〜この地に植えられ70年〜
主イエスよ来てください!
被造物と共にうめく

2023年4月30日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ローマ人への手紙8章18〜23節
『今の時の苦難は、やがて私たちに啓示される栄光に比べれば、取るに足りないと私は考えます。被造物は切実な思いで、神の子どもたちが現れるのを待ち望んでいます。被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります。私たちは知っています。被造物のすべては、今に至るまで、ともにうめき、ともに産みの苦しみをしています。それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
今日はメッセージを語らなくてもいいくらい、賛美の中に主の臨在が溢れていました。キリストのからだは実に素晴らしいですね。日本から何千キロも離れた、日本から見たらさい果ての地、南アフリカで、同じ主イエスさまを礼拝している人が、一緒に礼拝すると、同じように聖霊さまが働いてくださるのです。私たちが信じている神さまは、なんと偉大でしょうか。Nファミリーはトヨタ関係で南アフリカに行かれたのですが、それは神さまの計画以外の何ものでもなかったのです。
もう一度、偉大な主に、拍手をおささげしましょう。ハレルヤ!

ヨハネの黙示録二十二章十六節〜十七節は、すべてのクリスチャンの希望です。

『御霊と花嫁が言う。「来てください。」これを聞く者も「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水が欲しい者は、ただで受けなさい。』

「来てください。」という叫びは、すべての聖徒たちの切なる思いです。日本のクリスチャンも「来てください。」と叫んでいます。また、南アフリカの兄弟姉妹も「来てください。」と叫んでいるはずです。イエスさまが王となって、地上に帰って来てくださる日を待ち望んでいます。
今、地球という星は混迷を深め、病んでいます。ウクライナでの戦争が、なかなか終結しない中、今度はスーダンで戦いが始まりました。
 スーダンって、知っていますか?南アフリカから北に登った場所が戦地になっています。多分、ウクライナの戦争はまもなく終わります。どうしてか言うと、ウクライナとの戦争で、ロシアを強力に支援しているのが、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」です。この戦争は、ワグネルにとって、あまり儲からないらしいのです。
この間、ワグネルはスーダンで、今回の戦いの発端となった「RSF」と組んで、金を掘って、ロシアに密輸していたと言われます。ウクライナで儲からなくなくても、スーダンは儲かるのです。スーダンの正規軍と戦うRSF支援のために、ワグネルは兵を送りたいのです。そこで勝利すれば、金の利権を独り占めにできます。すべて「経済と霊的戦い」が絡んでいます。

実は「スーダン」は、聖書の中に登場します。世界宣教は、「エルサレム・ユダヤ・サマリア・地の果て」と、聖霊が注がれた時に語られました。そんな中、ある意味、主が最初に目をつけられた大陸がアフリカでした。ピリポがエチオピアの女王、カンダケの高官で、女王の財産を全て管理していた、いわば国の代表者であるエチオピア人に遣わされたからです。そして彼を救いに導きました。それは伝道者を、アフリカに遣わしたことに他なりません。
「エチオピア」と訳されていますけれど、地域的には現在のスーダンです。その地は当時「ヌビア」と呼ばれていて、ヌビアは「ヌブ」、「金」という意味です。
今のスーダンでの戦いは、聖書時代から続いている金をめぐる戦いです。主は最初に、エチオピアの高官を導いて、その国に福音を投げ込み、アフリカ全体を勝ち取ろうとされたのです。
旧約時代、エチオピアは「クシュ」という名で呼ばれて、度々登場しています。アフリカは重要な場所です。今日は、南アフリカから来られたマギーさんと一緒に礼拝しましたけれど、アフリカの祝福のために、祈ろうではありませんか。その時、イエスさまが帰られるスイッチが入るのかもしれません。

今から十数年前、主が私に、「エジプトに行ってとりなし、祈って来なさい。」と語って下さいました。エジプトは、アフリカの北の端です。はじめ、「そんなことできるのかなぁ・・」と思っていたのですが、やはり主が語られると、しるしも与えて下さいます。
毎週、月曜日は愛知県民の森で祈るのですが、私がエジプトに行かなければと感じていた頃、何も話していないのに、一人の人が来て、「私の目の前にピラミッドがいっぱい出てきて、それをはねのけようとするのですが、どんどん迫ってくるので、祈って下さい。」と言うのです。そして行く為の費用も与えられました。それで、私と二人のスタッフたちと共にエジプトに行きました。
聖書の中で最初の霊的戦いは、どこから始まったのかと言うと、エデンの園から始まりました。しかし敵に対する反撃の火蓋が切られたのがエジプトでした。それはヘブル民族の「出エジプト物語」の中に、霊的戦いの激しい側面が描かれているからです。
救いは、出エジプトからカナンの地に入るというプロセスに象徴されます。同時に、出エジプトからカナン入国は、再臨の概念も含まれます。
ゆえにその舞台となったエジプトは、歴史的に、たいへん重要な国です。主はその国に、祈りを置かなければいけない!と語られたのです。

今、アフリカには多くの国があります。しかし国々の線引きがなされたのは、近代の事です。ヨーロッパによって強引に区切られたのです。元々のアフリカの根源は古代エジプトにあります。
エジプトには紀元前四千数百年前から、文明が栄えていました。高度な文明が、当時、そこにはありました。
しかしBC一千九百年頃だと思われますが、ヨセフというイスラエルの少年がエジプトに売られたことによって、やがてヨセフの親族、七十人がエジプトに移住しました。彼らはそこで四百三十年過ごして、多くの子孫が生まれ出たというストーリーが、出エジプト記に記されています。当時からエジプトは偉大な国で、彼らは太陽神ラーを主神として礼拝していて、彼らの暦は「太陽暦」でした。世界中、太陰暦のただ中で、エジプトでは一年を三百六十五日とする太陽暦を駆使して、高度な文明を築いていました。

日本は太陽が国旗になっています。日本はエジプトと同じ太陽神礼拝の国です。日本の太陽神は「アマテラス」という神名で呼ばれ、拝まれています。その意味においても、日本の教会は、エジプトに行って、主の勝利を宣言する必要があると思われます。

エジプトのカイロの博物館に行きますと、「イスラエル碑」と呼ばれる、かつてイスラエルがこの地に住んでいたことを示す碑文を見学できます。
 ヒエログリフと言って、普通では読めませんけれど、右から読むらしいです。これで「イスラエル」と読むらしいです。
歴史は、権力者によって記されると言われるように、ここでは「俺たちはイスラエルをやっつけだ。あいつらはエジプトによって滅ぼされた」と記されているそうです。けれども事実は逆で、エジプトは聖書の神によって、散々な目にあったわけです。

 太陽礼拝の中心地に行ってとりなし、祈る為に、私はいろいろと調べました。太陽は被造物ですから、それを神として拝む事は偶像礼拝であり、大きな罪です。調べてみると、太陽礼拝の発祥地は「ヘリオポリス」という場所である事が分かりました。そこには今でも、最古のオベリスクが建っていて、その地が原点である事が分かります。オベリスクは太陽光線を現しているとか、太陽神そのものとも言われます。「ギザ」という場所が、ピラミッドで有名ですが、そことヘリオポリスは一直線上に繋がっているらしいのです。

 十数年前は情報が少なくて、Googleで調べても、今のようには分かりませんでした。
私たちはまずはアレキサンドリアという街に行って、そこからとりなしを開始し、その後、列車でアスワンまで移動しました。エジプトでめんどうなのが、数字が本物のアラビア数字表記で読めない事です。どのホームに行っていいのかわからなくてたいへんでした。でも、なんとかアスワンまで行きました。
そこには有名なアスワンハイダムがあって、イシスというエジプト神話の女神の古代神殿があります。それは、世界中に悪影響を与えています。フリーメイソンとか、カトリックのマリア礼拝の根源もイシスです。
エジプトでもう一つ大変なのが、タクシーに乗る時の交渉です。旅行者の誰でもそう言うのですが、思いっきり喧嘩しないと、思いっきり高くふっかけられます。私は常に喧嘩ごしで、一緒に行った人がつまずいたほどです。しかしいくらタクシードライバーと戦っても、観光客は倍ぐらいにふっかけられます。ヘリオポリスには最終日に行こうと考えていました。
その前日、アスワンからカイロまで、わけのわからない国内線で移動しました。続いて、カイロからヘリオポリスまで、どう移動したらいいのか、祈りながら飛行機に乗りました。小さな飛行機でした。
機内で何気なく、機内誌を前席のポケットからとり出して開いて見ました。すると何があったのかと言うと、その月の機内誌の特集が、なんと、「ヘリオポリス」についてでした。その場所の意味と、観光案内が詳細にレポートされていたのです!
なんと前日の国内線の機内で、すべての情報が手に入ったのです。それでヘリオポリスまで、無事に行って祈った思い出があります。
実は今回、四月度の霊的戦い専門課程は「古代エジプトと霊的戦い」というテーマを取り上げさせていただきました。また今日は、マギーさんが来てくださったり、先週は、スーダンで戦いが始まったりして、アフリカの為に祈るように導かれています。

さて、解放者「モーセ」は、どのようにして引き出されたのでしょうか。出エジプト記二章三節を見ると、

『その子のためにパピルスのかごを取り、それに瀝青と樹脂を塗って、その子を中に入れ、ナイル川の岸の葦の茂みの中に置いた。』

と記されています。当時、ヘブル民族が増えたのを恐れたファラオは、彼らを危険視して、「ヘブル人の男子が生まれたら殺せ」と助産婦たちに命令を下しました。
モーセが生まれた時、初めは隠しておいたのですが、三ヶ月くらいして隠すことができなくなって、やむを得ず、モーセをカゴに入れて、ナイル川に流したのです。
すると、ちょうどファラオの娘が水浴びに来ていて、その子を拾い上げ、なんと、王宮で育てたのです。よくできたというか、よくあるストーリーっぽいですよね。クリスチャンでない人が読めば、「聖書は神話ですよ。モーセの物語を見てください。こんなことって、ありっこないですよ。創作です!」と言います。

実は今回、エジプト神話を調べて、なぜモーセがファラオの娘に拾われて、王宮で育てられたのかの理由がわかりました。そこには神の深い摂理と、エジプトの神々に対する裁きを行うために、主がこのことを成されたと理解できました。
当時、エジプト人なら、誰でも知っている一つの神話がありました。それは、イシスとセト、そしてオシリスという神々に関する神話でした。
セト神は破壊神でした。彼はオシリス神が大嫌いで、ある日、オシリスを金の棺に閉じ込めて、ナイル川に流してしまいました。しかしそれを知った女神イシスが、オシリスを探しに出かけて、ナイル川の千キロぐらい下流で、オシリスの棺を発見したのです。
イシスが棺の蓋を開けると、すでにオシリスは死んでいたのです。けれどもイシスは呪術を使って、オシリスを生き返らせて、オシリスは冥界を支配する神となったというストーリーです。それは古代エジプトでは、有名な神話の一つでした。
当時、「ファラオの娘」とはどういう存在であったのかと言うと、ファラオは神で、そのファミリーも、神話に対応する神々であるとされていました。
ということは、ファラオの娘がモーセが入った棺みたいなカゴを見つけたのは、イシスがオシリスの棺を見つけたのと同じ意味なのです。当時、王女はイシスの化身とされていたのです。王女がナイル川で助けたモーセは、まさに、オシリスの発見でした。ゆえに王女がモーセを王宮で育てたのは、当然のことでした。
神はこのような悪しき神話を打ち破るために、モーセを使ってエジプトを解放されたのです。出エジプトは、エジプトの神々に対する裁きでした。