主の復讐の年 〜やり返し攻撃しよう!〜

 

『神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。』

 

を頂きました。毎年引きずって苦しんでいくような問題や病ではなく、この新城教会や私たちの問題、病が「prevail」「プリペール」最終的な勝利をいただけると信じて励まされました。

 

今日私たちは、神の武具をしっかりと付けて、本当にみことばの剣を持っていきたいと思います。有名な、聖書全部は読みませんけども、エペソの六章十節から十九節の中に、神の武具のことが書いてあります。

 よくこういう例えで私たちは聞きますけども、ここに十四〜十七節では、

 

『腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。』

 

というみことばがあります。しっかりと、私たちは本当に主の中でへりくだって、本当に罪を悔い改めて、神の武具をしっかりと付け、今日の私のテーマである「復讐」のために戦いの剣である、御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさいと教えられました。

ヘブル四章十二節、

 

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。』

 

今まで分かれ目を刺しとおす事ができなかったような所に、みことばの剣を刺し込むことができると信じて復讐して行く必要がある。そしてヨハネ一章一節、

 

『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』

 

聖書、みことばは、ただの文学ではなく『ことばは神であった。』六十六巻の全ての手紙というのは、主が私たちに与えてくださった神のことば、神であった。すべて主が語った権威あることばだと信じなければいけない。またマタイ五章十八節には、

 

『まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。』

 

とあります。みことばに書いてあるそのまま、変わることなく全部成就する。これが聖書のことばです。ですから私たちはこのみことばに書いてある通りに受ける権利があるのです。なぜかと言うと、私たちは神の子どもだからです。

 

私の子どもが我が家に来て、我が家にあるお菓子やペットボトルのお茶などがあると断りもせずに躊躇せずに手を伸ばし食べたり飲んだりします。それを見た私は、ダメだと叱ったりしません。なぜなら彼らは自分の子どもだからです。子どもは親が買ったものを共有する権利があります。しかし全然知らない人が突然入って来て、勝手に飲み食いしたらこれは問題です。私はすぐに警察に訴えます。私と私の家族とは何の関係もない人だからです。そうです。私たちは神の子どもです。神のものを全て、共有することができます。『ことばは神であった。』そのことばの通りに、受ける権利があります。ですから今日は、棚からぼた餅が落ちてきたように、「苦労なく思いがけずに幸運に出会う」のではなく、

思いがけずにではなく、たまにではなく常に。いつも。どんなときにも神のみことばは私のものです。神のことばは必ずなります。イザヤ書 34章8節

 

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。』

 

今年は復讐の年であり、復讐の日です。仇を返す年です。私たちが復讐し、仕返し、一般に不当なひどい仕打ちを受けた者が相手に対して行うやり返す攻撃行動の総称ですので、敵に対してやり返す攻撃行動をしていかなくてはなりません。先週も、津具村の中で一か所祈らなくてはいけないと思わされて、再度祈りに行き、その他の所も祈ってくることができました。「棚からぼたもち」ではなく、自分の中でただ待つだけではなくて、実行する器。祈る器、みことばを宣言する者になって行かなくてはなりません。

今週は日本リバイバル同盟、NRAが祈りのウィークと位置づけて日本のために祈りましょうと言っています。皆さんも今週、時間のある方は示された所に出かけて行って、復讐し、仕返しをしましょう。ひどい仕打ちを受けた所に出かけて行き、祈らなければならない場所に祈り、やり返し攻撃行動しましょう。出かけて行ったら主が、ここで祈りなさいと教えてくださいます。そこに出かけて復讐しましょう。しかし忙しい方や行くことが難しい方も、皆さんの家で、職場で、学校で時間を作って復讐の祈り、攻撃行動、復讐をしましょう。

 

もう一度イザヤ書三十四章八節のみことば

 

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。』

 

今年の新城教会のテーマは〜2022年〜 「それは主の復讐の年」です。しかしみことば

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。』と語っています。ここに主の復讐の日とあります。私は今年は一年かけて復讐の年になるのではなく、毎日が復讐の日です。ですから、『すべてに時がある。』とありますから、今日は今日で、明日は明日で、主が時にかなって復讐をしなければならない祈りの課題を示して下さると信じます。毎日霊的耳を開いていただいて、毎日復讐していきましょう。毎日毎日が復讐の日です。一歩一歩復讐して勝利に近づき、最後には、大きなロープがみことばの剣で切れて、時が来た時に大勝利を与えてくださるのです。

 

先ほども開きました第二列歴代誌七章十四節〜十六節をもう一度読んでみましょう。

 

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。』

 

私たちは主の前にへりくだりましょう。へりくだって祈りをささげ、わたし、主の顔を慕い求め、悪い道から立ち返る。悔い改め、主に立ち返るなら

 

とあります。今週は、いつもいつも私たちはすぐにイエスさまを忘れてしまいますけども、イエスさまの顔を慕い求めていきたいと思います。いつも私たちはイエスさまを考えていく週でありたいと思います。天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。とあります。『彼らの地をいやそう。』と書いてあります。自分の家の土地が癒され、地域がいやされ、遣わされている学校も会社も癒されるのです。そして十五節、

 

『今や、わたしはこの所でささげられる祈りに目を留め、耳を傾けよう。』

 

ここに祈りに目を留め、耳を傾けてくださいます。そして十六節に、

 

『今、わたしは、とこしえまでもそこにわたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別した。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。』

 

わたしの名を置くためにこの宮を選んで聖別したとあります。新城教会であり、皆さん、おひとりおひとりです。そしてわたしの目とわたしの心は、いつもそこにあるとあります。いつも主の目と心が私たちの教会とあなたとあるというのです。私たちは、今日しっかりと教会全体で復讐し、攻撃行動をしていきましょう。

 

あなたが意識して復讐を祈り始めるとき、変わってきます。先ほども語りましたが、時間を取れる方はぜひ現地に出かけてお祈りください。しかし行けない人は自分の家や職場で、学校で祈ってください。みことばの剣によって打ち砕いて行きましょう。今年は毎日祈り続け、攻撃し続けましょう。

 

今年は復讐の年です。待っているだけでは何も起こりません。私たちの神は、棚からぼた餅のようではありません。祈ったら必ず答えを下さる方です。あなたが祈り始めたら、神さまは、復讐して下さいます。最後に詩篇二十三篇のみことば

 

『【主】は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。』

 

主は羊飼い。私たちは羊です。だからいつも敵から守り、水や草のある所に導き、責任をもって養ってくださいます。マタイ十八章十二節

 

『あなたがたはどう思いますか。もし、だれかが百匹の羊を持っていて、そのうちの一匹が迷い出たとしたら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。』

 

私たちが迷ったとしても、他の羊を山に残してでも、見つかるまで探して下さるのです。あなたは愛されています。そして『私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、』とあります。今まで私たちを攻撃してきた暗闇の力、悪魔悪霊の前で、私たちはゆっくりと安全に食事をいただくことができます。そしてその頭に油を注いでくださる。それは聖霊の油に満たされ、私たちの杯はあふれているのです。そして『私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。』だからいつも恵みと慈愛に満たされ、恵みが常に私を追ってくる。いつも恵みがあり続けるとあります。私たちの神は今も生きています。あなたを特別に愛して下さる方です。

 

最後に、皆さんで復讐の祈りをしたいと思います。教会全体で復讐の祈りをしましょう!

報復、仕返し、復讐とは、一般に不当なひどい仕打ちを受けた者が相手に対して行うやり返す攻撃行動の祈りを暗闇の力に向かって宣言しましょう!今祈りの例文を映像にお出しします。「〇〇〇〇〇〇〇」という所に、悪魔悪霊に不当なひどい仕打ちを受けた出来事、痛めつけられた事、傷つけられた事、病、まだ答えられない祈りの課題を入れてお祈りいたしましょう。暗闇の悪しき力に向かって宣言しましょう。では皆さんでお祈りしましょう。

 

<宣言の祈り>

 

天の父なる神さま。今年新城教会に復讐の年であることを語って下さった事を感謝します。今みことばを信じて復讐します。

今まで、新城教会と、私と家族の中で、「〇〇〇〇〇〇〇」に働いた暗闇の悪しき力よ!よく聞け!

 

イエスキリストの十字架の死を宣言する。

 

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。』(イザヤ三十四章八節)

 

『あなたがたは、彼らにこう言え。「天と地を造らなかった神々は、地からも、これらの天の下からも滅びる」と。』(エレミヤ十章十一節)

 

『神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け。」(詩篇四十六篇一節)

 

このみことばの剣によって悪しき力を打ち砕きます。このみことばによって完全勝利を宣言します。今まで悪しき力に敗北していた所が、主の力によって最終的に完全勝利が現わされることを宣言します。

 

このみことばが私と家族、新城教会に起こることを宣言します。

 

今年は復讐の年であり、最終的勝利であることを宣言します。 ハレルヤ!

では最後に私がお祈りします。

 

『愛する天のお父さま、今日、「教会全体で復讐しなさい!」と語られ、今皆さんとともに宣言することができたことを感謝します。今年は復讐の年であることを感謝します。毎日が復讐の日であることを信じます。今週は時間の許す限り、祈らせてください。時間の許す限り、出かけて、みことばを宣言していくことができますように。主よ、どうか、今年は、今まで苦しめられ、涙流し、悩んできた問題が、完全勝利を迎える事ができますように。復讐、不当なひどい仕打ちを受けた者が相手に対して行うやり返す攻撃行動ができ、prevail最終的勝利を頂くができますように。そして私の祈りに目を留め、耳を傾けてくださっていることを信じます。ここにおられる兄姉、またインターネットで見ておられる兄姉、そして新城教会にあらわされることを宣言します。今年は復讐の年、復讐の日であることを宣言します。主のみ名によって感謝してお祈りします。アーメン。