しもべは聞いております

2026年5月31日(日)新城教会牧師 滝川充彦

サムエル記第一 3章1節~10節
1 さて、少年サムエルはエリのもとで【主】に仕えていた。そのころ、【主】のことばはまれにしかなく、幻も示されなかった。2 その日、エリは自分のところで寝ていた。彼の目はかすんできて、見えなくなっていた。3 神のともしびが消される前であり、サムエルは、神の箱が置かれている【主】の神殿で寝ていた。4 【主】はサムエルを呼ばれた。彼は、「はい、ここにおります」と言って、5 エリのところに走って行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。帰って、寝なさい」と言った。それでサムエルは戻って寝た。6 【主】はもう一度、サムエルを呼ばれた。サムエルは起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは「呼んでいない。わが子よ。帰って、寝なさい」と言った。7 サムエルは、まだ【主】を知らなかった。まだ【主】のことばは彼に示されていなかった。8 【主】は三度目にサムエルを呼ばれた。彼は起きて、エリのところに行き、「はい、ここにおります。お呼びになりましたので」と言った。エリは、【主】が少年を呼んでおられるということを悟った。9 それで、エリはサムエルに言った。「行って、寝なさい。主がおまえを呼ばれたら、『【主】よ、お話しください。しもべは聞いております』と言いなさい。」サムエルは行って、自分のところで寝た。10 【主】が来て、そばに立ち、これまでと同じように、「サムエル、サムエル」と呼ばれた。サムエルは「お話しください。しもべは聞いております」と言った。少年サムエルは、祭司エリのもとで神殿奉仕をしていました。「神のともしびが消される前」とあるように、まだ暗い夜明け前のことです。その暗闇の中で、彼は「サムエル、サムエル」と呼ぶ神さまの声を聞きました。

本日のみ言葉を共に学んでまいりましょう。今日はサムエル記第一3章10節を中心に、少年サムエルが神さまの声を聞いた場面からみ言葉を受け取ります。

少年サムエルは、祭司エリのもとで神殿奉仕をしていました。「神のともしびが消される前」とあるように、まだ暗い夜明け前のことです。その暗闇の中で、彼は「サムエル、サムエル」と呼ぶ神さまの声を聞きました。

当初、サムエルは祭司エリが自分を呼んだのだと思い、彼のもとへ走っていきましたが、それは神さまの声でした。10節で再び呼びかけられたとき、サムエルは神さまに目を向け、耳を傾けて「お話しください。しもべは聞いております」と答えました。その時、神さまはサムエルに具体的な言葉を語りかけられたのです。それまでサムエルは、神さまと個人的に出会う経験も、その声を直接聞く経験もありませんでした。そのような中で「しもべは聞いております」という言葉は、神さまへのへりくだりと絶対的な従順の告白でした。「しもべ(束縛、奴隷、召し使い)」という言葉を用いて、自分は神さまに従う者である、従順になりますと宣言したときに、彼は神さまのみ声を受け取ることができたのです。

私たちも今、イエス・キリストの十字架の贖い(あがない)によって救われています。「贖い」とは、代価を払って買い取ること、また、ある束縛された状態から解放することを意味します。新約時代に生きる私たちは、イエス・キリストの命という尊い代価によって神さまによって買い取られ、罪赦され、そしてサタンの暗闇の束縛から解放され、自由の身とされました。聖書には私たちが「神のしもべ(奴隷)」となったとも記されています。使徒パウロも、自身を「神のしもべ」と紹介しています。

しかし、この神との関係は決して窮屈なものではありません。私たちは、父なる神と子なるイエスのような「親密な親子関係」へと招かれており、神を「アバ、父よ」と呼ぶことができる特権を持っています。ここには「良い束縛(愛の関係)」があります。ローマ人への手紙6章6節から8節には次のようにあります。

ローマ人への手紙 6章6節~8節
6 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
7 死んだ者は、罪から解放されているのです。
8 私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。

私たちは罪の奴隷から解放され、イエスと共に、神さまと共に生きる自由と親しい関係を与えられているのです。また、コリント人への手紙第一7章22節、23節にもこう記されています。

コリント人への手紙第一 7章22節~23節
22 主にあって召された奴隷は、主に属する自由人であり、同じように自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。
23 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。人間の奴隷となってはいけません。

私たちは代価を払って買い取られた神のしもべであり、同時に神の愛の中にある親子のような関係があるのです。この恵みを心から感謝いたします。

ここで話を少し変え、この5月に行われた「24時間連鎖祈祷会」の証しをお分かちいたします。礼拝でも祝福の報告がなされていますが、その中で「子どもの祈祷会」の時間を私が担当させていただきました。

この祈祷会が始まる前、子供たちの間には大きな期待感がありました。ある子はスマートフォンで祈祷会のためのLINEグループを作成して準備を進め、ある子どもは「24時間教会に泊まってオール(徹夜)していいか」と言い出すほどでした。祈祷会の本来の意味をどれほど理解していたかは別として、子どもたちの内に「期待」があることを感じました。

そこで私は、子供たちのために祈りのプログラムを立てました。4日の20時から「祈りの油注ぎを求める祈り」、5日の午前0時から「真夜中の祈り」、朝8時から「朝の祈り」、そして夕方16時から「夕方の祈り」です。子供たちが1時間祈り続けることは大きな挑戦でした。
20時からの最初の祈りには、小学生から中高生まで多くの子どもたちが集まりました。私は彼らに、少年サムエルの聖書箇所を分かち合いました。「イエスさまを信じるみんなの身体は神の神殿であり、みんなは直接神さまの声を聞き、神さまに直接仕えることができる存在だよ。今夜、神さまがみんなに祈ってほしい課題を語ってくださるから、それを受け取って祈ろう」と伝え、祈りへと入りました。

普段はなかなか祈りに集中できない子どもたちですが、その夜は違いました。聖霊の臨在があり、「神さまから示された祈りの課題はありますか」と尋ねると、次々と手が挙がり、祈りの課題を出してくれました。

「怖い夢を見ないように」という子供らしい祈りはもちろん、新学期や進路のため、また地震災害からの守りのための祈りが捧げられました。さらに、世界情勢(ホルムズ海峡のため)への祈りもありました。これは滝元順先生のメッセージをしっかりと聞いていた証拠です。また「地域の不審者からの守りのため」、「偶像礼拝を行っている人々が救われるように」「夢でイエスさまと出会えるように」といった祈りもありました。「将来の夢のために」という祈りもありました。ある小学校低学年の子は「プロのバスケットボール選手になって、イエスさまのことを伝えたい」と答えてくれました。「学校がつまらないからなくなってほしい」という素直な声に対しても、「それは神さまが新しいことを教えようとするのを悪魔が邪魔しているから、楽しくなるように祈ろう」と皆で祈りました。子どもたちが自ら声を上げて熱心に祈る姿に、聖霊の確かな働きを確信せずにはいられませんでした。

そして、グループでの1時間の祈りの中、神さまと1対1になる「個人祈祷」の時間を順番に持つ機会を設けました。一人2分間ずつ、薄暗くしたゲストルームへと入ってもらい、もし神さまからの語りかけや祈りの課題を受け取ったなら、部屋に用意されたノートに書き留めるようお願いしました。サムエルが仕えた薄暗い神殿の環境を再現したため、子どもたちは少し怖がるような様子もありましたが、それ以上に神さまへの期待でワクワクしている感じでした。

午前0時の祈りでは、幼い子たちは就寝したため人数は減りましたが、1人5分間の「個人祈祷」の時間を持ちました。聖霊さまからの語りかけがあり、ノートには子どもたちの手によって3枚にわたる祈りの課題が書き残されていました。

ある子に内容を尋ねると、「たぶんみ言葉だと思うのだけど」と「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい」と語られた話してくれました。まさに神さまがみ言葉を通して直接語りかけてくださいました。他にも、「天には2つのコップがある。そのコップを祈りと賛美で満たしなさい」「悪魔はまだこの世の中にいる。それで人が苦しみや痛みを感じる。それを打ち破るのが子供の使命だ」また、「イザヤ書12章2節、4節 ”神は偉大”」とも聖書箇所だけが書き残されていました。実際の聖書箇所を確認すると、次のようなみ言葉です。

イザヤ書 12章2節、4節
2 見よ、神は私の救い。私は信頼して恐れない。ヤハ、【主】は私の力、私のほめ歌。私のために救いとなられた。
4 その日、あなたがたは言う。「【主】に感謝せよ。その御名を呼び求めよ。そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。御名があがめられていることを語り告げよ。」

これらは到底、子供たちの個人的な思いつきから出るような内容ではありません。「全世界に出て行って福音を宣べ伝えるように」という大宣教命令に関わる内容や、「子どもの使命は聖書を読み、それを伝えることだ」とも語られていました。神さまが子どもたちを用いて暗闇の力を打ち破り、福音を宣べ伝えさせようとされている神さまの思いを強く感じました。

これは子どもたちだけでなく、新城教会の一人ひとりに対して神さまが語られたメッセージに他なりません。24時間連鎖祈祷会に直接参加された方も、ご自宅で祈りをささげられた方にも、同じように聖霊が望まれ、語ってくださったひと時であったことを信じまし。

マタイの福音書 16章19節
わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
神さまは私たちに「天のみ国の鍵」を委ねられました。私たちの祈りは、しばしば人間の願いを神さまへ届けるという「私たちから神さまへの方向性」になりがちですが、今回の祈祷会を通じて強く覚えさせられたのは、「天にある神さまの願い、思いを私たち人がキャッチして地上で祈る」という「神さまから私たち人への方向性」でした。私たちが地上でつなぐものは天でもつながれ、地上で解くものは天でも解かれます。この素晴らしい特権を用いて、私たちは自分の思いや願いと共に、神さまの天のみ心をこの地上へと結びつけ、またといていく役割を私たちに担って欲しいという思いを受け取る祈祷会でした。

しかし現代は、様々な情報が溢れ、神さまのみ声を聞くことが非常に困難な時代であると感じさせれます。スマートフォン一つで世界中のあらゆる情報が手に入る反面、その情報は良い情報、悪い情報もあります。

先日、長野県の「国立天文台 野辺山宇宙電波観測所」を訪れました。そこには直径45メートルもの巨大な電波望遠鏡があり、宇宙から届く微弱な電磁波をキャッチして星の観測を行っています。

 

 

電磁波は、秒速約30万キロで進む光などの波のことで、波長によって、いろいろな種類に分けられ、性質が異なります。この電波望遠鏡では、人間の目(可視光線)では捉えられない宇宙のガスなどを観測できるということです。しかし近年は、人工衛星、電子レンジ、車載レーダー、スマートフォン、ドローンなどの電波が飛び交い、観測に深刻な電波妨害をもたらしているそうです。

かつてオーストラリアのパークス天文台で、宇宙からの謎の電波が検出され、ペリュトンと名付けられ、17年間にわたり研究者の議論の的となりました。しかし、近年の調査で判明したその電波の正体は、世紀の大発見ではなく、「電子レンジ」から漏れた電磁波だったという逸話があります。