『70年が満ちた2021 回復と再建の年 回復と再建から復讐の年へ』

2021年12月26(日)新城教会主任牧師 滝元順

詩篇149篇

『ハレルヤ。新しい歌を主に歌え。敬虔な者たちの集まりで主への賛美を。

イスラエルは自らの造り主にあって喜べ。シオンの子らは自らの王にあって楽しめ。

踊りをもって主の御名をほめたたえよ。タンバリンと竪琴に合わせて主にほめ歌を歌え。

主はご自分の民を愛し貧しい者たちを救いをもって装われる。

敬虔な者たちは栄光の中で喜び躍れ。自らの床の上で高らかに歌え。

彼らの口には神への称賛があり彼らの手には両刃の剣があるように。

それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため

彼らの王たちを鎖に彼らの貴族たちを鉄のかせにつなぐため

また書き記されたさばきを彼らの間で行うため。これは主にある敬虔な者すべての誉れである。ハレルヤ。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!

ヘブンリーキングダムの「主をほめたたえよ」という、素晴らしい賛美を聴くことができましたけれど、今日は二千二十一年最後の礼拝です。この一年を主に感謝して、心から主をほめたたえます。

 

一般では、クリスマスの期間は十二月二十五日で終了し、二十六日からはガラリと様相が神道に衣替えします。クリスチャンもその雰囲気に飲まれるのは問題です。本来なら、イエスさまがお生まれになったのですから、それを熱く継続しなければいけないはずです。しかし教会も、二十五日が終わると、「やれやれ、疲れた・・」みたいな感じで、新年気分になるのは良いことではないと思います。

新城教会のクリスマス集会、まだまだ継続中です。救い主のお生まれを人々に告げ知らせるために、続けて働きます。明日は、中高生のためのクリスマス集会があります。またヘブンズアイスクリーム&コーヒーでは一日二回ぐらいのオーダーメイド・クリスマス集会が続けて開かれます。先週は毎日のように、二つ三つの集会が持たれました。画期的な伝道方法だと思います。

コロナ騒動で失うものもありますが、この二年間で、主は、新しいことを行ってくださいました。

クリスマス集会のための献金をささげて下さり、感謝いたします。林福子さんがキムチを献品してくださいました。皆さんに買っていただいて、売り上げはクリスマス集会の為に用いられます。

 

今年、主から導かれたテーマは、「回復と再建」でした。そのテーマと共に毎回、メッセージを語らせていただきました。

家内の回復ために祈ってくださり、心から感謝いたします。家内は二年前、あと三ヶ月から四ヶ月の命と宣告されたのが、以来、二年三ヶ月ぐらい経ちます。先日は手術もでき、その後ちょっと不具合があって再入院していましたが、先週は、無事に退院できました。

私は十二月二十四日のクリスマスコンサートで、家内のことを証ししたいと願い、長い間、祈っていました。しかしその前に入院してしまいどうなるのか?と心配でしたが、二十四日のクリスマスコンサートで証しをすることができて感謝します。

 

十二月二十四日のクリスマスコンサート、今年は、「七十周年記念コンサート」と銘打って開催されました。七十年間に、主がなしてくださった恵み、特に、賛美を通して現わされた恵みを凝縮して、お伝えする主旨のコンサートでした。会場に来てくださったり、また、ネットでも配信しましたので、ご覧頂けたかと思います。

さて、新城教会の賛美の原点は、私の両親がこの地域に入って来て賛美し始めたのが始まりです。最初、それは子どもたちの集会、「日曜学校」から始まりました。

今から七十年前、設楽町清崎という所で、両親は日曜学校を始めました。

先日、Hiraku&Norikoが、豊根村の養老院で奉仕をしました。すると、なんと、私の両親が七十年前にやっていた日曜学校に通っていたという人に出会ったそうです。すごいなと思います。そこで歌われていた賛美歌も覚えていたそうです。

その頃、よく歌った子ども賛美歌があります。母が足踏みオルガンに合わせて「主我を愛す」という歌をよく歌いました。今回、クリスマスコンサートのイントロで、子どもたちに歌ってもらいました。それも、古い写真映像と共に歌ってもらったのですが、感動しました。今まで、主が賛美の中で、私たちを導いてくださったことを覚えて、心から感謝しました。

 

今日は詩篇百四十九篇を選ばせていただいたのですが、一節に『ハレルヤ。新しい歌を主に歌え。敬虔な者たちの集まりで主への賛美を。』とあります。

人は何のために創造されたのでしょうか。究極的目的は、人も、他の被造物たちも、すべて、神を賛美するために造られたのです。聖書のクライマックスは、もちろん、イエスさまの十字架と復活ですが、聖書全体から見ると、「詩篇一四八篇と黙示録五章」です。それは、歴史の始めから終わりまでの被造物の全てが、主の前に出て、主をほめたたえ、賛美する場面が描かれているからです。その姿こそ、旧約聖書と新約聖書のクライマックスです。

 

さて詩篇百四十九篇は、賛美がただ単に、主をほめたたえる領域だけでなく、両刃の剣となり、一方では神を究極的に賛美するとともに、敵に対する復讐が含まれると告げています。

 

イザヤ書六十一章は、イエスさまがこの地上に来られた目的が預言されていると前回、お話ししました。そこには、病の人たち、心傷ついた人たちを癒すという、大きな目的がありました。しかし同時に、災いを持ち込んだ敵に対して「復讐する」という大きな使命と共に、イエスさまはこの地に来てくださったのです。イザヤは『我らの神の復讐の日を告げる』と述べています。

また詩篇百四十九篇の記者も、『それは国々に復讐しもろもろの国民を懲らしめるため』と詩っています。この世界には、神の国と悪魔の国の対決という構図があります。イエスさまは、国々の背後に働き、人々を不幸にする敵の力に対して「復讐する」ために来られたのです。

 

今年は、「回復と再建の年」と位置付け、祈ってまいりました。一月一日に話したほうがいいのかと思いましたけれど、あえて今日、持ち出し、お話しします。来年は「復讐の年」になると信じています。今まで奪われたものを敵の手から取り戻すだけでなく、復讐する年になると信じて、新しい年に向かいたいのです。

今朝は、その復讐が、賛美の領域で前進するということを、詩篇百四十九篇から学んでいきたいと願っています。

また主が、新城教会七十年の歴史の中で、賛美の領域で回復と再建を与え、さらには、敵に復讐しようとされている事実を、証しを交えて、お分かちしたいと願っています。

 

まずは、クリスマスコンサートのイントロで流した子どもたちの賛美をお聞き下さい。原点の賛美から、ザワメキまでを短く映像でまとめました。皆さんの記憶と合わせながらご覧いただきたいと思います。それではよろしくお願いいたします。

 

 

ありがとうございました。

七十年間、主が賛美と共に導いてくださったことを、心から感謝します。
 今回のクリスマスコンサートでは、私たちが昔やっていたグロリアシンガーズというバンドを再結成して出演させていただきました。なにせ、三十年ぶりでしたので、なかなか手が動かず難しかったですが、なんとかこなすことができて感謝します。

 

先ほども写真が出ましたけれど、一九六〇年代に日本にエレキギターブームがありました。私は牧師の息子として、讃美歌・聖歌で育ってきました。しかし私はあまりそれらが好きではなくて、世の中の音楽にどっぷり浸かり、エレキギターを弾き始めました。

その時、父と大きなバトルがありました。滝元明は、土方出身で、当時はなかなか腕力もあって、気の短いところがありました。私に「そんな悪魔の音楽はやめろ!」と圧力をかけ、よく喧嘩しました。しかし私は、絶対にやめちゃいけないという気になって、止めませんでした。

父にはいろいろ欠点もあったのですが、良いところは、もめた時にはすぐに神の前に出て祈るところでした。

私が父とかなり対立したので、父は、このままだと息子はグレてしまうんじゃないかと思ったのでしょう。それで県民の森に行って、真剣に祈ったらしいのです。そうしたら、神の声を聞いたと言うのです。それは、「これからは彼のやっているような音楽が、教会で必要になるから、やめさせちゃいけない。サポートしなさい。」という声だったそうです。それで彼は態度を一転し、反対するのではなく、サポートしてくれるようになりました。また、自分の伝道集会などで、グロリアシンガーズを使ってくれました。それが会衆に結構うけました。

 

しかし、私たちが当時属していた教団のボスは、私たちの音楽が大嫌いでした。私はそのころ副牧師として、教会で奉仕を始めたのですが、勝手にやってはいけないと、教団の認証を受けてからやってほしいということで、ある牧師が、私を教団に推薦してくれました。

それで本部から呼び出しがあって、「おまえがその音楽を止めなければ、任命出来ない。」と言われました。それで、いろいろ質問を受けました。

ボスはアメリカから来た宣教師でした。アメリカ人と話す時は、のらりくらりしてはいけません。はっきり言わなければならないです。

彼は私に「おまえはその音楽を続けるのか、それとも止めるのかどっちだ。」と聞きました。それで、私は彼の目をしっかりと見て、「止めません!」とはっきり宣言しました。そうしたら彼は「わかった。You may go.」とか言って、「自分の道へ行け!」みたいな感じで、私はグロリアシンガーズの働きを続けました。

しかし彼は私がはっきり意思表示したから、少し骨があると思ったのでしょうか。私を任命してくれました。そんな戦いがありました。でも私は、あの時に、止めないでよかったと思います。

七十周年コンサートで、グロリアシンガーズを続けていたから、その後、新しい賛美が生まれ、今があることを、つぶさに見させて頂き感動しました。いろいろな戦いがあったけれど、主が支えてくださったのです。

物事を決める前には、真剣に祈らないといけないですね。人の知恵とか、人にこびるのではなく、神さまが何と言われるのかを最優先にして物事を決めることは、最も重要です。結果はすぐには分からないかもしれません。しかし後になって、大きく方向が変わります。扉が開かれる場合もあるし、逆に、人間的な選択により、悪いほうに向かう場合もあります。父は私の音楽を初めは反対しましたが、真剣に祈った結果、「受け入れなさい。」との主の声を聞いて、サポートしたことが、将来の発展のカギとなったと思います。

 

音楽って、やっていると分かりますが、指導者がいないとマンネリ化し、頭打ちになります。

私がギターを始めたのは、中学生の頃でした。そして高校生ぐらいの時にバンドを組んだのですが、当時の滝元家の写真がありました。私は、八人兄弟ですが、一人亡くなって七人の時の写真です。白黒の写真を、カラーに直すソフトがあるらしいです。ある人が白黒をカラーに直してくれました。

 すごいでしょう。情報量が一気に増えます。「そうそう。あの色の服着ていたな・・。」と、五十数年前の写真ですが、時代が生き返る感じです。

こんな田舎でバンドを始めても、そう簡単にはうまくなりません。当時、私たちが一番憧れていたセキュラーのミュージシャンは、小坂忠さんでした。当時、忠さんは日本のミュージックシーンの最先端を走っていたからです。「すごい人がいるなぁ。」と、よく彼のレコードを聴いていました。

そうしたら、ある時、忠さんがクリスチャンになったという情報をバンドメンバーの一人が持ってきました。それをどこで見つけたのかと言ったら、ある伝道集会で救いの招きがあって、人々が進み出ている写真の中に、小坂忠らしい人物を見つけたと言うのです。「これは絶対に小坂忠だ!」と。虫眼鏡で拡大しないと分からないくらいでしたが、調べ始めました。

それでついに、埼玉県のとある教会に通っているらしいことを突き止めて、我々の音楽を聴いてもらおうと、車に楽器満載してその教会に乗り込んで行きました。そうしたら、本当に憧れていた小坂忠さんが教会にいました。