2025年5月25日(日)新城教会牧師 岡本信弘
詩篇121篇 都上りの歌
1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
2 私の助けは、天地を造られた【主】から来る。
3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
5 【主】は、あなたを守る方。【主】は、あなたの右の手をおおう陰。
6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
7 【主】は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
8 【主】は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
ハレルヤ! 主のみ名を心から賛美いたします。
こうして主の恵みの中で、今日もこの場所に立って、共に主を賛美し主を礼拝できることを心から感謝します。先ほどの、ヘブンリーキングダムの「今も主は祈りを聞いてくださる」という素晴らしい賛美を聞くことができ、本当に力づけられました。私も、皆さんのお祈りに支えられていることを感謝します。
だいぶ暑くなってきました。九州は梅雨に入り、東海地方は、多分六月の初め頃からと言われています。ある人は夏に向かうのは嫌だと思う人がいるかもしれませんが、私としては、冬に向かうよりも夏に向かうほうがいいかなと思っています。
二〇二五年度が始まって、二カ月が過ぎようとしています。新しい学校や職場にもだいぶ慣れてきたところではないかなと思います。しかし、GWでお休みした後、五月病と言われる、学校や会社に行かれなくなる人がいます。また、就職したものの、自分には合わないとして、すでに転職を考えて会社を辞める人が、三人に一人いると言われています。今、テレビでは、転職に関するCMが、日に何度も流されているので、今は不満がなくても、隣の芝生がよく見えて、転職したくなってしまう人が多いのかもしれません。昔では考えられないようなことだと思わされます。そのような状態を見ながら、クリスチャンは、惑わされることなく主だけを見上げて、その与えられた場所において主に仕えていくことが、すごく重要だなと思わされています。
二〇二五年、この年に神さまが私の中に与えてくださった一つの目標は、神さまに与えられた「賜物を磨く」ということです。また、新城教会全体としては、「神の働きを加速させる年」というテーマが掲げられています。皆さんも、与えられた賜物を磨いて、主に用いていただきたいと願っておられると思います。皆さんお一人おひとりは、神さまにとって皆重要人物であり、主はお一人おひとりを用いたいと願っておられます。「主よ。来てください」と祈りつつ、神さまの働きを加速させるために、ますます主に仕え、与えられた賜物をしっかりと受け止め、磨いていきたいと思います。そうするなら、主の栄光が表され、主の働きが前進すると信じています。
今朝は、先ほど読んでいただいたみことば詩篇一二一篇より、“主の守りと助けは完全である”と題して、学んでいきたいと思います。
今月は母の日があり、来月は父の日がありますけ。私は、わがまま放題にさせてもらいながら、両親の助けによって、今日まで守られたなと本当に感謝していますが、私の両親も妻の両親もすでに天に召されましたので、地上で親孝行をすることはできません。しかし、親が健在の人は、プレゼントはなくても、お父さん・お母さんに「今までありがとう」と声をかけたり、遠い方には電話をかけたり、LINEでスタンプを送るだけでも喜ぶのではないかなと思いますので、ぜひ、感謝を表していただきたいと思います。
人は、誰かに守られ、誰かに助けられて生きています。当然、一人で生きていくことはできません。皆さんが困ったとき、苦しいとき、誰に助けを求めますか。もちろん状況によって異なるとは思いますが、小さな子どもであったら、「助けて!」と呼ぶ相手は「お父さん」じゃなくて、「お母さん」じゃないかと思います(父親のひがみかもしれませんが(笑)…)。それはともかく、家族や兄弟、また親友や親しい隣人など、あなたを助けてくれる存在が一人でもいるなら、安心して日々を送ることができるのではないでしょうか。
また、教会で皆さんは今、快適な空間で礼拝をしていますが、そのためには多くの人の協力があります。映像や音響の係をしてくださる方、礼拝中に子どもたちを見ていてくださる方、礼拝後の食事を前日に作り、盛り付けの奉仕をしてくださる方など、さまざまな奉仕があって成り立っています。当たり前じゃありません。お互い助け合って、私たちは皆ここに恵みを受けることができるのです。
そのなかで、私たち牧師も神さまに仕える者として、何とか皆さんの助けになりたいと思っています。それほどできていないと感じていますが、いつでも相談に乗りますし、お祈りさせていただくので、必要なときはぜひ声をかけてください。
教会の体制にもいろいろな変化があります。
新城教会は、初代の滝元明先生から順先生が引き継いで、今年創立七十五年を数えます。私もその中で献身させていただいて今日まできましたが、ここまでにもいろいろな変化がありました。最近は、賛美リードや様々なところで若い人たちが活躍しているのを見るたびごとに、歳をとったなぁと思わされますが、若い世代に信仰が継承され、これからどんな新しいことが起こってくるか期待していきたいと思っています。若いときには失敗することが多いと思いますが(歳をとっても失敗はしますが)、皆さん長い目で見ていただいて、どのように若者たちが用いられ成長していくのか、どのように主の働きが加速していくのか、主に期待して祈っていきたいと思います。もちろん、私たちも私たちのなすべきことをしなければなりません。
また、ヘブンズカフェの隣に、ヘブンズファームという畑ができました。皆さんも駐車場から来るときに目にされると思いますが、今一番成長するときで、一週間の変化が著しいので、見るのが楽しみだと思います。私も、作物が実ってくるのを楽しみにしています。ここには野菜づくりのエキスパートが何人かおられるので、その人たちのアドバイスや助けによって、作物を育てることができるわけです。
私は、今から四十五年前に教会献身をさせていただいたのですが、三十五年前から印刷・出版を担当したことをきっかけに、いくつかの事業を展開してきました。以前にもお話ししましたが、私はビジネスを通して、主の働きを前進させるということを常に念頭に置いています。クリスチャンの雇用を生み出すこと、お年寄りや障害者の方々に寄り添い、かかわることによって一人でも多くの方々が神さまの愛、神さまの素晴らしさを知ることができたらと願い、祈りつつ行わせていただいています。
前回、プレイズの新しい事業として、ベテルファームを紹介させていただきました。新城から二十~三十分ほどのところにある畑で、何種類かのハーブを育て、収穫して市場に出荷しています。私はほとんど毎日出掛けて行き、水を撒いたりハウスの修理をしたり、ハーブの袋詰めをしたりしています。シャロームやサーム23利用者の方々やスタッフが、入れ代わり立ち代わり行ってくれて、作業を手伝ってくださっていて、少しずつ軌道に乗りつつあることを心から感謝します。
最近は、ヘブンズファームと同様に、ベテルファームでも、試験的に、何種類かの野菜を作り始めました。
畑の写真
これがベテルファームの野菜畑です。五〇〇坪ぐらいありますが、現在、九種類ほどの野菜を育てています。
プレイズでは、アークやしおん、そのほかの利用者の方、スタッフのために、毎日五十食ぐらい弁当を作っているのですが、私はベテルファームの空いている土地を見ながら、土地がたくさんあるのだから、ここでも野菜がつくれたらいいなぁと思っていました。でも私は、今まで家庭菜園すらやったことがなく、植物を見ても、何の草なのか野菜なのか全くわかりません。ですから、自分で作ることなど到底できないと思って、どうしたらいいのか祈っていたとき、強力な助っ人が現れたのです。それは、夏目敏生さんという方で、プレイズで働いてくださっている夏目洋平さんのお兄さんです。洋平さんがお兄さんにベテルファームの話をしたところ、「いつでもお手伝いできますよ」と言ってくださったのです。
夏目さんは、自宅で畑を作っておられて、経験と知識があるので、何が必要なのか、どうすればいいのか、肥料はどうすればいいのかなど、いろいろ教えてくださるだけでなく、一緒に買い物に行ってくださり、土を耕し、垣根も作ってくださいました。家がベテルファームから近いこともあり、何か相談するとすぐに駆け付けてくださり、助けられていることをありがたいと思っています。そして何より、神さまが、すごいタイミングで助っ人を送ってくださったことに、本当に感謝しています。私は、ベテルファームの働きが数年後、プレイズの事業の大きな柱の一つとなることを信じています。皆さんにもぜひ、お祈りしていただきたいと思います。
私たちは、家族や友人、多くの人の助けと、主の守りがあり、こうして生かされているわけですが、時には、自分の力ではどうすることもできない問題に、また悩みにぶち当たることがあります。皆さんの中には、そのような経験をされて、この教会の門をくぐったという方も少なくないのでないかと思います。私の母もそうでした。
母は、戦後まもなく結婚し、最初の子(康宏)が生まれました。すでに召されていますが、兄は5歳のとき、ダウン症ということがわかり、母はそのことで悩み、何度も死にたいと思ったそうです。そんな中で、クリスチャンの姉妹を通して教会に来て、明先生に出会い、真の神さまを信じることができたのです。それから、私たち家族が皆救われ、恵みの中に生かされているのです。
今日お読みした詩篇一二一篇は、八節と短い箇所ですが、少しずつ見ながら、主の守りと恵み、主の祝福を、学んでいきたいと思います。
詩篇は聖書の中で最も長い書巻で、全部で一五〇篇、二四六一節あります(といっても私が数えたわけではありませんが…)。一二一篇を含む一二〇~一三四篇は、「都上りの歌」とタイトルにあります。
「都上り」の意味は、その地の都、一番中心地に上るということで、日本の場合、東京が中心なので、田舎者の私が東京に行くときには、“おのぼりさん”とか言われます。そのように地方から中央に集まっていくことを「都上り」と言うかと思います。イスラエルでは、三大祭り(過越の祭、五旬節の祭り、仮庵の祭り)のときに、人々が都に位置するエルサレムを目指して集まり、神さまを礼拝する習慣があったようで、このことを表していたようです。
まず一節と二節をお読みします。このみことばは、ざわめきの賛美でも歌われているので、皆さんもよくご存じだと思います。
『私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた【主】から来る。』
この筆者は、エルサレムを遠くに眺めて山を見上げ、何を思ったのでしょう。イスラエルを訪れたことのある方はおわかりだと思いますが、都であるエルサレムは、多くの山に囲まれています。山といっても高い山というわけではなく、丘の上にあるのがエルサレムなのです。この教会を一歩出ると、目の前は山です。私たちがよく祈りに行く雁峰山や本宮山などが連なっています。そんな山を見ると、この都上りの光景を思い浮かべやすいかもしれません。
何の悩みもないという人は少ないと思います。歳をとってくると、健康や老後のことが心配になります。若い人には若い人なりに、進学や就職、友だち関係の悩みもあるかもしれません。問題を数えだしたらきりがありません。人生には、様々な問題があります。
余談ですが、私には孫が四人いて、そのうち、沖縄に三歳と五歳の孫がいます。毎日のようにテレビ電話がかってきます。昨日もかかってきて、「じぃじ、ばぁば、何してる? 私はこれ食べてる」とか、「今日はどこに行ったよ」などと、楽しそうに話してくれます。その様子を見ながら、「平和だなぁ。この子たちには悩みがあるのかなぁ」と思ったりしますが、こんな幼い子にもそれなりに悩みはあるようです。本人たちは、それを悩みとは思っていないと思いますが…(笑)。