ニューイヤー・ワーシップ2022

2022年1月1(土)新城教会主任牧師 滝元順

 

ハレルヤ!
新年あけましておめでとうございます。子どもたちの賛美を聴いて、心がたいへん温かくなりました。主の臨在を感じました。
詩篇八篇一節から二節を読みますと、

『私たちの主、主よ。あなたの御名は全地にわたり、なんと力強いことでしょう。あなたのご威光は天でたたえられています。あなたは幼子と乳飲み子たちの口によって、力を打ち建てられました。それは、あなたに敵対する者のため、敵と復讐する者とをしずめるためでした。』

私は今年「主の復讐の年」というテーマを導かれています。人類の敵に対する復讐は、一般的に見たら弱く見える子どもたちの口によって成し遂げられるとここで告げています。二〇二二年の最初の日に、子どもたちの歌声が会堂に響いたのは、大きな意味があります。

私にとって二〇二一年は、なかなか厳しい年でしたが、皆様の祈りによって支えられ、今日、ここに立つことができ、心からの感謝をいたします。
新型コロナの影響で、教会には厳しい状況がありました。しかし、主は様々な新しいことをなしてくださいました。
昨晩、私以外の七人の牧師、副牧師たちが、2022年に向けてのメッセージを語りました。そんな中、昨年の恵みも証されていました。そこには、コロナ騒動がなかったら、この事ってなかっただろう、という事柄が多く含まれていました。
また去年は「回復と再建の年」であると信じ、祈ってまいりました。主は祈りに答えて、まさに、回復と再建の年でした。

二〇一九年の終わりから昨年まで、ある意味、私の人生では最悪というか、最も大きな試練を通過してきました。大きな不安と、先の見えない中にあったことは確かです。
そんな時期に、会堂の隣にあったプレイズ出版が、新しい社屋へと引っ越していきました。以来、二年近く、旧プレイズ社屋は、廃墟のようになり、手つかずの状態でした。何か自分の状態と重なるようでした。
残された建物を今後、どのように使うのか、アイデアはあっても、なかなか話がまとまりませんでした。しかし、そんな余裕は全くありませんでした。
去年の始めの頃でしょうか。市役所の税務課が突然やってきて、「教会さん。元プレイズが使っていた社屋ですが、今は何に使っていますか?」と言うのです。やはり彼らは目ざといです。そして「課税対象となります。」と言うわけです。
建物の内部にはゴミがいっぱいあって、廃墟のようでした。彼らは「これは宗教施設ではない。」と言うわけです。それを聞いて、困ったなと思いました。
私は昔、市役所で働いておりましたから、彼らと話すのは少し慣れていて、彼らに、少し期間をおいてから再度、見に来てくれるように頼みました。
その間に、みんなで廃墟を片付けて、集会所風に変えて、それから税務課を呼びました。「見て下さい。この場所で主を賛美し、礼拝しますよ!」と説明しました。すると市役所の人たちは、「これは宗教施設ですね。」と言って、課税されませんでした。
しかし、繕っただけでは嘘になってしまいます。それで、リフォームする資金もありませんでしたが、銀行に相談し、皆さんにも祈っていただいて、昨年はあっという間に、再建されてしまいました。
かつてプレイズ出版を通して、その建物は文書伝道の為に使われていましたが、今回は、直接伝道の為に再建されたのです。

しかしまさか「ヘブンズ・アイスクリーム&コーヒー」が、この建物内に移動するとは、思ってもみませんでした。けれども、ひょんなことから、移動プランが持ち上がりました。それは信弘先生が、「現在の工事中に配管とかを先にやっておかないと、将来、ヘブンズ・アイスクリームをこちらに移動させたくなったとき、たいへんだよ。」とアドバイスしてくれました。そしてその為に、引退大工のおじいちゃんを紹介してくれました。その方が一生懸命、改造を手伝ってくれました。
そのうちに、あれよ、あれよ、と言う内に素晴らしいお店ができ上がってしまいました。
そして、クリスマスには「クリスマスパーティープラン」と称して、オーダーメイドのクリスマス集会が十七回も開かれて、百数十名の方々に福音を届けることができました。どう考えても、これは人間業ではありません。
私はただ中にいましたから、よく分かります。それはただ、主の回復と再建のみ業でした。お隣のプレイズ旧社屋を見るだけでも、「主が共に働いてくださった!」とわかります。私たちは、それを目の当たりにしたわけです。

昨晩は、七名の牧師、副牧師たちが、2022年に対するメッセージを語りました。大変恵まれました。私は毎年、それを楽しみにしています。なぜならば、その中に翌年に対する、主からの預言的メッセージが含まれているからです。誰が何番目にメッセージを語るのかも、公開くじ引きで決めます。「くじは膝に投げられるが、その決定は主から来る」と箴言にあります。昨晩の順番を見ても、不思議な主の導きがありました。去年とは違った順番でメッセージが語られました。

昨日、一番くじを引いたのは、鈴木陽介副牧師でした。
彼はエレミヤ書五十章二十九節を引用し、語りました。彼の妻は私の娘ですが、昨年の二月頃、主からのはっきりとした声を聞いたそうです。どのような声を聞いたのかと言うと、「ふじんをしけ」という声であったそうです。
しかし彼女にはその言葉の意味が分からなかったそうです。皆さんは分かりますか。直接、声で語られたと言うのです。
一九九二年、霊的戦いが始まった頃、子どもたちに聖霊が注がれました。それで霊的戦いがドンッと前進しました。その時、私の娘は小学生でしたが、彼女にも聖霊が注がれて、主からの声を聞くようになり、敵の策略を見抜いたりするようになりました。しかし初め私はあまり信用していませんでした。
しかしある日、出雲大社にとりなしに行くよう、主から示されました。出雲は神々の里とも言われ、日本を支配する悪霊の巣窟のような場所だからです。今、PAをやっている伊藤義也さんと、私の娘を連れて出雲にまで行きました。
出雲大社のような大きな場所は、表面的には強そうに見えますが、本当の悪しき場所は、そこではなく、裏出雲と呼ばれる、全国から霊能者たちが集まる場所です。しかしその場所がよく分かりませんでした。
出雲空港に着いて、まずは祈りました。「主よ。場所がよく分かりません。教えてください。」と。当時はネットもありませんでしたので、神社名は分かっても、所在地が分かりませんでした。
すると主は娘に語りはじめ、レンタカーを借りたのですが、「右折、左折、右、左・・」と、交差点ごとに主がナビのように語りました。そうして三十分、四十分くらい走りましたでしょうか。なんと目的の神社の目の前に出たのです。本当にびっくりしました。主が語っておられることを確信しました。
そこて彼女がこう言うのです。「漢字が見える。」
何が見えるのかと聞いたら、「血という文字と、さんずいに朝という文字が見える…。」と言うのです。彼女は当時小学生で、さんずいに朝という漢字を読むことはできませんでした。それは「潮」ですね。その漢字をつなげれば「血潮」です。それは「イエスさまの血潮の勝利を宣言しろ」という意味でした。彼女の無知が私たちを励ます結果となりました。
今回も、どうも同じだったようです。
「ふじんをしけ」の意味が分からずに、主人に聞いたそうです。それは、「布陣を敷け」という意味でした。それぞれが、主の兵士として布陣を敷き、戦いに向かうようにと主は語られたのです。

二番目は、滝元開先生でした。それは創世記四十九章二十二節でした。

『ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。』

今年は垣を越える主のみわざが起こると、語りました。
去年は「カナンの地に入る」と主からの語りかけを受けたそうですが、今年はさらに働きが広がり、「垣を越える」というのです。主の働きが、今まで届かなかった領域にまで拡大すると言うのです。皆さん、信じますか。

三番目に瀧川充彦副牧師が語りました。彼のテーマは「神は避け所」というものでした。詩篇四十六篇全体から語りました。

『神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。』

イエスさまは「私たちの避け所」です。
二年前、家内の病が発覚した当初、はっきり言って逃げ場がない状況でした。「あと三ヶ月、四ヶ月の命」とはっきりと宣告されました。しかしそんなただ中にあっても、逃げ場がありました。
今年も様々なことがあるかもしれません。しかし主を信じる者たちには、常に逃げ場があるのです。避け所があるのです。
私は診察室のただ中で決断しました。「天は開いているじゃないか。天に避け所がある。主に助けを求めよう!」と決断しました。

しかし「避け所」は、ただの逃げ場ではないというのです。原語では、かくまってもらえる場所という意味だけではないと言うのです。そこには「砦」という意味があるそうです。
新城には砦が多くあります。長篠に行きますと、長篠城跡の砦があります。砦は逃げ場ではなく、要塞です。敵が攻めて来たら、砦から弓を射たり、鉄砲で敵を退散させたりする拠点なのです。砦は逃げ場であると共に、敵を攻撃をする拠点だと言うのです。
「神さま助けてください!」と砦に逃げ込むだけでなく、そこを敵に対する攻撃の拠点としなければならない!と語られました。たいへん恵まれました。
私は昨年、実際にそれを体験しました。毎晩のように、会堂に来て「助けてください!」と主に叫び祈るとともに、教会は砦ですから、背後に働く悪魔・悪霊どもに立ち向かう祈りを続けました。その結果として今があると信じています。
主を、私たちの避け所とし、また、砦としていきましょう。

四番目に公畑フェルナンド先生が、大変クリアなメッセージを語って下さいました。ヨブ記の中から、「今年は満ち足りる年となります!」と言い切ってくれました。これには私も、たいへん励まされました。彼がメッセージを短く、まとめてくれたので、それを読んでみたいと思います。
“二〇二二年は満ち足りる年になります。「満ち足りた」の部分はスペイン語で「plenitud」ですが、これには「完全・充満・全部」という意味があります。あなたの人生、昨日までは部分的な勝利があったでしょう。しかし神は二〇二二年、完全な勝利の年とされるのです。この年は中途半端な祝福では終わらず、完全な祝福の年となります。”
ヨブ記四十二章十二節から十七節を引用し、”神がヨブに与えたような、長く祝福の満ち足りた人生をあなたにも与え、その祝福の一つ一つを楽しむことができます。”
そしてその秘訣は、ヨブには多くの苦しみがあったけれど、どんな時にも、彼は主に向いていたと言うのです。主ご自身から目を離さないでいたのです。そんな中、神はヨブを回復し、再建して、満ち足りた人生を与えました。彼は試練の後、百四十年間生きて、四代先まで見ることができ、人生を楽しむことができたと言うのです。
回復・再建して、元に戻してくれるだけではなく、倍にして取り戻して下さるのです。そして、完全な勝利を与えてくださる年になると語りました。大変励まされました。

次に上條実先生が、詩篇十八篇二十九節、三十節を引用して、

『あなたによって私は軍勢に襲いかかり、私の神によって私は城壁を飛び越えます。神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。』

上條先生も奧さんが病気で、なかなか苦労しています。滝元家は兄弟関係が希薄で、あまり濃くありません。「上條」と名前が違ってしまうと、「彼は昔、滝元だったのかな・・。」みたいなところがあるのですが、私も苦労しているので、彼に対して同情心をもって祈っています。
私の家内は良くなってきたけれど、上條先生の奧さんはあまり良くないので、悔しいやら悲しいやら、複雑な思いがあったらしいです。
しかし神は暗いところがなく、完全です。この箇所には「完全」というキーワードがあります。主に目を向け、従っていくならば、勝利を与えてくださると、力強く語っていました。
またここに『私は城壁を飛び越えます。』とあります。先ほどの「垣を越える」と共通します。垣を越え、城壁を越えるのです。聖書の時代は街が城壁で囲まれていました。街を攻めるには、城壁の中に攻め込まなければ、勝ち取る事はできませんでした。城壁を越えるのは大きな犠牲を伴い、大変なことでした。特攻隊のような存在がいないと越えることはできなかったのです。
しかし今年は「主によって城壁を飛び越える」のです。今まで攻め込むことができなかった領域に、難なく攻め込むのです。皆さん、信じますか?アーメン。