〜2022年〜 「それは主の復讐の年」
〜十字架の死による大勝利!〜

2022年5月1(日)新城教会主任牧師 滝元順

ヘブル人への手紙2章14〜15節

『そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

ハレルヤ!おはようございます。ゴールデン・ウィークのただ中ですが、主を礼拝し、賛美することができて感謝します。「生きているって素晴らしい」と賛美されましたが、主によって生かされていることを、心から感謝します。

 

今日から五月ですが、四月の復活祭では、カウントダウンを行うことができました。真の復活祭をお祝いできました。次回、あのように暦が重なるのは、二〇二九年となります。その年は四月一日が復活祭になりますが、その日がニサンの月十六日となります。それは七年後です。生きているのかなぁと心配もありますが、みんな生きて、もう一度カウントダウンができたら嬉しいですね。

 

いくつかのお知らせと報告があります。

昨日と一昨日は、リバイバルミッションの集まりがありました。
 愛知県民の森で、対面で集会がありました。霊的戦いが始まって三十年が経ったことを記念した集会でした。全国から数十名の方々が集まってくださり、同時に、ハイブリッドでネット配信も行われました。

祈っていただいて本当に、祝福されました。金曜日の夜は、愛知県民の森での祈祷会がありました。でも、先週の金曜日は大雨でした。多くの皆さんが、県民の森広場で祈りたくて集まっておられました。それで、傘をさしてでも祈祷会を行ったほうがいい!と思いました。私は祈祷会のリードでしたから、「わざわざみんな、お金をかけてここまで祈りに来たのに、神さまは私たちの気持ちをわかってくれてないなー。」と思いました。

夜の七時に参加者が集合したときはまだ雨が降っていました。しかし全員傘をさして、一歩外に出た途端、ピタッとあの大雨が止みました。広場に着いたら、雲が裂けて、星が出て、帰る時には、昼間ならば青空、夜は満天の星空となりました。主は私たちを忘れておられませんでした!心から主に感謝します。

 

先週、水曜日に一人の青年が洗礼を受けられました。中北昌太さんです。感謝です。普段は東京に住んでおられます。

また何週間か前は、星野さんのお母さん、星野幸子さんが洗礼を受けられました。幸子さんはご高齢ですので、私は家内と共に洗礼式に伺わせていただきました。たいへん感謝でした。

私たち夫婦が星野さん宅に伺ったのは、二年半ぶりでした。その時、星野クリニックで家内の血液検査をしたところ、ものすごく結果が悪くて、「すぐに大きな病院に行ってください!」と紹介状をいただいて、豊川市の病院を受診したら、膵臓癌が発見されました。その日、三ヶ月、四ヶ月という余命宣告がなされました。

しかし二年半経って、私は家内を連れて星野さんのお母さんに洗礼を授けるために出向くなんて、全く予想だにしませんでした。本当に感謝でした。主は生きておられます!

今日の午後からは、昼食交わり会です。「帰ってきた教会カレー!第二弾!」です。感染対策をしながら楽しんでいただきたいと思います。その時に、教育館二階に上る途中に、素晴らしい作品が展示されています。
 ペーさんが粘土細工で作られた、聖書の木、オリーブの木です。本当に精巧に作られています。ペーさんはアーティストで、この道のプロです。思わず触りたくなってしまいますが、触らないでくださいね。ぜひ、ご覧いただきたいと思います。

そしてもう一つ、先日、教会のカフェに、CBCから取材依頼が来ました。検討した結果、福音が前進する為ならばやりましょう!ということで、「ヘブンズ・アイスクリーム&コーヒー」に芸人さん達が来ました。私は知らなかったのですが、知っていますか?この人たち。

 CBCなので、全国放送ではないのですが、「はなさかタイムズ」という番組で、今週土曜日午前九時二十五分から放映されます。ガンバレルーヤという人たちは「ハレルーヤ」から取ったと話していました。五分ぐらい紹介されますので、見てください。それが主に用いられるように、お祈りしていただきたいと思います。

神さまが教会と地域の敷居を下げて下さっています。ある人がリバイバルはどのように起きるのかを研究したら、教会と地域の敷居が下がり、壁がなくなった時に起きると結論づけました。新城市ではだいぶ敷居が下がってきました。これからリバイバルが期待されます。

さて、ここからは、少し悲しいお知らせです。先週、服部美明さんが天にお帰りになり、召天式を行わせていただきました。九十八歳でした。二月の終わりまで礼拝に来られていましたが、少しの期間、病まれて、天に帰って行かれました。新城教会に二十数年の間、忠実に通って下さいました。仲間たちが一人ひとり減って行くのはたいへん寂しいですが、やがて私たちはよみがえって再会できることは大きな希望です。

そしてもう一つ、悲しい知らせがありました。一昨年のクリスマスコンサートに来てくださった小坂忠さんが召天されました。すでに報道でも流れていますから、ご存知の方もおられると思います。

 私たちと小坂忠さんとの出会いは四十五年前に遡ります。四十数年前、私たちはグロリア・シンガーズというバンドを始めました。しかし素人の集団でしたから、しばらくして音楽的に行き詰りました。誰か良い指導者がいないかなぁと祈っていました。

当時、日本のミュージックシーンのトップを走っていたのが小坂忠さんでした。彼がリリースした「ほうろう」というアルバムは、今までの日本のポピュラー音楽とは、一線を画したたいへんレベルの高い作品でした。私たちはこのアルバムをよく聞いていました。「日本にも、すごい人がいるもんだなぁ」と思っていたのですが、なんと、ある雑誌の対談で、彼はクリスチャンになったという話をしていました。そしてアルバムの「special thanks」に、牧師の名前が記されているのを見つけたのです。それでキリスト教年鑑で、その牧師の教会を見つけ出して電話し、小坂忠さんに会いたい!と申し込みました。すると「ぜひ来てください」ということでした。私たちは、すぐに楽器を積み込んで押しかけて行きました。まだ若かったですね。一九七六年のことだったと思います。

教会に着くと憧れの小坂忠さんが私たちを待っていてくれました。

「私たちの演奏を聴いてください!」と頼むと喜んで了承して下さいました。彼はプロ中のプロですから、我々のようなど素人の演奏なんか、どのように聴こえるのかとは思いましたが、がんばって演奏しました。彼はじっと、私たちの演奏を聴いていました。下手くそな演奏だったと思うのですが、彼の心に、かなり大きなインパクトと感動となったらしいのです。

当時、日本のキリスト教会の音楽は、聖歌・賛美歌の世界でした。使用される楽器はオルガンとピアノぐらいでした。ギターは悪魔の楽器と呼ばれて嫌われていました。彼はクリスチャンになって、自分のやっている音楽をやめなければならないのか、と悩んでいたと言うのです。

そんな中で私たちが突然現れて、小坂忠さんと同じ楽器で主を賛美する光景を見て、「自分に与えられている賜物で、主を賛美できるんだ!」と励まされ、奮い立ったと言うのです。

それで私たちと意気投合して、「ミクタムレコード」という会社を立ち上げてしまいました。畑のカブしか知らない私たちが、株式会社を設立し、初代の取締役は、グロリアシンガーズのメンバーたちで、忠さんの奥さんが社長でした。今から考えたら、よくぞやったものだと思います。今でもミクタムはあります。私たちと小坂忠さん夫妻との接点で、日本の新しい賛美の領域が突然、開かれたのです。

それ以来、忠さんの賛美の賜物によって、日本の教会音楽が大きく変化したのです。

彼は、五年前から癌で苦しんでいて、先週、主の元に帰られました。

 

先日はロンさんも天に帰り、小坂忠さんもか…みたいな、次は誰だよ…みたいに、だんだんと心が暗くなります。

また、コロナ禍も、足掛け三年目で、毎日、感染者数、死者数、重症者数など、悪い情報を聞かされ続けています。明日は我が身かもしれないという恐怖の中で、知らないうちにストレス満載です。目の前に死がぶら下がっている状況が続いています。

 

それに加えて、ロシアとウクライナが戦争を始め、連日、悲惨な戦況が茶の間に届いています。

そんな中、一つのことが問題になっているそうです。それは連日の悪い報道による「共感疲労」と呼ばれるものです。心当たりがあるのかもしれませんが、悲惨で暗い報道が続くことにより、直接被害を受けていなくとも、不眠とか、食欲不振とか、血圧の上昇とか、情緒不安定に陥ることだそうです。

さらに最近では、知床の観光船が沈没して、二十六人が一瞬にして亡くなったり行方不明になったニュースが流れています。それらの報道は、国民全体に「共感疲労」として、大きなストレスとなっているというのです。

私はそれらにプラスして、二年以上にわたって、家内が死ぬかもしれないという場面を何度も通ってきました。心身の疲労はピークに差し掛かっているところもあります。

なぜ疲労困憊するのかというと、一言で言えば、目の前に、死がぶら下がっているからと言えます。

人類で死に打ち勝った人はいません。こういう状況が何年にもわたって続けば、世界中の人たちが圧迫されて、命を急速に削る事になると思われます。

 

しかしこのような時にこそ、死についてどのように聖書から理解したらいいのか学ぶことは大切です。

先日は復活祭で死を打ち破られたイエスさまをお祝いしました。

人類でただ一人、死を打ち破られたイエスさまから、死について学ぶことはたいへん重要です。

私たちの代表であるイエスさまは、死をどのように克服されたのか。神はどのように、み子イエスの死を扱われたのかについて学び、クリスチャンは、それを情報の基礎とすべきです。

今日、読んでいただいた聖書の箇所、特に下線の部分。

 

『これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。』

 

とあります。イエスさまは十字架によって死なれましたが、三日目によみがえり、「死を打ち破ってくださった!」、その結果、「死の力を持つ悪魔」を滅ぼしてくださいました。それはクリスチャンならば、誰でも理解できていると思います。

では、イエスさまは、どのようにして悪魔を滅ぼされたのでしょうか。それは「よみがえり」により勝利して下さったと理解しています。

これは正しい理解です。しかしヘブル書の記者は、「死によって」悪魔の力を打ち破ったと記しています。ということは、イエスさまの死は、悪魔の力を打ち破る武器であったのです。

 

私にとって今回の復活祭で、最も強く印象に残ったのは、マタイの福音書二十七章五十〜五十四節でした。

 

『しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる人々のからだが生き返った。彼らはイエスの復活の後で、墓から出て来て聖なる都に入り、多くの人に現れた。』

 

前回もお話しさせていただきましたが、これはマタイだけがレポートしている記事です。もしかしたら、後に付け加えられた箇所ではないだろうかとも言われました。しかし最も古い写本は、これが事実であることを裏付けています。このことは実際に起こった史実です。

イエスさまが死んだ瞬間、神殿の幕が上から下まで破れたのです。今まで至聖所に入って神と会えるのは、年間に一度だけ、大祭司が血を携えて会えるだけでした、それもロープをつけて、もしかしたら倒れて死んでしまうのではないかという危険性も身に帯びながら、大祭司は至聖所に入って行きました。

しかしイエスさまが死んだ瞬間、誰でも父なる神のもとに「アバ父よ!」と言って入ることができる道が開かれたのです。