主に特別に愛されている人

次に、彼が「特別に愛されている人」と語られたときは、新しい神殿が再建された後です。そのときにクロス王の三年、彼は断食をするんです。そして彼は神殿の再建がもう一度始まるようにと祈る。そのときに彼は、み使いの語る声を聞いた。彼の声を聞きながらダニエルは顔を伏せて地に倒れ、深い眠りに陥ったって書いてあります。「そのとき一つの手が私に触れて膝と手のひらをついていた私を揺さぶった」「膝と手のひらがついてる」っていうのはかがんでいる感じですね。そして、それから彼は私に言った。この彼っていうのはみ使いです。「特別に愛されている人ダニエルよ。私が今から語る言葉をよく理解してそこに立ち上がれ、私は今あなたに使わされたのだ。彼がその言葉を私に語っている間に私は震えながら立ち上がった」と書いています。
ダニエル書一〇章一一~一三節

“一一 それから彼は私に言った。「特別に愛されている人ダニエルよ、私が今から語ることばをよく理解せよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼がこのことばを私に語っている間に、私は震えながら立ち上がった。
一二 彼は私に言った。「恐れるな、ダニエル。あなたが心を定めて、悟りを得ようとし、自分の神の前で自らを戒めようとしたその最初の日から、あなたのことばは聞かれている。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
一三 ペルシアの国の君が二十一日間、私に対峙して立っていたが、そこに最高位の君の一人ミカエルが私を助けに来てくれた。私がペルシアの王たちのところに残されていたからだ。“

ガブリエルが彼に語ったと思われますけども、二一日間、神さまの言葉をダニエルのところに持ってこようとしたのに、ペルシャの君と呼ばれる霊的な存在がその神さまからの言葉をダニエルに届けるのを妨害したと書いてあるんです。ペルシャの君、それは悪霊です、地域に関わる霊的な存在なのかもしれません。これははっきりしないんですがペルシャの国の君と書いてありますから、当時のペルシャの国の一番の霊的な力を持つ悪霊が妨害したと。
このような出来事にあって、彼はみ使いから声をかけられる。でも彼は最初に見たときに、恐れちゃうんです。旧約の時代において聖書を調べていくと意外と多くの人たちはみ使いと出会うときに恐れちゃうんです。

ザカリアもヨハネを身ごもりますよってみ使いから言われたときにもう、口がきけなくなっちゃう。恐れちゃう。そういう存在だと思います私達日本人もそうです。皆さんのところにいきなり出てきたらみんな大体恐れますよね。
それが天使であろうと悪霊であろうとやっぱりびっくりします。これ旧約において同じだったわけです。
ダニエル書一〇章一八~二〇節

“一八 すると、人のように見える方が、再び私に触れて力づけてくれた。
一九 その方は言った。「特別に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」その方が私にそう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ、お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
二〇 すると彼は言った。「私がなぜあなたのところに来たか、知っているか。今、私はペルシアの君と戦うために帰って行く。私が去ると、見よ、ギリシアの君がやって来る。“

そして最後、先ほどのみことばですが、「特別に愛されている人よ」と語られたときには、

「すると彼は言った。私がなぜあなたのところに来たか知っているか、今私はペルシャの君と戦うために出ていく。私が去ると、見よギリシャの君がやってくる。」

霊的世界の中で起きていく大きな戦いがあるんだということを彼に示唆したわけです。
二一日間神さまからの返事が遅れた理由そのものがペルシャの君が立ち向かったこと。ミカエルとペルシャの君との戦い、そして、やがてはギリシャの君との戦いというものがこの聖書の中で示唆されています。

私達が断食し、とりなし祈っていくときに、霊的世界において実は私達が知ろうとも知らまいと、戦いも生じるっていうことを私達はこのところから学ぶことができます。
でもそこで私たちが「ミカエルよ来い」とかあんまり言ってしまうことは私は不健全だと個人的にはそう思います。

我々が祈るときとりなすとき、霊的戦いをしていくときに霊的な世界において、確かに変化があるっていうことを知らなければいけない。皆さんが家事をするときに、皆さんが働いているときに皆さんが友達と関わるときに霊的な世界において、大きな変化があるということを覚える必要があります。バビロニア捕囚からの再建、神殿の再建に関してゼカリヤ書ではこんな記述があります。
ゼカリヤ書三章一・二節

“一 主は、【主】の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。
二 【主】はサタンに言われた。「サタンよ、【主】がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ【主】が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」“

これは神殿の工事が止まってしまった理由に、実は大祭司ヨシュアの衣に汚れがあった。罪があった、汚れがあった。それが故に止まっているんだということを示唆しているんだと思います。一六年間、神殿の工事が止まりました。その中で、イスラエルの民は主の前に出て、聖めをいただいたんです。私達、霊的戦いをしていく必要があるんですが、その霊的戦いの中に何が必要か、力が必要か。いや、最も必要なことは聖めです。イエスさまの十字架です。イエスさまの十字架にあって私達が覆われて、戦いをしていくことが最も大切だと信じます。

時間が来ているので、話しを終わらなければいけないですけど、先週、私の兄がこの方のことを話しました。この方を覚えてる方どのぐらいいますか?はいありがとうございます。

原田法人(のりと)さん。息子さんの航平くんです。

これ一九九二年の写真なんです。一緒に韓国に行ったとき航平くんとうちの寛太が一緒に集会に参加して、寛太はヨイド純福音教会で迷子になって泣きました。でかい教会すぎてびびったって言ってましたけどね。

彼との出会いを順先生は話しましたけどもうちょっと詳しく正確に話しましょう。
私の三男の嫁の基心(こころ)さんが名古屋の日赤病院に勤めてたんです。お産の前で産休に入るっていう一週間か二週間前です。
その担当する病室にある方が間質性肺炎で入院してきました。鼻から強い酸素を入れるための機械を彼女はそこで設置してたっていうんです。設置してたら、いきなり男の人の手が伸びてお腹に手を置いて祈り始めたっていうんですよ。あれ?でも祈ったといっても変な祈りじゃなくて、「イエスさまどうぞこの赤ちゃんを祝福してください。」ちょうど原田さんのところでも赤ちゃんが産まれるところだったんです。ですからその看護師も同じような大きいお腹しているので、つい祈っちゃったって言うんです。
そうして見上げたら瀧元って名札をつけているので「瀧元って、僕の知ってる瀧元は順と望だ」って言ったそうなんです。そこから始まったんです。そして私も彼のところに行きました。
もう三〇年の全ての隔たりは全部取られました。彼は新城教会にもう一回行きたいと言われていました。今度、八月になってその家族がまた教会に新城教会に訪ねてきてくださると言ってます。

でも私にとって彼の存在っていうのは特別な存在なんですよ。霊的戦いの「れ」の字もこの新城教会になかった頃、私の兄が大っ嫌いだったとき、「霊的戦いとか言うな」っていっつも僕に釘さしてた時代です。一九八九年か九〇年ぐらいに彼が救われたときに、僕は彼のためにとりなしに出かけたんです。彼の出身が東郷町で、ある寺に自分の名前が書いてある仏像があるからちょっと相談に乗ってほしいと言われたんです。彼の名前は法人ですね。法です。双子なんです。お兄ちゃんは弘人さんなんです。弘法なんです。

これ、やばいので祈ってほしいっていうので僕そこに、とりなしに行ったんです。当時、そういうことが全くこの教会ではない時代ですね。行きました。そして祈って帰り道、高速を名古屋ICから乗って東郷町のところに来た時、僕のぼろいスカイラインの古い車がまさしくそこでバーン、水蒸気が上がって、ちょうどパーキングエリアの前でそこに滑り込むことができて、車の寿命は終わりました。
そのとき初めて、「霊的戦いって、やべえな」って思ったんです。これはただの戯言じゃない。皆さんもそういうことっていっぱいあるのではないかと思います。

神さまは、私達にそうやって未熟な幼い私達に一つ一つ教えてくださって、また新城教会においてあの一九九二年七月九日にっていうことを言われますけど、あのとき実はその前の年ぐらいから私はこの日本や新城のことを調べていて、全ての神社仏閣やこの辺の郷土史を調べて、そして、いろんな人にちょっかい入れて「そこを祈った方がいいよ」みたいなこと言ってたんですね。うちの兄は「うるせえな」みたいな感じだったんですけどね。

でも預言的な言葉が語られて、霊的戦いが始まった。あの中で私達はいっぱい失敗もしました。ある特定の方々が特に神さまの声を聞き分けたり、また子どもたちも天使を見たりいろんなとりなしがありましたけど、私はその中で何をしてたかっていうと、特別に調査をするように神さまから召しを受けて、あれも油注ぎなんです。
もう本読んでもずっと読める。僕、大体速読なんですけど、こういう厚い市史だとかいろんなものをそれまで知識において神社と仏閣の境もなかった私が概要を理解して、そんな中で神さまは霊的戦いを与えてくださいました。
先週もうちの兄が「そこを登ってたら稲荷がある」とか言ってたでしょ。実は、僕知ってたんですよ、資料にあるから、あるわけ。でも知らないと、「神さまから上がってけ」って言われて見て信じたっていう。見ずして信じる方がいいかななんて思うけど。でもやっぱり神さま私達にそうやって教えるんです。

神さまは全部知ってますから。でも私達、人にも神さまはたくさんの仕事を与えてらっしゃいます。ある方には、その場で座って祈るように、ある方にはたくさん調べるように。私は、子どものチームを編成して祈っていましたが、聞き分ける賜物がある、見分ける賜物がある子どもたちだけだとバランスが悪くなります。
必ずまったく聞きもしない見もしない、でもついていくっていう、ここにいますかね、S君。今日はいないかな。全然何も見たり聞いたり多分、彼はしないと思います。

今では僕と一緒に猟をやってます、鹿イノシシを撃ってます。30数年前、彼はとりなしってなると必ず来たんですよ。そう、一緒に行ってくれるだけで意味があるんです。うちの子どもたちなんか割とそういう感じだと思います。チームっていうのは偏ってはいけない。必ずバランスが必要です。神さまの声を聞き分ける。いや、それだけでなく何も感じないけど、イエスさまの信仰に立ってそこに居続けてくれる忍耐の賜物。

金子道仁先生の奥さんになった真喜さんは三年間ぐらい僕らのとりなしチームにいつも来てくれたんですが、とりなしチームの人たちは彼女を「不動(うごくことのないという意味)のマキちゃん」って言ってたんです。チームのある人が預言してたんです、あなたは「八人子供を産む」と言って、何でか聞くとあなたのその体形は絶対多産だと言って、多分いい加減だなと思ってたら、今、八人子どもが与えられています。

彼女はまったくブレずに、まったく聞こえもしない、まったく揺るぎもしない、もう彼女がいるだけで、そのチームは本当に安定しました。それは賜物だと思いました。そして、「こんなとりなしがあるんだけど来て」って言うと、「はい」て来るんですよ。
でもその当時、金子君と婚約して婚約指輪の大きなものを貰っていて、金子君は外務省からスペインのパンプローナっていうところに遣わされて三年間は結婚できない状況でした。ある時、彼女は、車の中で婚約指輪を幼かった光太に渡しちゃったんです。光太は遊んでいてそれをなくしちゃったんですよ。そのとき彼女「結婚はもういいや」とか言うんです。「絶対駄目だ、諦めてはいけない」と、探したらパーキングエリアに落ちてて、見つかって結婚できたんですね。感謝です。とにかく、私達は神さまによって愛されています。