あなたはどちらですか?

2023年4月16日(日)新城教会牧師 上條実

 

マタイの福音書 21章28節~31節
『ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて 『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。』

ヤコブの手紙 1章22節
『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。』

ハレルヤ!心から感謝します。皆さんとともにみことばを学ぶことができます事を心から感謝します。
四月も中旬に入りました。皆さんはお元気でしょうか?我が家では孫の中に大きな変化がある子どもが、三人います。三人の孫たちが新しい所に入学して、新しい環境の中で頑張っております。長男の所の上の子は高校に入学いたしました。また下の娘も中学校に入学しました。二人にラインで、「疲れてないか?」と送信すると、下の娘は「疲れた!」と言って、昨日のお休みにはゆっくり寝たようです。また三男の所に三人の孫がいますが一番上の女の子が小学校に入学しました。学校はどう?とラインすると学校が、楽しくて仕方がないようです。感謝です。みんなが成長していることを心から感謝します。

またいつもお祈り頂いているリバイバルミッションですが、コロナの感染状況も落ち着いて来ましたので、「GoToミッション」という名称で、平岡修治先生や田中進先生が講師となって、ゲストと共に日本の様々な教会に出かけて行き、集会を開催することができるようになりました。是非覚えて祈ってください。
本日受付で「ミッションニュース」が皆様の所に配布されましたので、後からゆっくりご覧頂きたいと思いますが、先週行われました広島県と岡山県での集会の報告が掲載されていますが、大変祝福を頂きました。

来月は北陸地区を巡回いたします。講師は田中進先生、そしてゲストは、DuoB→Zという、ピアノとバイオリンの二人の若い兄弟たちです。是非今から覚えてお祈りください。
五月十一日木曜日から十四日の日曜日まで巡回いたします。十一日と十二日は石川県七尾市にある七尾聖書教会という所で開催されます。十一日は毎月一回、プレイフォーリバイバルという集会を行っております。普段は午前十時からなのですが、その日は石川県の七尾市の教会をお借りして午後七時から開催させて頂きます。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、去年の六月十九日には最大震度六弱という大きな地震が能登半島を襲いました。そしてその次の二十日には震度五強という地震がありました。ここ数年、石川県能登地方での地震が増えています。能登半島は群発地震が起きています。ですから、石川県七尾市にある牧師先生に、「ぜひ地震のために、現地でお祈りさせて下さい。」と伝えました。すると「ぜひお願いします!」ということで開催するようになりました。そして五月十二日には続けて七尾市にて、十三日は富山県富山市にあります富山一麦教会という所で奉仕をし、そして日曜日は福井県敦賀市の敦賀自由キリスト教会、そして午後からは同じ福井県の越前市にあります武生自由キリスト教会という教会で行われます。多くの方々が参加され、祝福されますようにお祈り下されば幸いです。
本当にミッションもそのようにして動くことができるようになって本当に感謝だなぁと思いますけれども、ぜひ続けて祈っていただければと思います。

では、みことばを学んでいきましょう。今新城教会では教会というテーマで、天上の教会と地上の教会があるということを学びました。神の前には教会は一つであり、天の教会というのは勝利の教会であり、地上の教会というのは戦う教会だということを学びました。天の教会には天の教会の役割があり、地上の教会には地上での役割分担があると学びました。本当にすばらしいみことばが語られ、私はこのメッセージき聞き、素晴らしい恵みを頂きまた。
先週は復活祭礼拝でした。その礼拝の前に召天者記念会が行われました。復活祭にあわせて、毎年新城教会で信仰を持ち、亡くなられた方で新城教会が遺骨を管理させていただいているご家族らをお招きして、記念会を開催しています。今年も多くの新しい方々がお越しくださり、とても恵まれた時を持ちました。
私は天と地の教会ということを語られ、そしてこの教会から先に天に帰って行かれた兄姉のお写真を見ながら、とても感動を覚えました。それは滝元順牧師が三月に「〜この地に植えられ七十年〜教会はどこにある?」というタイトルでメッセージがなされました。そのなかで、先に天に帰った聖徒たちは、「天国よいとこ一度はおいで」「ここは最高!地上には帰りたくない!」とよく聞きますが、そんなことはない。彼らは、地上に帰りたいと思っているのです。「早く帰りたい、帰りたい!」と願っているはずです。それはどうしてか。救いはどこで完成するのかと言えば、死後の世界ではなく、イエスさまが帰って来られる再臨の日に完成すると語っていました。私はそのメッセージを思い出し、死後の世界の人たちは、第三の天に引き上げられているのですが、第二の天という悪魔の王国が真ん中に挟まって、行き来ができていない。

へブル人への手紙十二章一節
『こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまつわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競走を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。』

とありますが、「多くの証人たち」が雲のように取り巻いているとあります。それは「天の家族」のことを指している。天にある教会の家族が地上にある教会の戦っている戦いに注目し、声援を送ってくれている。戦いを見て応援してくれている。地上でどのような戦いが繰り広げられているのかを大きな関心を持って、声援を送ってくるという事を思い起こし、大変恵まれました。召天者記念会で納骨堂に入っている方々の写真が紹介されたのですが、この人たちが、今ある地上にある教会でどのような戦いが繰り広げられているのかを大きな関心を持って、声援を送ってくるという事を思い起こし、大変恵まれました。今までは「仏教では年忌というものがあるが、キリスト教ではないの?」と聞かれ、先祖を粗末に扱っていると言われるので、召天者記念を復活祭にあわせて開催しているような雰囲気がありました。なんか私は心の隅っこで「召天者記念会はよき伝道の時であるが、なんか妥協している集い」のように思っていましたが、とんでもない思い違いをしていました。イエスキリストが私のために十字架で死んで下さった。よみがえって下さった。そして先に亡くなられた先輩方が天の教会で、今ある地上にある教会でどのような戦いが繰り広げられているのかを大きな関心を持って、声援を送ってくるという事を知り、とても励ましになりました。
私はその召天者記念会で紹介されている写真を見ている時神さまから語られたみことばがありました。それは先ほど読んでいただきましたみことばです。マタイ二十一章二十八節~三十一節と、ヤコブ一章二十二節を語られました。なんでこんなことが教えられたのかなと思いました。
マタイ二十一章二十八節~三十一節をもう一度、読んでみたいと思います。

『ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて 『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。』

ここに兄と弟という二人の人物が出てきます。いままで私は弟のように出かけて行くものになりたいと読んでいました。お読みしたのは新改訳第三版のみことばです。それは二〇〇三年に発行された聖書ですが、今ブックスで販売されているのは新改訳二〇一七年版の聖書です。今回その聖書を読んだら、あれ?聖書おかしいぞ?と思いました。訳が間違っていると思いました。
皆さんは気がついていましたか?今日のみことばを第三版と二〇一七版を比べて読んでみましょう。

28(第三版)ところで、あなたがたは、どう思いますか。ある人にふたりの息子がいた。その人は兄のところに来て、『きょう、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。
28(2017版)ところで、あなたがたはどう思いますか。ある人に息子が二人いた。その人は兄のところに来て、『子よ、今日、ぶどう園に行って働いてくれ』と言った。

29(第三版)兄は答えて『行きます。お父さん』と言ったが、行かなかった。
29(2017版)兄は『行きたくありません』と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。

30(第三版)それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。
30(2017版)その人は弟のところに来て、同じように言った。弟は『行きます、お父さん』と答えたが、行かなかった。

31(第三版)ふたりのうちどちらが、父の願ったとおりにしたのでしょう。」彼らは言った。「あとの者です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。取税人や遊女たちのほうが、あなたがたより先に神の国に入っているのです。
31(2017版)二人のうちのどちらが父の願ったとおりにしたでしょうか。」彼らは言った。「兄です。」イエスは彼らに言われた。「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。」

皆さんお分かりですか?弟と兄が逆になっています。私は初めて知りました。「なんだこれ?聖書違うじゃないか。」と思って調べてみました。これは聖書のミスを見つけてしまった。訳した人に教えなくてはと、思いました。しかし当の聖書学者はわかっていました。これはどういう意味があるかと言うと、ここには二人の「兄」と「弟」ということですが、これは「二人の息子のたとえ」というふうに例えられています。この例えは、マタイ独自のもので、兄とか弟ということを強調しているのではないとありました。原文を見ますと、「最初の者(子)」を意味する「ホ・トローポス」(ὁ πρῶτος)。そして「別の者(子)」を意味する「ホ・ヘテロス」(ὁ ἕτερος)、と書いてあるのです。だからこれは兄とか弟ということは関係ないのです。主が言われているのは、「あなたはその二人のどっちだ?」ということなのです。「ぶどう園で働きに行ってくれ。」とお父さんが頼んだ時に、行った者なのか?行かなかった者なのかということです。そして主は私に「あなたはどちらだ?」と語って下さいました。「あなたはどちらだ?」とみことばを示してくださいました。あまりに強く語られたので毎晩、夜寝ている時、夢で出てくるのです。「あなたはどちらですか?」と。また先ほど読んでいただきましたが、ヤコブ一章二十二節に、

『また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。』

というみことばがあります。みことばを聞きなさいというのではなくて、「実行する者になりなさい。」とあります。聞くだけでは駄目なのです。
今回のメッセージのテーマは「あなたはどっちですか?」です。二人とも父のことば「きょう、ぶどう園に行って働いてくれ」ということばは聞きました。しかし、マタイ二十一章二十八節~三十一節では、はじめ断っても悪いと思ってぶどう畑に行った人を父の願ったとおりにしたという事でほめています。聞くだけではだめなのです。新城教会は多くの牧師たちがいて毎週、各自が主から教えられたことを語っています。諸先生方のみことばはとても恵まれます。そして「今週は〇〇先生が語って下さったみことばを心にとめて生活しよう!」と教えられます。礼拝後はみことばを実行しようと決心するのですが、次の日になると、生活が忙しくて、何を決心したのか忘れてしまっています。