神さまから与えられた最高のプレゼント」

多くのユダヤ人は、昔から預言されていた救い主の誕生を心待ちにしていました。その中で、イエスさまの誕生の知らせを最初に受けたのは、名もない羊飼いたちでした。彼らはメシヤ誕生の預言の成就を、いつかいつかとずっと待っていたことでしょう。ですから、その知らせは彼らにとって、聞いたこともなく思ったこともないこと、ではなかったのです。もし日本人が聞いたら、「ありえないでしょ」と言ったと思います。
それでも、野宿で夜番をしていた羊飼いたちに主の使いが現れるという突然の出来事に、彼らはどんなに驚いたことでしょう。

『恐れることはありません。…今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。』(ルカの福音書二章十~十一節)

そんな羊飼いたちにとって、イエス・キリストの誕生は、神さまからの素晴らしいプレゼントだったと思います。羊飼いたちがイエスさまの誕生に出会えたのは、素晴らしい恵みです。「人生は出会いで決まる」と言われますが、誰と出会い、どんな選択をするかによって、人生は全く変わってしまいます。
ここにいらっしゃる方も、以前は違う土地に住んでいて、遠くから来られた方もおられるでしょう。私たちは二〇〇〇年代に生きていますが、四百年ぐらい前の戦国時代に生まれていたらどうだったでしょう。また日本以外の国で生まれていたらどんな生活をしていただろう、と考えたことがありますか? 考えても状況が変わるわけではないですが、今私たちがここにいるということには、すごく大きな意義があるわけです。イエス・キリストに出会うことができ、救われてクリスチャンとして今私たちがここにいるということは、何にも代え難い喜びであると思います。

『わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』(使徒の働き二十六章十七〜十八節)

ここに、イエスさまが来られたのは、罪によって堕落した私たちをサタンの支配下から奪い返し、神の支配に移すためだとあります。これこそが、キリスト誕生の目的なのです。そして、イエスさまを信じる者は、罪の赦しを与えられ、神の子として相続にあずかることができる。なんと素晴らしいことでしょうか。私たちは神さまから、永遠のいのちという最高のプレゼントも受け取っているわけです。
皆さんも、家を建てたら新築祝い、結婚する時には結婚祝いと、様々な時に応じてプレゼントを頂くことがあると思います。そんな時、頂いたものに対して何かお返しをしたいと思います。神さまは、ご自分のいのちを私たちに与えてくださり、それゆえに、私たちは、永遠のいのちという、何にも代え難いほどのプレゼントを頂いています。そんな大きなプレゼントを頂いた私たちは、神さまに何を返すことができるでしょうか。それに相当するものといっても到底考えもつかないと思いますが、できることがあります。それは、伝道です。
先に救われ、真の神さまを知っている皆さん一人ひとりが、イエスさまのことを伝えるということが、神さまに報いることであり、クリスマスはその絶好のチャンスでもあります。
ここにいるほとんどの方は、すでに救われていると思いますから、まだクリスチャンでない家族や友人の救いのために、真剣に祈っていることと思います。しかし、なかなか伝道ができないと悩んでいる方もいるかもしれません。

わが家では、私が生まれる前に最初に母が救われ、私はクリスチャンホームで育ちましたので、家族の救いのことで悩んだことがほとんどありません。しかし、頑固じじいを絵に描いたような岡本啓一というおじいちゃんは、なかなか救われませんでした。誰が何と言っても、「神なんかおらん。牧師は商売だからやっているんだ」と言い、取り付く島もありませんでしたから、私は「神さまは救われない人も造っている。だから仕方がない。おじいちゃんは絶対に救われない!」と思っていました。
しかし、そんなおじいちゃんのために母はずっと祈っていました。また明先生も諦めることなく、何度もわが家を訪問し伝道してくださいました。詳しいことは今までにも証ししたことがあるので割愛しますが、ある時おじいちゃんは変えられ、救われました。一時は、死んでしまうのではないかというほどの重篤な病気になったのですが、洗礼を受けて癒され、この会堂ができて一年ほど、毎週孫の手を引いて礼拝に通って、天に帰っていきました。その頃のことを私は時々思い出します。
使徒の働き十六章三十一節の、
『主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。』
のみことばが、実現したという恵みです。

初代のリバイバルリストであったパウロは、多くの迫害を受け、何度も死線を越えて、命がけで主を証ししたと語られています。そんな彼が晩年に言ったことばがあります。

『私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』
(第二テモテへの手紙四章七節)

私も、このように言える人生を送りたいと思います。そのように言えない今は、まだ天国に行けないかな。まだやるべきことがある、と思っています。
パウロの偉大さを感じながら、「私はパウロのようにはなれないよ」と思っている方、「伝道するって難しい」と思っている人は多いかと思います。私もある意味、難しいと思っています。しかし神さまは皆さんに、パウロと同じことをしなさいとは言っていません。人それぞれでいいのです。皆さんができることを、主の前にささげていくことができたらと思います。

話は少し変わりますが、現在リバイバルミッションで毎月第一金曜日の夜、「若者ワーシップウエーブ」という番組が配信されています。皆さん見たことがあるかもしれません。私は若者ではありませんが(気分は若者ですけど)、どなたでも見ることができますので、ぜひご覧になってください。
今月のテーマは「救いpart2~伝えるって難しい~」でしたので、「若者がこの企画をするのか!」と思って、興味深く見させていただきました。
その中で、伝道アイテムとして紹介されていたのがトラクトとポストカードでした。司会役の伊藤あさひさんと、ほかの若者数人が出演していて、みんなとても上手に演技していて、うまく全体がまとめられていました。途中、トラクトを渡す方法や、ポストカードの利用法も具体的に紹介されていて、とても参考になったのではないかと思いました。
いまやトラクト(伝道用の小冊子)伝道は古いと思っている方もおられるかもしれません。トラクトというものが何なのかも知らない人がいるかもしれませんが、今から三十年前(プレイズができて二年目)、プレイズが最初に発売したのが『ブレッシング』(「祝福」という意味)というトラクトです。その頃はまだ、キリスト教界にはカラー刷りのものがありませんでした。私は、人に見てもらうためには、また受け取ってもらうためには綺麗なものが必要だ!と思い、文章は滝元明先生に書いていただいて、ムウさんにデザインをしてもらい、両面カラーのトラクトを出版しました。当時、トラクト配布は全国的に全盛期だったこともあって、一九九一年に発売したこのトラクトは、すごく売れました。毎月十万部以上が出荷されたのです。私と洋平さんは、日夜トラクトを刷り続けていました。大変でしたが楽しかったことを今でも覚えています。
その経験が生かされて、東京リバイバルミッションの時は、三浦綾子先生のトラクトを百万部以上印刷して、大勢の方が配って案内をしました。今は、時代が変わってマンションのセキュリティ対策などもあり、トラクト配布をするのが難しくなったところはありますが、今でもプレイズでは三十種類以上のトラクトが発売されていて、それを購入して熱心にトラクト配布をしてくださる方たちもおられます。会堂の後ろのラックにプレイズが提供しているトラクトが置いてありますので、ぜひご利用ください。無料ですが、伝道のためにささげたいと思われる方は、献金していただければと思います。まずご自分が読んで、このトラクトだったらあの人に使えるんじゃないか、と思われる方に差し上げてみてください。
私は、自分の書いたトラクトが一つあるので、それを車の中や事務所に置いておいて、誰かが来た時に、「ちょっとこれ読んで」と渡すようにしています。なかなか個人伝道をするのは難しいところですが、トラクトを渡すだけだったら始めやすいのではないでしょうか。皆さんが、一枚のポストカード、一枚のトラクトを渡すだけでも大きな伝道となります。

この度、若者たちの中から、「若者用のポストカードを作りたい!」と言われ、「デザインができたら、印刷してあげるよ」と、このようなポストカードが何種類か出ました。
 プレイズブックスにて二枚百十円で販売されていますので、このポストカードに案内を一言書いて、誰かにプレゼントする際に添えたらいいと思います。この人は救われないだろうと思っている人でも、その人こそあなたに任せられている、委ねられている人かもしれないということもぜひ覚えてください。

『あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。』(伝道者の書十一章十一節)

皆さんが、友人や親族の一人に一言でも伝道してこれを伝えるということはすごく重要なことです。

もう一つだけ証しをさせていただきたいのですが、つい先日、私の友人に一冊の本をプレゼントしました。
その方は、東京の取引先の営業マンでしたが、会社を退職し、今はタクシードライバーをしており、しばらく会っていませんでした。仕事の関係があった時は、もう一人の営業マンと一緒に何度か食事に行ったことがありますが、彼らは必ず酒を飲んでいました。彼らは私が牧師であり、酒を一滴も飲まないことももちろん知っていますが、事あるごとに「なんで岡本さんは酒を飲まないの?」とか、「なんでタバコを吸わないの?」と聞くのです。実際に酒を勧めるわけではないのですが、単純な疑問として聞いてくるわけです。その時々に、私は伝道をしていました。
ある時、その人が「ちょっと相談したいんだけど…。キリスト教だと思うけど、家内がエホバの証人から勧誘されているんだよ」と言うのです。それを聞いて、「エホバの証人はキリスト教ではないまやかしだよ。やめたほうがいい。」と話しましたが、彼は「わかったわかった。ちょっと言っとくわ」という感じで流されて終わりました。
昨年の暮れ、またその人から連絡があり、「最近、家内がネットでキリスト教のある先生のブログにはまっているんだけど、この人って大丈夫かな?」と電話をかけてきました。私は名前を聞いて「その人なら大丈夫だと思いますよ」と言ったのですが、すかさず、「奧さんがキリスト教に興味があるなら、私の師匠の本をプレゼントするから是非読んでもらってください」と、明先生の『われ土方なれど』の本を送りました。
それからどうなるかなと思って祈っていたのですが、つい数日前、突然「岡本さん、久しぶり! 元気?」と電話がありました。「家内があの本を読んでからキリスト教にはまって、毎週教会に行くようになって、今度洗礼を受けるって言っているんだけど、大丈夫かなぁ?」と言うのです。私はとっさに、どんな教会に行っているのかな?と心配になりました。皆さんも心配になりますよね。そこで詳しく聞いてみると、「その教会は、滝元明先生こともよく知っていたし、プレイズのトラクトも置いてあると言っていたよ」と言ったので、私は思わず「よかったじゃないですか」と喜んで話をしました。その方は、関東に住んでいるのですが、続けて「家内が、洗礼を受ける前に一度、滝元先生の教会に行ってみたいと言っているんだけど、行ってもいいかなぁ」と言われたので、「ぜひ来てください! いつでもどうぞ、大歓迎ですよ」と話をしました。
私はその奧さんには会ったことがないですが、本を一冊差し上げたことで、福音が伝えられ、救いに導かれたことを、とてもうれしく思いました。