それで、ノアは水が地から引いたのを知った。

2023年1月8日(日)新城教会牧師 滝元開

創世記8章11節
『鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。』

それでは、今日のみことばを学んでいきたいと思います。今年、二〇二三年に私に与えていただいたみことばを最初にお読みしたいと思います。創世記八章十一節のみことばです。

『鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。』

このみことばの最後に『それで、ノアは水が地から引いたのを知った。』とありますが、そのままタイトルとし、お話しさせていただきたいと思います。

昨年一年間と言うか、新城教会にとっては、約三年半の間、大きな戦いがありました。そのような中でコロナも起こりましたけど、それとともに命に関わる様々な戦いがあり、その中で私たちの思いをはるかに超えた、神さまのご計画が、主の偉大な計画の中で、また永遠という主のみ手の中で、主のご計画が現されていることを覚えて心から感謝しています。

今年の新城教会のテーマが、「この地に植えられ七十年、主イエスよ、来てください」というテーマが立てられていますけれども、この新城という地に植えられて七十年、そしてこの地のリバイバルを皆さんとともに、また日本中の愛する教会、先生方、兄弟姉妹とともに、祈り求め続けてきましたけど、その中で神さまの栄光が現されていることを本当に心から感謝しています。

先週の聖日一月一日のみことばを、順先生が取り付いてくださいましたけども、その中でタイトルの最後に「勝利・感謝・主に栄光」というタイトルが付けられましたけど、人間的には「勝利だ!感謝だ!主に栄光だ!」と言い切れないことがあるのかもしれないですけど、神さまの永遠というみ手の中にある時、勝利・感謝・主に栄光は変わることがないことを信じて、心から感謝しています。

昨年秋に一つのメールが地球の裏側のブラジルから「またこの歌を歌ったのでぜひ見てください。」と送られて来ました。この礼拝の中でも何度も紹介させていただきましたザワメキの「勝利・感謝・主に栄光」をブラジルの教会の方々が歌ってくださっています。つい先日の集会の模様が送られてきて、二時間半ぐらいの集会だったのですが、長い集会の最後の最後に歌ってくださったのが、勝利・感謝・主に栄光新バージョンでした。ブラジルの方々が一生懸命日本語で歌ってくださって、そして勝利・感謝・主に栄光、ここまでの戦いを終えて、すべての栄光を主にお返しし、そしてさらに前に進もうという、そんな新たな熱い思いを受け取ることができて本当に感謝しています。早速ですけどもそのビデオをご覧いただきたいと思います。六分間ぐらいありますけども、ごゆっくりご覧ください。よろしくお願いします。

ありがとうございました。もう一度、私たちも主に拍手の賛美と、心からの栄光を主にお返ししましょう。主におささげしていきたいと思います。ハレルヤ!感謝いたします。

昨年二〇二二年というよりも、この三年半の間ですけども、かつてないような大きな嵐に見舞われました。そのような中でも主は、前進し続けてくださいました。さらに、私たちの知らないようなところでも私たちを支えてくださって、ともに主の戦いを戦ってくださり、後押ししてくださって、現実的にも霊的にも支えてくださった、多くの目に見えない方々というのはたくさんいるのではないかなと思うのです。

二〇二二年を振り返ると、やっぱりいろんなことがあって、でもそんな中でも一つ一つ、一歩一歩、主は確実に私たちを導いくださって、先立ってくださって、心からの感謝な一年だったなと思います。

そんな中、この一年の最後に最も印象的に感じ思うのは、私たちの愛する享子さんが天に帰られ、勝利の凱旋を成し遂げてくださったことです。この現実を主のみ手の中におゆだねし、本当に心から感謝しなかったらいけないなと思います。

一枚の写真をご覧いただきますけども、この写真は享子さんのご自宅、順先生のご自宅から、享子さん凱旋後、娘の暁起が整理のお手伝いをしていた中でいただいて持ち帰ってきました。「これ使って」と言って私に手渡してくれました。すごく使いやすいカップで、今私のオフィスのデスクに置いて使用しています。この絵はご覧の通り、鳩がオリーブを加えて飛んでいる絵かなと思っていますけど、違ったらごめんなさい。でもこれを見て、私すごく印象に残ったのが、先ほどのみことばで、

『鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。』

ノアの箱舟が大洪水に見舞われて、そしてそのような中で四十日四十夜降り続いた雨の後、水は徐々に引いていくわけですけど、その中で鳩とカラスが放たれます。最初は羽の休み場がなくて帰ってくるわけですけど、でも再びノアが放すと、なんと鳩がくちばしにオリーブの若葉を加えて帰ってきたのです。これで水が引いたんだ!ということで、ノアはそのことを知って、そして主によって、「箱舟から出なさい」という時に出て行ったわけですけど、今までのこの新城教会にとっての働き、戦いは、リバイバルというものを求め続けた中で、主は最終的に大きな勝利を打ち立てられました。

先週も語られていましたけども、イエスさまの十字架の勝利というのは、死を持って勝利されて、その死を告げ知らせなさいと語られていました。「イエスさまが死なれた!」と、本当にそのことを大胆に話すというのは普通ではないと思います。「イエスさまはよみがえった!」と、主の輝かしいよみがえりを語るのが普通だと思うのですが、しかし「主の死を告げ知らせよ」と書かれていて、死そのものが私たちにとっての敗北ではなくて、死を通して勝利をされた。だから永遠という神さまのみ手の中での出来事の中に私たちがすべてを感謝し、神さまのご計画として受け止める時に、神さまの完全なるご計画の勝利が打ち立てられるのです。私たちこの二〇二三年、希望の年として、主がくださった、この地に植えられて七十年の祝福が、これから表わされる年だということを私たちはしっかり受け止めて、進んでいきたいと本当に心から願います。

今、享子さんの死そのものを、私たちそれぞれが受け止めているわけですけど、やっぱりふと気づくと、享子さんの凱旋のこと考えている自分がいるのです。私が高校生くらいの時でしょうか。順先生が享子さんと出会って、そして享子さんを連れてきて、ということだったのですが、先日もその頃の話を順先生が話しておられましたけど、享子さんの家の前に行って、「享子ちゃんをゲットできるように」と祈ったという話をしていました。私ある時、どこ行ったのか覚えてないですけど、若き日の順先生の車に乗りました。そしてどこへ行って帰って来たのは覚えていないのですが、帰り道、普通だったらまっすぐ帰るはずの所を曲がるのです。どうしてこんな所を曲がるのかな?と思ったら、他でもなく享子さんの実家の前を通って、「ちょっと今日はこっち行く」とか言って、なんか不自然なのです。そして、そんな中から交際が始まって、結婚に至ったと、先日もそんな証しがなされていましたけど、いろんな思い出が満載です。

享子さんが天に帰られて残してくださったものって、たくさんあるなぁと思うのですが、みことばの中に、先週も語られていましたけども、

『良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる。』(伝道者の書七章一節)

私たちにとって、死の日というのは敗北のように感じますけど、敗北はなくて、生まれる日に勝る勝利というのが打ち立てられたというのを、この生涯を通して、最後の最後にさらなる勝利を打ち立てられたなぁとすごく思います。また詩篇百十六篇十五節には、

『主の聖徒たちの死は主の目に尊い。』

と書かれています。本当に主の目には尊い働きが成し遂げられた。いろんなことを振り返る中で、そのようなことを感じます。さらにコリント人への手紙十五章五十四~五十五節、

『しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた」としるされている、みことばが実現します。「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」』

このように書かれているのです。死そのものが敗北の瞬間ではなくて勝利にのまれる瞬間。このみことばはもう一人の、昨年の身内の死を通して与えられたみことばですけど、寛太君が天に帰った時に、「死は勝利にのまれた。」確かに私たちの願いでは癒されること、もう一度再び寛太君もドラムを叩くことだったり、享子さんもここで踊り回り、世界中を駆け回ることを心から願っていましたけど、神さまのご計画はそれ以上に壮大で大きな計画だというのを、私たちは今一度、しっかりと受け止めなかったらいけないと思うのです。

先ほどのコリント人への手紙十五章を読み進めると、五十八節に、

『ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。』

この新城教会にとっての三年半のうめくような祈り、それは結局神さまは祈りに答えてくださらなかったというのではなくて、あなたがたの労苦は主にあって無駄でないと、これからの主のみ国のために無駄でない一つ一つの祈りの結果として、神さまの勝利が打ち立てられたと、私たち堅く信じていきたいと思います。

順先生ご夫妻が霊的戦いというものを受け止めて、そしてこの地のリバイバルだけでなく、日本と全世界のリバイバル、世界的な視野を持って戦い続ける中での享子さんを通して与えられたものというのは本当にすごく大きかったのではないかなと、すごく強く感じます。

またそんな中で、主が先生ご夫妻が主から示され、教えてくださる霊的戦いは、私たち最初は受け取りきれなかったような、いろんな新しい視点がたくさん次から次へと、この新城教会に先生ご夫妻を通して示されていきました。その中の一つが「被造物が主を賛美する。」ということでした。聖書にはハッキリ記されているにもかかわらず、なかなかそういう視点はなかったと思うのです。山も木々も、大地も星も空も、すべての動物も、もちろん人間も、主を賛美して、イエスさまを帰られる道を備えるということでした。

その昔のことを思い出すと、我々、滝元家というのは、結構被造物に対してあまり関心のない家族だったような、そんな気がしてなりません。父はそうではありませんでしたけど。
ある時、順先生が享子さんとお付き合いするようになって、一匹の猫を持ち帰ってきました。私にとっては本当にビックリでした。なんというか動物に何の興味を持っていないように見えていた兄が突然可愛い猫を持ち帰ってきて、「これ飼うぞ」と言い出したのです。もちろんその背後に享子さんがおられたのですが、どこで拾ったのか知らないですけど持ってきたのです。そして彼の名前を何と「シゲル」と付けました。ごめんなさい、同じ名前の方がおられますけど、その当時好きだったギターリストの鈴木茂という方がいて、その名前が付けられたのですが、それまで滝元家には被造物への愛とか、関心とか全くなかったのです。

それで、どういうわけか、私が育てることになって、めちゃくちゃ彼を愛したのです。彼も私を愛して、その当時、昔の赤い屋根の教会堂がここにあって、滝元家の住居はその隣だったのですが、同時の会堂の中の裏手に一つの部屋がありました。外側から入る、なんかうなぎの寝床みたいな所があって、滝元家は兄弟が多いので、住む場所がないので、「おまえそこに住んだら」ということで、そこで当時そこに私が住んだ時期がありました。それで夜、シゲルにちくわとかやると、めちゃくちゃ喜んで食べるのです。それで「シゲル、行くぞ!」と言って、私が自分の部屋に行くと、彼もずっと私に付いて来るのです。ずっとついてきて、まあ愛した、愛した。被造物を愛する、こんなこと生まれて初めてだったのですが、だから享子さんのことをよく「動物愛護委員会の会長」みたいな呼び方をしていて、最後までそうでしたけど、私たちになかった概念を与えてくださったのかなと、そんなことをすごく感じています。