相続の地を縦と横に歩き回りなさい

『彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と思った。しかし主はサムエルに仰せられた。「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」』

このように書いてあります。『人はうわべを見るが、主は心を見る。』今回、このみことばが私の心に突き刺さりました。うわべを見るな!うわべを見るな!と言うのです。現実を見ると、まったく不信仰になってしまう。だめだと思ってしまう。しかしうわべを見るな『人はうわべを見るが、主は心を見る。』と言っています。そして第一サムエル十六章十一〜十二節、

『サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは答えた。「まだ末の子が残っています。あれは今、羊の番をしています。サムエルはエッサイに言った。「人をやって、その子を連れて来なさい。その子がここに来るまで、私たちは座に着かないから。」エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。その子は血色の良い顔で、目が美しく、姿もりっぱだった。主は仰せられた。「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」』

これは誰のことを言っているかと言うと、ダビデです。エッサイは、ダビデは羊飼いという事で、まだ自分の子どもとして認めきれない。幼すぎる存在でした。しかし「これで全部か?」と言われた時に、「いや。羊飼いをしている数に入らないようなダビデがいる」と伝えました。サムエルは「連れてきなさい」と言われ、サムエルの前に連れてこられました。すると主は「さあ、この者に油をそそげ。この者がそれだ。」』と言われました。『人はうわべを見るが、主は心を見る。』私たちはうわべしか見ていません。私たちの信仰経験。今までの経験を見て不信仰だらけで、なかなか祈れない、なかなか私たちは前に進むことができない者になってしまっています。しかし主は『人はうわべを見るが、主は心を見る。』のです。今日不信仰を悔い改め、主のみことばを単純に信じましょう。みことばで「縦と横を歩き回われ」と言われたら単純に信じましょう。あなたの周りにある地域を縦と横を歩き回ってください。今の時期は秋です。スポーツの秋と言われています。少し今週の朝は涼しくなるというふうに言われていますけど、散歩するには一番いい時だと思います。またドライブをするにも一番いい時だと思います。是非歩き回って下さい。「霊的戦い」を意識して、うわべではなく、根本を見つめて、この問題だ!というものを根本的原因を見つけさせていただいて、祈り、サタンの頭を踏み砕きたいと思います。うわべは数にも入らなかった羊の番をしていたダビデを遣わして、イスラエルが強国になりました。強い国になりました。私たちは弱い存在です。しかし主は『人はうわべを見るが、主は心を見る。』方です。あなたが霊的戦いの剣を持ち、福音の備えの靴を履いて、縦と横に歩き回わる時、必ず主は勝利をくださると信じましょう。今週私たちはと歩き回って、悪魔を踏み砕く時とさせていただきましょう。

もう一つ、根本的な問題はどこにあるのか?ということも、「主よ、教えてください!」と祈りたいと思います。うわべを見て今まで戦ってきたかもしれません。しかし今回根本的な原因となっている場所、問題を教えて頂き、気づかせていただき、その場所にとりなしの祈りを置くことができるように祈りましょう。

最後にもう一箇所、みことばを開きたいと思います。つい最近与えられたみことばです。イザヤ書四十一章十節、

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

世界の最大の聖書のアプリで「YouVersion」という、アプリがあるそうです。二〇二〇年、このYouVersionで一番検索されたのは何かと言うと、イザヤ書四十一章十節だそうです。二〇二〇年というのは、新型コロナウィルスが発症し、訳が分からない病気だ、感染も急激に世界中で拡大し、多くの方が亡くなり、世界が全く激変してしまった年でした。そんな時に一番、皆が検索したみことばが

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

と言われています。私は、「恐れるな。たじろぐな。」と教えられました。「恐れるな」というのは意味が分かります。しかし「たじろぐな」というのは、こういう意味があります。

“たじろぐの意味
一、相手の勢いに圧倒されて、ひるむ。しりごみする。
二、ひけをとる。劣る。”

「たじろぐ」というのは、そのような意味があります。たじろぐなというのは相手の勢いに圧倒されるのではなくて、そいつを打ち破れ!ということです。ですから、私たちは、今日、このみことばを信じていきたいと思います。「わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(10節)とあるように、神は神を信じるものたちの最も偉大な保護者なのです。「右の手」とは神の大能、力を表わすヘブル的表現です。「強め(אָמַץ)」「助け(עָזַר)」「守る(支える、堅く保つ)(תָּמַךְ)」の三つの動詞はすべて預言的完了形で記されています。それは将来において確実に実現することを意味しています。ここに神の選びの一方的な愛が表わされていると言えます。今日、強め、助け、守る神が、あなたの神であり、私の神です。どんなに恐れたとしても、私たちの保護者であって、確実に私たちを助けてくれる神です。

最後に、我が家にKという子どもがいます。彼が小学校の時ですが、通学団で一緒に学校から帰る途中、石を投げながら歩いていたそうです。子どもって、何をするかわからない時があります。彼が石を投げたのです。すると何と見事に立派な車の後ろのガラスに当ててしまいました。後ろのガラスが割れてしまいました。大きな綺麗な車でした。その持ち主は怒って、「すぐに親を呼べ!」と言われたそうです。彼は泣きながら家に帰ってきて、「車のガラスを割っちゃったからすぐ来て!」と言い、私はびっくりして彼と一緒に現場に行きました。そして謝り、すぐに修理屋へ依頼して直してもらいました。保険に入っていましたので修理をして頂くことができました。保護者は自分がやったのではなくても保護者として「強め(אָמַץ)」「助け(עָזַר)」「守る(תָּמַךְ)」ました。今日、私たちはたくさん失敗をしてしまいます。失敗した時に尻拭いをするのは保護者です。私たちの主は「強め(אָמַץ)」「助け(עָזַר)」「守る(支える、堅く保つ)(תָּמַךְ)」の三つの動詞はすべて預言的完了形。将来において確実に実現するのです。私の主はイエスさまです。皆さんの神も、今日全能なる神、イエスさまに期待して、相続の地を縦と横に歩き回りましょう。

 

最後にお祈りします。

愛する天のお父さま、今日私たちは「縦と横を歩き回りなさい」というみことばを語らせて頂きました。今週は霊的戦いの権威を持って、悪魔の頭を踏み砕くことができますようにお願いします。私に主が与えて下さった、住んでいる地域を、職場を、学校を、勝ち取らせてください。あなたは速やかに来てくださる方です。勝ち取らせてください。今私には病や問題など多くの解決して頂きたいことがあります。特別私たちに根本的な原因、悪魔に握られているうわべではなく、根本的原因を教えて頂き、踏み砕かせて下さい。あなたは、強め、助け、守ってくださる方であることを信じます。主よ、今週、語ってください。どこに根本的な問題があるのでしょうか。地域の問題、また家族の問題、また病気、また様々な問題の中で、どこに根本的な問題があるかを教えてくださって、そこを歩いてとりなし、悪魔の頭を踏み砕き、私たちは圧倒的な勝利をいただくことができますように。今週は主が与えて下さる場所を縦と横を歩き回ります。主イエスさまの権威で圧倒的な勝利を頂くことができますように祝福してください。尊い主イエスさまのみ名によって祈りをおささげいたします。
アーメン。