~2022年~ それは主の復讐の年
主はいつくしみ深く 苦難の日の砦

そして極めつけの出来事がありました。それは翌年の二〇二〇年一月六日の出来事です。
今まで話した事が起こったのは、二〇一九年の十二月ですが、二〇二〇年一月六日に、十二月に体験した事柄が、本当に主から来たものであるということを確認できるような事が起こりました。
それはすでに夫が皆様に動画によって紹介させていただいたと思うのですが、私には孫が五人いて、一番下の孫を「勝門」と言います。
当時、勝門は三歳でした。夢という概念がまだ全くない時に、勝門に、夢の中でイエスさまが現れて語られました。それは勝門に語られたというよりも、私たちを励ますために、勝門を用いられたと思うのですが、夫はその話を聞いて、泣き伏しておりました。

その内容は、ママ(私の娘)が、教会に来る途中に、勝門が後部座席に乗っていて、いきなり後部座席から運転席に顔を出して、「ばぁば、もう治ったって。」と、そういうふうに言ったのですね。娘が「え?何って言った?」と聞くと、「ばぁばもう治ったって。」と言うのです。
「誰がそんな事言ったの?」と聞くと、「イエスさま。」と答えました。「イエスさまにどこで会ったの?」と聞くと、「かつとがねんねしてる時。」というふうに言いました。
それで詳しく内容を聞いてみると、「ばぁばの所にイエスさまが治る薬をあげるよと言って、ばぁばに治る薬をくれた。そしてカツの所に来て、ばぁばはもう治ったよと言ってくれた。」と、そういうふうに言いました。何度聞いても、全く同じことを繰り返すのです。イエスさまがどんな方かということも、勝門にはまだ分からなかったと思いますし、夢というものがどういうものかも分からない頃でした。
そんな時に、イエスさまがそのような方法を使って、私たちを励ましてくださいました。前回、ここで皆様に見ていただいた動画は、二回、三回と娘が勝門に確認をして、その後に撮影をしたものだったので、あまり感動的なものではなかったのですが、実際は本当に感動的なものであったということです。私もそれを聞いた時に本当に感動して、心が熱くなるような思いでした。
そしてこの出来事は、十二月に起こった、数々の不思議な体験を裏付けるものとなって、どれだけ、励まされたのかわかりません。

しかし、その出来事の直後に、CT検査と診察がありました。当時、体調は本当に悪かったので、最悪の結果を聞くだろうなと予測していましたけれども、案の定でした。膵臓癌発覚以来、癌治療はしていませんでしたので、癌の大きさは五センチに増大していました。
そして医師が言うのには、「三つの大きな危険があります。一つは今にも動脈が破裂寸前になっている。二つ目は、まもなく十二指腸が詰まって、食べ物が入っていかなくなる。そして三つ目は、挿入したステントが詰まりつつある。」ということでした。
私は医師に、「それらはいつ起こる可能性があるんですか?」と聞きました。すると医師は、「今日起こっても、明日起こってもおかしくありません。」と言い、「その中のどれかが起こった場合には、もう命の保証はできません。」と言われました。
しかし、十二月から一月にかけての神さまからの語りかけがありましたので、それらを聞いても、あまり動揺がありませんでした。それは本当に感謝なことだったなぁと、神さまの支えがあったことを思います。

その時点では、積極的治療は何もできていませんでした。しかし座して死ぬわけにもいかないということで、一応、その後の治療方針を決めました。私たちは、QOLを優先して、副作用の強い抗癌剤ではなく、飲み薬の抗癌剤があるというので、それで治療する方法を、祈りの中で選択しました。
医師には初めから、私たちがクリスチャンであること、真の神さまに祈りながら、病との戦いを戦っていくことを事前に伝えて理解をいただいていました。それで医師は全て私たちの言う通りに受け入れてくださいました。
それで入院ではなくて、家にいて服薬での治療が始まって行きました。それは二〇二〇年の一月中旬から始まったのですが、その薬の服用が始まるや否や、本当に不思議なことが起こっていきました。膵臓癌に特化した腫瘍マーカー、CA19-9というものがあるのですが、最初、その数値は何千もありました。しかしその値が、みるみる下がっていきました。診察の度に、何百も下がっていって、五ヶ月後には正常値に入りました。正常値は「0から37」ですが、27という値にまで下がりました。医師は、「もはや癌の範囲をCT上では確認できません。癌が瓦解していっている。」という表現を使って説明してくださいました。
私は医師に聞きました。「先生はこの薬で良くなると思われましたか?」と聞いたら、「正直申し上げて、どんどん悪くなると思いました。」と答えられました。膵臓癌の治療には、あまり適していない薬であったと思うのですが、祈りの中でその薬を選択して、勝門の夢もあって、イエスさまがくださった薬だと信じて服用していく中で、そのような事が起こっていきました。

その奇跡を先駆けとして、さらに数々の奇跡が起こされていきました。それと同時に、あれほど痛かった痛みもなくなっていき、腹水も胸水も消えて、楽に生活ができるようになりました。マーカー値が正常値になった時には医師が「信じられないなぁ。」と何度もつぶやいておられました。

それから、二〇二〇年の秋の出来事でした。挿入していたステントが消えるという奇跡が起こりました。「あれだけ苦労して入れたのに。」と医師は言っていましたけれども、放射線科から届いたCTの診断結果を見ながら、「ステント抜去状態にあり」という表記を見て、医師は、「始め、ここに何が書いてあるのか、僕には分かりませんでした。」と言っておられました。それだけ日常的に起こることではない出来事でした。それは消えたのか、便の中に混じって出てしまったのか、私にはその感覚はありませんでしたけれども、とにかくステントがなくなりました。本当にレアなことの証明ではないかと思います。

そしてもう一つ、「癌は瓦解しても、癌を支えている線維化は残って、大きさは絶対に縮小しません。」と何度も言われていました。でも二〇二〇年十二月の検査の結果、それも小さくなっていました。
その時に医師は、「これはすごいことだ。こんなことがあるのかなぁ。これがどんなにすごいことか分かりますか?滝元さん。」と言われました。私はどんなことなのか分かりませんでしたが、でもすごいことなんだろうなと思いました。
その時に医師は「僕も仲間に入れてもらおうかな。」とおっしゃいました。それは「私もクリスチャンになろうかな。教会に行こうかな。」ということだったと思うのですが、冗談だったかもしれないですけれども、医師が大変驚いた出来事の一つでした。

このように普通ではありえない奇跡が起こって、初め、三ヶ月、四ヶ月の命で、手術なんてとてもできない、死を待つのみという状況から一転、手術ができる状態にまで回復しました。
しかし手術という選択肢が、私たちの目の前に来た時に、本当に悩みました。ここまで主が奇跡のみ手を持って導いてくださったのに、手術をすべきかどうかと、夫も私も大いに悩んで真剣に祈りました。その後、腫瘍マーカーも少し上昇してきたということもあって、私と夫、それから家族も、手術をしようという決断をして、昨年の九月に手術をいたしました。その時は、皆様には本当に真剣に祈っていただいて支えられたことを、心から感謝いたします。

手術をして、初めは相当大きな癌があったという形跡が確認されました。しかし細胞検査によって、リンパ節に癌の転移がなかったことが判明しました。それらは手術で切り取ってみないと分からない事実です。二年間、どこにも癌が転移しなかったということは、主の守りの証明であると本当に思います。何人かのお医者さんたちにも教えていただいたのですが、なかなかそれはありえないことらしいです。手術をして、そのような結果を受け取ることができて、本当に感謝でした。

それともう一つは、イエスさまの十字架の意味が、本当によくわかりました。分かっていたつもりでしたが、頭だけでわかっていて心に落ちてなかったなぁと本当に思いました。
イエスさまが神としてではなくて、人としてこの地に来てくださって、私のために十字架の苦しみ・痛みを担ってくださったということが、はっきりと分かって、本当に感謝が溢れました。
これから十字架の犠牲の意味と、神さまの愛を本当にしっかり伝えていかなければいけないということを肝に銘じて、自分にも誓いました。

数々の大変なところは通ったのですが、「苦しみにあったのは私にとって良いことでした。それによって私は多くの掟を学びました。」とダビデが言いましたけれども、私もダビデとその想いを共有するものであります。本当に良かったと思っています。

たいへん大きな手術でしたので、まだ、体のいたるところに少しづつ、いろんな不具合はあるのですが、完全勝利を主が取ってくださることを信じて、戦い続けていきたいと願っています。また続けてお祈りをお願いできると感謝です。

そして一連の戦いを振り返って思うことですが、神さまが癒してくださったということが、誰でもはっきりとわかる様に、また、神の栄光が現わされるために、他の癌ではなく、究極の「膵臓癌」でなければならなかったのかもしれないと、そんな事を思っています。
二〇一九年の十二月から二〇二〇年の一月の、最も辛く厳しい時期に、神による数々の不思議な介入があったことは、本当に大きな慰めとなりました。神さまの細かいお心遣いと、優しさに本当に感動します。

そして、何十年も同じ病の患者たちによる蓄積されたデータから、「次にはこのような経過をたどります。こうなります。」と医師に言われた事柄の全てが、一つも実現せずに、ことごとく医学の常識が覆されて、逆の良い結果となった事です。これは神にしかできないということを、医師たちも感じ取られたと思います。
しかし同時に、医学によって癒されたのも事実ですので、医学に対しても、敬意を払っています。

どうしてこのような恐ろしい、手強い癌が癒されたのかを考える時に、皆様の熱い、熱心なとりなしの祈りがあったことは言うまでもありません。同時に、夫の献身的な私への愛と、熱烈な祈りが、この癒しに大きく寄与していると、本当に思います。

そしてもう一つの大きな要素は、悪魔・悪霊どもに対する「戦いの祈り」が勝利へ導いたと感じております。癌が発覚した時点で、私は悪魔の挑戦であることを、強く感じました。そしてその時、戦いによって、勝利できるのではないかと感じました。
「神に従い、悪魔に立ち向かえ。そうすれば悪魔は逃げ去る。」という聖書のみことばがあります。これは私の信仰の指針としているみことばです。立ち向かえば、悪魔は逃げ去る存在だということです。ですから、毎日、このみことばを宣言しています。「触らぬ神に祟りなし」という言葉が日本のことわざにありますが、これは本当に悪魔・悪霊どもが作った言葉で、私たちキリスト者の立つべきポジションではありません。悪魔に対しては、「立ち向かう」以外にはないと私は信じています。
病気だとか事故だとか、破壊的な出来事の背後には、必ず、悪魔・悪霊どもの関与があると私は思うので、霊的戦いの視点を持った祈りは、破壊的な病気を含めて、事柄が改善されるために必須条件ではないかと、思っています。

そして私はこの二年間は、行けない時ももちろんありましたけれども、毎朝、豊川の河川敷に行って、このみことばと、いくつかの戦いのみことばですけれども、代表するみことばはこのみことばですが、大声で宣言して、膵臓癌に関与した悪魔・悪霊どもに立ち向かう祈りをしてきました。
そしてそのような中で、悪魔・悪霊どもの力が弱められて癒しに繋がっていったのではないかと思っております。

恵みの中で私は今癒されて、健康体の時とほとんど同じような生活ができるようになっています。本当に感謝ですけれども、まだ依然として、病の中で苦しんで戦っておられる友人たちがおります。それらの方たちのことを思うと、本当に心が痛みます。友人たちも同じように癒されて、私と同じ喜びを共有できるように、また私の癒しが、それらの人々にも確実につながるものであるようにと、本当に願っています。