〜2022年〜 「それは主の復讐の年」
〜十字架の死による大勝利!〜

死の瞬間、地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、「眠りについていた多くの聖なる人々の身体が生き返った」と記録されています。

 

前回もお話ししましたけれど、このよみがえりは、イエスさまが公生涯に行われた死人を生き返らす奇跡とは、全く質の違うものでした。公生涯で生き返らせていただいた人たちは、やがて寿命がきて死んで行きました。

しかしこの時の聖徒のよみがえりは、死と墓に対するキリストの力の証明であったのです。

 

“神はイエスの死によって、死の力を滅ぼし、死そのものを廃止されるという証拠として、眠った多くの聖徒たちを生き返らせた。これらの聖徒たちは、主が昇天するまで地上に止まり、その後、罪・サタン・死、そして墓に対する彼の勝利のトロフィーとして、イエスと共に天に勝ち誇って凱旋した。”

 

このように注解されていました。この奇跡の始まりは、イエスさまが死からよみがえってから始まったのではなく、イエスさまが十字架上で、父なる神さまに命をお渡しになった「死の瞬間」から始まりました。

私たちは「イエスさまは、十字架で苦しんでくださった。気の毒だった、、」と考えます。イエスさまが十字架で亡くなった日を「受難日」と言います。イエスさまが大きな難を受けてくださったという意味で、受難日と呼びます。「よみがえりの日は祝うけれど、死なれた日には喪に服す。」みたいに理解しています。

 

現在、各家で聖餐式を行っておられると思うのですが、私はその時に読むコリント人への手紙第一、十一章二十六節に、何かいつも、引っかかるものがありました。

 

『ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。』

 

という言葉です。聖餐式の度に、「イエスさまは死にました!」と告白し、宣言しろというのです。「イエスさまは死にました。イエスさまは死にました。」などと、あまり言いたくないなぁと思っていました。それよりも、「イエスさまはよみがえられました!」のほうが、安心できるのではないでしょうか。

私は、聖餐式を行う時に、「イエスさまはよみがえりました!」と宣言しても、「イエスさまは死にました。」という宣言には躊躇していました。しかし「主が来られる日まで」続けろとパウロは命じています。「イエスさまは死にました。イエスさまは死にました。」と、言い続けろというわけです。なんかちょっと、気分が悪いな、みたいなところがありましたが、今回、一つの事を主から教えられました。

 

その事を話す前に、教会は、イエスさまの死の日に関して、どのように定義しているのか調べてみました。

 

「ローマカトリックとプロテスタント教会は、キリストの十字架の死を嘆き悲しみ、深い哀悼の意を示す悲しみに満ちた聖なる日と位置づけている。」

 

しかし今回、もう一つの定義がある事を知りました。それは、

 

「イエスの復活、死に対する勝利は、十字架刑の三日後ではなく、イエスが死なれた瞬間から既に始まっている。」

 

さて皆さん、二つの内一つを選ぶとしたら、どちらがよろしいでしょうか。

 

現在、ロシアとウクライナで戦争がありますが、これはある意味、宗教戦争だとも言われます。また、東西の対決だとも言われます。現代のヨーロッパの宗教分布を調べると、こうなっています。

 西はローマ・カトリック教会、北はプロテスタント教会、そして、東ヨーロッパとロシアは正教会という分布です。

北も以前はローマ・カトリックでしたが、宗教改革によってプロテスタント教会ができたわけです。ゆえに、西のローマ・カトリック対、東の正教会という大きな対立があることがわかります。

そしてウクライナ問題に関しても、背景に東西の宗教対立があるというわけです。正教会とは、一国一正教会という制度です。ギリシャならばギリシャ正教会、ロシアならばロシア正教会という具合です。ウクライナがソ連から独立した時、教会制度も独立して、ウクライナ正教会を作りたいと願ったのですが、ウクライナ正教会は、それ以後もロシア正教会の配下にありました。

しかし現在、ウクライナ正教会は、ローマ・カトリック側についているようです。ロシア正教会はそのことに反対しています。現在、ロシアのウクライナ侵攻を支持している教会は、唯一、ロシア正教会だけです。

ロシア正教会は「プーチンは正しいことを行っている!」という立場を表明しています。教会が命を失うと大変な事になります。

イエスさまと弟子たちが始めた初代教会は、命に満ち溢れていました。しかしその後、教会に政治的支配や権力が流入したことにより、命を失ったのです。

 

初代教会のイエスさまの死と復活に関する理解は、十字架の死は、「嘆き悲しむ日。深い哀悼の意を示す日。」とは考えていませんでした。パウロも語っているように、「イエスの復活、死に対する勝利は、十字架刑の三日後ではなく、イエスが死なれた瞬間から既に始まっている!」という立場と理解であったのです。

そして、この理解を教理として受け継いでいるのが、正教会なのです。ローマ・カトリックは、イエスの死を否定的に捉えています。しかし正教会は、「イエスの死は勝利」という立場に立っています。

戦争はともかくとして、正教会は伝統的に復活はイエスの死の瞬間から始まったという理解です。十字架の死が敗北なのか、勝利なのかは実に重大問題です。

人類は死というテーマに押しつぶされています。イエスさまが死なれた日を敗北とするならば、人類に希望はありません。

しかし、よみがえりの力は、十字架の死の瞬間に有効となり働いていたのです!イエスの十字架の死は大勝利であった!という立場に立てば、私たちも雄々しく歩むことができるはずです。

 

二年半前、家内に膵臓癌が発見されて、余命宣告された後、祈るしかないと分かっていても、実際、家内の様子を見ていると、「そう長くはもたないな・・。」と思いました。この感じだと、たぶん春頃には葬式だろうと覚悟しました。

私は毎晩、会堂に来て祈りましたが、うめきしか出て来ませんでした。死の力に立ち向かって祈る気力など消え失せて、なんと祈っていいのかさえ、分かりませんでした。頭の中にはあるのは、ただ死・死・・、死の力に押しつぶされそうな毎日が続きました。

 

皆さんの前で初めて話すのですが、そんなある日、死の霊に立ち向かって戦い祈らなければいけない!死というテーマに潰されていてはいけない!と語られている気がしました。

それで、死にかけている家内を連れて、新城の火葬場に行きました。そして、「悪魔よ、よく聞け!家内をこの釜で焼くことはできない!蓋を閉める!」と宣言しました。家内をこんな所に連れて来たら、もっと悪くなるのではないかという恐れや葛藤もありましたが、勇気を出して戦い、宣言しました。その後、家内を教会の納骨堂の前に連れて行き、「家内を納骨堂ボックスに入れることはできない!死の霊よ、出て行け!」と悪魔に立ち向かって祈りました。

それはちょっと勇気のいる行動でした。死のテーマのある所には近づきたくない気持ちがありました。しかし押しつぶされそうな気持ちを振り払い、勇気を出して戦いました。

その時から空が晴れたような気持ちになって、死の力に押しつぶされて祈れなかった私が、力を得て、真剣に戦いの祈りができるようになりました。そんな中、ひとつひとつ、家内の状況が変えられて、今があるのです。

 

悪魔は様々な策略で私たちを惑わします。その大きな策略の一つが、「イエスは十字架で殺された」という、イエスの死が敗北とするものであると思います。

プロテスタント教会は、ローマ・カトリック教会が掲げている死を悼み、悲しむという敗北の教理を受け入れています。それでは戦う事は出来ません。イエスさまの勝利は、十字架刑の三日後ではないのです!イエスが死なれた瞬間から、既に復活は始まっている!ということです。

 

イエスさまが死なれた瞬間、何が起こりましたか?地震が起こり、地が揺れ動き、岩が裂けて、幕が破れて、墓が開いて、多くの聖徒たちがよみがえったのです。旧約時代の聖徒たちがよみがえったのです。イエスさまは彼らを、ご自分の昇天と共に引き連れて天に帰られたと考えられます。

 

エペソ人への手紙で、パウロは次のように書いています。四章八〜十節、

 

『そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」‐‐この「上られた」ということばは、彼がまず地の低い所に下られた、ということでなくて何でしょう。この下られた方自身が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも高く上られた方なのです‐‐』

 

イエスさまが復活されて、天にお帰りになる際、多くの捕虜を引き連れて凱旋されたのです。それはよみがえった多くの聖徒たちで、聖徒たちに続くのが、私たちでもあるのです。

エペソ人への手紙四章八節は、詩篇六十八篇十八節の引用です。しかし長いこと、この箇所に関しては論議がありました。パウロは勘違いして引用したのではないか?とも言われていました。

なぜかと言いますと、新改訳第三版を持っている方、十八節を見ますと、こうなっていますね。

 

『あなたは、いと高き所に上り、捕らわれた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。』

 

となっています。全く意味が真逆なのです。『あなたは、いと高き所に上り、捕らわれた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。』と、イエスさまが天に上って、彼らにみつぎ物をよこせ!と言ったのか?

それとも、パウロが引用したように、高い所に上られる時に、多くの捕虜を引き連れて、人々によみがえりの祝福という賜物を分け与えたのか、どちらなのでしょうか。

 

聖書って難しいですね。パウロが勘違いして引用としたかもしれない、初代教会はどのように理解していたのだろうかと、いろいろ論議があったようです。

しかし、最近「新改訳2017」が出たのですが、バージョンアップ聖書って、時々、「また新しい聖書が出ちゃったよ」と、聖書販売店の策略でしょうか。それも一つはあると思いますが、それだけではありません。聖書の写本の解読が進んで、真の意味に置き換えられてバージョンアップしているところもあります。

第三版だと、エペソ人への手紙とは全く真逆の意味ですが、新改訳2017では、こうなっています。

 

『あなたは捕虜を引き連れて、いと高き所に上り、人々に、頑迷な者どもにさえ、贈り物を与えられた神であられる主が、そこに住まわれるために。』

 

このように訳されました。これが言わんとしている真意です。イエスさまは死によって悪魔という死の力を打ち砕き、ご自分の死という武器によって、主を信じる者たちをよみがえらせたのです。

そしてそのよみがえった人たちを、昇天の時に天に捕虜として連れ帰り、同時に、その賜物を多くの者たち、主を信じる者、「頑迷な物たちにさえ贈り物を与えられた」のです。すなわち、主を信じないで、反抗をしていたような人たちにさえも、福音を受け入れるならば救われるのです。その賜物は全人類に、いや、全宇宙に与えられたものです。

イエスさまの十字架の死は、決して敗北ではありません。大勝利!です。イエスさまの十字架の死という武器は、私たちを生かす力なのです。

 

聖餐式の時に、「主が来られるまで主の死を告げ知らせるように」と命じられましたが、「イエスさまは死なれました」なんて言うのは、あまり良い気持ちがしません。

しかしイエスさまの死が勝利だと分かったらどうでしょうか。

私たちは、大胆に勝利の剣を使うことができます。主の死という強力な剣によって、死の力を持つ悪魔を滅ぼす事が出来るのです。

現在、人類は死というテーマに取り囲まれています。しかし主に信頼する人々は、決してそこに身を委ねてはいけないのです。