主を迎える心

2022年12月18(日)橋本バプテスト教会牧師 平岡修治師

ルカの福音書 2章9節〜11節
『彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。』

 

ハレルヤ!感謝をいたします。彼ら、素敵なハットをかぶって、ずっと今一緒に回っているのですが、彼らがあんまりかっこいいものだから私もハットをかぶろうと思って二つほど持っているのですが、かぶったことがないのです。
 なかなか勇気がいるし、かぶる機会があんまりないのです。この間、かぶろうと思ってかぶってみました。鏡を見てショックを受けました。麻生太郎か山口組の組長司忍というのがいますが、ほとんどそれみたいなのです。やめました。

今日皆さんと、この場所に立っていることを本当に感謝しています。私この講壇に、おそらくリバイバルミッションの集会で、何十回もここに立っています。礼拝に来たのは二回目です。この新城教会の礼拝は二回目です。
前はいつかというと、私は一年八ヶ月の子どもを天国に送りました。本当に一番人生で悲しい時です。自分の子どもを天国に送るということは本当に辛いなぁ、そういう経験をしました。召天式が終わって次の日、滝元先生が、順先生と、望先生と、開先生と、上條先生と、グロリアシンガーズで一緒に他の教会で奉仕をしていた途中に来てくださいました。月曜日でした。それで一緒に泣いてくれました。それで私は本当に慰められました。
そして滝元先生が私にこう言いました。「平岡兄弟」、その時は牧師をしていましたが、いつも「平岡兄弟」でした。「また新城いらっしゃい。一度来るように。」そう言って別れました。その次の週の日曜日の礼拝は、他所の教会の伝道集会に招かれていました。けれども急にその教会から電話がかかってきて、「先生大変ですから、私たちの伝道集会は秋に延ばしました。もう役員会で決まりました。ですから先生、今度はゆっくり休んでください。」でも私たちの教会はある先生をお招きしていました。行く所がなくなってしまいました。それで家族でどうしようかと。「滝元先生がああ仰っていたから言ってみようか。」 それで新城教会に来ました。温かく迎えてくれて、本当に私は感動しました。それが昨日のことのように思い出されます。
今朝享子さんが召されたことを伺いました。本当に大きなショックでしたが、不思議な導きだなと私は感じました。こうして今、私が立っているということは、おそらく神さまの導きだと思っております。

今、クリスマスの時期ですが、光が特徴的ですね。クリスマスはキャンドルサービスをします。なぜするかと言うと、暗闇の中で光を灯すと、全体が明るくなるのです。今日、聖書箇所は読んでいませんが、博士たちが星に導かれてイエスさまの所にやってきたという、あのくだりなのです。星に導かれたというのは、星自体は光を発せず、太陽の光を反射させているわけです。
ちょうど同じように私は滝元明という人が、今から五十八年も前のことですが、十六歳の時、計算しなくていいですよ、五十八年前に私は滝元明という光を見て、反射されている光を見て、イエス・キリストを信じました。
そして、牧師になろうと決心して神学校に行きました。神学校四年の時に、明先生が私にこう言いました。「平岡先生、僕ら、リバイバルクルセードというのを始めたのだけど、あんたも一緒に加わらんか。」と言うのです。「あんたと一緒に魚捕る夢見た。」と、うまいことを言うのです。それで私はまだ海のものとも山のものとも分からないリバイバルクルセードと一緒になったら人生ダメになると思っていましたから、「分かりました。」とうわべの返事をしました。でも先生は別れ際に「祈ってる。」と言って、帰りました。牧師になって、なぜか不思議に導かれて、一緒にリバイバル甲子園ミッションをやるようになりました。一緒に魚を捕る夢が現実になったわけです。私たちはこの光に出会うということは素晴らしいですね。私も滝元先生を通して、「イエス・キリスト」という「いのちの光」に出会うことができました。

昔の話ですが、明治時代に小林富次郎という人がいました。その人は埼玉で生まれ新潟で育った、新潟の今の上越市という所の出身ですけども、十六歳の時に石鹸工場に働きに出かけた。一生懸命働いて、三十歳で少しお金を貯めて起業して、彼は一つの事業を計画しました。何の事業かと言うと、マッチの工場を作って儲けようと思った。マッチというと、若い人は全然分からないのです。「マッチって何ですか?」と聞かれます。えっ?と思いますよ。マッチ分かる方?はい、だいたい歳が高いですね。
若い人のために言うと、マッチというのは、これくらいの棒に発光体である混合物を付けて、擦ると着火してライターの役目をする、そういうものです。なかなか最近は見られませんが、その工場を作ろうと思って、丸太を買って、そして丸太をいかだに組んで、岩手県の石巻の漁港まで運ぼうと思った。ところがその晩、大雨が降って大洪水になって、いかだが全部流されてしまったと言うのです。彼は借金してその事業を興しましたから、自分のお金ももちろん使うし、それだけでは足らないから借金も随分した。一文無しになって、一文無しどころか莫大な借金を抱えて、彼は行き詰まりました。もう死ぬしかない。心は真っ暗闇でした。
そして自殺をしようと思った時に、昔行っていた教会の先生からハガキが来ていたのを思い出した。そのハガキに書いてあった聖書のみことばは、「今の訓練の時はやがて義と平安に変わることがある。」そのみことばを信じて、もう一回やってみようかなと思った。何にもないけど、マイナスのスタートだけど、彼は東京に出て行って、小林富次郎商店というのを作りました。それから信仰が熱心になりました。
東京の本郷教会に海老名弾正という有名な先生がいました。これは新島襄の弟子で、後に同志社大学の総長にもなった人です。海老名弾正は髭を生やした牧師ですね。その海老名弾正が、不思議なことに歯磨き粉の作り方を知っていました。牧師のくせに。そして歯磨き粉の作り方を小林さんに教えたわけです。
それまでは歯磨き粉というのはあまり美味しいものではないし、彼はちょっと考えた。イギリスから香料を取り寄せてそれに混ぜ込んだと言うのです。それからざらざらではなくて、もっときめの細かい粒子にしようと、特別な歯磨き粉を作ったそうです。めちゃくちゃそれが売れたのです。今のライオン歯磨きです。私はライオン歯磨き以外使わないです。クリスチャンのよしみです。コルゲートも使います。ミスター・コルゲートさんも熱心なクリスチャンで、収入の十分の九は献げていたという人です。だからコルゲートとライオン歯磨き、よろしくお願いいたします。
それで小林さんは、それからお金がどんどん儲かったのです。そして孤児院や、教会や、伝道者や、宣教師に、彼は本当に多くサポートしました。そして、誰が見ても彼の人生は輝いていた。そろばんを抱えるクリスチャンと呼ばれました。そろばんを抱えたクリスチャン、やがて彼は五十八歳で天国に帰って行きました。短い人生でした。その葬儀は小林さんの自宅から、キリスト教青年会館、今のYMCAです。そこまで十キロあるのですが、その道のりを一キロの葬儀の列が皆歩いていたというのです。その真ん中に、二頭立ての馬車に遺体が乗せられて、そしてキリスト教青年会館に行った。そのフィルムが残っています。そのフィルムは日本の重要文化財に指定されています。
彼の生涯というのは真っ暗闇でした。もうどうにもできない。いいえ、違う。そこに光が入った。光が入った時に彼の人生は変わったと言うのです。皆さん、光が入るということは、今日もティムが証ししてくれます。彼は悪い男でした。麻薬を売って、自分も麻薬を打って。麻薬というのは覚醒剤どころではないのです。人間を完全にダメにしてしまう、ヘロインという恐ろしい薬を彼は売ったり買ったりしていたのです。そして牢獄に入ってイエスさまを信じました。彼の暗闇に光が入った時に彼はよみがえりました。命ある人生に変わっていったのです。

光と命というのは関係しているのです。私、中学生の時です。学校で「光合成」という作用を習いました。驚きました。無機炭素というのがある。無機炭素が、実は光が加えられると有機化合物に変えられる。有機化合物に光が加わると無機炭素になると言うのです。何のことか分からない。分かりやすく言うと、無機炭素の代表は二酸化炭素。我々が、はーっと吐きだす息に含まれます。我々動物ですけど、動物も、魚さんも、犬さんも、猫さんも、人間も、全部酸素が必要です。でもはーっと吐いた二酸化炭素はいらない、それをもう一方の生き物の植物が吸ってくれるのです。それで「お返しだよ」と言って、酸素を出してくれるのです。
けれども、そこに光が入らなかったら酸素はできないですよね。光が入らなかったら二酸化炭素は生まれないのです。簡単に言うと、光がなかったら生物は生きていけないということです。一瞬にして死んでしまうのです。「光にいのちがあった。この方はいのちの光だった。わたしは世の光だ。」というのは、「わたしはいのちです。」と言うのは、そういうことなのです。イエスさまがあなたの心に入った瞬間、命が生まれる。素晴らしいですね。教会というのは、そういう命を提供するところなのです。

教会は素晴らしいのです。皆さん、私、自分の教会で昔から、教会が成長するにはどうしたらいいか。いつも言っていました。
こんな話があるのです。私の本にも書いてあるから、今売れ行きが悪いものですから、よろしくお願いします。あるお百姓さんがいました。お百姓さんが鍬を担いで畑仕事に行った。貧しい貧しいお百姓さんで、そして自分の畑を持っていないから、地主の畑を耕して、賃金だけで暮らしている小作人というお百姓さんでした。
ある時、田植えをしていました。そうしたら、カチャンっと当たりました。彼は百姓のプロですから、石だったら分かるのです。カチャンっと言った。「宝」と言ったような気がした。そしてそーっと開けてみました。信じられないほどの宝が出てきました。昔誰かが隠したのでしょう。そして彼は埋め戻して、見つからないように、誰も見ていないことを確認して、三個ほど石を置いて、そんなことは書いていないけど私だったらそうするから、そして家へ帰って急いで、「あの宝を自分のものにするにはどうしたらいいか?」一生懸命考えた。真面目な百姓さんで、黙って盗らなかったのです。法的に基づいて正統的な手段でどうしたらあの宝が手に入るか。分かったのです。明け方、彼は家財道具をまとめて、今で言うとリサイクルセンター、質屋さん、そういう所に行った。「すいません!これ買ってもらえませんか?」と言った。「いや〜ガラクタだねぇ。いくらにもならないよ。」『いくらでもいいんです!お願いします!』わずかなお金を握った。そしてその足で急いで地主さんの所に行って、『地主さんお願いします!』「何があった?」『お宅の畑を耕して私たち家族はなんとか命を繋いできました。ありがとうございました。毎日畑を耕しているから、とてもあの一角が気に入りまして、他の所はいらないですので、あそこの一角だけ譲ってくれませんか?』と言った。『お金はこれだけです』と言うと、「それだけあれば十分だよ。」と、今で言う権利書を書いてもらって、畑を自分のものにした。畑に隠された自分の宝も自分のものになった。
これはどういう話か。私たちの力や努力では天国に入れませんよ。けれども天国の隠された畑は買うことができますよ。それが教会なのです。

皆さん、教会というのは素晴らしい所なのです。私、本当に今までの人生、恵の人生だった。私この新城教会と、自分の人生、この新城教会と三十パーセントくらい関わっていると思います。救われた時もそうだし、順先生も高校生の時から友達だし、本当に私の良い友達です。私も辛い時に先生に電話することもあるし、ずっと変わらない友達です。開先生は小さい時から知っているし、本当にこの新城教会は私にとって、それこそ本当に家族みたいな教会です。
私も開拓伝道をしました。開拓伝道というのは本当に大変でした。一人でトラクト配布に行かないといけないし、寂しかったです。結婚した時も家内とトラクト配布をしました。そして家内がこっち、町を半分、私のほうがちょっと少なめにして、ちょっと悔い改めないといけないところもありますが、それで伝道をしました。
やがて土地が与えられて、今の会堂は私が頼みもしないのに、日本で有名な建築家がある日やって来て、「設計させてくれませんか?」『お金ないですけどいいですか?』と言ったら、「いいです。」と設計してくれて、ですから恵みから恵み、神さまは一歩一歩導いて、ここほど広くはないですが、千坪くらいの土地が与えられて、それでブランチのチャーチにも五百坪ほど与えられて、神さまの恵みによって導かれてきました。