださった牧師先生が月に1回行かれており、その先生について行っていた神学生の私に目をつけてくださり、「牧師になりませんか」と声をかけてくれたのです。
タコマのいろいろな先生に相談しましたが、「いや、それはやめた方がいいでしょう」と言われました。「そのタコマにいる10人の夫人はみんな軍人と結婚した日本人で、英語もあまり話せないし、仕事も持っていません。ご主人が経済的なものを全部握っていて、婦人たちは財布を預かっていないから、バイブルスタディには来るけれども、教会として献金を集めることはできません。しかも年齢的にも60代でリタイアしておられます。そこは教会になれませんよ」と、経験のある先生方からは止められました。
でも、その夫人たちがとても熱心に言ってくださるので、神様にお祈りしました。その時、神様は「イエス様はあえて損をするような、人が喜ばないようなことをされるお方だ」と示してくださいました。祈っているうちに、条件の良い2つの教会よりも、この10人の方々のために行ってあげた方がいいのかなと思うようになり、日に日にその思いが大きくなっていきました。
人々はいろいろと親切に反対してくださいましたが、人が勧めないような道をあえて神様が勧めてくださる時は、大体それが御心です。人が勧めること、人間が喜ぶようなことは、サタンも喜んでいることが多いのです。ですから、イエス様が喜んでくださる道が御心ではないかと思い、神様の愛に応答することにしました。
そうして、その60代の夫人たち10人ほどが集まっているところで教会を続けました。1年目は誰も救われませんでしたが、2年目から人が救われるようになっていきました。それから6、7年経った頃でしょうか。少ない人数で集まり、教会堂を借りていたのですが、ある時急に賃貸料を値上げされてしまったのです。とても払える金額ではありませんでした。
私には信仰がなかったので「どうしようか」と思っていたら、信仰のある信徒たちが私にこう言ったのです。「先生、それだけ(高い家賃を)払うのだったら、もう土地と家を買いましょう。教会を建てましょう!」と。本当に勇気と信仰のある婦人たちでした。彼女たちがお金を持っていたかというと、持っていなかったのですが、それでも信仰があったのです。
当時はまだアメリカも家の値段がそれほど高くありませんでした。日本円にすると約1500万円から1700万円ぐらいのローンなのですが、そのローンを30年間で組むことができたのです。
1500万円の30年ローン。教会員の平均年齢は67、8歳です。30を足したら98歳になってしまいます! 私はもちろんそんなことは銀行には一切言いませんでしたが、唯一私だけが40歳ぐらいで、足しても70歳ぐらいでした。しかし、教会のローンも無事に10年ぐらい前に返し終わりました。そんなことがあったのです。
そのように神様の愛に応答すると、これはもう人間の知恵で考えるどんなことよりも、サタンのレーダーを全部打ち破って物事が進んでいくということです。これが、信仰によって人を愛し、神の愛を実践するということです。
これが分かってくると、本当に何でもできるのだなと思わされます。私のように不信仰な者でも、お金はなくても信仰にあふれた信徒たちが私に勧めてくださり、その信徒たちを信じ、いや、神様を信じて行動を起こした結果、最初は小さな家を買って、約1エーカーぐらいの土地に先ほどの写真のような新しい会堂が出来上がったのです。神様の愛というのは本当にすごい力を持っています。
そのことについて、聖書は何と言っているでしょうか。ローマ人への手紙8章31節から39節を読んでみたいと思います。お願いします。
31 では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。
33 神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。
34 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。