「70年が満ちた2021 回復と再建の年 〜この時のために生きる② 大逆転、大勝利!〜」

アダルの月の十三日、一日のうちに大逆転が起きたのと同じように、イエスさまの十字架と復活によって、一日のうちに、全人類に、いや、全造物に、大逆転・大勝利が訪れたのです。

間もなく、「復活祭」です。復活祭はキリスト教会の中で、最も重要な日ですが、それにもかかわらず、クリスマスほど意識されていません。クリスマスは結構、盛り上がりますけれど、復活祭となると、「復活祭、いつだったっけ?」なんて、忘れる始末です。
何故かと言うと、そこには理由があるのです。復活祭の日程は、毎年、コロコロ変わるからです。今年は四月四日になります。
復活祭は、「春分の日以降の最初の満月から、数えて最初の日曜日」というのがキリスト教会の伝統です。だから今年は四月四日が復活祭になるのです。
しかしこれ、ちょっとおかしいと思いませんか?例えば、皆さんの誕生日が毎年変わったら嫌な気分ですよね。
私の誕生日は、八月五日ですが、「順さん、来年の誕生日は九月五日にしてもらうからね。」と言われたら、何それ?って感じです。さらには、自分の親が亡くなった日が、毎年、変わるなんていうのは受け入れられません。
イエスさまの十字架と復活の日も、三百六十五日の中で確かな一日のはずです。しかし変化するわけです。
クリスマスもイエスさまの誕生日ではありません。本当に教会は不思議なところです。イエスさまがお生まれになった日も間違っていますし、イエスさまが十字架につけられた日も、復活の日も毎年変わるからです。なぜでしょうか。「それが伝統ですよ」と言うかもしれません。しかしそこには理由があるのです。

実は復活祭の日程が定められたのは、AD三二五年の「ニケア公会議」によって決定されました。教会自ら、日程を決めたのです。でもなぜ、こんなややこしい日程に決めたのでしょうか。
歴史を調べると、そこには教会の深い苦悩が含まれていることがわかります。

実はAD三二一年の三月七日のことでした。ローマ皇帝のコンスタンティンが「太陽の日」、すなわち「日曜日」を西ローマ帝国の休息の日とする法律を施行しました。それは神やイエス・キリストを讃えるためではなく、太陽神を讃えるためでした。
世界中、ほとんどの地域で現在、日曜日は休みです。この起源は、AD三二一年のコンスタンティンの定めた「サンデーロー」という法律が起源です。「国民は日曜日に休め!」
なぜならばローマ帝国は、当時、アポロンという太陽神を拝んでいて、ローマ皇帝は太陽神の化身であると信じられていました。また当時ローマでは、ミトラ教という、太陽を拝む宗教に入っている人たちが多く、彼らは日曜日に太陽礼拝をしていたわけです。
そんな中、キリスト教がローマで国教化されました。当時、クリスチャンたちは安息日に、太陰暦に沿って礼拝をしていたわけです。また、イエスさまがよみがえられたのが、週の初めの日でしたから、安息日の翌日、その日を記念して礼拝していたようです。
ローマでは各宗教によって、礼拝日が異なっていたわけです。 そのまま放置すれば国は混乱します。ゆえに「全てを日曜日に集約せよ!各宗教の礼拝は日曜日に行え!」と命令されたのです。
以来、ローマ・カトリック教会はそれを受け入れて、日曜日を礼拝の日としたのです。それが今日、プロテスタント教会にも受け継がれているのです。
イエスさまが復活された日は、春分日以降の最初の満月の辺りだということは分かっていました。けれども、教会は聖書暦通りには主のよみがえりを記念できません。それで、「満月の後の最初の日曜日」としたのです。この結論に至るまでに、相当な論議があったわけです。

さて、では、イエスさまが十字架で死なれた日はいつでしょうか。三百六十五日の中の、どこかであることは確かです。それを突き止めることは重要です。突き止めるためには、やはり聖書の中から、十字架刑と復活の日についての情報を集めなければなりません。
一番大きな情報となるのが、ヨハネの福音書の十九章の記述です。三十一〜三十二節、

『その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。』

と記録されています。イエスさまが十字架にかかって、亡くなられたのは、『その日は備えの日であった』とありますから、備えの日とは、安息日の為に備えで、「安息日の前日」であったということが言えます。
でもその「安息日」が、「大いなる日」と呼ばれる特別な日であったのです。それはどういう日かというと、「過ぎ越しの祭りの週に当たる安息日」のことを「大いなる日」と呼びました。
こう考えると、イエスさまが十字架につけられた日を、絞り込むことができます。
また他にも情報があります。イエスさまが十字架にかかって死んだ時、「十二時から全地が暗くなって三時まで続いた」という、太陽が姿を隠したような天体変化が起こったのです。
マタイによる福音書二十七章五十〜五十二節、

『そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。』

マタイの福音書だけに記されているのですが、すごいことがその日に起こっているのです。イエスさまの十字架と復活の影に隠れてしまっているのですが、イエスさまが息を引き取られた瞬間、大地震が起こり、聖所と至聖所を隔てる幕が破れたのです。それも、下から上ではなくて、上から下に破れたのです。下から上ならば誰かが破ったと思われますが、「上から下」ということは、神が破ったことを意味します。それは、「誰でも、自由に至聖所に入ることができます。動物の生贄は要りません。」というサインだったのです。

そして最高に驚く出来事が、イエスさまの十字架の死を通して、永遠のいのちが与えられた事実を知らせるように、「眠っていた多くの聖徒たちの体が生き返った」というのです。そしてイエスさまのよみがえりに続いて、エルサレムに入ってきたと記録されています。
信じられますか?イエスさまが、十字架で息を引き取られたその瞬間に起こった出来事です。

天体は三時間ぐらいに渡って真っ暗になるは、大地震は起こるは、至聖所の幕は破れるは、死人までが生き返ってくる。大事件です。今日に置き換えたら、世界的大ニュースです。新城教会でかつて亡くなられた多くの方々が、うちの親父やおふくろもいますが、そろそろ出てきたのと同じです。
実際こんなことが起こったのだろうか?ということですが、全地が暗くなったことは、日食だと考えられます。しかし日食は、満月には起こらないのです。日食は新月の時に起きる現象です。しかし、満月の日に暗くなったのです。これが本当なら、自然界の法則を破る、神の奇跡としか言いようがないです。

興味深いことに、聖書以外にも記録が残されています。小アジアの年代記の記者フレゴンが記録を残しています。

“第二〇二回オリンピック大会の第四年目、ユリウス暦AD三三年に日食が起こった。これは古今未曾有の大日食であった。昼の第六時、(すなわち正午)星が見えるほど夜となった。ビテニアに起こった地震でニケヤの町の多くの建物が倒壊した。”

古代オリンピックと近代とは違います。昔は結構やっていたのですね。二〇二回と言いますから。ユリウス暦でAD三三年、太陽が三時間も隠れてしまうようなことと、大地震が起こったと、聖書の記録を裏付けることが起こったのです。
ということは、イエスさまの十字架と復活は、神話ではなく、我々の歴史のただ中に起こった事実です。

特に、この安息日が「大いなる日であった」という情報は、イエスさまが十字架にかかられた日を特定する、最も大きな情報となります。それを当てはめると、イエスさまの十字架の死は、「ニサンの月の十四日」となります。
今はアダルの月ですけれど、来週の日曜日からは、「ニサンの月」に入ります。そのニサンの月の十四目は、イエスさまが人類のために、いや、被造物全体のために死んでくださった、それこそ「大逆転・大勝利」が起こった日なのです。
来週の日曜日、ニサンの月の一日、そこから数えて十四日目、太陽暦で言いますと「三月二七日」、ニサンの月の十四日です。その翌日が安息日となり、その次の日が「週の初めの日」となりますから、「ニサンの月の十六日の早朝、主はよみがえられた」ということになるわけです。

今、私たちは、どのような聖書暦の中に生きているのかといいますと、アダルの月とニサンの月の両方含む、「太陽暦三月」に身を置いているわけです。
今週は、アダルの月の最終週。幸いな計画を実現してあげます!と預言された、「七十年が満ちる頃」となります。今週は、主が捕らわれていたユダの民を解放した記念の週です。

エズラ記七章九節

すなわち、彼は第一の月の一日にバビロンを出発した。彼の神の恵みの御手は確かに彼の上にあり、第五の月の一日に、彼はエルサレムに着いた。

エズラ記の七章九節は、無事に神殿を再建し終えた後の記録であると思われます。しかしエズラは学者で、神の律法を良く理解していました。ゆえに彼は七十年が満ちた後、主がユダの民を解放されたという預言を踏まえ、「ニサンの月の一日」を選んで、バビロンを旅立ったと思われます。

来週からはニサンの月(第一の月)、新年になります。新年の中では、聖書中で最も大きなイベント、一日のうちに人類の死刑を廃止し、人類全体、いや被造物全体を救い出す、十字架と復活が含まれているのです。

ということは、今の時をどのように生きるのか。主が大逆転・大勝利を与える三月であることを知って、主の前に出ることは重要です。

私も現在、戦いの中にありますから、今週は主に期待したいです。新城教会、今年は「七十年が満ちた二〇二一」と銘打っておりますが、聖書歴的に照らすなら今週と来週にかけてのことになりますから、大きく期待して祈っていきます。
悪魔は神さまの働きを隠すために、暦を隠していると思います。先ほども、お話しましたように、教会は日曜日を習慣的に、この日が聖なる日だと思い込んで礼拝をしていますが、実は、それも悪魔の策略で、太陽礼拝の日を無理矢理、権力により変えられたのです。私たちは日曜日を、義の太陽イエスさまを礼拝する日として、悪魔から取り戻す必要があります。
イエスさまの十字架と復活の日も、攪乱されています。十二月二十五日のクリスマスも、太陽再生の日です。背後に悪魔の策略があります。しかしこのような悪魔の策略を見抜く時、天の法則が地に現わされると堅く信じます。

今週は、どのような週でしょうか。重要な週です。アダルの月が終わって年末・年始を迎える週となります。アダルの月では、エステルのストーリーがあります。ハマンが木にかけられました。
ニサンの月では、悪魔は「イエスさまを木にかけてしまえば、被造物は全て俺たちのものだ!」と計画していたのが、なんと、主イエスがかけられた十字架は、とりもなおさず、死の力を持つサタンが打ち砕かれ、一日のうちに大逆転・大勝利が起こった日となったのです。そのような記念すべき重要なシーズンに、私たちは生きているのです。

大逆転・大勝利を各方面において、主が行なってくださるように、祈る週でありたいと心から願っています。
大逆転・大勝利が起こって欲しい領域は、数多くあります。アダルの月と、ニサンの月に、大きな勝利を期待します。
最後に一言お祈りまして、メッセージに代えさせていただきます。

ハレルヤ、天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。暦について教えてくださり感謝いたします。今日はアダルの月の二十三日ですが、今週は年末です。来週からニサンの月が始まります。イエスさまの十字架と復活という、大逆転・大勝利が含まれていることを心から感謝します。
あなたが十字架にかかってくださったことによって、悪魔・悪霊どもが打ち砕かれ、死の力が滅ぼされ、大逆転・大勝利が起こされたことを、心から感謝いたします。このような重要な暦の中に私たちを置いて下さっていることを、心から感謝いたします。
今週は主よ、新城教会に七十年が満ちる週となります。主がみわざを現してください。大きく期待します。
今週行われる聖餐式は、大逆転・大勝利の聖餐式としてください。死から命を宣言します!全ての栄光をお返しして、尊きイエスさまのみ名によって、祈りを主のみ前におささげいたします。アーメン。