主に特別に愛されている人

来るときスイスイでしたから、もう「最高」みたいな感じで。やっぱ先生もちょっと油断なさってたんです。最初ここにある湖、モンゴルで一番でかい湖があるからそこ行こうとか言って、何のために行くんじゃと思ったら先生行ったことないらしくて一回行ってみたいっていうことで行ったんです。
行ったら馬に乗ったおじさんが来ました。彼に先生が路傍伝道やりました。一人に向かって。これなんかモンゴルのスタイルなんですかね。なんかすごい物々しい感じで初めて福音を聞くっていうその人に。この地方から出たことがないっていう人です。福音を伝えてました。そしたら彼が今度チョイバルサンで出ることがあったら教会行ってみたいって言ったんです。

そこから今度は本格的に帰り道です。中国が作った舗装道路があってそこを時速一五〇キロで飛ばして、そして電信柱の四五番っていうところから、今度は逆に八〇キロ何もないとこ入ってくるんです。そこも鼻歌まじりで行ったら二つにわかれたんです。それでね、どっちだと僕に聞くんです。I don’t know. I don’t care.

知ってんのお前だろうと思うんですけど、いつもどっちだって言うんです。彼は左通ったんですよ。左細いんじゃない?て思ったんですけど、行ったらゲルがあったんです。「いやこれ家に着ちゃったこれはまずいぞ」と思ったんですけど、先生に引き返そうって言おうと思ったけど、先生もう目が三角になってバンバン走ってしまって止まらない。迷ったときそうでしょ?

なんと三時間こういうところです。ラクダがいてちょっと癒されてますけどラクダなんか全然可愛くないです、こういうところで出てきても。三時間人っ子一人いない、車もいない。迷っちゃったんです。

先生ももう完全に来てましたね。ちょっとピリピリで声かけられない感じです。そうしたら車がいたんで「プププー!」と呼んで、そしたらパンツ一丁の青年が出てきたんです。暑いからしょうがないです。それもへべれけドランカーです。酔っ払いが出てきて、「俺も今道がわかんねんだよ」って言ったらしいです。
大変でした。もう真っ青です。でもまた走っていったら、ちょっとデカめのわだちの道に出て、「ここだ!」とか言って「左いや右だ」とか言いながら右に曲がったんです。行ったら、看板が出てきたんです。「やったハレルヤ!」チョイバルサンまで一八〇キロ。新城から一八〇キロってどこまでだと思いますか?横浜で二〇〇キロですから藤沢のあたりですかね。そこまで、ただ草原の中にあるわだちの道です。でも昔の主要道路だそうです。

何もないんです。そこをずっと約一八〇キロ先を目指して三時間ぐらい行ったらチョイバルサンが見えて、もう大喜びで神さまに感謝しました。本当に大変でした。こうやって時々ラクダにあったりして。

これ私の家内ですけど、モンゴル行く方は日傘は絶対女性は持って行きましょうね。トイレから帰ってきたんです。

トイレはありませんから男は右・女性は左ってやつでトイレに行きます。でも馬や牛、羊に囲まれながらしなきゃいけないんです。

車これバードストライクです。二八羽ぐらいの鳥に当たりました。そして、何とかチョイバルサンについて、そっからまた三時間ぐらいかかって宿泊するところまでジンギスカンが生まれた町という場所のホテルを目指したんですね。

そしたら雨が来たんです。これどういうことかわかりますか。雨が来るとこの途中の五〇キロがぬかるみなんですよ。「神さまどうぞ雨を止めてください。」そしたら、そこへ入る直前に雨がとどまって抜けることができました。

そして最後にすごい綺麗な夕日が出て、最後に虹が出たんですよ。ある意味で私達は天候を通して神さまを体験しました。

あのモンゴルの大地でこうやって祈って何が響くんだろうって、何も実感がなかったんですよ。強いシャーマニズムがあってシャーマンが大きな力で霊をその場所に下ろすっていうことをしてますけども、神さまの前に祈ったときに無力さを感じます。
でも神さまは天候を通して私達に語りかけて下さいました。ムンフ先生もそう言ってましたね。「今日一日は人生のようだった。道に迷って、酔っぱらいに出会い、また、迷いまくって焦りまくって、そして雨が来て、そして最後は虹がでた」
神さまは私達に最善をしてくださるっていうことを、このとりなしを通して、私達は受け取ることができて感謝でした。皆さんの人生においても同じことだと思います。天地万物を造られた神さまが、私達の友となってるんです。

友達に神さまは必ず良いものを見せるんです。日本から来た私達を、神さまは本当に歓迎してくださったっていうことを感じたときでした。

では、これでモンゴルの報告は終わって今日のみことばに入っていきたいと思います。

このみことばが三ヶ月ぐらい前に私が神さまからいただいたみことばです。
ダニエル書 一〇章一九節

“その方は言った。「特別に愛されている人よ、恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」その方が私にそう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ、お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」”

主に特別に愛されている私達に対して、神さまが語っている言葉です。背景に関しては後ほど皆さんと一緒に学びますが、私達は神さまから特別に愛されてるっていうことを受け取ることができます。
これは、旧約時代ダニエルに語られた言葉だったんです。天使がダニエルに語った言葉です。そしてダニエル書の九章一〇章の中では三度「特別に愛されている人」という語りかけをもって、ダニエルに主は語っています。み使いを通して。

皆さんみ使いを見たことありますか。み使いから語られたことありますか。どういう体験ですか。でもね、堕落した天使と会った人があるかもしれません。おばけを見たとか、霊体験をしたとか。悪霊っていうのは堕落した天使ですから、私達日本人って意外と堕落した天使とはお会いしてるんです。トントンと肩叩かれたとか、おじいちゃんが枕元に立ったとか、誰もいない仏壇から声がしたとか。

「私は霊体験はない」と言うけど、皆さんの家族の中では大体あるという人が多い。だから仏壇から離れられないんです。だから何かがあると神社に拝みに行ってお祓いしてもらうとか。
私の近くのアパートで、お母さんの所によく泊まりに来る子連れの方がいて「どうしたの?」って聞くと、自分のアパートあるんだけど、子どもがいつも変な霊を見るんだって言うんです。お祓いしてもらったんだけどまだ駄目なんだと。イエスさまのところに来なさいねって話を今もしてます。そういうことって頻繁に私達の中にあるんです。
日本人っていうのは堕落した天使、悪霊との遭遇を何度も何度も繰り返している民だと言えます。

聖書で、イスラエルの民が選ばれて、そこからイエス・キリストが生まれることを旧約聖書は語るわけですけど、多くの預言者たちまた王たちは天使によって多くのことを語りかけられています。
皆さん天使というとなんか背中に羽がはえた森永乳業みたいなのを思ってますけど、僕違うと思います。あれは払拭した方がいいと思います。

私の友達でアルゼンチンにビクター・ロレンソっていう男がいます。もう三〇年会ってないですが、何度も国際会議で会ったりして結構意気投合しました。一九九五年に彼は日本海ミッションで日本に来てくれて、一〇日ぐらい一緒にとりなし祈りながら日本を回りました。
彼が、ある時、天使を見たって言うんです。本にも書いています。個人的に聞いたんです。「どうだった」って。「すごかったぜ」て言うんです。「まばゆい光だぜ」って言うんですね。彼の言うには。でも全然怖くなかったんだって。それまですごい押しつぶされそうなプレッシャーだったのが、天使の顔を見たときに、「天使が俺を守ってる」そう思ったって言うんですよ。それから「勇気百倍だったぜ」っていうんです。

先週私の兄が十字架を見たっていうメッセージしました。雲の中に十字架見た。あの人は意外とそういう人なんです。悪霊も見てますよね、なんか県民の森の山に上がっていったら天狗が出てきたとか。遭遇する人なんです。僕ねあんまり遭遇しないんです。タイプが違うんだと思うんです。僕は遭遇しなくても信じるんです。タイプ違うので水と油なんですが、でもこのごろ水と油が混ざり合って良いドレッシングのようになってますからね。
感謝してください、美味しく食べれると思います。
とにかく私達日本人っていうのは、堕落した天使を結構見てるんですよ。

しかし、我々は今、福音をいただいています。私達はどういう存在でしょうか?
ヨハネの福音書三章一六節

“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”

神は特別にそのひとり子をお与えになったほどに、私達を、この世界を愛してくださってるっていうことです。ですから旧約で語られた言葉は新約において新しい約束として神は実にそのひとり子をイエスさまを私達にくださったほどにあなたを愛していると言ってるんです。

我々は、聖書を読むときに旧約で語られたことが、必ず新約において成就していることを知る必要があります。旧約的な生き方をすると意外と、何かドキドキしたり、ある人が特別だとか、最近もある政党のある人が何か特別にクローズアップされたりしてます。

旧約的な見方からすると、あるカリスマ的な人物を私達は求めるかもしれないけれども、しかし新約においては、全ての人たちが神さまの愛の対象なんです。特別な牧師だけではない伝道者だけではない、ここに立つ私ではない。ここにいらっしゃる皆に神さまご自身が愛を持って訪れ、それだけではない。神の霊である聖霊を私達にくださってるんです。私達の内側に聖霊が住んでくださって、今日も願うことは、私が語る言葉よりも聖霊の声を聞いて頂きたい。

聖霊が皆さんに最も必要なことを語るはずです。私のメッセージなんか聞かなくてもいいと思います。聖霊ご自身が私達の内側にともに住んでくださって、そして聖霊によって私達は天のお父様に対してアバ父と叫ぶことができる。

そこにはイエスさまご自身の十字架による贖いがあって、私達のために罪の身代わりとなって死んでくださったイエスさまがいるからこそ、私達は神の子とされて、聖霊によってアバ!父と叫ぶことができる。キリスト教の最も大切な三位一体の教理にあって、私達は生きることができるんですよ。
生きてください。聖霊によってはばかることなく神さまに「おとうちゃん!」って叫べるんです。

昔僕は親父のことダディて呼んだ時代があるんですね。四歳まではダディと呼んでました。姉が便所に落ちたときも「ダディ!」って呼んでました。ぼっとん便所に落ちたんですねうちの姉がね。
今日の午後からの岡本正広さんの企画した集会でそんな話をします。四軒長屋の片隅のトイレに落ちた私の姉、「ダディ!」って忘れられないですね。
私達はそういう存在だっていうことを知っていただきたい。
ダニエル書九章二三節

“あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが出されたので、私はそれを伝えに来た。あなたが特別に愛されている者だからだ。そのみことばを聞き分けて、その幻を理解せよ。”

ダニエルは、三度、「神さまに特別に愛されている人」と語られています。最初に語られたのは、七〇年後にエルサレムの神殿再建のために、バビロニア帝国から帰っていくことができるっていうことを語られました。
エレミヤ書二九章の中にある預言を彼が見つけて、七〇年後に「私達はもう一度回復することができる」というみことばを受け取ったんですが、それを受け取った九章の中において、彼は「あなたが特別に愛されているものだから、そのみことばを聞き分けて幻を理解せよ。」と。
ダニエルは、バビロン捕囚の中にいて、それから七〇年後、あのエルサレムに帰っていくという一つのストーリーの中で彼は語られているわけです。

ダニエル書一〇章二・三節

“二 そのころ、私ダニエルは、三週間の喪に服していた。
三 満三週間、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。“