乳と蜜の流れる約束の地に向かって

またサンセット・アロハの話に戻りますが、サンセット・アロハでは素晴らしい祝福が注がれましたが、その一つの鍵となったのは、タバナクル・プレイヤー十三という祈りの備えであったことを覚えさせられます。特設の天幕テントを張って、会場となる駐車場において、サンセット・アロハまで、神さまご自身のみ顔を慕い求めて祈る時がもたれました。出エジプト記三十三章の十一節をテーマとしておりました。

『主は、人が自分の友と語るように、顔と顔を合わせてモーセと語られた。モーセが宿営に帰るとき、彼の従者でヌンの子ヨシュアという若者が天幕から離れないでいた。』

この天幕で、神さまはモーセと顔と顔とを合わせて、友と語るように語ってくださっていました。そのような天幕において、私たちも昼も、夜も、主のみ顔を慕い求めて、主のみ顔を見て、求めて、祈っていったわけです。昼は雲の柱、夜は火の柱によって神さまは導いてくださいましたけども、この夜も火の柱が立っています。

これは子どもたちの祈祷会の時に花火をやったのですが、本当に神さまご自身のご臨在を祈祷会の中に強く感じ、あぁ神さまが共におられると感動して、涙が出そうな、本当に素晴らしい祈りの時でありました。主の顔を慕い求める、この時というものを神さまに与えられて、本当に感謝でありました。
その主のみ顔を見上げて、主のみ顔を求めていくことを、パウロは次のように語っています。コリント人への手紙 第一 十三章十二節、

『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。』

顔と顔を合わせて見る。主のみ顔を慕い求めて見る。み顔を見ることは、主を知ることであるとパウロは同義付けています。主のみ顔を求めていくということは、主を知る、主のみこころを知っていく、受け取っていくために大切な第一歩となっているということです。
また、その主のみ顔というのは、祝福の源だということも民数記六章二十三節から二十七節から見ることができます。

『 「アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」』

主のみ顔を求めて祈るように言われています。この主のみ顔は、主の顔でありますから神さまご自身の本質がその中にはあるわけです。祝福の源であります。私たちはヨシュアとカレブのように、またペテロのように、主ご自身のみ顔を慕い求めていく、主を見ていく、その目をいただいていく時に、神さまご自身を知り、神さまの用意された約束を受けとり、恵みを受けとり、祝福を受け取っていくことができるということを教えられます。

もう一度、民数記の十四章に戻ります。多くのイスラエルの民は失望していました。そのような状況にもかかわらず、ヨシュアとカレブは大胆な信仰の宣言は、イスラエルの民に対して反対の意見でありましたので、イスラエルの民は怒り彼らを殺そうとする、そんなシーンがあります。それが民数記十四章十節になります。

『しかし全会衆は、二人を石で打ち殺そうと言い出した。すると、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエルの子らに現れた。』

主を見上げて、服を引き裂くぐらいに憤り反対の声を押し切って、「主なら勝利を与えてくださる!約束の地を与えてくださるんだ!素晴らしい地だ!」と宣言した後、主を見る目を通してなされた宣言の後、普段は主の臨在は会見の天幕の中にあったわけですが、神さまご自身の臨在、その主の栄光が、会見の天幕から出て、全てのイスラエルの子らに現れたというのです。私たちが主を見上げて慕い求めていく時に、主の約束を見て、主に従って進んで行く時に、主ご自身のご臨在が天幕だけにとどまらず、全ての人にあらわされていく、明らかにされていく、それは神の幕屋の拡大、神のみ国の拡大というものであることを覚えさせられます。

今回のサンセット・アロハにおいて、数えきれない神さまの恵みがありました。その中で特に印象に残っていることは、この近隣地域の求道者の方々がサンセット・アロハに来てくださったことです。また遠方から帰省していた家族の方々も立ち寄ってくれていました。そして、来会された方々皆が本当に喜んでくださっている姿を見たことです。
また今回は滝元堅志君以外、二人のミュージシャンはクリスチャンではない方でありました。アウトドアキッチンなど様々な働きにおいても、クリスチャンでない方々の貴重な助け、奉仕がありました。そのようにクリスチャンでない方々も主のみ元に引き込まれて、主ご自身のみわざが現されたのを見る時に、まさに、民数記十四章十節のみことばどおりであることを覚えました。
当日は嵐も来て恐れるような状況もありましたが、ヨシュアとカレブのように主は素晴らしいことをしてくださると信じて、私たちが主を慕い求めて、主を見て進み続けた時、天幕より神さまご自身の臨在が出て行って、イエスさまを知らない方々を取り込んで主の働きに加えてくださり、地域の人々をサンセット・アロハへ引き寄せてくださった、神さまの臨在が私たちの思いの及ばないところまで広げられ、み国が広げられ、多くの人々が主の栄光を見るみ業が成されたことを信じます。

私たちは、目の前にいろんな問題や課題が出てくると、そのことばかりに目を留めてしまい恐れてしまうような者でありますが、主の約束は変わらず、主は素晴らしい乳と蜜が流れる約束の地を用意されて、その旅の中でも神さまは溢れる恵みを用意されております。その主から私たちは目を離すことがなく、また新しく前進される新しいみわざをなし続けてくださる主に対して、私たちは古い皮袋でなくて、私たちの知恵や、知識や、力や、経験、計画、思いを握ることなく、天幕において、聖霊の宮とされた私たち自身の中において、神さまご自身を見て、神さまご自身のみ声をしっかりと聞いていく、そして従っていく。それが、乳と密が流れる地へ入る鍵となっていくと教えられます。
その第一歩となるのが、本当にシンプルなことでありますが、主を見るということですね。新しい目を持って、主を見ていく。慕い求めていくということに尽きるということを覚えさせられています。
しかし私たち大きな問題があれば本当に弱くなってしまうものであって、私もキャリアンさんからの依頼があればすぐ恐れてしまうような者でありますけども、神さまは励まして、後押ししてくださいますので、主のみ声を聞き続けていきたいと思います。
最後に民数記十四章十一節をお読みします。

『主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。』

ということが書かれてあります。この「信じる」という言葉は、ヘブル語で「アーマン」という言葉が使われているそうです。この意味合いとしては、信頼して「アーメン」という、そんなニュアンスがあるというのです。神さまご自身は「なんで信じようとしないのか。」と、嘆いておられるように思いますが、「わたしの行ったしるしが多くあるじゃないか。わたしのしるしを覚えて見て、そしてただ単純に、それをそのまま信頼してアーメンと言えばいいんだよ。」と、そんなふうに神さまが励ましてくださっているように感じます。

私たちはそれぞれ様々な戦いの中にあります。人間の力では解決できないような大きな課題、病の中にある方もおられます。しかし、主ご自身の約束は変わりません。主ご自身のみこころは変わりません。そして私たちが大胆に、その主を見て、主のみこころを信じて、受け取って、宣言して進んで行く時に、私たちは素晴らしい約束の地へと神さまは入れてくださいます。その旅においても神さまは素晴らしい恵みと勝利を現してくださいます。
また、そのような歩みは、主ご自身のご臨在が私たちの中に留まるだけではなくて、主のご臨在が天幕から出て行き、さらに拡大していく、多くの方々に主ご自身が現れてくださる福音宣教の働き、神の国の拡大へと、素晴らしい神さまご自身のみわざへと繋がっていくということを信じ、主に期待しましょう。この夏の働き、まだ続きますが、私たちは新しい目を持って、さらに新しい恵み、祝福、勝利を受け取っていきたいと、そのように覚えさせられています。
私のメッセージは以上にいたします。最後にお祈りをして、私のメッセージとさせていただきます。

ハレルヤ、父なる神さま、イエスさま、聖霊さま。あなたが私たちに乳と蜜が流れる約束の地を用意されていることを感謝します。また神さまが素晴らしい恵みと祝福を、約束を、用意されていることを心から感謝します。私たち、目の前に様々な問題や課題があり、それに対して恐れを抱いてしまうような者ですが、主よ、あなたご自身を見失うことがありませんように。そしてあなたご自身が私たちの前を進まれて、新しいことをしてくださいます。私たちが新しい皮袋をいただき、新しい目をいただいて、あなたを見失うことがないように、助け導いてください。
そして本当に私たちがあなたご自身だけを見ることができるように、もう一度あなたご自身をしっかりと見直すことができるように、新しい目をどうか与えてください。そして私たちが見たことも経験したこともない、発見したこともない、今までになかった革新的な神さまご自身が用意された素晴らしい、新しいみわざがこれからさらになされていくことを感謝します。そしてそのような私たちの歩みを通して、神さまご自身のご臨在が、この地域に、この国に拡大し、あなたご自身の恵みと祝福が、愛が、良い知らせが、さらに拡大していく、神の国が拡大していく、主ご自身の戦いへと繋がっていくことを今日覚えさせていただき、心から感謝します。主ご自身に勇気を持って、これからも従っていくことを、あなたを見続けていくことを信じ、宣言して、イエスさまのみ名によって、栄光をお返しして、父なる神さまに祈りをおささげいたします。アーメン。