永遠の愛

でも穐近先生はすごいのです。その時にうちの父たちにこう言いました。「超教派の働きというのは切手のようだ。」と言うのです。最初は舐められる。舐めて貼るわけです。そして貼られる、叩かれる。スタンプでパーンって叩かれて、そしていろいろな所にどんどん送られる。これが超教派の働きだ。すごいでしょ、これ。こういうのをひらめく人なのです。
僕ら小さい頃、いろいろと彼がしたメッセージの中で感銘を受けました。とんでもないひらめきで少しカリスマティックな切れたおじさんでした。突然叫ぶ。「そうじゃないんだよ!」みたいなね。突然叫ばれて、でも僕も多大な影響を受けました。この教会の土台もそこににあったと思います。そんな中で、私たちのこのリバイバルクルセードというのはスタートしました。

普通の教会と同時に、この宣教団体というのを、宣教学の中では「パラチャーチ」と言います。「パラ」というのは平行であるということです。チャーチとパラチャーチ。これをウィキぺディアで見たら、誰かこれしっかりした神学者が書いたんだと思うのですが、“パラチャーチ、(Parachurch organization)とは、クリスチャンが、主の働きにおいて超教派で協力し、世に対する福音伝道と社会責任の使命を果たしていくことである。”と言っていました。
宇アルフ・ウィンターという、もう亡くなってしまいましたが、有名な宣教学者は、「地域教会とパラチャーチとの協力関係を、神が立てられた贖いのための二つの構造としている。」少し難しいですね。
今日特に教会の礼拝に初めて私の同級生が来てくれているのです。僕いつも薪割りをやっていると、彼女はゴミ収集の場所のうちの前に来て、時々話をするのですが、「今度俺メッセージするから来ない?」と言ったら、今日来てくれたのです。「ごめんなさいね、最初分からないような話をして。」
でも私たちのこの教会というのは面白いことに、新城教会なのですが、教会の中にパラチャーチがあるのです。リバイバルミッションです。このあり方においてはいろいろな議論があります。私もそのパラチャーチの中で、宣教団体の中にずっといました。私はリバイバルクルセードの働きをする中で、今度は小坂忠さんと出会って、ミクタムレコードというのを一緒に設立して、主に私はそのコンサートを作ったりするときに、いろいろな教会に訪問したりしました。全くそこからサラリーはもらっていませんでしたが、外に出て行って働きをする。超教派の働きをずっとしてきました。
当時は新しい音楽自体を教会に植え付けていくということがすごく大変でした。ある時期、三年間ぐらいかな。関西地方と名古屋辺りの教会約千くらいの教会を毎年訪問して、そしてポスターとチケットとそれからチラシを持って行って、「こういうものがあるから若者たちを送ってください。」と、そしてチケットを委託していくことをしていました。
そういう働きをしていくと、「お前は誰だい?」と言われて、「その働きは何なんだ?」と言われました。ミクタムレコードというのは設立したときに株式会社の形をとりました。今プレイズは株式会社です。今でこそ「株式会社というのはキリスト教会の中でありか?」みたいのはないのですが、当時はそれですごくなんだかんだ言われたのです。
このキリスト教界全体を私は知るに至りました。うちの兄とかうちの弟の開とかは一緒にグロリアシンガーズをやっていましたけど、彼らは新城教会のスタッフで、着実な働きをしてくれていたのですが、私はそうやって外に行くというか、うちの兄と一緒にやれないのです。
僕たちは水と油なので、同じハゲでも違うのです。僕は彼と一緒にやれないし、向こうも僕と一緒にやれないのです。考え方が違う。洋食と和食とか、大衆食堂とレストランとかね。こういう違いもあるのです。いろいろとあったのです。でもこれも良かったと思うのです。
僕は外に飛び出しました。そこで、「俺は滝元明の息子だぞ!」と言ったって、全然通用しない。「おまえ何者だ?」と言われるわけです。そしてそういう中で、キリスト教界全体の中で生きるということを、ある意味において私は体験的に理解しました。

そこで私が一つ感じたことは、教会というのは、新城教会というこの新城にある教会だけではなくて、いろいろな教会がある。聖書の中に、教会というのは「キリストのからだ」と書いてあります。体にはいろいろな部分があると。ここにみことばにあるように、私たちにはたくさんの部分があります。多くの部分がある。全然違います。似ている教会もあります。こっちとこっちの教会喧嘩しているんだけど、牧師先生そっくり。とかそういうのあるのです。激しく喧嘩しているのです。やはり人間ですから、教会でも喧嘩したりすることがあるのです。でも、喧嘩する人はやっぱり似ている人がぶつかるのです。皆さんもそうでしょう。似た者同士ってぶつかるじゃないですか。仲いいのもあるけどぶつかりますよね。何しろ、いろいろな教会があるということがわかりました。
時には「あんな教会なんかいらない!」みたいなこと言う人があるのですが、でも必要だということがわかります。聖書のみことば、『からだは一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っている。』と書いてあります。『私は目でないから体に属さないと言ったとしても、それで体に属さなくなるわけではありません。』と書いてありますけど、皆さん、自分はどのようなパートにいるのでしょうか?
うちの父は「足の裏でもいい」という本を書いて、「私は足の裏だ」ということを書いていましたけど、あの人は足の裏ではなかったと思います。目だったと思います。あの目。あの目を思い出すでしょう。「ギョロッと」した、僕らみたいな細いつり上がったような目ではないのです。うちの弟の治というのがその目を継いでいます。
僕も彼が死ぬ前、最後死ぬ一二時間前くらいに彼と会ったのですが、父はその目でぎょろっと見て、にやっと笑いました。彼、癌の末期の中で、最後の最後まで自分でトイレに行って、用を足していたのです。
用を足すためにトイレに入ってカシャッと閉めたら、看護師が慌てて尿瓶を持ってきたのですが、それをばっと振り払って自分でやって、そして扉を開けて僕の顔を見てニヤッと笑いました。これが彼との僕のお別れでした。あの目です。愛嬌ある目。僕らのように冷たい目ではないのです。温かい目をしていました。
何しろ、私たちはどこかに属しています。キリストのからだなる教会。新城教会も新城教会がすべてではありません。いろいろな教会があります。この教会には多くの教会からこちらに変わって来られたという方もいらっしゃると思います。ですからかつて行っていた教会と新城の教会とずいぶん違う。また他の教会に属していらっしゃるけど、今はたまたまここにいらっしゃるという方もあります。
でもキリストのからだというのは豊かです。そしてそれを繋ぐ働きというのが、私は宣教団体だと思っています。今日このことに関しては実は掘り下げていくと、非常に面白い。これで二つぐらいのセミナーができるぐらい、いわゆるこのキリストのからだというところの深さというのがあるのですが、今日はこれで一応閉じたいと思います。

父が立ち上げた日本リバイバルクルセードは働きを進めているうちに、リバイバル聖会というのを開き始めました。これは当時の機関紙です。
 「北海道リバイバルゼミナール」とありますが、「ゼミナール」と言うと堅いですけどね。ゼミナールというのはドイツ語でしょうか。セミナーなのですが、ゼミナールってね。うちの父たちは、あまり言ってはいけないのですが、無知蒙昧なところがあって、訳もわからずに「ゼミナール」とつけたのです。ゼミナールというのは普通、勉強会みたいなものですよね。だけどその実際は、大声で主に叫ぶリバイバル聖会。だけどやっているうちに、北海道から九州、沖縄までこのゼミナールが開かれるようになりました。
私はゼミナールが開かれるときに、その事務員として出て行って、後ろにいる伊藤義也君なんかと一緒に行きました。北海道では四百人集まったことがあるのです。そうするとこちらからパソコンを持って行って、四百人を二人で管理して、集会を回したりしていたのです。今でこそ私は事務的なことをあまりやらないのですが、昔はそういうことをやっていました。

この真ん中に見えるのは穐近先生です。うちの父は一九九二年ぐらいに穐近先生と袂を分かつようになったのですが、一九九〇年まではいつも穐近先生を講師として招いていました。
いろいろな人がここにいます。本田弘慈先生、安藤仲一先生、この方を知っている方、手を挙げてください。いらっしゃいますね。安藤先生は、日本同盟教団の有名な方ですね。この方、僕好きでした。
 穐近先生、これ見ただけでなんかユダヤ教のラビかいな?みたいな感じがしますよね。
ある年、北海道の聖会があったのですが、穐近先生が講師のひとりでした。その時に、いのちのことば社のケネス・マクビティー先生の弟さんのエルマ・マクビティーという先生がカナダから講師で来たのです。とても有名な先生です。
その先生がメッセージに立ちました。

そして彼がこのみことばを開きました。英語です。英語が分からない方は、僕も少ししか分からないですが、”If my people who are called by my name..”と、ここから始まるのですが、歴代誌七章十四節です。ここからスタートしました。そうしたら通訳の方がいらっしゃって、北海道聖書学院の教授のかたでが、こう訳したのです。これを。「わたしの名を呼び求めている私の民が自らへりくだり祈りをささげ…」というふうに聖書を読んだわけです。日本語の聖書、新改訳聖書を読んだのです。
そうしたらいきなり穐近先生が立ち上がって、「違うんだよ!」と叫んだのです。集会の中です。通訳者はただ聖書の言葉を読んだだけなのに、「違うんだよ!それは!」何が違うか分からないのです。「兄弟!違うんだよ!」神学者の先生に向かって、「兄弟!違うんだよ!」と、やったのです。もうシーンですよ。
これは教職だけの牧師先生だけの集会でした。これ、穐近先生が言いたかったことは、「訳が違う」と言いたかったのです。”If my people who are called by my name..”というのは、「わたしの名を持って呼ばれる私の民が」という意味です。でも日本語の聖書の訳は、「わたしの名を呼び求めている。」です。「私の名を呼び求めている」というのは、「神さま、神さま。」「イエスさま、イエスさま。」と呼び求めている民が、というふうに訳されているわけです。
穐近先生はアメリカから来た方ですから英語ができる。と同時に、彼には「イエスさまの名前」ということに非常にこだわっていたのです。「そうじゃないんだよ!この訳は違うんだよ!」もうそこでその聖会は台無しになって、その通訳者の先生はプンプンです。全然悪くない。ただ聖書を読んだだけです。その同僚の先生たちなんかも、うちの父の所に来て、「あれは何事ぞ」みたいな感じでクレームを言ってきて、「これからは北海道には私の恩師の穐近先生を連れて来るのは止めます。」みたいな、そんなことに発展しました。懐かしいです。
でも私たちがこの頃使っている二〇一七年度版の新改訳聖書、ここでは少し改善されているのです。「違うんだよ!」というのが届いたのでしょう。『わたしの名で呼ばれているわたしの民が』、これがたぶん原語であるヘブル語に一番忠実なのだろうと思います。

これ、とても大切なことだなぁと私は思います。ここで言われる神さまの前に私たちがへりくだって悔い改めるということにおいては、誰でもいいというのではないのです。私たちクリスチャン、「イエスさまの名が付けられている私たちが」なのです。名前が付けられている私たちが悔い改めるときに、神さまが私たちに応えてくださるということをこのみことばは、私たちに教えているんだと思います。
私たち、どういう名前で呼ばれていますか?私は滝元という名前、望という名前。いつも言われたのは「失望の望だ」と言われました。うちの兄は「不従順の順だ」と言われました。その通りです。不従順な順。失望の望。もう僕は本当に親父にいつも失望ばかりさせていました。一度、言われたことがあるのです。「おまえの言うことを聞くと全部外れる!」と言われました。「もう駄目だ!お前の言うことは聞かない」って。
教団とのいろいろなごちゃごちゃがあったときに、僕はいろいろとアドバイスをしました。僕は意外と親父と近い関係で、「親父こうやったほうがいいぞ!」とか、勝手なことをいっぱい言うわけです。垂れ流しのようにね。そうすると、「そうか。」と、うちの親父は真面目なので、「やってみる。」と。
やってみると失敗するのです。それが三回ぐらい続いたら、「もう俺はおまえの言うことは聞かん!」みたいな、失望の望だったのです。今もそうかもしれませんけど、僕が言うことは聞いてはいけませんよ、皆さん。適当なことしか言いませんから。カラスが取れたとか、そのぐらいはいいですが、あまり近づかない方がいいかもしれません。ライフスタイルが違いますからね。