〜2022年〜「それは主の復讐の年」
〜伝道礼拝〜「全ての創造物・生き物への良い知らせ!」

2022年10月9日(日)新城教会主任牧師 滝元順

マルコによる福音書16章14〜15節[口語訳]
『その後、イエスは十一弟子が食卓についているところに現れ、彼らの不信仰と、心のかたくななことをお責めになった。彼らは、よみがえられたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。』

ハレルヤ!
お隣の方に、「あなたを祝福します!」と宣言してあげてください。
素晴らしい二組のプロのミュージシャンたちの賛美を聴かせていただきましたが、心温まる主の臨在を感じました。

昨日は結婚式がありました。出席してくださった方も多くおられますが、まなえちゃんと浅井くんの結婚式でした。お二人は礼拝に来られていますか?大きな拍手をしてあげてください。
 この写真、結婚式前に私が撮った写真ですが、嬉しそうですね。まなちゃんは終始、笑顔でした。浅井君はちょっと控えめで、このピースの雰囲気が彼の性格そのものを表している感じです。これからも結婚式が増えるといいですね。

しかし先週は一つ、悲しいことがありました。以前、新城教会に来られていた堀内晋子さんが召天されたからです。韓国からお嫁に来られた方ですが、明日は二時から召天式が行われます。お時間が許す方は出席していただきたいと思います。
彼女は一九九二年に新城教会に来られました。新城教会が最も大変な時期でしたが、支えて下さいました。本当に熱心に祈ってくださり、甲子園ミッションにも多く献げて下さいました。
最近は東京の方に居を移されて、東京集会に出席されていたのですが、明日は、新城にて召天式が行われます。

本当に教会は、日々刻々、いろいろなことがあります。実際にイエスさまがおられなかったら、どうなるのかという場面が多いです。
実は私の家内のため祈っていただきたいのですが、先週、入院してしまいました。最近、少し調子を崩して、また、術後に投与される抗がん剤も始まったりして、食欲がなくなったり、不具合があって入院しています。今日は病院から礼拝に出席しています。今まで三年間生きてきたのは、大きな奇跡ですが、今後、さらなる奇跡が起こるように、祈っていただきたいです。主はいやし主であり、生きておられることはすでに証明されています。心を一つにして主を求め、敵と戦っていくとき、さらなる大勝利につながるはずです。

また、新型コロナに感染された方々もおられたり、いろいろたいへんです。そんな中、真の神さまを知らなかったら、どうなっちゃうのか?と思います。

私はクリスチャンホームに生まれて、知らないうちにクリスチャンになったようなところもあります。母親のお腹の中で、クリスチャン菌に感染したような者ですが、今になって、「いや〜本当に良かったな。」と、実感しています。人生にいろいろあって、こんな時、神さまが誰かわからなかったら、どんなに辛いだろうと思います。神が誰であるのか分かっているのは、素晴らしいことです。
今日は伝道礼拝です。まだ神が誰か特定できていない方がいたら、今日、ぜひ、特定していただきたいです。自分が存在するという事は、両親がいる証拠です。しかし世の中には両親と名の付く人たちは多くいるわけです。その中で自分の両親が誰か特定できなかったら、寂しいですし、親の遺産だって相続できません。同様に、真の神さまを特定することは本当に重要です。日本には八百萬の神々がいて、誰も真の神を特定できません。これは不幸なことです。

昨日の結婚式でも話したのですが、この漢字、読めますか?
「邂逅」・・「かいこう」と読むらしいです。その意味は、「思いがけなく出会うこと」という意味だそうです。思いがけなく教会に来て、イエスさまと出会ったのだと思います。いろいろな条件が重なって、教会に来たな〜と、クリスチャンになるなんて、サラサラ考えた事はなかったけれど、思いがけなくなってしまったという人が多いと思います。

ユダヤ人の宗教哲学者「マルチン・ブーバー」が、「人生は出会いで決まる!」と言いましたが、思いがけない出会いで、人生は新しい展開に向かいます。
この話も、昨日の結婚式でしたのですが、森信三(もり のぶぞう)という哲学者がいます。この人は愛知県半田市出身です。クリスチャンではないと思うのですが、彼がこんなことを語っています。

「人間は一生のうち逢うべき人に必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。」

何を意味するのかと言ったら、「偶然の出逢いはない」と言う意味です。背後に何らかの導きがあったのです。一つ言えることは、あなたがイエスさまと出会ったのは、天地宇宙を造られた神が、あなたと出会いたくて、計画されたからです。そこには神の愛と祝福が組み込まれていたのです。

巷を見れば分かりますが、結婚式は華やかでも、その後の結婚生活において、不幸な展開があまりにも多すぎます。あんなに愛し合っていたのに、どうして切れてしまったのか?みたいな人たちが多いです。そのような体験をされた方もおられると思います。
聖書はこう語っています。伝道者の書四章十二節、

『一人なら打ち負かされても、二人なら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。』

結婚とは、二人が一つとなる契約です。しかし二つ撚りの糸は切れやすいのです。しかしもう一本の糸をその中に織り込むならば、そう簡単には切れないのです。でも、無理をすれば切れるということも意味します。
このもう一本の糸とは、イエスさまのことです。人生の中に、イエスさまが入って来られたら、簡単には切れなくなります。
それはすべての事柄に言えます。結婚生活だけでなく、他の人間関係においても、仕事においても、学校においても、イエスさまという糸を人生のロープの中に織り込むならば、「簡単には切れない」のです。しかし人間には自由意志が与えられていますから、無理をすれば切れることにもなります。
伝道者の書十二章一節、

『あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。』

なるべく早く、創造主なる神を覚えてくださいと聖書は勧めています。

さて、先ほど読んでいただきました聖書の箇所は、大変有名な箇所です。口語訳聖書マルコによる福音書十六章、特に十五節、

『そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。』

「福音」とは、英語では「ゴスペル」、「良い知らせ」という意味です。しかしこれは、聖書の専売特許の言葉ではなく、イエスさまの時代、今から二千年ぐらい前ですが、ローマ社会で一般でも使われていた言葉でした。どういう形で使われていたのかと言うと、「戦争に勝ったぞ!戦いに勝利した!この良い知らせを聞いてくれ!」と、戦場から走ってきた伝令が、息を切らせながら街に入ってきて、伝えた知らせが「エウアンゲリオン/福音」でした。この「福音」という言葉を聖書は、我々の救いと結びつけているわけです。
イエス・キリストによってもたらされたこの福音を、「すべての造られたものに宣べ伝えなさい!」と命令しています。教会は、この福音を、一人でも多くの方に、様々な機会を通して伝えたいと願っています。
しかしこの「すべての造られたもの」の「もの」のが、口語訳聖書では平仮名表記されていますが、皆さんが使っている聖書は「すべての造られた者」と、「者」すなわち、「人」になっています。
しかし英語のニューインターナショナルバージョンなどは、「to all creation.」となっています。これは「すべての被造物に」という意味になります。
ギリシャ語では、「ktis’-is」という言葉が使われていて、これは「創造、生き物」の意味で、「全ての創造物、全ての生き物」に対する良い知らせとなります。
教会で述べられているイエス・キリストの福音とは、人に限定されるものではなくて、すべての創造物に対しての良い知らせなのです。すべて神が創造された被造物が、敵の手から解放されて「自由になりました」という知らせが福音なのです。
全ての創造物、生き物への良い知らせ!それが福音です。
福音とは、あなたのペットたち、草花、山も、川も、木々も、海も、魚も、鳥も、家畜も、大地も、空も、星も、宇宙も、何もかもを含む、壮大な良い知らせです。

人間は、どのような存在かについては、よく語っているので理解していただいていると思いますが、人は「全ての被造物の管理人」として造られたのです。人が救われ、管理人として被造物のほうに向くとき、福音は完成します。
ということは、あなたの救いによって、神が造られた被造世界全体が息づくのです。ここに福音の奥義があります。
管理人は、死んでしまっているような環境に対して、主のみ名によって福音を宣言する役割です。うめいている被造物の所に行って、「うめきから賛美に変われ!」と宣言する使命があります。
一般的に「自然界」と言いますが、私は「自然」という言葉が好きではありません。それは「自ら然り」という、神を否定する響きを含んでいるからです。被造物世界、創造世界の方がいいです。教会は本来、被造物全体への福音を掲げる場所なのです。
クリスチャンになったのは、神の計画の中、あなたを回復して、被造世界全体の回復に関わらせようと願っておらるからです。
そのことを知る時、人生の価値観が大きく変わります。あなたを通して生き返る被造世界が多くあるのです。関心を持っている様々な領域、「私は植物に興味があります!」「私は動物が大好きです!」「私は食べ物が大好きです!」とか、いろいろあると思います。そこは管理の領域です。その領域が回復して、主をほめたたえ賛美するように宣言しましょう。

神さまは被造世界を最初、完璧に造られたのですが、神の前で仕えていた一部の天使たちが反逆して、悪魔・悪霊どもになって、被造世界を乗っ取ってしまいました。その結果、被造世界はうめきの中に閉じ込められてしまったのです。しかし、人が福音によって救われ、管理人の立場に戻るならば、世界は変わるのです。

以前、一度話したと思うのですが、植物ってすごいです。
「植物は、明るさ・暗さ・時間・日付・季節・寒さ・暑さ・満月・新月・地球の回転・圧力・気圧・標高の高さと低さ・晴れの日・雨の日…。これらすべての情報を管理しないと、翌年にまた芽を出すことができない」そうです。
被造世界の諸要素を全て取り込んで自ら計算して、次の年に芽を出す時期を決めるというのです。一つでも情報がかけると芽を出せないのです。
植物には、これらを管理する「脳がある」というのです。人間だけに脳があるのではないのです。神さまはなにげない植物に、コンピューターみたいな、人間よりも優れた機能を組み込んでおられます。神が造られたものは、すべて神とのチャンネルがあって、目的があるのです。
私たちの地球は、銀河宇宙という星雲の中にあります。銀河宇宙のような星雲は、二兆個以上あるといわれます。人を宇宙全体から見たら、腸内細菌よりもはるかに小さい存在かも知れません。しかし神にとっては、人類が鍵なのです。このような微小生物と神は交わりを持ちたいと願っておられるのです。

人間を中心にすべては創造されています。バナナがもしも進化したのならば、そう簡単には剥けないように進化したはずです。みかんだってそうです。みかんは一口サイズにカットされています。誰がカットしたのでしょうか。被造物は、人が神から委ねられた使命を果たすように、人類に協力しているのです。「私たちのうめきを賛美に変えてちょうだい!」と叫んでいるのです。

日本では、進化論しか教えられていません。そのために、なかなか創造主なる神に到達できないのです。
「進化論」、誰でも知っている、「エボリューション・セオリー」、それは、チャールズ・ダーウィンによって提唱されました。
ダーウィンは、元々、牧師になろうとケンブリッジ大学の神学部にいた人物です。彼が「種の起源」という著作を発表した事によって有名になりました。現代において、進化論は神を否定するキリスト教最大の敵のようになっています。しかし十九世紀のヨーロッパのキリスト教的背景を知らないと、ダーウインの提唱した進化論を理解できません。難しい言葉で言えば、ダーウインの進化論とは、十九世紀ヨーロッパの「啓蒙主義的キリスト教」を背景に出てきたものです。それは現代、我々が理解している「進化論」とは、少々違います。
ダーウィンの進化論では、宇宙を創造した神が存在するというのは前提です。しかし神が人格的な存在で、私たちを愛してくれている存在だということに関しては、欠けています。悲しいことです。