〜この地に植えられ70年〜
ここは天の門だ!

2023年1月29日(日)新城教会主任牧師 滝元順

創世記28章16節〜18節
『ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いだ。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
今の演奏、クラリネットを分解していくとは、夢にも思いませんでした。すごい演奏でしたね。心から感謝して、もう一度拍手しましょう。あらゆる方法をもって主をほめたたえること、本当に感謝です。

今日は韓国からチェ先生の奥様をはじめ、兄弟姉妹をお迎えしています。今からチェ先生の奥様に、証しと報告をしていただきたいと思います。ご主人のチェ先生にも、たいへんお世話になっています。コロナの中、リバイバルミッションの配信などでよく奉仕をしてくださっています。また私の家内のためにも、本当によく祈ってくださっていました。今も祈ってくださっています。お話を伺いしたいと思います。

<みつよさん挨拶>
ハレルヤ!三年ぶりに新城教会に来ることができて本当に感謝しています。新城に来ると、享子さんが中庭で待っていてくださって、「みっちゃん、いらっしゃい!」といつも言ってくださっていました。今回、その事を思い出しながら、享子さんに会いたいなぁと本当に寂しく思いました。
寛太さんと享子さんが、大勝利のうちに天に凱旋されて、今天からイエスさまと共に祈って、応援してくださっていることを思う時に、本当に励まされています。

里辺架ちゃんが、享子さん、お母さんのことについて、インスタで文字を書いていたのですが、ちょっと勝手に使わせていただきます。

「大好きなお母さんが天に帰った。パワフルでいつも私たちのことを気遣ってくれた。最後の最後まで愛あふれる最高のお母さんでした。あなたのような優しい人にどうやったらなれるかな。イエスさまを愛し、家族を愛し、最後まで勇敢に戦う姿がかっこよかった。」

という言葉を残していました。一番近い家族から尊敬されるというのは、本当に最高の称賛ではないでしょうか。そして本当に麗しい実を結ばれたんだなぁというふうに思いました。
順先生と享子さんが韓国に来られると、いつも私たちが一緒に車で韓国のいろいろな場所にとりなしに行ったり、また集会に行ったりしました。享子さんとそのようにいつも交わりをしながら、いつも享子さんは私たちに対しても本当にとても優しくて親切で、気遣ってくださり、「韓国でみっちゃんはよく頑張っているね!」と言って励ましてくださいました。
そのような本当に心の優しい享子さんだったから、誰も目に留めることのなかった朝総連や朝鮮学校のことを心に留めて祈りを始めてくださったと思います。
私たち夫婦は享子さんを通して、主からいただいたみことばがあります。ヘブル十三章三節のみことばです。

『牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。』

享子さんが神さまの栄冠を受けるために目標を目指してこの地上でするべきことを一心に走り尽くして天に帰られました。今度はそのバトンを受け取って、このみことばを行っていく者になりたいと思っています。

二〇一九年にソンミン教会で「韓国リバイバルミッション」の集会がもたれたのですが、その時に二人の脱北者夫婦が来られました。若い夫婦なのですが、そのご夫婦が来られて、順先生と享子さんが、真剣に祝福してお祈りをしてくださいました。その脱北者夫婦のご両親は、在日として日本で生まれました。おじいちゃんおばあちゃんが日帝時代に日本に来られて、日本で生まれ育ったのですが、南北戦争が起こって、そしてその後に、北朝鮮と韓国に分かれてしまって、そして北朝鮮の方では帰還事業といって、北朝鮮に戻っていくという船が出たのですが、そのご両親が船に乗って北朝鮮へ帰られました。もちろん出身は南の方なのですが、そして二度と日本に戻ってくることはできなかったのです。北朝鮮では貧しさの戦い、そして少しでも「日本が良かった」というような発言をすれば、すぐに収容所に入れられるような緊張と苦しみの連続の生活を北朝鮮でしたと言っていました。そのご両親たちは亡くなられる前に、「日本に帰りたい。一度でも日本に行きたい」と言いながら亡くなったと言っていました。
そしてその脱北者のご夫婦はリバイバルミッション二〇一九年、コロナの前の最後の集会に参加されました。そしてその時に日本に対するこのリバイバルの思い、そして朝総連の救いのために、神さまから熱い想いが注がれて、このコロナの三年間の間、本当に日本と朝総連のために祈って来られました。そして自分が所属するハレルヤ教会にもそのことを証しして、また祈りを要請して、三年の間、日本宣教の準備をされています。
享子さん一人の祈りから、このように拡大されていることを私たちは見ています。
そして現在、朝鮮学校の為にイ宣教師という方が本当に重荷を持って仕えておられるのですが、その宣教師は実は日本宣教のために思いを持って来日されたのですが、本当に日本宣教に疲れ果てて、「もう私はできない」と、「私は韓国に帰ろう」と思っていた時に、春川の先生方が朝鮮学校を訪問するために新城に来られていた時に、「宣教師もおいでよ」と誘ってくれて、それで一緒に朝鮮学校を訪問したのです。その時にイ宣教師は神さまから熱い思いが与えられて、「私の使命はこれだ!」と受け取って、それで働きを始められました。
それから四、五年経っていると思うのですが、神の国はこのように拡大していくものだと、享子さんを通して見せられ教えられています。

享子さんが闘病中に、私は享子さん順先生が韓国に来られる夢を三回見ました。元気になった姿で韓国に来られる夢を見ました。それで私は必ず享子さんは癒されて韓国に来てくださる!と、本気で信じて私は祈っていました。勝門君が順先生のためにお祈りしている映像を見たのですが、勝門君がこのように祈っていましたね。
「ばぁばがいるのと同じように生活できるように。」と祈っていたのですが、本当に順先生が享子さんと一緒にいるように、これから天と地を繋いだ働きが開かれていくと信じます。

先生の目と耳が完全に癒されて、そして今まで以上の力強い働きが開かれていくことを私たちは祈っています。勝門君の祈りもあるから、きっとそうなると思います。

最後に、シャローム教会はみんな元気に過ごしています。このコロナの三年間の間も本当に守られて、私たちはちょうどコロナが始まった頃に金浦に引っ越しをしたのですが、金浦の引っ越しした家で礼拝を三年間の間ずっと続けていました。そして去年、シャローム教会が開拓十周年だったのですが、ついに会堂が与えられまして、皆で集まって喜びの中で礼拝を捧げています。是非皆さんも韓国に来て、共に礼拝を捧げることができたら嬉しいなと思います。本当にいつもお祈りを感謝します。
==

ありがとうございました。光世さんは韓国に嫁いで、二十年になります。光世さんのおじいさんでしょうか。日本から韓国に宣教師として渡った第一号です。不思議な方法で新城教会、リバイバルミッションと結び合わされました。今は日本と韓国の一致と救い、そして、北朝鮮の方々の救いのために一生懸命祈り、働いておられます。
私の家内が関わったことによって、日本と韓国の様々な壁が崩れました。午後に「霊的戦い専門課程ダイジェスト」があるのですが、今回は、「滝元享子の一生と霊的戦い」というテーマで話をします。ダイジェストなので、ほんの三十分だけですが、専門課程にも登録していただき、お聞き下さい。
私と家内は二人三脚で、働きを行って来ました。彼女が糸口を引っ張り出して、私がそれを形にする働きを続けてきたのですが、家内がいない今、どうしたらいいのか・・・、みたいなところもあるのですが、皆さんの祈りに支えられて感謝します。

先ほど読んでいただいたみことばは、創世記二十八章です。今朝のバイブル・リーディングでは二十七章を学びました。すごくタイミングが良いですね。イサクとヤコブについて、二十七章で学びましたが、二十八章ではヤコブの見た、不思議な夢について述べられています。
今年、新城教会は「新城宣教七十周年」の記念の年です。両親が新城市に入って教会をはじめて、七十年が経過しました。
聖書中「七十年」とは、意味深い数字です。ユダがバビロンに捕囚にされて、七十年経って、解放されました。これは有名な話です。
また一般的にも、王が即位して、七十年国を治めると「プラチナ・ジュビリー」と呼んで祝われます。昨年はエリザベス女王が、七十年間イギリスを治めたということで、「プラチナ・ジュビリー」が祝われました。しかしその後、彼女は亡くなりました。「ジュビリー」とは、「ヨベルの年」を意味します。プラチナ・ジュビリーとは、五十年プラス二十年という計算です。
二〇二三年は、ユダヤ暦から計算すると、ヨベルの年にあたるという説があります。そもそもどこから歴史が始まったのかは定かではありませんから、何とも言えないのですが、ユダヤ暦、五七八四年という数字から計算すると、ヨベルの年になるそうです。

ヨベルの年とは、七年ごとに土地を休ませる安息年が七回続いて、その翌年、五十年目の事です。聖書はヨベルの年を大変重要視しています。
このヨベルの年の概念は、最終的にはイエスさまの再臨、クライマックスにつながっています。
ヨベルの年には「畑の休耕」がなされるのですが、七年毎の安息年の休耕と合わせて、二年間休ませます。これは被造物にとっても休憩の年なのです。土地も使い続けると痩せますけれど、ヨベルの年になると二年間休耕となり、土地も回復します。相当信仰がないと、なかなか実施できません。

また、「売却されていた土地の返還」がなされます。やむを得ず、先祖の土地を手放さなければならず、他の地に寄留しなければならなかった人たちも、ヨベルの年になると先祖の所有地に戻ることができるのです。
もともと人は、「エデンの園」という、最高の土地に置かれ、何の不自由なく生活していました。しかしそこから追い出されたのが、聖書の歴史です。ヨベルの年の概念は、もう一度、最初に与えられた喜びの土地に帰ることができます!という、重要な霊的意味合いを含んでいます。

またヨベルの年には「奴隷解放」もありました。奴隷制度は近年までありましたが、一度、奴隷になったら、二度と横暴な主人から離れることはできません。しかしヨベルの年になれば、奴隷達は自由の身になるのです。
悪魔の奴隷となっている人たちが解放される年、それがヨベルの年です。救いの概念につながっています。

また「借金もすべて免除される」という、素晴らしい制度もありました。しかし、この制度が守られた記述はないそうです。これができたら、世界中、幸せになるのではないでしょうか。
今年は限りない、喜びと希望の年になると信じたいです。

実は私の家内が召天して、今日で四十日目です。私は四十日間、ひとりぼっちで生きています。しかし皆さんの愛によって日々、支えられ、守られていることを、心から感謝致します。
私の家の階段に、誰かは知らないけれど、そっと食べ物を置いてくれたり、食事に誘って下さったりと、私は愛されているなぁと感激しています。いろいろいただいて、自分で食事を作る暇もありません。このまま一生続くといいなぁと思っていますが・・。家内が亡くなったことは、本当に悲しいことですが、多くの愛に感動し、また、ちょっぴり良いこともありました。
それは、我が家にヨベルの年が実現したからです。実は十年近く前になりますが、娘・里辺架と陽介の家を建てることになりました。しかし彼らの所得が少なくて、銀行借り入れができませんでした。私が銀行に借り入れを申し込んだら、「年だから駄目」と断られました。
最終的に、家内の名義で借りることになって、二千七百万円借り入れました。それで土地が二万円という田舎に新しい家を建てました。
それから毎月、支払いを続けていました。今までに千二百万円くらい返済しましたが、千五百万円くらい残して家内は召天してしまいました。
すると銀行の支店長がやってきて、「滝元さん、素晴らしい知らせがあります。残債千五百万円、ちゃらになります。」と言うのです。最近では、金を借りる時に、借主が死んだら補填される保険に入らないと貸してくれないのです。ちょうど家内が借り入れをした頃から、義務化されたみたいで、保険料を払っていたのです。まさかその頃は死ぬとは夢にも思いませんでした。しかし今回、家内の死によって、借金が免除されたのです。こんなことならば、五千万円くらい借りておけば良かったなと後悔しているのですが・・。我が家にとっては、ある意味でヨベルの年です。でも、やっぱり悲しいですね。