「70年が満ちた2021 〜回復と再建の年〜 あなたは主の勇士です!」

現在、新型コロナ問題で、世界中の教会は鍛えられています。自らをどう守るのか、生き方に関しても、試練が課せられています。このような試練の背後には、目に見えない敵も存在していることは確かです。人類を根絶やしにし、不幸にしてしまえ!という敵の力が働いているのです。現在、私たちは試練のただ中で鍛えられています。

私には一昨年前から、ずっと試練が続いています。鍛えられっぱなしです。これだけ苦労しているという事は、他でもなく、特殊部隊としての訓練を受けているに違いないと考えています。

主任牧師夫人が病気になれば、教会全体が苦しみます。教会全体の試練みたいなところがあります。上條先生が病気になったりとか、他にも、いろいろ戦いがあります。しかし主は、教会全体を訓練して、どんな戦いをも戦い抜く勇士たちを育てようとされていると信じます。

やがて厳しい訓練が終わったら、私たちは主の特殊部隊の隊員として、暗闇の力を打ち破るために、活躍することができると信じています。

 

さて、創世記から黙示録まで貫かれている霊的戦いを組織的にまとめ上げ、言葉にしたのはパウロです。エペソ人への手紙六章において、私たちの戦いがどんなものであり、敵がどのような組織で挑んでくるのかを、言葉にしました。皆さんも暗記するぐらい、ご存知だと思われますが、六章十〜十二節、

 

『終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』

 

短いことばですが、ここで『私たちの格闘は血肉に対するものではない』と明言されています。

これが事実ならば、誰も見逃すことはできないはずです。クリスチャン生活のただ中に起こる問題、さらには人生全体に起こる諸問題は、血肉の戦いのように感じますが、そうではなく霊的戦いなのです。パウロはその事に気づかされたのです。

 

その後に、悪魔・悪霊どもの組織を三段階に分けて説明しています。それは『主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。』と説明しました。この箇所に関して、ある聖書学者が次のように語っています。

 

“霊的な戦いはすでにパウロ書簡でも語られている。ただしそこではまだそれらの悪霊の働きが人間存在と関連付けられていて、自分と他人とを含む人を通じて現れる悪との格闘として捉えられている。しかしエペソ人への手紙六章では、血肉の戦いではないと明言されることによって、人間を超えた「宇宙論的な範疇」で捉えられているのが特徴である。”

 

エペソ六章は、今までのパウロの理解を大きく超えているというのです。それまでパウロは霊的戦いは、人を中心軸に、人の営みにより起きるという理解でした。しかしエペソ6章では、それを超えた「宇宙論的な範疇」で捉えられているというのです。

霊的戦いは、被造物全体を巻き込む戦いであり、すべての被造物の中に存在することに言及しているわけです。このように聖書全体の霊的戦いをパウロは聖霊によってまとめあげ、言葉にしたのです。

エペソ六章十節から十二節の記述は、大変重要です。そして私たちは、今日においても、同じ環境の中にいるのです。

戦いは三段階のレベルに分けられる悪しき組織との戦いです。

「レベル1」の戦いは、「主権と力」という組織との戦いです。しかし戦いはレベル1だけでは終わらないのです。レベル2においては、「暗闇の世界の支配者たち」という組織との戦いです。英語訳で見ますと、“the world-rulers of this present darkness,”とあります。「暗闇の世界の支配者たち」とは、世界を牛耳るほどの宇宙的組織が存在する事を示唆しています。

そして最後に「レベル3」の戦いは、「天にいる諸々の悪霊とも」との戦いです。悪魔は三つで一つになっている暗闇の組織を駆使し、教会に挑んでいます。そして、この組織と戦うのが、七十人の弟子たちの使命でもあったのです。それは、現代を生きるクリスチャンの使命でもあるという事です。

 

レベル1の戦いは、「地域の霊的戦い」です。レベル2においては、「星々の世界での戦い」、そして、「レベル3」、これは最も激しい戦いであると私は理解していますが、諸天での法廷闘争です。この三つの組織が背後に関わっているのです。

私たち、特殊部隊の隊員たちは、この組織について熟知する必要があります。その結果として、「あなたがたに害を加えるものは何一つない」という領域に到達できるのではないかと思います。

 

今から簡単に、三つのレベルの組織について、具体的に説明したいと思います。

 

まずはレベル1。なんかゲームみたいな感じですが、「主権と力」という組織です。それはどのような組織なのかと言うと、ある注解書に、次のように解説されていました。

「主権と力とは、人間社会の社会政治学的構造と関わる諸霊」

「社会政治学的構造」とは、何なのかを調べてみました。政治社会学とも呼ばれますが、「社会学と政治学の学際的なアプローチによって、政治現象を解明しようとする社会学の一領域。」となっていました。何言っているのか、さらにわけが分からないですが、どういう意味でしょうか。

社会は政治によって変化します。国にどのような政治がなされるのか、どのような為政者が立つのかで、社会は大きく変化します。

先日アメリカの大統領選挙があって、今までトランプ政権だったのがバイデン政権へと変わりました。バイデン政権に変わってから、トランプが打ち出した政策を、どんどん否定し、転換しています。トランプ政権でアメリカは、地球温暖化のパリ協定から外れたのですが、元に戻ったり、人工中絶に反対していましたが、バイデンは賛成したりとか、その他にも、どんどん前政権の政策を覆しています。それが良いのか悪いのかは別にして、政治的変化により、社会は変化するのです。

日本においても、民主党政権の時と、現在の自民党政権の政策では、全く違います。その結果、私たちの生活も変わるのです。政治による社会的変化は、目に見える血肉の領域にあると考えるかもしれないけれど、背後に悪しき力が働いていると、パウロは述べているのです。

 

それを如実に表している記録が、イエスさまがゲラサという場所に行った時の霊的戦いでした。聖書は神話ではありません。歴史のただ中に神が関わられた記録なのです。

マルコ五章一〜二節を見ると、

 

『こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。』

 

私はゲラサに何回も行ったことがあります。右側がゲラサの町です。マルコ五章一節、二節の記述と同じ光景があります。

 

 

イエスさまはガリラヤ湖を渡って来られたわけです。すると墓場に悪霊に支配された男が住んでいて、イエスさまを迎えたのです。続いて五章九節、

 

『それで、「おまえの名は何か」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから」と言った。』

 

これだけ読んでもあまり分かりませんが、調べてみると「レギオン」という用語は、本来、悪霊の軍団というよりも、「ローマの軍隊」のことを指す用語です。イエスさまの時代は、ギリシャ帝国からローマ帝国に支配が移り変わった時代でした。当時イスラエルは、ローマの軍隊によって統治され、植民地支配を受けていました。ローマ帝国はガリラヤ地方やデカポリス地方にも軍隊を送り統治していたのです。その軍隊は「レギオン」と呼ばれました。そしてローマは、ギリシャ的な文化も持ち込みました。

彼らの植民地政策の柱として、「宗教政策」がありました。それはローマ神話の神々、これはギリシャ神話の神々の焼き直しですが、それを町々・村々に持ち込み、住民に拝ませることと、ローマ皇帝カエザルを神とする「皇帝礼拝」をさせることにありました。住民たちはこの二つを強いられたのです。ゲラサの町は元々、ヘレニズム時代にギリシャによって建てられた町でしたが、イエスさまの時代には、ローマ神話の神々と皇帝を現人神として拝むことを義務づけられていたのです。

まさしくこれは、社会政治学的構造と共に悪霊どもが働いていた証拠です。

具体的にギリシャ・ローマはどんな偶像を地域に持ち込んでいたのかと言うと、ギリシャ神話の女神「デメテル」という豊穣神でした。

 

 

ここにデメテルが祀られていたとすると、イエスさまが湖を渡る途中に波風が立ったとか、豚が湖に落ちた理由が分かります。なぜならデメテルは、「自然界を支配し、気象を操る女神」として当時崇拝されていたからです。住民がこの女神を拝むことによって、悪霊どもは力を受け、イエスさまがゲラサに来ないように、風を吹かせたわけです。しかしイエスさまは、このレギオンを追い払われたのです。

 

 

またこの女神は聖獣として、豚を率いていました。イエスさまが二千匹ほどの豚を湖の中に放り込んだ記述を見て、「イエスさまはひどいことをする。人の持ち物の豚を湖に投げ込んで。」と言う人がいますが、当時デメテルは豚とセットで拝まれていました。ということは、イエスさまはただ単に、豚を湖に追いやったわけではないことが分かります。これらはローマ帝国が軍隊と共に持ち込んだ存在でした。ローマ帝国のレギオンと、悪霊のレギオンが表裏一体となり、この地域を支配していたのです。

日本も同じです。明治政府により持ち込まれた、「国家神道」により、国は支配されているのです。ということは、国の背後に働くレギオンを打ち破る祈りが必要なのです。これがレベル1の戦いです。レベル1の戦いは、国家的偶像礼拝と異教の文化です。墓場に男が住んでいましたが、それは祖先崇拝と繋がりがあります。ギリシャ系の人たちは、今でも世界で最も墓参りをする人たちだと言われます。ギリシャ人の墓参り年間回数は世界一で、年間十一・一回です。日本でも行われている祖先崇拝という習慣と文化は、レギオンを呼び込む力となります。

 

続くレベル2の戦いは、「暗闇の世界の支配者たち」との戦いです。意外なところから世界はコントロールされている事が分かります。

それは何かというと、「コスモクラトール」という言葉が使われていますが、星々の世界から人々は支配されているというのです。

当時の人たちは、コスモクラトール、すなわち「圏」と呼ばれる星々の世界が人の運命を左右すると信じていました。それは星々の世界の神秘との関わりです。

エーリッヒ・ザウアーという神学者は、星々の世界と天使の世界は、単なる詩的表現ではなく、実際的関わりがあると語っています。

聖書は天体を拝んではいけないと告げています。なぜ拝んではいけないのでしょうか。天体は天使たちの世界だからです。それらを拝んでしまえば、天使たちの領域が悪魔にわたってしまうからです。それはただ単なる個人的支配だけでなく、world-rulersとありますから、世界中が悪い影響を受けるのです。私たちは彼らから世界を取り戻さなければならないのです。星々の間に巣を作っている敵の力に立ち向かう祈りが必要です。具体的には様々な領域があるのですが、本日、午後から霊的戦いセミナーを開催します。そこで「暦と霊的戦い」というテーマで語らせていただきます。私と雅也先生が語らせていただきます。暦を意識する人はあまりいないかもしれませんが、暦は、天体によって規定されます。

聖書の背景にユダヤ教があります。ユダヤ人たちは一神教で、ローマの支配にも屈しませんでした。

初めは、「キリスト教」という呼び名はなく、ユダヤ教の一派だと思われていたわけです。クリスチャンたちもローマが持ち込んだ偶像を拝まなかったわけです。それでローマは、ユダヤ民族とクリスチャンを根絶やしにしなければ、やがて自分たちに反抗するだろうと考えました。ではどうしたらいいのか。ローマはユダヤ教を調べ、彼らが太陰暦で祭りを行っているのを知って、暦を変えたのです。神は七つの祭りをヘブル民族に指示されましたが、そのスケジュールはすべて太陰暦に沿ったものでした。ローマは祭りができなくなるように、太陰暦から太陽暦へと変えたのです。