「大逆転・大勝利・復活!!」

ある晩のこと、なかなか寝付けなかったそうです。すると突然、金縛りにあい、目の前に老婆が現れ首を絞められたそうです。本当に身の毛もよだつ経験だったと言います。彼は真剣に祈ったそうです。
朝になって、仏間を通ったら、仏壇の上に掲げられている老婆の写真と同じだったそうです。
それから彼は病気になって、日本から逃げるようにプエルトリコに帰ったそうです。「日本には二度と行きたくない!」と思ったそうです。
そんなある日、プエルトリコの近くの教会に、日本で働いているプエルトリコ人宣教師夫妻が来て、宣教報告会があったそうです。彼は興味があって出席したそうです。そして、宣教師たちに自分の日本での体験を話したそうです。すると宣教師夫妻は、沖縄で働いている先生方で、そのような現象についてよく知っていました。「それは先祖の霊じゃなく、先祖のふりをした悪霊です。」と話してくれたそうです。
日本人は霊的に敏感で、霊感を感じるのですが、それらは決して先祖の霊ではないのです。人は死んだらどうなるのか。天地宇宙を造られた神の管理下に移されるのです。決して地上を浮遊したり、憑依するのではありきせん。人に取り憑くのは先祖の霊ではなく、先祖の死に関わった「死の霊」です。
すると宣教師がこう話したそうです。「日本に行く機会があったら、滝元順という牧師に会いなさい。彼がそのことについて詳しいから。」と勧めてくれたそうです。それで彼は、「滝元順」とメモっておいたそうです。でも二度と日本に行くことはないだろうと思っていたそうです。

それから月日が経って、彼は音楽好きで、プロのベーシストになりたくて、アメリカのボストンにバークリーという有名な音楽学校があるのですが、そこに入学することが決まったそうです。しかし入学の直前に、ニューヨーク同時多発テロが起こり、その学校に行くことができなくなったというのです。それで学校を変更して、ロサンゼルスにあるLAMAという音楽学校に入学することにしました。

テロのために彼は少し遅れて、ロサンゼルスにある音楽学校に入学しました。
学校の事務所に行ったら、「この学校に日本人男性が一人いて、あまり英語ができないから、あなたは日本語ができると聞いたので、ちょっと助けてやってくれないか。」と頼まれたというのです。
それで彼は日本人学生の所に行って話して、このような質問をしたそうです。「私は一人の日本人の名前を知っているけれど、君は知らないか?」という質問でした。
知らないかと言っても、日本人は一億何千万もいますから、それは無理でしょう。このように聞いたそうです。「君は滝元順っていう人を知ってるか?」
その質問を受けた日本人は目が点になりました。「えっ!滝元順?それって、俺の親父?!」
なんと、ラフィからその質問を受けた日本人男性とは、私の息子、堅志でした。信じられますか?本当に神さまは、すごいことをしますよね。
ラフィは、私に会いたいと思っていたのです。すると、アメリカ、ロサンゼルスの一般の音楽学校で、日本人に出会い、それが私の息子だったわけです。
それからラフィとの交わりが続いています。今から十年くらい前には、プエルトリコのラフィの教会に、フェルナンド先生と一緒に行き、奉仕したこともあります。
彼は日本で体験したことを、今でもたいへん印象深く覚えています。「あれは先祖じゃない!先祖のふりをした悪霊だ。日本人の皆さん、気をつけてください!」と伝えたいのです。
彼は今、プエルトリコで牧師になりました。先日、彼が短いスペイン語の賛美を歌って送って下さいました。奇跡の出会い、ラフィの歌う賛美をお聴き下さい。どうぞ!

ラフィーの挨拶と賛美Video

ある人が次のように語りました。
“私には神、光が見えない。五十年間、私は虚しい暗闇を生きてきた。虚しい孤独だ。私は神の存在を確信できなかった。私の信仰はどこへ消えたのか。心の奥底には何もなく、虚しさと闇しか見えない。この得体の知れない痛みはどれだけ辛いのか。神が存在しないのなら魂の存在はありえない。魂が真実でないとすれば、イエス、あなたも真実ではない。”

皆さん、これは誰が残した言葉かご存じでしょうか。この人は神を真剣に求めていたみたいです。イエスさまにも会いたいと願っていたらしいです。しかし会えなかったのです。そして晩年、こんな悲しい言葉を残したのです。それは誰でしょうか。
「マザー・テレサ」です。「come be my light」とい本の中に彼女自身が書いています。あれほどまで努力し、善行を積んだのに、なぜ、そんな言葉を残さなければならなかったのでしょうか。
彼女は救い主は「聖母マリア」だと信じていました。マリアに祈れば救われると信じていました。しかし無理でした。慈善を行えばきっと救われると信じていました。それでも、だめでした。
あまり知られていないことですが、これが晩年の彼女の言葉でした。
その後、彼女がどうなったのかは分かりません。

聖書は「イエス・キリスト以外に救いはない」と断言しています。イエスさまは『わたしは道であり、真理であり、いのちです。』と語られました。イエスさま以外に、救われる道はないのです。いくらマリアに祈っても、救いはありません。テレサはまさに、それを体験したわけです。

私たちはやがて、この地上から出て行かなければなりません。死後の世界は、先ほど三つ、四つあるように語りましたが、選択できる道は、二つに一つしかありません。
海外旅行をしたことがあるならば、出国の列に並んだと思います。なんとなく緊張しますよね。日本を出国したら、必ず、他の国に入国するのです。入国するためにはビザが必要です。

やがて私たちは地球からも出国しなければなりません。その時、「世界では一度に大勢の人たちが死ぬもんだなぁ。」と変に感動するかもしれません。
出国したら、あなたを迎える存在が来ます。日本人は「お迎えが来る」と言いますが、嘘ではありません。二つの国から迎えに来ています。その一人は神の国からの使者です。もう一人は暗闇の国からの使者です。暗闇の世界とは、悪魔の支配する国です。しかし私たちがイエス・キリストを救い主として信じるならば、神の国に入国できます。
キリスト教の最大の神秘は、やがてイエスさまは地上に帰って来られ、聖徒たちは皆「復活」するということです。
第一テサロニケ四章十三節、

『眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。 私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。』

信じられないかもしれませんが、過去にイエスを救い主として信じ人たちは、死後の世界からこの地上に、朽ち果てない肉体と共によみがえるのです。本物の「救い」とは、肉体が滅びたら本当の救いではありません。朽ち果てた肉体さえも、再生・回復されなければ、本当の救いとは呼ぶことはでききせん、

これは私の両親の写真です。数年前、教会の中庭で撮られた写真です。二人とも、すでにこの地上にはいません。火葬にされて塵になってしまいました。二度と二人はこのベンチに座ることはできません。
しかしやがて、よみがえりの日には、この二人は栄光の身体で、再び、このベンチに座ることができるはずです。このベンチも、綺麗になっているかもしれません。主を信じる者たちは、地上に再び戻ってくることができるのです。なぜなら彼らは、現在、神の国の支配下にあるからです。
家族全員に、この幸せを手に入れてもらいたいです。ただ一つの道、永遠のいのちを、家族とともに生きる事が出来たら、どんなに幸いでしょうか。どうしてもその道を選択すべきです。

ある人は「私の家族はクリスチャンではないし、家族はどうなっちゃうのだろう・・・。」と心配しているかもしれません。しかし聖書には、希望のことばがあります。使徒の働き十六章三十〜三十一節、

『そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。』

家族の中で誰かがクリスチャンであることは、たいへん重要です。家族の誰かが地上から出る寸前、その家族に一人でもクリスチャンがいたら、救い主イエスさまが、その人の目の前に立ってくださる可能性が大きいからです。
「あなたの家族の中に、クリスチャンがいますね。わたしはその人の神ですよ。わたしを信じなさい。」と、死ぬ寸前、主と出会い、天に召された人たちは、結構多いのではないかと私は期待しています。
家族の中で誰かがクリスチャンになることは、家族の救いにつながる可能性を秘めています。救いのチャンスは、生きている内しかありません。

何年か前、私の知り合いで、ろうあ者のご夫妻が、一人息子を亡くされました。本当に悲しんでおられました。三十代で亡くなりました。しかしご両親はクリスチャンでした。けれども息子さんはクリスチャンではありませんでした。だからなお、ご夫妻は苦しんでおられたのです。「息子はどこに行ったのだろう・・・。」毎日のように泣いておられました。
しかしある日、神さまがそのご夫妻に、素晴らしいプレゼントを下さいました。ご主人が突然、神からの幻を見せられたからです。
それは亡くなられた息子が、幻の中に、明るい顔をして出てきたと言うのです。そして「あなた達のおかげで、私はこんな素晴らしい所に来ることができました。ありがとう。」と告げて、幻は消えたそうです。それは神からの超自然的な幻でした。その後、二人は大きく慰められたのです。やがて息子にも会える。やがて、よみがえることができる!その確信を持つことができ、悲しみの中から、立ち上がられたのです。

今話していることは、おとぎ話ではありません。死後の世界は現実の世界です。はっきりした回答がどうしても必要なのです。その回答はどこにあるのか。それはイエス・キリストにあります。
今日、最初に読んでいただいたみことばは、最も重要なみことばです。もう一度読んでみます。
コリント人への手紙第一、十五章三節〜五節、

『私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。』

このようにパウロは語りました。私たちは、何を信じたらいいのでしょうか。第一に、イエスさまは私たちの罪の身代わりとなって死んでくださったのです。葬られたのです。三日目によみがえってくださったのです。ペテロに現れ、十二弟子に現れ、その後、五百人以上の人たちに同時に現れ、それから天に帰られました。目には見えないですが、私たちのただ中におられます。
イエス・キリストはよみがえられたのです。その事実をしっかりと受け止める時、あなたには永遠のいのちがあります、さらに堅く信仰に踏みとどまっていくなら、家族にも、必ず恵みのみ手を差し伸ばされると信じています。

今日は午後から召天者記念会があります。今語った希望の中で、記念会を進めていきたいと願っています。最後にご一緒にお祈りして、メッセージを終えさせていただきます。
私の後について、声に出して祈ってくださいますか。今日初めて、教会に来られた方もおられるかと思いますが、主イエスさまを心にお迎えする祈りをしたいと思います。

イエスさま、今私は、あなたが私の罪の身代わりとして死んで下さったこと、葬られたこと、三日目によみがえられたことを信じ、告白します。私の救い主となってください。私の家族にも触れてください。永遠のいのちをお与えください。将来と希望を宣言し、イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン。