2026年5月10日(日)タコマ、JIBC牧師 竹内正臣師
エペソ人への手紙3章14~21節
14 こういうわけで、私はひざをかがめて、
15 天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
16 どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
17 こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18 すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、
21 教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。
感謝します。お招きをいただき、本当に嬉しいです。先ほど順先生がご紹介してくださいましたが、私はワシントン州のタコマというところから来ています。シアトルから南に車で40分ぐらい行った町です。地図をご覧ください。西海岸のこのタコマの南の町です。そこには空軍(エアフォース)と陸軍(アーミー)の2つの軍の基地がありまして、そこにいる日本人夫人たちが救われ、バイブルスタディを始めました。そこに私たちは教会を開拓しました。ポートランドにある日本語教会が母教会となって、1993年から開拓して現在に至ります。もう33年になります。
その開拓からずっと携わってきたわけですが、写真をご覧ください。これが私の教会です。外観と内観、そして会堂です。このように集まっております。
私と新城教会の出会いは、1993年の甲子園でのリバイバルミッションでした。私もまだ独身でしたが、アメリカから参加させていただきました。そして、あの甲子園球場の白い十字架のステージで、順先生のメッセージを聞きました。私は遠い球場の観客席の方から見ていたのですが、その時、聖霊様に触れられて素晴らしい経験をしました。それ以来、私自身も霊的戦いについて目覚めました。
私は開拓伝道に携わっていましたが、順先生と不思議な出会いがありました。YWAM(ワイワム)の宣教師であるアヤコ・ビラップス先生を通して順先生と知り合いになり、2004年以降、順先生に「霊的戦いセミナー」を私の教会で開催していただくことになりました。そこから、私たちは本当に多くの学びを受けました。
というのも、私の日本語教会は本当に小さな教会です。最初は10人ぐらいの60代の女性たちから始まりました。最初の1年目は誰も救われませんでしたが、2年目以降から2010年ぐらいまでは、平均して毎年10名ぐらいの方がバプテスマ(洗礼)を受けるようになりました。主の働きが起こされていったのです。
しかし、救いはたくさん起きるのですが、一つの問題がありました。アメリカでは子供たちの夏休みが6月中旬ぐらいから始まり、約2ヶ月半ぐらいの間、夫人たちは日本に帰省します。しかしせっかく救われても、たった2ヶ月半日本にいるだけで、アメリカに帰ってくるとすっかり別人になってしまい、全く救われる以前の状態に戻ってしまうのです。教会にも来なくなってしまいます。そういうことがあり、いろいろと説得しても教会へ来なくなるということが続きました。
それをどうしたらいいのだろうかと、私もどうしてか分かりませんでしたが、順先生の教えを通して「家族をとりなしていく」ということが始まり、そこから家族が救われていくようになりました。そのように家族を救い、その地域にいる日本人の伝道だけではなく、日本の家族に福音を伝えなければならないことに目覚めました。私はそれを「根こそぎ伝道」と呼びました。
家族を根こそぎ、サタンの土壌からイエス様の土壌に移し替えるということをしなければなりません。いくら花の先を摘んでも、芽だけを摘んでも、すぐに枯れてしまいます。とにかく根っこごとです。もう先祖代々、3代、4代、5代、6代に至るまで根こそぎ、サタンの手から取り除いてイエス様のもとに植え替えるということをしていきました。その結果、現在の教会員の70%ほどのご家族、お父さんやお母さんが救われています。私の父母も救われて天国に帰りました。妹家族も、姪っ子も、おばさんも救われました。このようにして、家族を支配している霊的な束縛から解放されていくと、その後には信徒たちに大きな霊的な成長が見られるようになります。
この戦略を身につけてから、とにかく「家族」に目を向けるようになりました。その後は、信徒が日本に帰る時——お子様の夏休みだけでなく、たとえばご両親が高齢化して面倒を看るために日本に帰ることもあります——2ヶ月半だけでなく、3ヶ月、4ヶ月と長い間日本に帰ったとしても、以前とは違い、さらに元気になって帰ってくるようになりました。「日本はどうでしたか」と伺うと、「日本はすごい!」と目を輝かせて返事が返ってきます。「何がすごいんだ」と聞くと、「日本人がたくさんいた」と当たり前のことを言うのですが、とにかく日本は素晴らしいと。行く先々の地方で良い教会を見つけて喜んでいるのです。そして、地域の人や家族にも伝道をしています。
信徒が日本に行っている時、ちょうど私も日本を旅行していることがあり、そのご家族に呼ばれて伝道したこともありました。一つのケースを例に挙げますと、比叡山である種の得度(とくど)を受けた、在家のお坊さんがいました。なんとそのご家族が全員救われたのです。家には仏壇や偶像がいっぱいあり、お墓もありましたが、全部を取り除いてイエス様に従うようになりました。そして、そのお父様が救われて信仰告白をしました。
その後しばらくしてお交わりをした際、お父様が「クリスチャンは楽でいい」とおっしゃいました。「何がですか?」と伺うと、「天台密教では、真言とか、いろいろなまじないや、きちんとした作法のような儀式がいっぱいあって、あっちの仏像、こっちの仏像と全部違う。でもクリスチャンは『ハレルヤ、アーメン』、これだけでいい」と言って、本当に喜んでおられました。その方は天に召されましたが、ご家族がみんな変えられたのです。
また、別の問題が起きることもあります。まずご夫人が救われて聖霊に燃やされると、ご主人は「奥さんに何があったのか」と思って教会に行き始めます。私の教会の夫人たちのご主人は、アメリカ人で名ばかりのクリスチャンであったり、もしくはクリスチャンではない方が多いです。熱心なクリスチャンであれば、未信者の日本人と結婚したりはあまりしません。しかし、奥さんが教会に来て燃やされ、何があったのかとご主人も教会に来るようになり、やがてご主人もイエス様を信じて救われていきます。
すると、アメリカの大きな教会には、子供向けのプログラムや夫婦カウンセリングなど、何から何まで様々なプログラムが揃っています。ご主人は英語がよくできますから、イエス様を信じて霊に燃えると、家族でアメリカの大きな教会へ移ってしまうということが起きてきました。その時は、私もよっぽど日本に帰ろうかなと思ったことがありました。
しかし、その時、大きな教会に移った夫人たちに聞くのです。「あなたのお父さん、お母さんは救われていますか?」と。すると「いや、救われていない。うちのお父さんは救われないと思う」と言います。「お父さんが地獄に行ってもよいですか?」と聞くと、「いや、お父さんが地獄に行ってもどうしようもない」と言うのです。確かに人の心は変えられないわけですが、私はその方たちに伝えます。
「アメリカのどの教会に行っても、家族が根こそぎ救われるようにお祈りするような教会はどこにもないですよ。3代、4代にわたって敵の働きを打ち砕く祈りをして、根こそぎイエス様のところに連れて来ることができるのは、日本語教会だけですよ」と。
それからは、定着してくるようになりました。ほかの教会に行っても構いませんが、家族を根こそぎ、3代、4代にわたって植え替えるような教会は日本語教会しかありません。これは私たち日本人の特権なのです。私は英語もあまりできませんし、どうして自分のような者がアメリカで伝道をしているのかと思ったこともありましたが、アメリカで家族ごとの植え替え、家族全員が救われるような日本語教会は、この私たちの教会しかないのです。
アメリカ人のクリスチャンの方に聞いてみてください。「お父さん、お母さんはクリスチャンですか?」と聞くと、「はい、代々クリスチャンです」と言います。しかし、「本当にみんな天国へ行けるの?」と聞くと、黙ってしまいます。「お父さんやお母さんはどうして教会へ行かないの? 伝道しないの?」と聞くと、「まあ、それは一人一人の信仰だから」と言います。しかし、地獄へ行ってはいけません。ですから、私はアメリカの今の教会に遣わされたのだと思っています。アメリカの教会の方々には、根こそぎ植え替えられてクリスチャンになるという信仰はないのです。皆さん、これが大事なことです。
私はそのためにも日本からアメリカに遣わされています。この日本は霊的戦いの激しいところです。そのように霊的戦いが激しく、あちこちに偶像がある中で信仰を持ち続けること、伝道することは大変なことですが、そんな環境にいる国民だからこそ、その霊的な戦いが分かります。家族全体を救いに導くことができるのです。これは日本の教会だから、いや、この新城教会は霊的戦いをする教会だからこそできる特権が与えられているということです。そのためにも、私たちはアメリカに送られていると思っております。
また、日本で戦いを続けておられ、厳しい環境の中で霊的戦いの最前線に皆さんはおられるからこそ、戦いの力を持っておられます。最前線におられると、難しいことやつらたいこともたくさんあると思います。私たちが日本からアメリカへと遣わされている目的は、この日本の最前線にいる方のためにとりなし、祈り、応援し、さらにアメリカから人を遣わしていくためでもあると思っています。霊的戦いを通して、私たち日本人にしかできない宣教の働きを知ることができました。日本は教会の数が少ない、伝道も難しい、偶像崇拝の国だなどといろいろなことが言われていますが、私たちにしかできないことがあるのです。
このリバイバルの発信源に、日本の教会の中で新城教会がなっていくことを切に願っています。
さて、先ほど聖書を読んでいただきましたエペソ人への手紙から、この「神さまの愛」についてお話ししたいと思います。
パウロはこのエペソ人への手紙の中で、「福音の奥義」と「キリストの奥義」という言葉をよく使います。パウロ独特のテクニカルタームというか、パウロ独特の聖書の言葉です。ギリシャ語では、この奥義は「ムステーリオン(mysterion)」と言います。この言葉は、英語の「ミステリー」の語源になっています。その意味は「謎」や「ミステリー」です。
謎とか、隠されていることを意味しています。ミステリー小説は、犯人が謎で隠されています。最初から分かっていたらミステリーになりません。図書館で本を借りたとき、犯人の名前に誰かが丸をつけてあったりしたら、それは良くないですよね。それではミステリーになりません。
この聖書の中にもミステリー、謎があります。その謎は何かというと、旧約聖書には書かれていなかったということです。
聖書には預言があります。預言には必ず神さまがなされることが記録されていますが、詳細に預言されていることがあります。イエス様が2000年前にエルサレム、イスラエルに来られたことや、その後もう一度エルサレムに戻ってこられることは預言されています。しかし、その「真ん中のこと」は事細かには書いてありません。
人間は、事細かに全部書かれていたら信仰がなくなります。「誰々がこうする、ああする、こうなる」と書いてあったら、「これをしたら自分は罪に問われる」「これをしたら神様が喜ばれる」「これをしたら自分は生き延びられる」と計算してしまい、神様を愛していなくても、信じていなくても、全部分かっていたら信仰がなくなってしまいます。ですから、預言には様々なことが書かれていますが、その間のプロセス、どうやってAからBになるかという「方法」は書かれていないのです。