「70年が満ちた2021 回復と再建の年! あなたは『王国』『祭司』そして『地を治める者』です!」

2021年8月29日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヨハネの黙示録5章9〜10節

『彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
インターナショナル賛美チームの息の合った賛美を聞かせていただき、心から感謝します。また、日本人と、海外の方々と一緒にすばらしいハーモニーを聞かせていただきました。私たちは神の家族です。
大変暑い日が続いていますが、どのようにお過ごしでしょうか。私たちは「暑い、暑い」と文句を言うのですが、これだけ暖房しようとしたら、どれだけ費用がかかるのか分かりません。夏は神さまが、頑張って、暖房をきかせてくださっている!と感謝したらいかがでしょうか。

私のためにも、家内のためにも祈っていただき、本当に感謝しています。刻一刻と、手術の日が近づいております。九月七日です。是非、お祈りに加えていただきたいと願っています。明日も手術に向けての検査があって、胃カメラと腸のカメラもあって、麻酔を使ってやるらしく、正直、緊張しています。この一週間が守られるようにお祈り下さい。

今年の夏は、これだけ降れば、土砂災害も起こるだろうなという長雨でした。会堂も古くなって、雨漏り箇所が多くて、屋根は全て止めたのですが、壁にもひびが入っていて、水が侵入しています。その修理を追加工事しています。
皆さんも、いろいろご苦労されていると思いますが、最近は心が暗くなるニュースばかりですね。

国際情勢も緊迫していて、アフガニスタンではテロが起こったり、米軍が撤退するということで、大混乱しています。アフガニスタンの方々のために祈らなければいけないです。もしも日本が同じ状況であったら、どんな気持ちでしょうか。日本から逃げ出さなければいけない、となったら、相当真剣に祈ると思います。同じように、彼らのために祈らなければいけないと主から教えられます。

しかしなんといっても、新型コロナウイルスの感染拡大は大きな不安要素です。最近、デルタ株が猛威を振るっています。最初、デルタ株と聞いた時、私は、デルタ航空の株が上がったのかな?と思いました。それまで航空会社の株は下がっていましたから、買っておけばよかったかな・・、みたいに考えたのですが、そうではなく、新型のコロナウイルスの新型だそうで、感染力が強いです。
愛知県も、どんどん感染者数が増えています。新城市でも、先週などは一日に十人ぐらい感染したと聞きました。
<>
全国的にもすごい勢いです。今までに百四十万人以上の方々が感染し、一万六千人ほどの方々が命を落としています。
ワクチンができ、すでに打たれた方もおられると思いますが、打つにしても、打たないにしても、命がけです。
昨日も、このようなニュースが流れていました。ワクチンを投与した後死亡した事例が、千九十三例と言うのです。新型コロナで亡くなったのが一万六千人で、ワクチンを打った後に亡くなった方々が千名以上ですから、本末転倒みたいなところもあって、ワクチン接種も命がけです。是非とも、お祈りしていただきたいです。

私は、これらに加えて、家内の手術を控えており、本当に緊張する毎日です。今日のメッセージテキストとして、黙示録を選びましたが、黙示録には「大患難時代」と呼ばれるテーマが出てきます。私にとっては、まさに、今が大患難時代じゃないか?と思うほど、今までの人生の中で、これ以上の患難はなかったかな?とも思います。
しかし現在、全世界の人々が共通のテーマで苦しみ、見えない敵と戦っています。

黙示録を読んでいきますと、七つの封印を施された巻物の封印が一つ一つ解かれる度に、馬が飛び出したり、ラッパが鳴ったり、災いの鉢がぶちまけられたりして、世界に恐ろしい試練が次々に起こる様子が描かれています。
ですから今まさに、大患難時代が始まった!というようなメッセージも、YouTubeなどには多く流れています。現代はいろいろなメッセージを手軽に聞くことができるのですが、吟味が必要です。「今、まさに黙示録の預言が成就している!」みたいな断定的なメッセージも多いからです。
しかしこんな時にこそ、一呼吸おいて、私たちがどのような立場にあるのかをしっかりと見極め、問い直す必要があると思います。

そのためには聖書預言には、黙示録を含めて、いろいろな解釈と視点がある事を知る必要があります。以前にも触れましたが、黙示録の解釈も、大きく分けて、四つぐらいあります。
一つは、「過去主義解釈」というのがあります。黙示録は紀元一世紀ごろ存在した人たちに宛てられた手紙であるが故に、過去にすでに実現したと解釈するわけです。
しかし、「いやいや、そんなことないですよ。黙示録の預言は、これから起こるのです。これらの預言は未来に集中して実現します。」という理解もあります。それを「未来主義解釈」と呼びます。
また、「いや、黙示録の事柄は象徴的な表現ですよ。」という「象徴主義解釈」もあります。事実、聖書は、象徴的な表現を多く使用していますので、そのように解釈する人たちもいるわけです。
そしてもう一つは、「歴史主義解釈」という解釈もあります。黙示録の預言は、歴史の進展とともに成就する、成就した、という解釈です。ですから、聖書解釈において、どのような立場をとるかで、黙示録の理解も変わるということです。
概して最近YouTubeなどに流れているメッセージは、未来主義的解釈の傾向が強いです。今日は、それらについては語りませんが、黙示録が本来、どのような時代背景において、誰に対して語られたのかをよく知らないと、ただ、恐れに閉じ込められてしまう可能性もありますから、注意が必要です。
最近は、特に周りに試練が多くありますから、恐れの暗闇に閉じ込められやすいのではないかと思われます。それは、良いことではありません。

そもそも黙示録は、紀元一世紀に小アジアに存在した七つの教会に宛てられたメッセージです。当時の世界は、ローマ帝国の強い支配により、教会は激しい迫害にさらされていました。それで著者ヨハネは「ローマ帝国」という言葉を一切使用しませんでした。ヨハネは、象徴的表現を用いながら、試練のただ中にある、七つの教会に対して、励ましの預言とメッセージを綴ったのです。一義的(いちばん大切な意味をもっているさま)に黙示録は、七つの教会の励ましのために書かれた、ということを押さえなければいけないわけです。
同時に、まだ成就していない箇所もありますから、それらをどのくらい現代に適応できるのかを、慎重に見極める作業が必要なわけです。

聖書には旧約聖書、新約聖書がありますが、旧約聖書に大きな山の頂上、サミットがあります。また新約聖書にも、サミットがあるのですが、どこだと考えられますか。私はこのように考えています。
旧約聖書に見るサミットは、詩篇百四十八篇、新約聖書においては、今日お読みした「黙示録五章」にあると考えています。
なぜならば、聖書の究極的な目的は、イエスの十字架と復活の贖いにより、回復された被造物全体が、み座におられる神を賛美し、礼拝する事が目的であるからです。
そのような視点で、詩篇百四十八篇は、すべての神に造られた被造物に、「主を賛美しなさい!」と命じられており、賛美がなされているからです。これは、大きなサミットです。
同時に、新約聖書、黙示録五章は、贖われた被造物全体が、主を賛美している姿を描いています。黙示録五章十三節には、ヨハネが見た全被造物による賛美の光景が記されています。

『また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」』

この賛美と礼拝の光景は、地上のものではありません。五章と前後を読んで頂きますと理解できますが、ヨハネは「ここ上りなさい。」と語られて、天のみ座の賛美を目撃したのです。み座の周りには四つの生き物、二十四人の長老たち、その周りに、万軍のみ使いたちがいて、被造物全体が連なる壮大な宇宙を貫く賛美と礼拝を目撃したのです。私たちもそんな礼拝に参加してみたいですね。やがて私たちは、この礼拝に参加できるはずです。
黙示録五章は「贖われたものたちの賛美」です。贖われた被造物すべてが、主をほめたたえる光景です。まさにこれは新約聖書のサミットと言っても過言ではありません。

聖書の中には、現代社会ではあまり使われない言葉が多用されています。『あなたの血によって人々を神のために贖い』とありますが、「贖い」という言葉もその一つです。普段の生活ではほとんど使いません。「贖い」という漢字を、「すぐに書ける!」という方は、どのくらいおられますか?私は書くことができないです。会社の事務で「贖い」という文字を使用する事は、ほとんどないはずです。
しかし教会では、この言葉を多用します。左側に「貝」があって、右側は「売り買い」みたいな文字です。昔は貝が貨幣として使われていましたから、貝を使って売り買いするのか・・みたいなイメージはあります。しかしこれは聖書の重要なキーワードなのです。
「贖い」とは、英語ではリデンプション(Redemption)と言うのですが、「代価を払って買い戻す」という意味です。元々は自分のものであった品物が、質屋のように誰かの手に渡ったのを、再び買い戻す行為です。また、敵の手に渡ったものを、代価を払って買い戻すことが贖いです。
まさにイエスさまは、その事をなしてくださいました。十字架にかかり、血を流し、死んで、三日目によみがえり、罪によって人とともに被造物全体が悪魔の手に渡っていたのを、敵の手から買い戻してくださったのです。これを「贖い」と言います。

そして黙示録五章十節は、贖われた者たちの立場を述べています。
血によって贖われた者たちはどんな立場にあるのか?それは、

『私たちの神のために彼らを王国として、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。』

今日ここにおられる主を信じるお一人お一人は、主イエスの十字架の血潮によって贖われているのです、一時は、敵の手に渡っていたのが、買い取られたのです。クリスチャンの立場は、贖われた者であり、「あなたは王国の王です。祭司です。地を治める者です!」と主は言われるのです。
このような苦難が続きますと、暗闇に押しつぶされそうな気がするのですが、実は、贖われた者たちは、どのような環境の中にあっても、「あなたは王国です。」と言われます。神の国の王は天の父なる神さまです。しかしその中には、小国が多く存在するのでしょう。それぞれの王が地を治めるのです。すごい立場ですね。
また私たちは「祭司」です。祭司とは、礼拝を司る者です。また、神と人との間に、被造物との間に、また、敵との間に立って、とりなす役割をもつ存在でもあるのです。
「地を治める」とは、被造物全体の管理人という立場が与えられているのです。

まさに紀元一世紀、小アジアにあった七つの教会は、激しい試練のただ中にありました。キリスト者たちは、いつ命を奪われるか分からない状態でした。タリバンがやって来ていつ殺されるのか分からない、みたいな環境でした。街にはローマの兵士たちがクリスチャンを探索し、迫害していました。
そんな只中で、神はヨハネを通して、希望のメッセージを七つの教会に送られたのです。

今の時代も同じであると信じます。周りには、様々な試練がありますが、主は黙示録五章十節のみことばを、私たちにも語って下さるはずです。「あなたがたは贖われた者たちです!」と。
ですから「どんなに暗闇が深くても、恐れないでください!あなたは王です!祭司です!地を治める者ではありませんか!」と語っておられるのです。

さて、黙示録五章の光景は、天の光景だとお話ししました。ヨハネは天の光景を見た時、どんな反応をしたのでしょうか。
一節は、「み座についておられる方の右の手に巻物を見たと」あります。それは内側にも外側にも字が書かれていて、「七つの封印で封じられていた」というわけです。七本巻物があったわけではなく、一本の巻物が七つの封印で封じられていたわけです。
そして三節〜四節を見ると、