「ダイナミックなバランス」 〜聖霊のうめきと力強い働き〜

と書いてありますね。「同じように」という言葉を通して、被造物のうめき、そして私たちの内側にある聖霊がうめいているという、「うめき」が対比的に描かれています。「同じように」という言葉がキーワードですね。
そして、「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。(22節)」
ここでは「ともに」と書かれています。「ともに」というのは、私たち人類、神の子である主によって選ばれた私たちと被造物が共にうめく者だと。そして私たちが被造物のうめきを受け取るべき、共有する、ともにあずかるものだということをここで描いています。

皆さんもご存知だと思いますが、新型コロナウイルスの感染でこれまでに世界で一億七千九百六十六万八千人が感染し、約四百五万人が死亡したと、六月二十四日現在言われます。日本でも八十万人が感染し、一万四千六百五人の方が亡くなっている。本当に私たち今、このウイルスにあって、うめいていますよね。ここにいらっしゃる方の中で、「私は新型コロナウイルスから全然関係ない。」とか言う方は、誰一人ないと思います。そういう主張をしてマスクせずにいる人もありますけど、でもそれもある意味では、うめきの結果そうなっているのではないかと思います。ある意味で世界全体がスタックしてしまっている。その意味において、共に苦しむということを我々は学んでいるのではないかなと思います。
どこかの国だけが大変と言うと、「あぁ、かわいそう」と、僕らは助けたり、また助けを受けたりしますけど、今、共に世界がうめいています。
時代を追っていくと、今から百年前、第一次世界対戦の頃、インフルエンザウイルスが入ってきました。これはアメリカでカモから入ったと言われます。僕もカモ撃ちをやりますが、三年前ぐらいには、この豊橋でヒドリガモが死んでいて、それが新型の鳥インフルエンザだと言われて、ヒドリガモを撃たないようにという通達が猟友会から来ました。ヒドリガモはあんまり美味しくないので、僕らは撃たないんですけどね。マガモとかカルガモなどを撃ちます。
今でも新型インフルエンザはどんどん更新されています。この時に亡くなった人数は世界で五千万人。これ少なく見積もってらしいですね。日本でも四十五万人亡くなっています。今と時代が違うし、メディアを通して私たちが情報をすぐに受け取るとか、世界との交流もそれほど今ほど飛行機でビュンビュンと行くとかいう感じではない時代だったと思います。
そしてまた第一次世界大戦があって、この時、スペイン風邪と呼ばれたのは、スペインが中立国だったので、そのインフルエンザを公表したのでそう呼ばれたのです。当時は戦争下で全部が伏せられていました。だからもっと蔓延したのです。人類は百年前、このうめきを体験しています。
もしかすると、この時何が起きたのか、その後私たち人類はどのようにこれを克服していったのかを学ぶことは大切かもしれないと思います。
日本の教会にあっても、実はこの出来事の後、「再臨運動」が起きてきます。内村鑑三だとか、あと中田重治という、実は全く違う信仰だった人たちがひとつになって再臨運動をやっています。八木重吉という私が好きな詩人がいますが、彼もクリスチャンなのですが、彼がその再臨運動の中で、「主よ、来てください。」と、ものすごい激しい詩を書いています。
その再臨運動の後、ホーリネスにおいてはリバイバルも起きています。「ホーリネスリバイバル」と呼ばれる業も起きてきます。でも、その後起きた混乱もあります。
一度、もし皆さんよろしければ、戦略的とりなしと調査専門課程で、「パンデミック」というタイトルで、私の友人がこのことを発表していますので、それを読んでいただければと思います。我々は、この新型コロナウイルスの後どうすべきかを、今考えなければならない、そんな時が来ていると思います。ポスト・コロナを私たちはどのように過ごすべきか。いや、この経験がどのように神さまにあって生かされていくのかということを私たちは知る必要があります。

『神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。』と書いてあります。
人類が直面しているコロナの問題に関して、皆さん一人ひとりが今そこで感じ取っているうめきに対しても、神さまは必ずそれらを相働かせて益としてくださる。
ここでも好対照的に書かれていますね。「相働かせて」、「全てのことを働かせて」他の訳では、「ともに働かせて」とか「相働いて」。
この「相働いて」というのは、人の働きと聖霊の働きということだと思います。我々人類が何をしていくのか。私たちが何を計画するのか。私たちがどう歩むべきかによって、益となるのかどうなのかということも、ある意味では決まってくるのではないかなと思います。この経験は必ず益となります。いや、益としなければならないんだと思います。

このみことばの中で、『神を愛する人々』という言葉が使われています。僕はこれに注目して最近調べました。『神を愛する人々』、私たちから「神さま、愛してます!」と言う。でも聖書は意外と、「神さまが私たちを愛してイエスさまをくださった」という、こっちの方が多いのではと思って調べました。今は便利な時代で、「愛」と入れて検索すると、愛という言葉が全部ずらーっと出てきます。その中でチョイスしていくと、「神さまが私たちを愛してらっしゃる」という、そういうその表現、例えば

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3章16節)』

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ(イザヤ 43:4)』

でも調べてみると、実は、「神が私たちを愛している」というみことばと、「私たちが主を愛する」、「神を愛する」という表現が、ほぼ同等出てきます。同量あります。ここにバランスがあるのです。ただ私たちは愛されるためだけに生きているのではない。
「君は愛されるために生まれた」という素晴らしい歌がありますよね。「君は愛されるために生まれた♪」とね。うちの父がある時、爆弾発言をしました。「俺はこの歌はきらいじゃ。」たぶんいろんな人から歌われたんでしょうね。僕も一回歌われたことがあります。ある所にとりなしに行った時に、神社の中で、ある韓国からのチームが来ていて、「君は愛されるため生まれた♪」と、僕らにやるわけですよね。「ここでは、やめてくれ」という感じがしましたけど、その心は嬉しいですが、「ここで歌うかー」みたいな感じはありました。
でも私たちは愛されるために生まれました。うちの父もよくこのみことばを言っていました。
『言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」(ダニエル 10:19) 』
「神に愛されている、明よ。」言っていましたよね?「瀧元明は愛されている。」という、そういう自覚を持っていましたね。「俺が一番愛されてる!」みたいな、そういう不遜な感じさえしましたよね。でも彼がなんで「君は愛されるために生まれた」という歌に文句をつけたかというと、「私たちはイエスさまを愛するために生きているんだ!」と言いたかったんだと思うんですよ。そういう人だったと思います。
ある意味、私たち瀧元ブラザーズはみんなそういう感じありますよね。なんかみんなから愛され、哀れみをかけられることが結構苦手なのかも。
でも、この頃は皆さんが本当に私たちのために祈ってくださって、本当に感謝します。私の息子のためにも、また兄の奥さんのためにも、また私たち瀧元ブラザーズのために祈ってくださって、本当に感謝します。また祈るだけじゃなく献げてくださって。でも意外と私たちは、受けることが苦手なんですよ。
でもここで聖書は「愛されている私たち」、その愛された私たちが、愛をしっかりと受け止めた私たちは、なんと聖書が教えるように、我々は、愛された私たちは、「愛する者となる」と言っています。
『13 もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、【主】を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、
14 「わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。(申命記 11:13、14)』
私たちが神さまのみ教えに従うということも、実は「主を愛し」という言葉の中で、それがなされていきます。
なんかクリスチャンになると、「これもやってはいけない。あれもやっちゃいけない」と言って、束縛されるかのように感じがちですが、鍵になる言葉は、「愛する」ということです。愛されたものが愛するようになる時に、それは束縛ではないのです。
皆さんも、愛する方があるでしょうか。私には素晴らしい妻がいて、私を愛してくれています。だからこそ私は妻の言う事には耳を貸すようにするんですね。
でもなかなか妻から言われると、今日のメッセージとか、「今日の言っていたことちょっとね。」とか言われると、「何?」みたいな、素直に言えないんですよね。男ってそうですよね。素直になかなかね。でもあとから反省するんですよ。「そうだなぁ」みたいなね。ちょっと奥さんも、少し待ってあげてくださいね。旦那さんに言う時。「言う時」があるんですよ。言われ方もあるんですが。その辺考えていただければいいと思うんですけど。
ただ、愛する方が言ってくれたことは、やっぱり応えようとします。
この「愛」は何なんだろう。それは実は「アバ父」と叫ぶことだと思います。
『神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。』
聖霊によって、「アバ父」と叫ぶことができると書いてあります。「お父ちゃん!」と叫ぶことができる。天のお父さまに向かって、私たちが「アバ父よ!」と書いていますが、これは何がさせるかというと、「聖霊によって」と書いています。『み霊によって「アバ父」』と叫ぶことができる。
イエスさまを信じると、皆さんの、私たちの心の中に、聖霊が住んでくださるようになります。聖霊は愛することをさせてくださるのです。ここには天の父なる神さまの愛、それを受け取る私たちが、今度はお父さんを「アバ父」と呼び、愛していく愛の関係が描かれていることを皆さんに知っていただきたいのです。

私たち、このみことばの中から、神さまが我々のために今日、私たちを愛してらっしゃって、聖霊を我々のうちに住まわせて、表現できない、言い難いうめきを持って、私たちをとりなしているという事をしっかりと受け止めたいと思います。
私たちはとりなされているのです。聖霊によって。私たちが表現できない、私たちが理解していない、私たちが気づいていない心の深みにまで、広さに対しても深さに対しても、聖霊はそれを知って、とりなしていらっしゃいます。
我々がその被造物のうめきというものに対して、外に対してとりなそうとする時に、知る必要があることは、とりなしを受ける必要があるということです。聖霊は我々のうちにあって、とりなしてくださっている。助けてくださっている。今日それを私たちは本当に受け止めたいと思います。

私も息子のことで、いろんなうめきがあります。息子が脳出血で倒れて、そしてもう本当に激動の時が来て。
でもそれまで私は入院ということに関して、また病院に行くという事に、ほとんど縁がなかったので、病院の制度がどうなっているかなんてことは全然理解していませんでした。一応知っていたけども、それを体験的に理解なんかしていませんでした。入院して急性期の病院に実はいられるのは二ヶ月です。多少そこで延ばしていただいたり、寛太の場合は本当に多くの方々が尽力してくださったり、本当に愛されて、感謝なことに長くいられたりしましたけど、次には家に帰るのか、それともリハビリするか、これも判定があって、リハビリに行きました。そして、そこにも六ヶ月しかいられません。もう三ヶ月ぐらい経つと、「はい、次の所を探しなさい。」と言われるのです。次はどこに行くか。療養型病院に行くのか、それとも家に帰るのか。寛太の場合は、まだ意識が戻りませんから、療養型に行かなきゃいけない。そういうところでいろんな療養型病院を探しました。そこに面接に行くと、必ず言われることがあるんですね。「この療養型病院では、治療がしっかりできません。」と。ほとんど内科医しかいませんから、「もし重大な病気になった時には、治療が十分できません。」と。これ死の宣告ですね。必ず言われます。使える薬もありません。昇圧剤を使えないという所もありました。例えば肺炎になって、そして血圧が下がった時に、血圧を上げる薬すら使えないという所がありました。
感謝なことに、ある療養型病院に入ったのですが、そこでうちの寛太は誤嚥性肺炎を起こして、敗血症になりました。でもその時に助け手がいたのです。一人の中国人の看護師がいて、日本人の看護師は何も言わなかったんですよ。その看護師が、「こんな所から、すぐ出なさい!」と言ったんですね。「すぐ出ろ!そして何でもいいから、どこでもいいから、元いた所に運んでもらいなさい!」と彼女が押し出してくれたので、元いた急性期の所に戻って命が助かりました。そこには、皆さんの祈りがありました。
その後、皆さんがたくさんの募金をしてくださって、そして藤田医科大学病院という所に行ってDCS手術を受けることが出来ました。そしてコロナが始まって、本当は三ヶ月で出なきゃいけないところを、九ヶ月以上そこにいることができました。
でもその後、また次のところを探さなきゃいけない。療養型病院を探しました。療養型に行こうとするその中継点として入った所が、今いる聖隷袋井市民病院というところです。そこは院長が脳外科の方で、そしてそこで一般病棟に入ったのですが、2ヶ月少しして療養病棟に行きました。今は「何か起きてもちゃんと対応します」と言われ、本当に感謝しています。
でも、こういう事に出会って初めてわかったことは、苦しんでいる方々がいる。若くして脳疾患に陥った方々というのは、ある意味で老齢になった方々と状況が違うわけですね。四十代からの保険と、四十才以下の方々が受けることが出来る保険とが違って、随分大変なんですね。
このような医療制度、急性期二ヶ月、そしてリハビリ六ヶ月、そしてその後は療養型へという、いつまでもずっと治療を受けながらその同じ病院にいるという事ができなくなったのは、小泉首相のあの医療改革でこうなっていますね。もちろんそうする必要があったわけでしょう。でもある意味においては、その医療改革の狭間に落ちてしまったような、若い脳疾患に陥った人々は、本当に苦しんでいます。
同じような何人かの方々と私たちは会いました。高校生でボールが頭にあたって倒れた方とか、新婚さんで寛太と同じようになっている方、彼らは本当にうめいていました。
私はこのような事に対しても祈らなきゃいけないと思わされ、また医療のためにも、日本の医療の制度が本当にもっと届くべきところに届かなければいけないということを、本当に思います。