2022年4月24(日)新城教会牧師 滝元開

詩篇97篇1~6節
『主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。』

感謝いたします。今日はこうして神さまにたくさんの賛美をおささげでき、神さまを礼拝できたこの大きな恵みを心から感謝いたします。
皆さん、お元気でいらっしゃいますでしょうか。私たちも、こうして皆さんの温かなお祈りの中で支えられ、この教会も、また私たちの歩みも支えられていることを心から感謝します。
今日のメッセージは、「主は、王だ。」というタイトルで準備させていただきましたけども、先ほども賛美しました「主は、王だ。」。王の王である主、まもなく帰って来られる主、その方がこの日本の王であられ、日本の主であり、また私の王であり、私の主である!と、そのことを信じて進んでいきたいと心から願っています。

さて早速ですが、私ごとで大変恐縮なのですが、我が家の長女の麗歌が三月九日に日本を発ちアメリカの地に行きました。順先生に突然お願いして「結婚に向かうことが整ったので紹介してください」ということで、二月の末の日曜日でしたでしょうか。ここで紹介していただいて、そしてあっという間に彼女は旅立って行きました。
彼女も結婚を神さまご自身の中に委ねて、戦って祈って来ていました。でも相手の方アメリカの方ということで、いろんな障害があって、すごくもう長いお付き合いさせていただいていたのですが、もう半ば本当にこのことは主のみこころではなかったのかなと思いつつ、少し諦めかけて、昨年末はそんな気持ちで彼女はいたのではないかなと思います。
そんな中で、越年の礼拝の中で、彼女は一つのみことばをゲットしました。「主は圧倒的な勝利者だ!」と、今までのような中途半端な勝利ではなく、完全なる圧倒的勝利!それは公畑フェルナンド先生が語ってくださったメッセージだったのですが、彼女はそれを握って「圧倒的勝利の年だ!」と言ってこの年を始めていました。
その時はまだそのような話が全くなかったのですが、一月の半ばぐらいに突然婚約ビザというのが下りて、そこに至るまで何度も大きな戦いがあったのですが、ビザが下りたということで、突然行くことになりました。この三月末までには出国しなければいけないということで、本当に急なご報告となってしまったのですが、でもその中に皆さんの大きな愛と祈りとで本当に支えていただいて、無事に三月九日に日本を発つことができて感謝でした。
個人的、私たちの家族としては、やっぱり三十数年間ずっと寝食を共にしてきたので、突然彼女がいなくなるということで、人間的にはすごく寂しい気持ちもあったのですが、しかし彼女が「圧倒的な勝利の年!」という、それを握って行ったゆえに、私たちも平安のうちに受け止めることができました。彼女は今まで見たことのないような笑顔なんですね。私たちは成田空港まで送って行ったのですが、彼女は、本当に突き抜けた笑顔で、「行ってきまーす!」と本当ににこやかに弾けんばかりの笑顔で手を振ってくれて、あぁもう何と言うか、返す言葉がないというか、これはもう神さまのみ手の中だなと思いました。

麗歌という名前は、このみことばから与えられました。サムエル記第二の二十三章一節、

『これはダビデの最後のことばである。エッサイの子ダビデの告げたことば。高くあげられた者、ヤコブの神に油そそがれた者の告げたことば。イスラエルの麗しい歌。』

この「麗しい歌」という箇所から、「麗歌」という名前が与えられました。 そしてそれに続くみことばがあるのですが、二節から四節までお読みします。

「主の霊は、私を通して語り、そのことばは、私の舌の上にある。イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』」

このみことばが続いていくのですが、娘が旅立って行くその姿を見て、このみことばの「太陽の上に昇る朝の光」「雲ひとつない朝の光のようだ」と、本当ににこやかなあの笑顔、人生であんな笑顔見たことないという笑顔で、彼女の出国後には、やっぱり残された者たちはちょっと涙ぐんでおりましたけど、しかし彼女は、神さまのみ手の中で主が遣わせてくださったと信じて送り出しました。

三月九日の出発前、皆さんに本当に愛をあらわしていただき、支えていただき、本当に高い所からですけれど、ありがとうございました。いろんな方に励ましていただいて、彼女が旅立って行きました。行く前にどうしても彼女が会いたいという人がいて、それは誰かと言ったら、「授産所の彼らに会いたい」と彼女が言い出しました。こんなコロナの中で、その時はまだ蔓延防止発令中だったので無理かなと思ったのですが、お会いできるかどうかを施設に電話してみました。そうしたらなんと、電話したその日に、「実は今日から会うことができるようになった」ということで、窓越しに授産所の兄妹姉妹に会うことができました。
四人いらっしゃるのですが、一人ずつ出てきてくださって、彼らと一緒に交わりをし、一緒にお祈りすることができました。
最初に出てきてくださったのが、この方、T兄です。弾けんばかりの笑顔で、結婚の報告をしたら、「良かったなぁ。寂しくなるなぁ。」と、皆さん同じ言葉を言ってくださったのですが、でも本当に一緒に喜んでくださって、喜ぶ者と共に喜んでくださいました。
 そして続いて出てきてくださったのがN姉、彼女も本当に「麗歌ちゃんのために祈ってる。」とずっと言ってくださっていました。

そしてH兄。彼らはコロナになってからこの二年半ぐらいずっと教会には来られていないのですが、彼ら、前回と前々回、ちょっとやっぱり元気ないかなと思ったのですが、でも皆さんそれぞれ、なんと言ってもこの笑顔ですからね。本当に少し元気になり始めているなと感じました。
 そして最後にK姉でしたけど、彼女も本当に喜んでくださって、「良かったね。でも寂しくなるね」と言ってくれましたけど、そんな中で、一緒にお祈りしていただき本当に感謝でした。

麗歌が出国する寸前に、私たち家族にそれぞれ、手紙を渡してくれました。そしてその中に、私に向けて何と書いてくれたかと言ったら、「麗歌という名の通りに、音楽の中で圧倒的な勝利をアメリカでも掲げるために主の戦士として戦ってきます!」そういう手紙の内容でした。「麗歌」というのは、麗しい歌、神さまの賛美を放つために、アメリカで圧倒的な音楽の中で与えられる、圧倒的な勝利をアメリカでも掲げるために、主の戦士として戦ってきます!と言って出て行きました。一人で敵陣に乗り込んでいくようなそんな中だったので、なんとも遣わす者としては複雑な思いもありましたが、送り出させていただきました。
そんな中で、でもやっぱり一つ一つ結婚に向けての準備を彼女もして重ねてきたのですが、すごく戦いを感じました。偶然かなと思うぐらい、いろんな戦いがありました。まず車のライセンスを向こうに取りに行きました。行って、そのライセンスの会場に着いた途端、全米のそのシステムがシャットダウンして、できないと言われて、そんな状況だという事を聞いて、一生懸命お祈りしました。そうしたらそれが一応復旧して、そしていよいよ筆記の試験だとか、現実的なドライブの試験があったりして、さぁこれからドライブの試験だ!という時に何が起こったかと言ったら、教員が乗ろうとする助手席側のドアが開かなくなったのです。「これは駄目だ。あなた明日来なさい。」と言われました。でもそこでまた祈りました。「主よ!」と。そうしたらなんと開いたそうで、無事ライセンスを取ることができました。一つの国の支配の中に潜り込むという中にある戦いというのがあるんだなぁということを感じました。
そして次は、何があったかというと、ゆくゆく彼女はグリーンカードというアメリカの永住権を取るために、アメリカのマイナンバーみたいなのを取らなければいけません。それを取りに行くということで、彼女は出かけて行ったのですが、そうしたらその会場に行ったら、その会場が停電になったそうです。「また停電になった。何これ?」とかいいながら、でも戦いつつ、またそれが復旧して、なんとか勝利して、それをゲットすることができました。
そしてさらに、永住権を取るためには結婚をしなければいけない。それが期限があるので、そのための手続き、本当にいろんな手続きがたくさんあるので、すごく大変だったのですが、そんな中で結婚の手続きに行きますということで、やっと行けるということで行こうとしました。それでその予約の時間をめがけてハイウェイを走らせて行きました。そうしたら、ハイウェイの先で大きな事故があって三時間の渋滞となってしまったそうです。結局その結婚証明書をその日に取りに行くことができなくなってしまいました。なんかことごとくそれを阻むような、そういうものがあることをすごく感じて、彼女も一生懸命祈って祈って、そして多くの愛する先生方、兄弟姉妹に祈っていただいて支えられて、それも無事に取ることができました。

そしていよいよ結婚ということなのですが、実は彼女、今朝、「結婚しました!」本当にありがとうございます。
皆さんのお祈りに支えられて、結婚式を挙げることができました。この結婚、どうして皆様にご報告もできずにこの日を迎えたかと言うと、一週間前には決定していなかったのです。それからも会場から何から何までもいろんな手続きがまた大変でした。本当はアレックスさんの故郷のホームタウンでしようというそんな気持ちもあって準備を進めたりしようとしたのですが、コロナのことがあって行けなくて、そして二転三転、三転二転して、昨日の夕方まで、まだあれがどうのこうのと、ずっと戦っていたのですが、今朝は本当に大きな祝福のうちに、こうしてこんな喜びの結婚式を迎えることができて感謝でした。
是非またこの二人の祝福のために、彼女が、「麗しい歌、神さまへの賛美を通してこのアメリカで音楽の世界で戦います!」言った通り、音楽を勝ち取るための働きを、主にあってできるように、ぜひ覚えてお祈りに加えていただければと思います。本当にもう一度、この高い所からですけど、皆さんの大きな愛とお祈りと支えを心から感謝します。ありがとうございました。主に心からの感謝と栄光をお返し致します。感謝します。

もう一つ、神さまが始めてくださったヘブンズアイスクリーム&コーヒーの働きが主によって、昨年の七月九日から始まって、ここまで導かれてきましたけど、ヘブンズでの伝道会のコンサートも本当に祝福されて、神さまが用意された働きだなと、毎回感じています。クリスチャンでない方々が来てくださって、全くクリスチャンでない方だけ対私たちという、結構ガチな戦いだなという感じです。でも皆さんが本当に吸うように聞いてくださって、また涙してくださるのです。あるグループは一族で来てくださって、なんか孫からおじいちゃんおばあちゃんまでというような、そういう団体が来てくださって、そこで本当にイエスさまという方を伝える働きをさせていただいたのですが、「本当によかった!」と言ってくださって、その上、次の日にはわざわざまたヘブンズに来てくださり、「CD欲しい」と買いに来てくださって、「是非またこの企画させてください。」と言ってくださったりして、神さまご自身がこの教会のいろいろな働きの中で、私たちの想い以上に先を進んで導いてくださっていることを覚えて、心から感謝します。

さて、いよいよ今日の本題に入っていきたいと思います。残された時間の中で、主がくださったみことばを少しお読みしていきたいと思います。詩篇九十七篇一節~六節、

『主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。雲と暗やみが主を取り囲み、義とさばきが御座の基である。火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。』

このみことばです。このみことば、どうして与えられたかというと、このみことばが与えられたのは昨年のことでしたが、ある朝、このみことばを読んでいたら、まず詩篇を毎日読むようにさせていただいているのですが、詩篇を読んで、その日の順番に読んでいる旧約聖書の一箇所を読みました。そうしたらミカ書のみことばでした。一章三~四節のみことばでした。

『見よ。主は御住まいを出、降りて来て、地の高い所を踏まれる。山々は主の足もとに溶け去り、谷々は裂ける。ちょうど、火の前の、ろうのように。坂に注がれた水のように。』

先ほどの詩篇のみことばと重なっているのです。『山々は主の御前に、ろうのように溶けた。』そしてこちらでも、『山々は主の足もとに溶け去り、』主ご自身が帰って来られる姿というものが、ここで記されていて、そのような中で神さまが、「主は王だ」という賛美を本当に突然、ぽんっと与えてくださいました。神さまご自身が、「私は王として帰って来る!」という宣言をされているんだなと、そんなふうに感じた、そんな時でした。

詩篇九七篇の最初は、『主は、王だ。地は、こおどりし、多くの島々は喜べ。』と書かれているので、王である主ご自身を、私たちがお迎えする時に、どうしていかなければならないかと言ったら、やっぱり本当に喜びを持って賛美して礼拝して主をお迎えする必要があると思います。
それと共に、今、全被造物がうめいて、主の訪れを待ち望んでいるとローマ人への手紙の八章の中から何度も学んでいますけども、大地が主の訪れを心から待ち望んで、本当にうめいている。でもまもなく主が来られるということは、被造物も私たち以上にきっと肌で感じているのではないかなと思います。
結婚した娘は、昨日、「いや、ワクワクしてきた!」と言っていたのですが、なんかその言葉を聞いて、なんだかこの大地そのもの、被造物そのものも、イエスさまがまもなく来てくださる、花婿なる主をお迎えするというその前で、今一番ワクワクして、「イエスさま帰って来てください!」というふうに思っている時期なのではないかなと思います。
ですから、私たち被造物に「主を賛美せよ!」と言っていますけど、もう私たち以上に被造物自体がきっと賛美しているのではないかと思うのですが、でも反面彼らはうめいているので、この地上でかけられた悪しき呪い、人間の罪によってかけられてしまった呪いを解く権威は、やはり被造物の管理人である私たちに与えられているので、それを解きます!という祈りと共に主を賛美しなさい、「イエスさまがまもなく帰って来られる!」と、小躍りして喜ぶ、この地も谷も、何もかもが主を喜んで待ち望んでいる、そのような中にあると心から信じていますので、私たち一人ひとりも主を心から喜びを持って待ち望む、そのような者でありたいと心から願います。
王なる主ご自身が、まもなく帰って来てくださる。素晴らしいですね。そのような中に私たちは生かされていますので、被造物と共に、イエスさまの訪れを心から待ち望んでいきたいと思います。

終わりの時代というのは、様々な困難な事が重なって、コロナの問題もそうですし、今のウクライナ・ロシア情勢の中に見る戦争の問題も、この終わりの時代の姿が聖書に書かれている預言が成就して、どんどん大変だと、なんか苦しみに苦しみが重なっている、そんなイメージがあるのですが、しかし神さまが語っておられるのは、「主の帰られる道を備えよ!」というみことばがあります。イザヤ書にもありますし、そしてバプテスマのヨハネも主の道を備えるために彼が働いたという、そんな記事があります。
ですから主の道を備える働き、先代の預言者たちから、聖徒たちから、私たちの信仰の先輩のお一人お一人が、主の道を備え続けてきています。そして備えられて、備えられた時に主が王として、この地上に帰って来てくださるので、現実的に目で見えるところ、霊的な領域でも、戦いは激しい中にありますけども、しかし主の道は各日に備えられ続けている。山は低くされて、谷は埋められて、凸凹道はまっすぐにされて、主の道がまっすぐに、今整え始められていると思います。
だから本当にこの地球そのものが疲れ果てて、もうどうにもならなくなって主をお迎えするのではなくて、主が帰られる道が備えられた中に主が帰って来られる。そういった信仰を持って、被造物がワクワクして、地は小躍りして喜ぶほどに主を求めて、主を賛美してお迎えする、その信仰を持って私たち歩み続けていかなかったらいけないのかなと、そんなことを今回の学びの中で教えられました。

そして、それと共に、主の帰って来られる、その主ご自身のみ姿というのは、すごく厳しい、裁きの主としての姿をここで見ることができると思います。もう一度、詩篇九十七篇三~六節をお読みします。

『火は御前に先立って行き主を取り囲む敵を焼き尽くす。主のいなずまは世界を照らし、地は見て、おののく。山々は主の御前に、ろうのように溶けた。全地の主の御前に。天は主の義を告げ、すべての国々の民は主の栄光を見る。』

と続きます。
ですから、神さまご自身、イエスさまご自身の帰られる姿は本当に王としての絶対権威を持って、この日本の王、私の王、世界の王として帰って来られるわけですけど、しかしその主ご自身は、裁きの主として敵を打ち破るための働きを成し遂げるための主として来てくださいます。
今年は、新城教会にとって与えられているテーマが「復讐の年」ということですけど、復讐の神としての働きが進められている。それが今のこの時であると信じて、祈り続けて、戦い続けていきたいと思います。詩篇九十四篇一節に、こんなみことばがあります。

『復讐の神、主よ。復讐の神よ。光を放ってください。』

神さまご自身は、その敵に対して復讐する。そのようなお方だと言うのです。今日のテキストのみことばは、詩篇九十七篇ですが、詩篇九十三篇から九十九篇までが、「王の詩篇」と呼ばれるパートらしいです。ですから「主こそ王だ!」ということが書かれています。まず九十三篇一節(新改訳2017)、

『主こそ王です。威光をまとっておられます。』

これはあえて二〇一七年版で読んでいます。私は第三版を基本的に使っているのですが、二〇一七年版は『主こそ王です。威光をまとっておられます。』と書かれています。第三版だと、『主は、王であられ、みいつをまとっておられます。』となっています。「みいつ」というと天皇を崇めるという意味になってしまうので、この中にも悪魔の策略があるなと思いますが、主は栄光をまとって、威光をまとって来られるお方なのです。
そして九十四篇が、先ほど読んでいただいた復讐の神ですね。そして九十五篇三節、

『主は大いなる神であり、すべての神々にまさって、大いなる王である。』

そして続く九十六篇十節、

『国々の中で言え。「主は王である。まことに、世界は堅く建てられ、揺らぐことはない。主は公正をもって国々の民をさばく。」』