相続の地を縦と横に歩き回りなさい

『アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。』

なんとアブラムの持っているものと、ロトの持っているものとでいっぱいになってしまって、ロトとアブラムの家畜を飼っている者たちで争いが起きてしまったのです。そのためアブラムは「さぁ、ロトよ。ここで一旦私と別れようじゃないか。おまえが右に行くならば、私は左に行く。そしてお前が左に行くと言ったら、私は右に行く。」と言って、ロトと叔父であるアブラムは別れる事となりました。十三章八節から九節

『そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」』

と言いました。すると十三章十節~十一節

『ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。』

なんとロトは地を見渡し、

『主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。』

素晴らしい良い地を叔父のアブラムより先に選びました。「主の園のように」とあります。主が私たちに創造時に与えて下さったエデンの園のような、最高に潤った地を選び取ってしまいました。そして、アブラムは、俗に言う貧乏くじを引いたように、「じゃあ私は反対側に行こう」と言ったのです。主はアブラムに十四節、

『さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。』

と言われたのです。先ほど読みましたように、最初にアブラムは行く所を知らずに出て行ったのは、「おまえ、これから本当に祝福されて、おまえを祝福っていう名前にしてやるから出て行け!」と言われて出かけました。しかしロトが主の園のような、エジプトのような、とても潤った土地。非常に栄えた土地。そちらはロトが、選んでしまいました。そのため潤った土地ではない、あまり良いほうではない土地を見させて、主は「おまえにこの土地をあげるから、この土地で祝福してあげるから」と言われました。

そして十七節で、「あなたは山から見たように、今度は縦と横を歩き回りなさい」と、主が仰せられました。先ほどの雁峰山から見た新城市の写真を出していただきたいと思います。
 これを見て、この教会のある新城市ですが、皆さん、どう思いますか?写真でも綺麗に見えますが、実際に行くともっと綺麗です。新城市は被造物がたくさんあって、「被造物よ!主を賛美せよ!」と宣言し山の上で、私も賛美すると様々な鳥や動物、また木々、そして川や空、雲、風が吹いてきて、一緒にこの新城市の街中が主を賛美しているかのような、大合唱、天の使いと全ての被造物が聖歌隊となって主を賛美しているような感じを受け、とても感動し、主がおられることを感じます。

しかし、山の上から見るととても綺麗に見えるのですが、「痘痕も靨」この字読めますか?
私は読めませんでした。これは「あばたもえくぼ」と読みます。その意は、好きになると、醜いあばたさえ可愛らしいえくぼに見える。 惚れた目には欠点までも長所に見えるというたとえ。 補説「あばた」は、疱瘡(天然痘)が治ったあとに顔面に残る発疹の跡のことだが、広く類似した吹き出物の跡を指しても用いられる。 靨は、笑った時にできる頰の窪み。とのことです。上から綺麗だと見えても実際は痘痕。だというのです。
新城の街を私たちは歩いたり走ったりすると、皆さんどうですか?とっても田舎だなぁと思います。畑や田んぼがあり、今の秋は黄金色に染まり、とても綺麗です。公園も新城総合公園などはよく整備されて綺麗です。しかし一歩その公園から出てしまうと、木々が倒れていたり、川は先日の雨で増水し、木の枝や土砂があり、ある所はゴミがたまり、異臭を放っている所もあります。家々もありますが、長い間空き家となり、そう言うと申し訳ないのですが、草が伸び放題、今度の台風来たら倒壊するのではないかと思うほどの家があります。またよく地域を回って祈るのですが、「ここに神社がある。こんな所に祠がある。こんなところに廃寺がある。」と荒れ放題の所、霊的に暗くて、その地域の人たちが教会に来られていない地域は暗いと感じる場所があります。

アブラムが北と南、また西と東を、山の上で、「これ、おまえに全部あげるよ」と言った時は、綺麗のように見える土地であったかもしれません。先ほども写真のように、山から見たら綺麗に見えるものが、実際十七節、もう一度読みますと、

『立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」』

実際に今度は下に降りてきて、町を歩いて行きなさい、縦と横を歩き回りなさい、と言います。アブラムは七十五歳でした。だいぶ年になってきた時です。そんなアブラムに歩けではなく「歩き回りなさい」と言っています。隈なく歩きなさいと言っています。上から綺麗だと思っても、実際の地は「こんなやせ細っているじゃないか。」その地域の人たちが田んぼや畑、また様々な食物を作っても痩せ細った野菜や作物しか取れない。「こんなに痩せ細っている…。」しかしロトは本当に素晴らしい主の園。神さまが人間に与えてくれたエデンの園のように潤っている。何と雲泥の差だと思います。

私たちは様々な先生が「日本に素晴らしいリバイバルが来ますよ!」と語って下さったことを聞いています。多くの先生方が素晴らしい預言をしてくださったことを聞いています。その預言を聞くと胸がワクワクします。シンディー・ジェイコブス先生が以前この教会に来られ、「日本地図を逆転したら剣になる!」と、「日本は剣となって、この地域、この世界を剣で打ち砕く素晴らしい日本となる!」その預言を聞いて私の心はときめきました。この日本は素晴らしい!リバイバルが来る。この教会に人々が押し寄せてくると、夢を信仰を持ちました。以前皆さんは新城市の野田地区の河川敷で行なったハートフルサパーの写真を見たことがあると思います。新城教会の模型を作り、そこに千二百人もの方々が集いバーベキューと伝道集会をした写真です。あれを見ると、本当にこういう時がまもなく来るんだろうなと、私たちは信仰を持てるのです。
しかし、現実に、この地を歩いてみると、全く違いを感じます。昨日も夜、花火が上がりました。とても怒れるのですが、私の地域の神社での祭りの花火です。「今年はまだコロナウィルスが蔓延している為、祭りの行事は行ないません。ただ神事のみ行ないます。」と回覧板で以前通知して来ました。しかしコロナウィルスの感染者が減少して来ているためと思いますが、突然打ち上げ花火が行われました。神事だけ行うということなので、土曜日の朝、神事を行う前に、「私たちはこの神社氏子ではない。主イエスキリストの子どもであることを宣言する。」「この地域の人たちが救われるように」など神社に行き、地域に住んでいる兄姉の名前を出しながら祈る時を持ちました。また地域の人が祭りの大きいのぼりなどを立てていたので、その方のためにも祈る時を持ちました。しかし突然打ち上げ花火が上がって、もうムカムカと怒りを覚えました。しかしこれは主が勝利を取ってくださっているんだ。霊的には既に勝利を取ってくださっている!と、再度祈ることができました。花火の打ち上げが我が家の東側の、谷になっていて田畑が広がっているところがあるのですが、そこで何発も打ち上げるので、音が谷に共鳴して、爆音に聞こえ、我が家はその近くにあるので、家が揺れるような感じで、大きい音が聞こえるのです。激うるさくて仕方ありませんでした。あの音を聞いているとこの地域のために祈り続けているけれど、リバイバルは遠いなぁと思ってしまいます。
また他の地域で、秋祭を行っている地域があります。まだまだ新城市の人々の救いは遠いなぁと実感します。
アブラムも、状況は少し違うかも分かりませんけども、「歩き回って実際に見なさい!」と言われた時、歩いてみたら祝福とはほど遠いような土地ではなかったかな…と思います。

しかし今回、私、この所を深く読んで、神さまは「縦と横を歩き回れ!」なぜ主はアブラムにそのように語ったんだろうと思う時、主が一つのみことばを私に語ってくれました。それはローマ書十六章二十節、

『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。』

ざわめきの賛美で「平和の神が♪~」という賛美がありますが、私たちクリスチャンの足には、サタンの頭を踏み砕く権威があると言われています。私たちの足で歩き回る時、サタンの頭を打ち砕くことができる。アブラムも、縦と横に歩き回れというのは、霊的戦いの権威でサタンの頭を打ち砕くために歩き回りなさいと言っているのではと教えて頂きました。

『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。』

どんなに痩せた土地であっても、どんなに暗い土地であっても、どんなに呪われている土地であっても、私たちの足にはサタンの頭を踏み砕く権威がある。霊的な戦いで圧倒的な勝利を得ることができる。だから神が戦うだけでなく、私たちも戦わなくてはいけない。だから「縦と横に歩き回れ。」と語ったと教えられました。霊的に勝利した地を主があなたに、その地を与えると言ってくださっているんだと教えられました。

私たちは引き続きコロナウィルスの終息のために祈っています。また宣言しています。しかし祈り続けてはいますが既に三年近くになってしまっています。また教会でも感染してしまったという事を伺います。
また多くの方が病で苦しんでおられます。私の家内の為にも皆さんが真剣にとりなし祈って下さっているにもかかわらずまだ癒されない現実。また様々な問題、家族の問題も解決に至っていない。いや更に悪化してしまっている時があります。戦争。経済問題。益々世の中が暗くなってしまっていると思います。
祈りは応えられる。霊的戦いでみことばを宣言して行くときに、私たちの足で踏むときに、必ず勝利を下さる。そして

『平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。』

ここにすみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。とあります。すみやかにという箇所に私は目が留まり、心から感謝いたしました。時間がかかるのではなくすみやかにです。もう一度、創世記十三章十七節、

『立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」』

七十五歳のアブラムに、歳を取ってきたアブラムに、どんな地であっても「歩き回りなさい。」と教えています。そしてアブラムは、人間的には絶対生まれない状況であったとしてもイサクが生まれ、そしてヤコブが生まれ、十二部族ができ、素晴らしくイスラエルが祝福され、その後イエスキリスト。救い主が生まれる。最高の祝福を頂きました。

今日ぜひとも、主が私たちに与えて下さった住む場所。住居。また主が備えて下さった仕事。学校などを「縦と横を歩き回りなさい。」と言っていると思います。今年は「復讐の年です。いくら現実は難しいと思っても、主は不思議なる方。圧倒的な勝利者です。すみやかにサタンの頭を砕いてくださいます。「縦と横を歩き回りなさい。」「霊的戦いだ!」と語ってくださいました。私たちが霊的戦いの視点をもって、地域を縦と横に歩き回る時、被造物世界では今収穫の時です。教会の前の田んぼも稲刈りが終わりました。収穫ができました。今が収穫時です。収穫物がいっぱいあります。私たちは信仰を持って、主が、「約束の土地を受け取りなさい。」また「おまえを遣わす。」と言ってくださった会社、また学校、また教会、あなたが住んでおられる地域を、霊的戦いの権威の中で受け取りなさい。縦と横に歩き回って勝利を得なさいと語っています。まそして聖書の中に、第一サムエル記十六章六節~七節、