〜2022年〜 「それは主の復讐の年」
今日の復活祭に期待しよう!!
〜復活の力を受け取ろう〜

しかしイエスさまのよみがえりは、初穂だと言うのです。初穂とは、最初の穂です。初穂に続いて、どんどん同じような麦の穂が出てくるのです。イエスさまが初穂ということは、それに続く穂があるという事です。それが誰かと言うと、イエスを信じる者たちです。イエスが復活したと信じたら、やがて私たちも復活できるという事です。
それを表した聖書のことばが、最初に読んでいただいたマタイの福音書二十七章です。後から触れたいと思います。

実は先週は大変悲しいことがありました。それは私の友人、親友とも言うべきロン・ブラウンさんが、天に召されたからです。
ロン・ブラウンさん、皆さんもよくご存じだと思います。新城教会に何度も来てくださいました。素晴らしい演奏を聴かせてくださいました。ロンさんが日本に来てくれて、日本の教会が変わりました。

出会いとは、たいへん不思議なものです。神さまは世界中を見渡して、「この人を使おう」と、ある人物を連れてきて、不思議なわざを行われます。その一人がロンさんでした。
彼は一九九七年だったと思いますが、ロサンゼルスで私の父と出会いました。その時はただ、CDを受け取っただけでした。東京リバイバルミッションという、武道館で行われた集会のキャンペーンの為に父はロスに行っていたのですが、ロンさんが来て、「私はミュージシャンです。よかったら私を日本で使ってください。」と、CDを父に手渡しました。父は全く音楽のことは分かりませんから、「もう出演者は全て決まっているからだめだよ。来たかったら、自費で来なさい。」と答えたそうです。
しかし私たちがCDを受け取ってみたら、ロンさんは世界的なサックス奏者で、有名な方でした。

その後、ロンさんが日本で働くようになったきっかけは、あまり知られていないのですが、私でした。
なぜなら、東京リバイバルミッションに呼ぶと言っても、ロンさんはアメリカの芸能人です。付き合い方が結構難しいかもしれないという話になって、ちょうどロンさんが日本に仕事で来るというので、「順、おまえ、ロンさんと出会って話して来い!」と言われました。それで初めて、ロンさんと出会いました。
ちょうどその日、尾山令仁先生の教会で集会があったのですが、ロンさんが仕事の合間に来てくださるという事でした。彼は幸いなことに、日本語ができるので、一応通訳も用意したのですが、日本語でコミュニケーションできました。ソフトでいい人だなぁという第一印象でした。
でも私は一つ、ロンさんをテストしてみました。先ほども言いましたけれど、「ちょっと今、ここで演奏してくれますか?」と頼んだら、「あっ、いいですよ。」と、気軽にやってくれるのが、上手くて上手い人です。
ロンさんは世界的なミュージシャンです。私が、「ロンさん、今、集会中ですが、一曲演奏してくれますか?」と頼んだら、「そんなこと突然言うな。準備が必要だ。バンドが必要だ。」なんて言ったら、付き合いはめんどくさいということになります。
私は勇気を出して、ロンさんが楽器を持っていたので、「ロンさん、今ここで一曲やってくれますか?」と無茶ぶりしてみました。
そうしたら、ロンさんは「いいですよ。」と、気楽に楽器を取りだして、皆の前に出て無伴奏ソロで演奏してくれました。それも一曲だけでなくて、二、三曲やってくれました。みんなたいへん喜んで、この人は素晴らしい人だな!と感動しました。私がミッションの事務局に私の印象を話したら、「東京リバイバルミッションに来てもらおう」となって、それ以来、日本とアメリカを行き来して働いてくださるようになりました。

ロンさんが来てくださったことによって、新城教会の音楽も本当に変わりました。特に、私の息子の堅志とか、上條頌とか、現在、第一線でミュージシャンをやっていますが、ロンさんがいなかったら、If not for you..今頃、彼らは何をやっているんだろうかと思います。
そのきっかけとなったのも、私でした。私はロンさんと良い友達になりました。ある時、ワシントン州のタコマという所で一緒に集会を持ったことがあります。ロンさんが演奏をして、私がメッセージを語るというのが、結構、向こうの教会に受けました。それでロンさんが、「順先生、あなたと一緒だと結構いい働きができますね。一緒にやりましょう。」と言ってくれました。それでロサンゼルスやワシントン州など、いろいろな教会を回って、ロンさんと一緒に集会を行ったのは本当に良い思い出です。

そんな中で、私の息子の堅志も、ロサンゼルスの音楽学校に推薦してくれて、ベースを本格的に学ぶ道がロンさんによって開かました。
でもやっぱり、日本に帰ってきて、プロ・ミュージシャンとしてやっていく道は険しいだろうと思っていました。
しかしある時、ロンさんが私の所に来て、「順先生、あなたの息子の堅志さん、なかなか筋が良いから、これから日本で売り出したいと思います。祈ってください。」と言うのです。売り出す?どうやって売るのかな?と思ったら、ロンさんの蒼々たるアメリカ人バンドのベーシストとして堅志を起用してくれたのです。彼も緊張していましたが、日本のいろいろな場所で演奏させていただいて、そんな中、東京の「ブルース・アレイ」というライブハウスで演奏した時、ある音楽学校の校長が来ていて、堅志を見初めて、「私の学校に来て、ベースを教えてください。」と頼まれて、そこから音楽界にすっと入ることができました。そして今ではプロとして、音楽で飯を食うことができるようになったのも、本当にロンさんのおかげです。あの日の出会いがなかったら、今頃、どうなっていたのかと思います。
ロンさんは預言的に、「あなたの息子のために協力したいから、祈って下さい。」と私に言ってくれて、私も、自分の息子のことなので一生懸命に祈りました。その祈りが答えられたなぁと、感謝しています。
実は、先週からNHKで朝ドラの新しい番組が始まりました。「ちむどんどん」という沖縄のストーリーです。そのドラマの主題曲があるのですが、テーマ曲でベースを弾いているのが堅志です。

しかし先週はロンさんも天に帰ってしまいました。大きいことをしてくれたけれど、二度と会うことができない、あの音も聞くことができないとしたら、本当に寂しいです。
でもイエスさまの中に、大きな希望があります。なぜならば、イエスさまは初穂ですから、主を信じる者たちは、誰でも、やがてよみがえることができるからです。
新城教会、七十二年の歴史がありますが、共に礼拝を守っていた多くの方が、先に天に帰って行きました。しかしやがて、全員がよみがえって、新城教会ファミリーが集まったら、どれだけの人数になるのか分かりません。一緒に主をほめたたえ賛美する日が来ます!その事信じますか?アーメン。

イエスさまが行われた奇跡の内で、最も大きな奇跡は、どれもこれも大きな奇跡ですが、「死人を生き返らせた」という奇跡です。今日は時間がないので、詳しくは学ぶことはできませんが、まずは、会堂管理者ヤイロの娘を生き返らせた奇跡です。マルコの福音書五章を読んでいただきたいと思います。
イエスさまはヤイロから、「娘が死にそうです!家に来て祈ってください!」と頼まれた時、「はい、行きます。」とすぐに出かけておられます。本当に気楽な方です。やっぱり本物ですね。「準備が必要」なんて言われませんでした。あっという間に行こうとされました。
しかしイエスさまは、当時大人気で、途中で十二年間婦人科の病を持った女性がイエスさまの衣に触れて癒されるという奇跡が起きました。そうこうしているうちに、遅れて、娘は死んでしまったわけです。それで「もう来なくてもいいです。娘は死んでしまいましたから。」と言うわけです。
しかしイエスさまは、死んだ娘の所に行かれました。そして「この子は死んだのではない。眠っているのです。」と言われ、皆、笑いました。「ちょっとこの人おかしくない?」という感じでした。
その時、イエスさまは、大変有名なことばを語られました。その子どもの手を取って、「タリタ、クミ」と言われました。これはイエスさまが使っていたアラム語です。それをギリシャ語の聖書の中に落とし込んだのです。「タリタ、クミ」、訳すと「少女よ、あなたに言う。起きなさい!」
すると少女は生き返ったのです。

続いてのよみがえりの奇跡は、イエスさまがナインという町に行かれた時の奇跡です。ナインという町に近づいたときに、イエスさま一行は、葬列と出会いました。その町に住む、既にご主人を亡くしたやもめの、たった一人息子が死んだのです。それも息子が青年になった頃、死んでしまったのです。イエスさまがナインの町に近づいた時、ちょうど棺が門から担ぎ出されるところでした。
その葬列を見て、イエスさまは「かわいそうだなぁ・・。」と深く憐れまれたのです。イエスさまという方は本当に心優しい方です。
それで葬列を止めて、棺に手をかけて、「青年よ、あなたに言う。起きなさい!」と言われたら、なんと死んでいた青年が立ち上がって喋り始めたのです。もうみんなびっくり仰天。「神がその民を顧みてくださった!大預言者が現れた!」と騒然としたという奇跡でした。
このよみがえりの奇跡は、会堂管理者の奇跡よりも、さらに深いですね。娘は死んでしばらくして生き返ったけれど、ナインの青年は葬式が終わって、棺を郊外の墓場に納めに行く途中、生き返ったからです。これはさらに手強かったはずです。死後硬直していたことでしょう。しかし、不可能が可能になった奇跡でした。

さて、最大の奇跡は、ラザロという男性をよみがえらせた奇跡でした。イエスさまはベタニヤに住む、三人の家族が大好きでした。マリアとマルタとラザロという三人が大好きで、忙しい中、時々、ベタニヤに行って休憩されていました。
ある日のこと、イエスさまと親しい、ラザロが病気になって死にかけているという情報が入ったのです。ラザロはイエスさまのある意味、親友のような存在でした。彼が死にかけていると聞けば、すぐに飛んで行って癒せばいいのに、イエスさまはそこに二日間止まったというのです。そうしたら、その間にラザロは死んでしまいました。
ラザロが死んでから、イエスさまはベタニアに行きました。そうしたら、「イエスさま、なぜ早く来てくれなかったんですか!もしもラザロが生きている内に来てくれたら、死ななくて済んだのに。」とマルタが言いました。
その時にイエスさまはこう話されました。
『わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。』

ナインの町の青年は墓場に収められる前に生き返ったのですが、ラザロは墓に収められて、すでに四日が経過していました。それを生き返らせるのはありえない事です。しかしイエスさまは葬られて四日間も経ったラザロの墓に行って、石を取り除けて、大声で「ラザロよ!出て来なさい!」と叫ばれました。
そうしたら、なんと、墓からラザロがミイラのようにぐるぐる包帯を巻かれた状態で、出てきたのです。
私はラザロの墓に行ったことがあります。墓所は結構地下深くにあって、相当下りていかないといけない場所でした。
ミイラのような状態で階段を、ぴょんぴょん上がって来たのかぁと、びっくりしました。

イエスさまが死人を生き返らせた奇跡は、初めは「死後しばらく経過した少女」、次は「墓場に入る前の青年」、最後は「墓場に葬られて四日目のラザロ」です。

ラザロを生き返らせた時に、ユダヤ人が大勢、「イエスさまは救い主メシヤだ。イエスはキリストだ。」とイエスさまを信じました。しかしそれでも、信じないで反発した人たちがいました。
ヨハネが十一章五十三節、

『そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。』

キリストとしての、揺るがない奇跡を行った時に、律法学者や祭司長たちは、イエスさまを殺す計画を立て、ついに十字架にかけてしまったのです。その記念日が、先週の金曜日、ニサンの月の十四日でした。
そして今朝が、イエスさまのよみがえり記念日です。