2022年3月27(日)新城教会主任牧師 滝元順

創世記 2章7~8節
『神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。
神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。』

コリント人への手紙 第一 3章9節(新改訳第3版)
『私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。』

コリント人への手紙 第一 3章9節(新改訳2017)
『私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
「すりだぶ」の若々しい賛美、素晴らしかったですね。すりだぶというミッションの番組、ご覧になったことありますでしょうか。私はよく見させていただくのですが、ユニークな番組です。
先日は、クイズをやっていました。「カメとラクダとサイが買い物に行きました。何を買ったのでしょうか?」というクイズでした。
私は全然分かりませんでした。カメとラクダとサイが買い物に行くはずがないと思いました。そうしたら、先ほどキーボードを弾いていたまなちゃんが、「わかった!私、天才かも!」と豪語しておりましたけれど、その答えは「カメラクダサイ」で、カメラだと言うのです。頭柔らかいなぁと、ちょっと感動しました。すりだぶは、私にとっては、老化防止になるのではないかと思います。また、素晴らしいメッセージも毎回、聞くことができます。是非とも、ご覧になっていただきたいと思います。

まずは皆さまに、心から感謝を申し上げます。家内は、先週、無事に退院できました。皆さんに祈っていただき、胆管炎の処置もうまくいき、その後、熱も出ていません。しかし膵臓を切り取っているので、糖尿病になりまして、毎日、インスリンを打つようになりました。それで、体調もたいへん良くなりました。祈りに支えられて、今までの入院生活の中で、一番うまくいった感じです。
もちろん毎日、戦いはありますが、守られていることを、高い所からですが、心から感謝を申し上げます。続けてお祈りをお願い致します。

しかし一つ、皆さんにお祈りしていただきたいことがあります。それは、私の甥っ子になるわけですが、瀧元寛太を覚えておられますでしょうか。彼は四年近く前に、脳出血で倒れて、その時、ほとんど即死状態でした。しかし奇跡的に助かりました。しかし、意識はまだ回復しておりません。先週は、トラブルが発生しまして、結構、危ない状態でした。
彼は大変、すばらしいドラマーでした。知っている方は知っていると思いますが、「ジェネレーションズ」というグループのドラマーとしてのツアー中に倒れました。
今も意識はないのですが、呼びかけると分かるのです。先週、奧さんと娘たちが、久しぶりに会う事が出来たそうです。彼に声をかけたら、涙を流していたそうです。是非ともいやしを祈っていただきたいと思います。

教会には、いろんなことがあります。祈りがなかったら、決して生きることはできないと、痛感しています。また、世界も混迷を深めています。新型コロナが少し収まったと思ったら、今度はウクライナとロシアが戦争を始めました。もしかしたら、核戦争になるのではないかという勢いです。
また、それに便乗するかのように北朝鮮からミサイルが飛んできたり、ロシアが三千人くらいの兵を北方領土に配備して、演習を始めたりと、日本も大丈夫か?みたいなところがあります。本当に世も末だなという感じです。イエスさまに帰って来てもらわないと、解決がつかない問題ばかりです。
しかしこの時にこそ、主を信じる者たちは、神の国の価値観にしっかりと立って、とりなし、祈る必要があるのです。
クリスチャンたちが、どのように世界と関わり、祈るのかで歴史は変わるのです。今こそ、祈る者になりたいです。

また、メディア情報に惑わされない事も大切です。ロシアの人たちは、自国に有利な情報ばかりを聞かされていて、洗脳されていると報道されています。しかし我々だって同じです。戦争とは作られるものです。近年の戦争を調べてみれば、戦争は偶然ではなく、作り上げられるもので、経済との関わりがあります。
世界で最も儲けているのは、製薬会社だそうです。今回、ファイザー社の製品を、五十億人くらいが購入したと言われます。皆さんも買われたかもしれません。
しかしもう一つ、儲けている会社があります。それが軍需産業です。アメリカがどうしてあれほど豊かなのか、それは軍産一体型の経済構造(軍需産業を中心とした、企業と軍隊、および政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的連合体)を持っているからです。
しかし最近は新型コロナで戦争がなくなり、軍需産業もあがったりです。在庫整理をして、古い武器・弾薬を消費してもらわないとやっていけないのです。だから戦争、紛争も起こりやすいわけです。
情報はちょっと引いたところで、経済という軸を入れて接すると真実が見えてくると言われます。
もちろんプーチンは悪いですが、悪役とヒーローをかつぎ出して、人々を先導する力も働きやすいですら、聖霊さまに聞きながら祈っていきたいものです。

今日は特に、クリスチャンたちが、どのような存在であるのかについて、お話をさせていただきたいと思います。
メッセージの結論は、すでにタイトルの中にあります。私たちは、「神の協力者であり、同労者」なのです。
すごいじゃないですか。私たちには神の協力者、また同労者という立場があるのです。

コリント人への手紙第一 三章九節、新改訳第三版の訳だと、
『私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。』となっています。
新改訳2017では、
『私たちは神のために働く同労者であり、・・』となっています。
「協力者」とは、「相棒、共同作業者、パートナー」という意味があります。また、「同労者」とは、「一緒に仕事をする仲間」という意味です。
コリント人への手紙第一、三章の前後の文脈を見ますと、コリント教会には問題があったようです。内部に揉め事があったみたいです。コリント教会は、パウロが創設したのですが、その後、アポロという伝道者が来て、素晴らしく雄弁なメッセージを語りました。すると「創設者のパウロより、アポロのほうがいい!」という人たちが多く出ました。その結果、教会内部に、パウロ派とアポロ派ができて、互いに反目していたのです。それを知ったパウロが、「おまえたちは何をしているんだ!」と彼らに対して、厳しい言葉を語っています。

そんな中で、「私たちは神の協力者、同労者。」という言葉が使われました。
新城教会には、私を含めて八名の牧師・副牧師がおります。一人ひとり、毎回、ユニークなメッセージを語ってくれます。ある人は「あの先生のメッセージがいいな・・・、今日は順先生か。どうせ話すことは、霊的戦いと被造物を賛美させることだから、帰ろう・・」と言う人はいないと思いますが、それぞれ、好みがあってもいいのです。しかし、分かれてはいけませんよ、とパウロは語っているわけです。教会に属するとは、ひとり一人、キリストのからだを構成していて、全体で一本の剣なのです。私たちは皆、神に協力をしている者たちであり、共に働く同労者なのです。
同労者とは、水平の関係です。「神の協力者」とは、神さまに協力しているという、縦の関係をも示しています。私たちの主は、ご自分で全てを決めて、勝手に事を進める、独裁者ではありません。ご自分の権限を、人に託して、一緒に仕事をしたいと願っておられます。私たちをパートナーとして招いて下さるお方です。
そのことを知ると、信仰の姿勢が変わります。神のパートナーとして、また、互いに同労者として、神の国の働きを進めるのです。

明日は「霊的戦い専門課程」の収録があります。一ヶ月、あっという間に過ぎます。私はこの働きを十年間やっております。しかしこの三月度ほど、「無理だな・・」と思った事はありません。なぜならば、二月から三月にかけて、家内にいろいろあり、今後、どうなっちゃうのかな・・・と、本当に心配しました。それで、「三月の霊的戦い専門課程は無理だ。十年間、続けてきたけれど、いよいよ終わりかな・・」と思いました。リバイバルミッションに「私はこの働きを辞めます」と言おうかとさえ思いました。
しかし一方では、今回、奉仕できたら、主が私をパートナーとして選んでくださっている証拠かなと思い、祈っていました。

なんと明日、私は、六本の講義をやります。六つの講義、結構、大変です。そんなこと言ってはいけませんが、一本四十分で、それを六つ、四時間くらいは話し続けなければなりません。
しかし私は、今回のテーマを主からいただきましたから、大丈夫です。四つのテーマをいただきました。
今日の午後から、四つのテーマを三十分で話します。ほとんどわからないかもしれませんが、本課のほうにもご登録いただきたいと思います。
今回、何かいい資料がないかと思って探していました。家内が入院して、毎日、あっちに行ったり、こっちに行ったりとたいへんな週でした、準備する時間もありませんでした。しかしふっと、時々見る、「BibleProject」という動画を見たら、三月になってアップされた新しい動画に目が留まりました。それを見てみると、最近私が語っているようなことを、ご丁寧に、アニメにして短くまとめられていました。その資料に出会い、たいへん感謝しました。BibleProjectはアメリカの団体だと思うのですが、日本語にも翻訳されています。本当に主の山に備えありだなぁと感謝しました。
この短い動画は、聖書を読むとき、たいへん助けになります。それも、最新の聖書学に基づいて制作されていますので、ある意味、最先端の学びです。

以前にも、何度かお話させていただいていますが、創世記一章は原点においては、我々が考えている世界観とはかなり違います。創世記は、モーセが書いたと言われますから、今から、大雑把に言えば三千五百年ぐらい前の事です。三千五百年前の人たちは、どのような世界観で創世記を受け取ったのでしょうか。私たちが彼らと視点を合わせない限り、真実はわからないのです。
「創世記1章の失われた世界 古代の宇宙論と起源の議論/日本語タイトル:創世記一章の再発見」という本に関して、有名な神学者が、次のように記していました。
この本は、ジョン・ウォルトンという博士が書いた本ですが、

・ジョン・ウォルトンの中心的主張
聖書が語る創造の概念は「物質的なもの」というより、「機能に中心的な重点が置かれている」と言う。そのような概念は、旧・新約聖書全体に渡って見られる。

・創造の主体は誰か?
第一義的には唯一の神であることは言うまでもない。しかし、同時に、神はその創造のわざ――つまり、世界に機能と秩序をもたらすこと――に被造物(特に人間)を招いておられる。
・・・キリスト者の、さまざまな創造的行為はイエス・キリストを中心としたものであり、やがてキリストにあって万物が一つに集められる(エペソ1:10)日を夢見て、神が始められた新創造のわざに参加する喜びに満ちた行為なのである。