「ダイナミックなバランス」 〜聖霊のうめきと力強い働き〜

皆さん、私たちはこのうめきの中で、神さまご自身から祈るべき、その課題を、うめきの中で受け取ることができるのだと思います。聖書の中に、先週も開かれたみことばですが、こんなみことばがあります。エペソ三章十六節、

『どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。』

私たちは、このみことばに励まされて前進しなきゃいけないと思います。しかし聖霊は私たちの「内なる人を強くする」と書いてありますね。聖霊は我々の内側にあってとりなしてくださる、と同時に、私たちは力を持って、私たちは前進することができると思います。
この「力」という言葉は、「デュナミス」というギリシア語です。それは今、私たちが使っている「ダイナミック」という言葉の語源になっています。「ダイナマイト」というのも、この「デュナミス」から来ています。聖霊の働きは、「力ある業」です。私たちを力強く前進させる力です。と同時に、その同じ聖霊は、私たちの内側にうめきを持って訪れて、私たちをとりなし、私たちを整え、私たちを強めてくださいます。

ベクトルについてちょっと考えたいんですけど、普通バランスと言うと、こう考えますね。

だいたい矢印があると、それに対して、反対側に同じ力がある。これ、バランスが取れる。やじろべえみたいなものですね。


でも聖書が語るバランスというのは、実は、前進的なバランスであって、二つの力が合わさって前に進むことができる。あたかも自転車を漕ぐかのように、右足と左足を前進させていくために私たちはこのバランスをとっていくという。聖霊が我々に与えようとしてらっしゃるバランスというのは、内側にあってとりなし、私たちを整え、私たちを聖め、私たちをさらに豊かな人格者として建て上げていくと同時に、外側に私たちを遣わして行く力だと思います。

また私たちはキリストのからだなる教会にあって、それぞれに与えられた賜物というものがあります。このキリストのからだの中にあって、それぞれ与えられた賜物が発揮されていく時に、大きな力になって、この教会は前進していく。

日本の教会はダイナミックに前進しなければいけません。このコロナの出来事を、私たちは、これは主ご自身にあってしっかりと受け止めて、このポスト・コロナを神さまにあってダイナミックに前進しなければいけないと信じます。そのためにはしっかりと目を開いて、この現実、うめきにも、私たちは目を開かなければいけないと思います。どんな苦しみがあるのか。

そしてまた私たちは、この自然界に対しても、しっかりと目を向けていかなければいけないと思います。新城教会によって「被造物管理」は本当に重要な鍵だと語られてきています。外に出て、「主をほめたたえよ!」と宣言する。それをもっとしなきゃいけない。
しかしもっとしなきゃいけないことは、地に足を下ろして、農業をするとか。私は山で狩猟をしていますけど、そういう地に足のついた、例えば「教会の森」を造るとか。県民の森でリバイバルの霊が注ぎましたけど、今度は「教会の森」に主の霊が注がれなきゃいけないと思います。この山々を勝ち取らなければいけないと思います。
痩せてから僕はこの辺りを忍び猟で回っています。なかなか新城の山はすごいですよ。でも、そこにも「うめき」もあります。この頃、イノシシが一匹もいません。豚コレラが入ってきて、この辺りのイノシシは全部死にました。特定の所にだけいますけど、去年はほとんど取れない。うめいています。さぁ、どうしたらいいのだろうかと考えさせられます。
これから私たち教会は、神さまにあって、聖霊の力にあって、さらに深く、さらに広く、さらに力強く前進しなければいけないと信じます。

最後にこのみことばを読んで終わりたいと思います。エペソ三章十六〜二十一節、

『どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。』

これはパウロがエペソの教会に対してささげている祈りです。この時こそ、聖霊に励まされて、私たちはダイナミックに遣わされていきましょう。そのために、うめきをしっかりと受け止める者となりましょう。心の癒やしが必要ならば、私たちは武装をといて癒やされなければいけない。誰も「私は癒やされる必要はない」という方はないと思います。私たちは聖霊が私たちにあって、うめき、とりなしてらっしゃることを認め、そしてその聖霊が私たちを力強く遣わそうとなさっていることを、今日受け止めたいと思います。
日本の教会、そして新城教会を、聖霊にあって、ダイナミックに遣わされる教会、そしてまた一人ひとりとなりたいと思います。今日それを最後に祈って終わりたいと思います。

天のお父さま、父よ。私たちは聖霊によってあなたに、このように語りかけることができることを感謝します。
今あなたにあって私たちは願います。私たちをさらに深く、さらに広く、さらにイエスさまにあって、さらに遣わしてください。
広さ長さ高さ深さがどんなに大きなものか、神の全能の力がそこに働くことを私たちにあなたが見させてください。そのために、私たちの内に、あなたがうめきを持ってとりなしていらっしゃることを覚えさせてください。
私たちがうめきをしっかりと受け止める者となることができるように。聖霊ご自身を認めることができるように。
今週どうぞ私たち一人ひとりに、聖霊のうめきを知らせてください。また被造物のうめきをも、私たちに理解させてください。そしてそこに神の全能の力が働くことを見て、私たちを遣わしてくださいますように。
主よ、どうぞ、ここにいらっしゃる一人ひとり、またこの礼拝を聞いていらっしゃる一人ひとりの家族に、家庭に、遣わされている職場に、その地域に、神さま、今年、今日から、あなたの力強い業を始めてくださいますように。
天のお父さま、あなたは良い方です。あなたに信頼します。
アバ父よ。あなたを愛します。聖霊によって、あなたを愛し続ける者となることができるように。全てを感謝し、尊いイエス・キリストのみ名を通して、この祈りと願いをみ前におささげします。アーメン。