『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。』
私は愛されていると思っていましたが、あのご夫妻のためにもわたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。と語っている。お前だけのみ言葉じゃない。 すべての人たちに神が語った言葉である。しかし、私は自分の事だけを考え、においが・・・とつぶやいている。私も家内の介護を少しだけですがしてきましたが、お父さんがどれだけ苦労しているだろうか?またお母さんの気持ちを考えるとどんなに辛いだろうか。それに比べ私は、何も考えずに、不平を言っている。なんと自分勝手な思いであると教えられました。ヨハネの15章の13節に、
『人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。』
とありますが、イエスさまが私たちのために十字架にかかってくださった。私たちは、当然滅びに行くものであったけれども、私たちイエスキリストがいのちを捨てて下さったゆえに救われている。愛を考え直せ!と教えられました。
私は牧師の家庭で生まれました。毎回子どもの集会がある時に歌う曲がありました。それは「日曜学校の約束」という子ども賛美でした。どんな曲かというと鉄道唱歌の曲で「日曜学校の約束」という賛美です。歌詞は
「日曜学校の約束」
日曜学校の約束は 朝夕神に祈りをし
父と母とに従って タバコも吸わず
酒飲まず ダンス 映画に 遠ざかり
人を愛して ケンカせず 盗み かけ事
戒めて いつもまことを口にする
これを守って 世の中の 子どもと違う
わざをなし 良いことするは イエスさまの
よろこびなさる みわざです。アーメン
という歌詞でした。
昔は牧師である父が、メッセージで良く罪について厳しく語りました。朝夕神に祈りをし、父と母とに従って、タバコも吸わず酒飲まず。ダンス映画から遠ざかり、人を愛してケンカせず、盗み、かけ事はやってはいけない。いつも主の喜ぶことばを発言しなさい。とよく語られました。今の子どもたちは、なんでダンスがいけないの?映画もダメなのと思うと思いますが、昔は超厳しく育てられました。しかしある時です。牧師から豊橋市にある映画館で素晴らしい映画があるから行きなさい。と言われました。北海道旭川市に住んでおられる、クリスチャンの作家、三浦綾子さんという方が「塩狩峠」という本を出されました。

それは明治時代に起きた出来事を小説化にして、それが映画化されました。その方の写真があるかと思いますけど、彼女は既になくなられましたが、東京リバイバルミッションの時には、リバイバルミッションの為に、トラクトを書いて下さいました。
今まで映画に遠ざかりと賛美し続け、メッセージも聞いてきたのに、ビックリしました。映画館へ行っていいの???と思いました。まだ覚えていますが、ドキドキしながら、映画を見に行きました。入場料を払って、映画館に入ると、罪意識があり、映画館の一番後ろの端っこの席に座った記憶があります。しかしとても感動しました。今からダイジェストをご覧ください。
今もDVDがあると思いますので、ぜひご覧ください。また単行本もありますのでお読みください。
この物語は、鉄道職員である永野信夫が、塩狩峠で汽車の連結が外れ、暴走する客車を自らの犠牲で止め、多くの乗客を救うまでの生涯と信仰の成長を描いた物語です。今現在の場所が写真にあります。 高低差200メートルぐらいの峠ですが、止まらない車両。先には大きなカーブがあり、このままでは脱線してしまい、大惨事が起きる。手動のブレーキがあったので、一生懸命回したけれども、止まらない。それで永野信夫さんは、その日結納の日であったにも関わらず、なんと、自分の身を投げて、その列車を止めました。そのことのゆえに、他のすべての人が助かったというストーリーです。今も現場には記念碑が立ってるそうですが、一人の人がその身を投げて、全員が助かった。 イエスさまの十字架とダブってとても感動しました。自分も人のために働きたいと、子どもながらに思ったことを思い出します。自分の幸せより、人のために働く、自己犠牲の愛に感動しました。今回塩狩峠を思い出して、先ほど語ったレストランでのおばあさんを助けながら、全く愛のない自分が、なさけなく感じました。においがついただけで不偏不満。なんという自分の愛の足りなさを覚える時に、イエス様の愛を与えてくださいと、今回祈ることができました。その祈りをした時に、イザヤ書43章4節
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。』
というみことばを思い出しました。神の目には、あなた(私)は高価で尊い。神はあなた(私)を愛している。と言われています。マタイの26章69節から74節のみ言葉ペテロの事を思い出しました。
『ペテロは外の中庭に座っていた。すると召使いの女が一人近づいて来て言った。「あなたもガリラヤ人イエスと一緒にいましたね。」ペテロは皆の前で否定し、「何を言っているのか、私には分からない」と言った。そして入り口まで出て行くと、別の召使いの女が彼を見て、そこにいる人たちに言った。「この人はナザレ人イエスと一緒にいました。」ペテロは誓って、「そんな人は知らない」と再び否定した。しばらくすると、立っていた人たちがペテロに近寄って来て言った。「確かに、あなたもあの人たちの仲間だ。ことばのなまりで分かる。」すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。』
ペテロは一番弟子のような存在でした。そんなペテロが、イエスさまが十字架にかかられる時、周囲の人からお前はイエスの弟子だと言われた時に、ペテロは「そんな人は知らない」と言ったとあります。それも呪いをかけて誓い始めたとあります。「呪いをかけて誓い始めた。」知らないだけでなく、呪ったとあります。その時鶏が鳴いたとあります。 その時ペテロは『彼は出て行って、激しく泣いた。』とあります。
ルカの福音書22章31節から32節を読んでみたいと思います。
『シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」』
これはイエスさまがペテロに向かって語った言葉です。 呪って、ペテロは激しく泣いたという後悔しているペテロに対して、「あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と信仰がなくならないようにイエス様がペテロの祈ったと書いてあります。 裏切り、それも呪ったペテロのためにイエス様が信仰がなくならないように祈ったとあります。そして立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさいとあります。そして使徒の働きでは、ペテロはとても用いられました。彼を通してユダヤ人や異邦人にも伝えました。その背後にペテロに対してイエス様の祈りがありました。今日は、「あなたは神にとっての貴重な存在」というタイトルをつけさせてもらいましたが、今日も病や問題、そして様々な出来事で苦しんでおられる方々に向かって、「わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とあなたにも祈って下さっています。そしてあなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。と主は願って下さっています。あなたの名前を呼んで、あなたの今の苦しいこと、悲しいこと、さまざまな出来事のために、あなたのために十字架かかって、命を捨ててくださっただけではなく、今日もイエスさまは、愛があふれる方です。またローマ八章三四節
『だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。』
私たちのために、祈るだけでなく、神は私たちのためら取りなしてってくださるとあります。 とりなしっていうのは、どういう意味かと思いますか。 それは「間に入る」という意味があります。取りなしっていうのは、病気の人に対して、回復するように祈ってあげたり、苦しんでる人がいたら守られるように、また、社会やまた家庭でも、いろんな問題があったら、解決するように、自分ではなくて、他の人のために祈ることです。 また、私たちは霊的戦いを知っています。 私たちはいつも悪魔との戦いの中にあります。何事にも霊的な影響があります。そのため祈りの中で悪い影響から守られるように祈り。心や信仰が弱らないように祈る。そして神の助けや導きを求める祈りをささげます。どんな霊的に大変な時でも、私のために取りなしていてくださるのです。 私たちのためにとりなしていてくださる間に入ってくださる私と、その霊的暗闇の力に対して、イエスさまは、本当に私のために間に入ってくださって、戦ってくださる神さまです。
『だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。』
常にキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのために、とりなしていてくださるのです。悪い影響から守られるように、また、心や信仰が弱らないように、神の助けを導きを求めるように、さまざまな角度で、今日、私たちは神に取りなされている。 皆さん、これだけでも、私たちは大きな大きな主の愛を感じることができます。 今日、目には見えませんけど、今、あなたの為に祈り、とりなして下さっています。 常にイエスさまはあなたを愛して下さっている。 この愛なる神に、私たちは目を向けて、もう一度信頼しましょう。
私たちのため、命を捨てて下さり、祈り、とりなしてくださる。愛溢れる主が、イエスキリストです。あなたを責任持って、しっかりと握ってくださり、あなたのために取りなしてくださっている。 あなたは貴重な存在です。
イザヤ書四三章四節を皆さんで声を出して宣言しましょう!このみことばを剣として持ち続けましょう。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。』
あなたの名前を入れたら、もっと親しみが湧くと思います。私だったら
『わたしの目には、あなた(上條実)は高価で尊い。わたしはあなた(上條実)を愛している。だから、わたしは人をあなた(上條実)の代わりにし、国民をあなた(上條実)のいのちの代わりにする。』
いつも圧倒的な勝利者である主が、あなたのために祈ってくださり、とりなしてくださる。 そのことを、ぜひ信じましょう。 最後に、もう一度み言葉の剣として、宣言しましょう。イザヤ書四三章四節。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。』
お祈りします。 愛する天のお父様、ありがとうございます。 今日、イエスさまは私を覚えていて下さることを感謝します。
私の事を祈り、とりなしていてくださっている事を感謝します。今日一人一人にみことばの剣をしっかり手に持たせてください。
『わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。 だから私は人をあなたの代わりにし、国民をあなたの命の代わりにするのだ。』主よありがとうございます。 今、イエスさま私を愛し、命をかけてくださったことを心から感謝します。 私たちがとりなし手として、人との間に入ってとりなすことができますように。悪魔悪霊に対して戦って行く事ができますように。また私エス様にあって愛の行動を取ることができますように、祝福してください。 今日ここにいらっしゃる方、一人一人の上に豊かな祝福がありますように。尊いイエスさまのみ名によってお祈りいたします。アーメン。